ご主人、ツンデレが過ぎます。

第1話 




「ねぇ、聡い貴方ならば私の言いたいこと分かるでしょう?」

 憂いを帯びた眼差しが私の身体を撫でる。

 目の前で椅子に座っている、それだけで、一枚の絵画になりそうな女性は遠くない昔社交界の花と謳われただろう。その美貌はしおれたわけではなく、相応しい年齢にしつらえた自然な美しさに変化している。

 荒れていない指先、その一つ動かす仕草ですら優美だ。

「エレイン様、買い被りですわ。私にはそのような力量はございません」

 恭しく頭を垂れ、話が打ち切られることを望むも沈黙に堪えかねて上体を起こした。

 向けられる双眸は偽り一つ許さない、と真摯なもので内心たじろいでしまう。

「ねぇ、マーシャ。貴方は私の命の恩人でもあるけれど、私も貴方に便宜を図ったつもりよ」

 マーシャ、と呼ばれても未だに耳に馴染まないのは私の本来の名前ではないからだろう。

 目の前のこの優婉な貴婦人と本来の私に接点などある筈もなかった。

 西暦200X年の日本で平凡に過ごしていた私が、お伽噺のような、中世ヨーロッパのような世界に存在している理由は未だ不明だが、事実として私は此処に存在している。

 ブラック企業と呼んで差し支えがない会社で馬車馬の如く働いていた私は、帰宅の最中スマートフォンをいじりながら某駅の階段を降りて、足を滑らせた。改札口から地下のプラットホームまでの異常な長い階段を無様にも転げ落ちたのである。

(使い古された異世界ものだわ)

 転がり落ちた先が、エレイン様の田舎屋敷の庭であった。

 体調を崩し倒れていたエレイン様の危機を救ったことから、記憶喪失と嘯いている不審者である私はマクファーデン家に快く招き入れられた。

 書類の改竄やお座なりに業務をする同僚にやさぐれていた為、仕事への不安は全くと言ってなかった。唯一、気がかりだったのは家族のことだった。 

(なんて、親不孝)

 心配をさせてしまっているだろうか。

 抑も、この世界が私の脳内で構築されていて夢なのではないかという考えもあったが、お腹は空くし、怪我したところは痛かったので、当面生き延びることを最優先として考えた。

 帰る術も、何の後ろ盾もない私をエレイン様は優しく包んでくれた。

 茉麻まあさと名乗った私を、マーシャと呼んだのはエレイン様だ。

 その時から、私はマーシャになった。

 探り探り、彼女が信頼に足る人物か観察し、私は秘密を一つ打ち明けた。

 この世界の人間ではないと告げた私をエレイン様は、そうだと思った、と、柔らかな笑みを浮かべて頷いてくれた。

 奇妙な出で立ちに疑問を持たない方がおかしいだろう。

「あの子には貴方が必要なのよ」

 自分の子供を憂慮する言葉に嘘は一つも見当たらない。

「……申し訳ないと思ったわ。でも、これを見てしまったの」

 ノートの表紙を撫でる指先は水仕事とは縁が無いのか細く、肌はきめ細やかだ。

「エレイン様、それは、その……」

 半年、隠し続けたもう一つの秘密がエレイン様の手の中にある。

「私は自分の人生、恵まれたものだと思うわ。愛おしい人と結婚をし、公爵の妻として男子を産んだ」

 紅の陰から漏れた溜息は芝居じみていたが、それよりもノートの中身を把握されている事が空恐ろしい。

「あの子のこと、お願いできないかしら」

「無理です」

 間髪入れず笑顔で退けると、エレイン様の薄い笑みが収束される。

「マーシャも、分かっているのでしょう?」

 エレイン様の指先がノートのページを捲り、該当ページを見付けて広げて勢いよく私に見せつけてくる。

「これ!!」

 ざらついたわら半紙のような質の悪いノートのページには私の悪戯描きがある。

「貴方の書く文字は読めないけれど、このイラスト、レグルスよね。そして、この矢印の上にハートのマーク、矢印の先にはユーフェミア嬢。貴方、レグルスの恋に気付いたのね!!」

 先程のしおらしさはどこへいったのか、椅子から立ち上がり興奮気味に詰め寄ってくるエレイン様はふと我に返ったのか、小さく咳払いをすると静々と椅子に腰を下ろした。

「エレイン様、誤解です」

「いいえ、マーシャ、嘘は駄目よ」

 ノートのページから思わず目を逸らしてしまう。

 これこそが、私が隠していたもう一つのことだ。

 この世界に落下して、聞き覚えのある名前に思わず自分の知識を箇条書きにした。そして、色々な話を聞いた結果、この世界は、“オドネル家の繭”という小説と酷似しているという判断に至った。

 寧ろ、その小説の世界観そのままですらあった。

 あまりの衝撃に、手遊てすさびにイラストを描いたままにしていた。

 私が、この世界が自分が創り上げた夢だと思ったのはこれが原因である。

 侯爵令嬢ユーフェミアを取り巻く恋愛模様をベースにした少女小説を私は好んで読んでいた。完結していないその小説は、多くの人に好まれて読まれるものではないが男性恐怖症の為社交的ではないユーフェミアが少しずつ家という繭に包まれていた状態から脱却することも軸のひとつになっていた。

