第6話



 眉根を寄せたり、蒼白になったり、真っ赤になったり、屋敷に戻ったカイルから報告を受けているレグルスの様相は落ち着きがない。

 貴族の人間など自分を律して、思考や感情を覆蔵することに長けているばかりだと思っていたが、レグルスのこの素直なところは少しばかり安心出来る。

「ユーフェミアが、なっ、泣いたって、お前何故その男を止めなかった。というか、抑も、馬車から何を見た。何を知っている」

 矛先がこちらに向いた。

 フルフルと指を震わせて突き付ける様は行儀が悪いと、伝えるべきか悩むが、矢継ぎ早の質問は探究心に依るものと私は自分を納得させた。

「機密事項です」

 にこりと笑みを作れば、レグルスは渋面を隠しもしない。

 ユーフェミアがルドルフに泣かされたのは片手で足りる程だが、レグルスを由縁として涙を零すのは両の手では足りない事を考えれば、咎める権利などないとと傷付けたくなるが言葉を飲み込んだ。

「……冗談です。ユーフェミア嬢が教会に頻繁に足を運んでいた理由をレグルス様達に思い当たることがなかった事が気になっただけです。ユーフェミア嬢が外出するのならば、何かしらの理由があると言うことでしょう」

 本当でもないが、嘘でもない言葉を紡げば、レグルスの顔が少し和らぐもその訝しげな眼差しは私の表情を見極めようと忙しなく動いている。

「……それだけではないだろう。あの驚きは」

 視線を逸らしたレグルスは呟いた。

 どうやら、誤魔化されてはくれないらしい。

「ええ、カイル様もお二方の会話でお気づきかと思いますが、ハリウェル伯領にて不正が横行しているそうです」

「それとユーフェミアと何が関係がある」

 レグルスの片眉が不愉快そうに跳ねる。

 ユーフェミアと自分以外の男が接触しているなど到底許容出来ることではないのだろう。

「ユーフェミア嬢は困った方を捨て置ける方でしょうか」

「……あれは、首を突っ込むだろうよ」

 心当たりがあるのか不機嫌な獣が呻くようにレグルスは言葉を漏らした。

 レグルスはユーフェミアの善性を知っているし、見守っているので彼女の行動原理も理解している。

「そうでしょうとも」

「全ての人間があいつの考える、“良い人”などではない」

 私が頷けば、レグルスは吐き捨てるように告げた。

 貴族であるレグルスは駆け引きに慣れ親しんでいるし、理想と現実、打算と妥協、というものを分かっている。

「取り敢えず、相手の男は誰だ」

 知っているのだろう、と尋ねる強い眼居に怯みそうになる。

「知ってどうするのですか?」

「始末するに決まってるだろう!!ユーフェミアを泣かせたんだぞ」

 当然だろう、と鼻息が荒いレグルスに私は肩を竦める。

「では、黙秘します」

「はっ!?お前、主人に従わないのか?」

「憚りながら、私の主人はエレイン様です。情報とは時として金や貴石よりも価値を持ちます。そう簡単に詳らかに出来るわけはないでしょう」

 知っていることを伝えるのは酷く難しい。

 これから先起こるかも知れない、事件についてどこまで触れれば良いか加減が難しい。

「くっ、母上にそのような態度とってないだろうな」

「まさか。敬愛するエレイン様を粗雑に扱うなど。事実を伏せておくならば理由もお伝えします。聡い方ですから、それだけで十分です」

「あれの世界を余計な雑音で煩わせたくない」

 理由を伝える、という私の言葉を汲み取ったのかレグルスは渋々といった様子でユーフェミアからルドルフを引き離したい意図を告げる。

「ユーフェミア嬢は、子供でしょうか?」

「何を言っている。幼子だったら、どれほど楽だったか」

「ならば、淑女として扱って下さいませ。彼女は意思を持たないお人形ではないのですから」

 ほんの少し、擡げた反発心が口を衝いて出る。

「それとも、レグルス様は、自分に都合の良いユーフェミア嬢をお求めですか?」

「なっ――」

「貴方様の言葉には全てうべない、余計な口を挟まず、出しゃばらず傍らで微笑む。それだけの女性を恋い慕うのですか?」

「違う。そうじゃない。俺が、愛するユーフェミアはそうじゃない」

 視線を床に彷徨わせたレグルスはポツリ、ポツリ、と声を絞り出した。

「あいつからもらえるなら、嫌悪の眼差しだって良い。でも、視線を逸らされるのは嫌だ。俺を認識しないのは酷く堪える。俺の視線の先に居るのならば、手の届く距離に居るのならば俺に従わなくても良い」

