第2話




「どういうことだ」

 もみの木の葉の色をした双眸に一瞬、不満が滲んだが即座にそれは潜められた。

 カナリア色を重ねた艶めいたブロンドの髪、高く整った鼻梁びりょう、少し吊り上がったまなじりは精悍な総身を柔らかくさせる甘さをもっていた。

 所謂、現代日本の少女が憧れるような王子様然とした目の前の貴公子こそ、エレイン様の息子である。

「先程申し上げた通りです」

 私の告げたことの意味を理解出来なかったのではない。理解した上で、お前何言ってるんだ、というプレッシャーである。

 退却して良いというのならば、即座にさせてもらいたい。

「エレイン様より、レグルス様のお役に立つようにと言われました」

「不要だ。俺にはカイルが居る。母上が重用しているのは知っているが、意図が分からない」

 レグルスの視線が傍らの偉丈夫いじょうふに注がれる。

 ジッと見詰めればカイルは少し困ったように笑って首を傾げ、肩に触れるアルマニャックを想起する赤みの強い琥珀色の長い髪が微かに揺れ動く。

「別に彼の役割をするつもりは毛頭ありません」

 元より、護衛なんぞ三十路間近の女には到底出来る事ではない。レグルスの仕事のサポートも慣れているカイルがするのが合理的だ。私がエレイン様から“お願い”されたのはカイルですらどうにもならなかったことだ。

「母上から何を言われている?」

 不機嫌さは滲み出ているがそれでも訳を問おうとする姿勢は、狭量な男には到底思えない。

(どうしてそれをユーフェミアに出来ないのかなぁ)

 寄る辺ない胡散臭い女の言葉に耳を傾けるのならば、どうして彼女に歩み寄ろうとしないのか、“ツンデレ”の一言で済ましてはいけない気がする。

「レグルス様の恋を応援せよと言われました」

「なっ!!」

 顔を真っ赤にしたレグルスの傍らでカイルが噴き出したのを目の端で確認しながら、私は一歩距離を詰めた。

「今のユーフェミア嬢からの好感度は爬虫類と同レベルです」

「爬虫類っ、ってあいつの嫌いな生き物じゃないか!!」

「よくご存じですね。ええ、そうです。ユーフェミア嬢の嫌いな爬虫類です」

 作中、ユーフェミアはレグルスと擦れ違う際比較対象としたのは苦手としている爬虫類だ。

 初見時に、爬虫類と同列かよ、と微かに同情をしたのは遙か遠い昔の話である。

「おまっ、俺が嫌われていると言いたいのか!?」

「憚りながら、どこをどう考えたら好かれていると思うのですか?」

 嫌われている事由を列挙したいのを押し止めて、どうして、と私はレグルスに問い掛けた。

「っ、確かに、その……あいつには、避けられることもたまに、たまさか、あるかもしれないが、それは苦手意識を持たれているとは――」

 現実を直視しなさい、とエレイン様ならば即座に口を挟んだかもしれないが、そうしたいと思える程私はレグルスに肩入れしていない。

「では、伺いますが、形ばかりの結婚などして日々ユーフェミア嬢に戸惑ったような眼差しを向けられても良いのですか?」

「駄目だっ!!」

 口を衝いて出た否定の言葉に、ほんの少しだが私のレグルスへの苦手意識が和らいだ。

「ええ、そうでしょう。どれだけ、初恋拗らせているか存じ上げてますとも。外出するユーフェミア嬢を一目でも見たいが為に御者に無理難題ふっかけているのも、ユーフェミア嬢に求婚の申し出の気配があれば悉く潰していることも、ユーフェミア嬢が教会へ寄付した刺繍されたハンカチを求めたことも、知っておりますとも」

「っ、母上か!!母上から聞いたのか」

 今度は容を蒼白にして口吻を荒げたレグルスの様子にどれだけ周囲に甘やかされているか気付いてしまう。

 誰にも自分の恋心は知られていないと、思い込んでいる様は、間違いなく道化だ。これで恋愛以外が憖じ完璧だから質が悪い。

 そういえば、と口を挟まないカイルに目を遣れば、身体をくの字にして肩を震わせている。

 引き攣った細い呼吸の音は彼も含むところがあったことを示していた。

「良いですか、ユーフェミア嬢が勇気を振り絞って出た夜会にレグルス様、なんて言いました?『なんて格好している』でしたっけ?」

「それは――」

 反駁しかけたレグルスを眼居で黙らせた。

「“俺の選んだ服の方が似合う”という言葉がなければ、どれ程の辱めか分かりますか?人前であんな言葉をかける男を慕いますか?」

「ユーフェミアには、あんな原色のきつい色より淡い色の方が似合っている」

 ふて腐れたように言葉を零したレグルスに思わず眉根がググッと寄ってしまう。

 あの後、原作では一層自信を無くしたユーフェミアを他の相手役が慰めるというイベントが発生している。

「それに、王宮で擦れ違った際『そんな顔色なら帰れ』とも言いましたね」

「あいつは無理をし過ぎるから、家で養生を――」

「言葉が足りない!!ええ、只管に足りなさすぎる!!現状に甘んじていたら、ユーフェミア嬢は他の男に奪われますよ」

「嫌だっ!!」

 頑是無い子供のような言葉だ。

 公爵としては、到底誇れるような振る舞いではない。

 だが、小説の読者としては溜飲が下がる思いだ。

(まぁ。それでもツンデレ推しではないけど)

「っ……どうすれば良い」

 素直な問い掛けに返答に窮してしまう。

 恋愛の指南が出来る経験値など併せ持っていない。

「とっ、取り敢えずお友達レベルになりましょう」

「なんだ、それは!!応援のため派遣されたのだろう」

「仕方ないでしょう、駄目なところは分かりますけど、最善の手は分からないのですから」

「頼りにならないな」

「私だって、甚だ不本意ですよ。推しじゃないのに!!せめて、素直クールかクーデレを応援したかったのに」

「は?」

 聞き慣れない異国の言葉を聞いたかのようにレグルスは目を瞬かせた。

「お気になさらないで下さいませ。こちらの話です」

 吐き出した言葉を誤魔化すようににこりと笑った。


「兎に角、俺が間違ったら言ってくれ」


「私如きの言葉に耳を傾けると?」

「母上が重用する意味が少し分かった」

 自分の足りていない部分をこうやって認められるのはレグルスの長所の一つだろう。誤りを少しずつ訂正していくことに抵抗がない。

 柔軟性に乏しい私にはレグルスのこういう所が憎めない。

 レグルスのユーフェミアへの愛は本物だ。

 愛を惜しむつもりもなければ、労りを怠るつもりもない。

 尤も、伝えるべき本人には想いを放出しきれていないが、不思議と見放そうとは思えなかった。




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