「マーシャ、お願いよ。レグルスとユーフェミア嬢を無事結婚させて」

「無理です。ユーフェミア嬢の現在の好感度、最底辺です」

 無謀な要求に反射的に応えてしまう。

 まずい、と思った瞬間エレイン様がにっこりと笑みを浮かべる。

「流石ね、マーシャ。そこまで、把握しているなんて。私の目に狂いはなかったわ」

「いえ、今のは言葉の綾というか……――」

「あの子は――レグルスは私が言うのもなんだけれど、顔も整っているし、頭も良く、社交性もある。何処に出しても恥ずかしくない貴公子として成長したわ――」

 一拍、沈黙を置いてエレイン様は苦々しい顔をする。


「あれを除いてね」


「他の令嬢には、あれほど如才ないのに、ユーフェミア嬢にはいつも攻撃的、そして無意味な自信。注意しても直ることない、あの振る舞い。育て方、おかしかったのかしら。大体、自分の発言で傷付けておいて、ユーフェミア嬢を出来損ない扱いするなんてあまりにも酷すぎるわ。それは、怯えられて避けられるのも当然よね。その癖、ユーフェミア嬢の姿を一目見ようと、外出のタイミングを見計らったり、近付く男を牽制したり、注力すべきはそこではないでしょう!!私は死ぬまでにユーフェミア嬢似の可愛い孫を見たいの!!」

 一息で言い切ったエレイン様は、感情のほとぼりが冷めないのか荒い仕草でドレスの裾を払った。

「ははは……」

 実母に影でここまで言われるとは、乾いた笑いしか出てこない。

 マクファーデン公レグルス――“オドネル家の繭”でヒロイン、ユーフェミアのメイン相手役とされる存在である。だが、そのツンデレを発揮した振る舞いで読者からの人気は捗捗しくなく、人気投票では回数を重ねる毎に他の男性陣に後塵を拝す結果になった。挙げ句には作者をして、ツンデレを拗らせて扱いづらいと言わしめた男であり、ユーフェミア嬢の男性恐怖症の原因である。

「エレイン様、ユーフェミア嬢の件ご存じなのですね」

 ふと、先程の発言をなぞると引っかかりがあり思わず口に出してしまう。

 作中では、レグルスがユーフェミアに幼い頃の事を言われてショックを受ける場面があったが、どうしてそれ以前に誰も咎めなかったのか当時違和感を覚えたのだ。

「ええ、あの子の暴言について把握しているわ。というか、その後、折檻…お仕置きをしたのよね。弁解ばかりしていてあまり懲りていない、様子だったのだけれども、あの子に嫌われると脅した途端大泣きして、発熱し寝込んだわ」

 そんな話は小説の中には一文も出てきていなかった。

「翌日には綺麗さっぱり、自分にとって不都合な箇所だけ忘れていたの」

 物語中、レグルスが自分の発言を他人事のように扱う描写があったが、それはこの為だったのか。

 物語の裏面に思わず納得してしまう。

「あの子を不憫に思って甘やかしてきた返報かしら、未だに自分のしでかしたことを自覚していないのよね。あの子に事実を伝えたらどうなるか恐ろしくて現状を変えずにいたわ」

 エレイン様の判断はあながち間違っていない。

 作中でもユーフェミアから過去の話を聞いて衝撃を受けたレグルスはその巻の後半には空気も同然であった。尤も、その落ち込みようですら読者からは、当然の報い、と一笑に付されていた。

「それに、自分の為したことですもの。挽回をするのはあの子の役目よ」

 尻拭いなどするか、と心の声が聞こえたのは気の所為と思いたい。

「ねぇ、マーシャ、私のお願いよ」

 あえかな声が耳朶に触れる。

 返答に窮してしまう。

 自分の見目の良さを分かっている振る舞いですら許容してしまう程、エレイン様のお願いは効力がある。

「うぅ…そう言われましても」

 完結をしていない小説だが、ある程度の状況を知っているのは間違いなくアドバンテージである。

 だが、色恋など、前の世界ですら不得手としていた領域な上、ユーフェミアとレグルスは未だに恋仲になっていない。二人が結ばれているのならば、それを標として導きは出来ようが今の状況では不可能である。

「今のあの子に必要なのは甘やかさない人間――貴方のようにね。孫の姿を見るまで、死んでも死にきれないわ」

 よよ、と大仰に顔を俯かせるエレイン様に罪悪感がチクチクと刺激される。

 元より、身体が弱いことは知っている。それを感じさせない堂々とした振る舞いは流石と言わざるを得ない。お茶目なところがあるエレイン様の軽い口吻こうふんに掻き消されているが憂慮しているのは事実だろう。

 家女中もどきだった私を小間使い見習いまで引き立ててくれたことには感謝をしている。

 それでも。


 私、ツンデレ推しではありません。




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