「おもっ!!」

 果たして、レグルスとユーフェミアを結ぶ手伝いをして良いのか、思わず考えてしまう。

「「は?」」

「いえ、なんでもありません」

 レグルスとカイルの重なった声に笑顔で取り繕うと、ふと先程の言葉に引っかかりを覚えた。

 ユーフェミアはレグルスによって外界との接触を怖がるようになった。

 再び傷付けられる恐怖に萎縮している為だ。

 ユーフェミアは自罰的だからレグルスを怨んでいるわけではない。

 小説に書かれた感情に深い憎悪のようなものは全くない。

 嫌悪よりは、寧ろ、恐怖だろう。

 はて、と思い至る。

 何故、ユーフェミアはレグルスを恐れるのか。

 生まれ持ったレグルスの悋気りんきに本能的に恐怖を感じているのか。

 行き着いた一つの可能性に思わず眉根を寄せてしまう。

「嘘でしょ……」

 意識をしていたのはユーフェミアも一緒だったのかもしれない。

 確定情報ではないと自分を落ち着かせるが、何故か腑に落ちてしまう。

「どうした?」

「思いついたことがあるのですが、確証が持てず、まぁ、何れお話しできるときがきましたらお伝えします」

「だから、なんのこと――」

「譲歩として、彼のことをお教えします」

 尚も食い下がろうとするレグルスに捨て駒扱いで、餌を撒く。

 どうせ、この情報の鮮度が落ちるのは早いだろう。

「確実な情報ではありません。ユーフェミア嬢と礼拝堂の裏で会われた方は、ハリウェル伯の落とし子です……多分」

「ハリウェル伯の!?そのような噂、出回ったこともないぞ」

「ですから、確実な情報筋ではないと申し上げております。才気在る方です、それこそ、領民の不遇を知ってどうにかしようと藻掻いています――手段を選ばずに」

 最後に付け足した言葉をどのように受け取ったのかレグルスは考え込む仕草を見せる。

「ハリウェル伯は知っているのか?」

「彼の存在を?それとも、領内での問題でしょうか?」

「両方だ」

「私が知る限り、ご存じでは無いと思います」

 私の返答にレグルスは更に深く考え込んだ。

 彼の頭の中の損得の天秤が機能しているのだろう。

「ひとつ、ご忠告しておきますが」

「なんだ」

 思考を遮るように声を掛けた為かレグルスのリアクションは捗捗しくない。

「ユーフェミア嬢は、彼を“友人”と思っておりますので、不慮の事故などに巻き込まれでもしたら、さぞかし心を痛めるでしょうね」

 念のために釘を刺せば、レグルスは不服そうに唇を反らす。

 排除することを念頭から外したわけでなかったらしいことを知り、口うるさいと思われようとも注意喚起して良かった。

「マーシャ」

 名を呼ばれて、一拍反応が遅れてしまう。

 どうしても、自分の名前だという認識が希薄なのだろう。

「どうかされましたか、カイル様」

「君は……いや、良い。無粋な問いになりそうだからね」

 歯切れの悪い問い掛けの意図は推察するしかないが、私にとってはあまり好ましくはないものだろう。

 ならば、態々、踏み込む必要は無いだろう。

「そうですか」

 カイルが何か疑惑を抱いていることに気付いていないと素知らぬ顔をして頷いた。

「マーシャ、その不正とやらはハリウェル伯領のどの町で起きている」

「生憎、そこまでは存じません」

 正確にはど忘れしているのが、敢えて口に出すこともないだろう。

 横文字の名前は記憶に残りにくい。

「そうか」

 素直に納得してくれたのかレグルスは口元に結んだ拳をあてて思慮の海に没入した。



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