第4話
「「可愛い」」
思わず重なった声に、レグルスと顔を見合わせれば、目の前の貴公子の頬は紅を叩いたように朱に彩られていた。
「っ……」
何かを声に出そうとして飲み込んだレグルスを無視して馬車の窓に再び目を向けた。
(生ユーフェミア、可愛いし綺麗だし!!)
庇護欲をそそるその容貌も魅力的だが、何よりも心根が優しく努力家なところも好ましいと思える点である。
端的に言えば、可愛がりたいし守りたい。
自分の労力を投じるのならば、ああいう人物の為になって欲しい。
面倒くさい上司と手の掛かる後輩に振り回された日々を思い出して思わず息を吐く。
「ユーフェミア嬢、最近教会によくいきますね」
カイルの言葉に現実に引き戻される。
「なるほど、こうやってユーフェミア嬢の姿を追い掛けているんですね」
現代ならば、ストーカー規制法で勝てるのではないだろか。
レグルスの許可を得た私は、馬車に同乗している。公爵家所有の馬車は内側の装飾も凝っており、座り心地も悪くない。
「人聞きの悪いことを言うな。あれは、警戒心が薄くてうっかりしているから偶に見守りに来ているだけだ」
「割と頻繁に来てますけどね」
レグルスの隣に座っているカイルの発言にスカートのポケットから自作した帳面を取り出す。
「エレイン様に報告いたします」
「なっ!!」
薄い赤みがかった、マカロン色をした長い髪を揺らすユーフェミアの隣にいる人物に漸く気付き、驚いてしまう。
「ん、どうした?」
私の様子に違和感を覚えたカイルが声を掛けてくる。
「いえ、ユーフェミア嬢のお隣にいる方――」
「ああ、あれのメイドだったか」
窓から様子を窺ったレグルスの言葉に、思わず眉根がググッと寄ってしまうのを自覚する。
(あんたの恋敵の一人だっての)
よく、落ち着いていられると呆れてしまうが、分かれというのも酷な話かもしれない。 シャーリー――“オドネル家の繭”の主人公、ユーフェミアのメイドである。しかしながら、本来の性別は紛うこと無く男性である。小説の途中では、ユーフェミアの為その長い髪を切り捨て、本来の性別に戻るイベントが用意されている。孤児とされているが、彼を取り巻く状況はどうにも新刊の四巻でも剣呑である。軽い男性恐怖症であるユーフェミアの為に女装した護衛であるが、それだけとも言えない。だが、ユーフェミアの絶対的な味方であり、恋慕する一人である。そして、レグルスよりも読者の支持は高い。
会話は聞こえないが、ユーフェミアの言葉に笑顔で応える様は確かに女性と見紛うてもおかしくない。体格を隠すようなお仕着せだが、やはり骨格は男性のものに見える。
不意にレモンイエロー色の双眸がこちらを向く。
「っ!!」
数十メートル離れた距離が縮まったかと錯覚してしまう。
「レグルス様、いい加減離れた方が宜しいかと。気付かれています」
馬車には公爵家の紋章が刻まれているのだから見られたら即座に分かるだろうが、御者がそのようなミスを犯すとも思えない。
「何を気にしてる?」
「だって、あの人は――」
男だ、という言葉を飲み込んだ。
この時点で言って良いことなのか判断が付かなかった。
私が今、暴いて良いこととは思えない。
「どうした?」
「いえ、なんでもありません」
レグルスに態々いう必要が無いという反発と、エレイン様の為に伝えるべきかという憂慮が入り交じってしまう。
余計なことを言って、生じる筈の出来事を無くすにはユーフェミアの成長の阻害になるだろう。内向きだった彼女が、外の世界に興味を持って自分の意思で行動する。それは、見守るべきだろう。
(絡み見たいし…)
御為倒しと言われようが、ユーフェミアと“推し”との遣り取りを目の前で見たい。
それぐらいのご褒美を貰っても許されるだろう。
「教会のバザーに関しても次の予定まで時間がありますし、ユーフェミア嬢何か用事があるんですかね」
「さぁ、探らせてみたが特段の用事はないとのことだ。教会建築は好んでいるが取り立ててあいつは信仰が篤いわけではないからな」
カイルの言葉に何かが引っ掛かり、思考が鈍るが即座に言葉が導き出せない。
職場で忘れた事柄を家に戻ってお風呂に入った時に思い出すような、そんなむず痒さの一歩手前だ。そして大体、風呂場で叫び声を上げる羽目になる。
「出してくれ」
レグルスの指示によって御者が王宮へと馬車を動かしだした。
王宮がある――所謂城下町にある教会だからか確かに建造物としても凛とした美しさを兼ね備えていると窓の外に目を遣ると不意に小道から姿を現した人物が目の端を掠める。
「あっ!!停めて!!」
熟したハシバミの実の色の髪と孔雀石と紛う瞳を持つ人物に思わず声を上げていた。
ルドルフ・ハリウェル――“オドネル家の繭”の登場人物の一人である次期伯爵である。この時間軸ならば、恐らく、彼はハリウェル家の当主に存在を認識されていない頃である。というのも、ユーフェミアによって彼が跡継ぎとして名を挙げることになる事件が発生する。所謂、愛人の子供であるルドルフは市井の事にも詳しく、お嬢様であるユーフェミアの持つ価値観とも衝突することも多く、鋭い舌鋒で傷付けることもある。しかしながら、ユーフェミアの甘さを理解して尊重するその姿から、徐々に露出を増やしていった。無論、レグルスよりも人気は高い。
「おいっ!!」
椅子から立ち上がった私を叱責するレグルスの声など無視して、そのまま扉に手を掛けた。
「どういうつもりだ」
「調べたいことが出来ました。御前を失礼いたします」
一瞬、逡巡するが電車や車から降りる訳ではない、と自分に言い聞かせた。
足が縺れそうになりながら、ゆるやかなスピードの馬車から飛び降りる。
慌てて、教会へ顔を向ければ敷地内へと消える姿を目視できた。舗装された道を横断して教会へと駆けながら小説第一巻の事件においてルドルフとユーフェミアの問答が礼拝堂の裏庭だったことを思い出す。
『神の御手より零れ落ちた者は、どう生きれば良い』
妾腹である己の運命を苛み、怨んだルドルフの独白はユーフェミアにとって得がたい出来事だ。それまで美しいものだけを集めて捧げられたお嬢様に突き付けられたのは正しい者が救われない、理不尽な現実である。
祈れば救済が訪れるわけではない。
願えば望みが叶うわけではない。
ユーフェミアはこの日、正しく生きようとも奪われるだけの生がある事実を直視せざるを得ないのだ。
温室育ちのお嬢様には少しだけ刺激的な話だ。特に、家族から害悪から遠ざけられていたユーフェミアは貴族の駆け引きにも疎い。本来、一般人の塗炭の苦しみなど実感することもなければ、知る必要も無いのだ。
忘れてしまって良い、なかったことにして良い。
与り知らぬことだから、と夢のように取り合わなくて良い。
だけれども。
『この痛みを、私は知らなければならなかった』
彼女は後日謝罪を口にしたルドルフにそう言って熙笑した。
痛みを受け入れたしなやかな姿に私は感服したのだ。
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