第四譚
その日、前代未聞、神隠しに相まみえる現代日本。
実に不可解な事象、境内の有無、人々の安否。何もどれも、術無しの現状と変わらず。それは、実はただ隠れているに過ぎない、たった一つの真実に在る境内でも同じ事。
当事者を除けば。
ただでさえ境内の夜は、人ならざる存在感、大自然という圧。普段の夜の警備に、地元人の声さえ「おぞましかった」と出るほど。決して、幽霊の類いやホラーの恐怖の意味では無い。ただただ、言い表せぬ恐怖への誘いに、皆が皆口を揃えるだけであった。
そしてそれは、神隠し当日の夜に。
岩が、爆発。
……原因の知れぬ、轟音が響く。
「ななな何だ!? おいシロ、居るんだろシロ!!」
「るっせえ騒ぐな阿呆! それと勝手に犬みたいに名付けんな!!」
遺された境内の施設……資料館の一部屋で、真っ当な眠りにもつけなかった出流。しかし、真夜中に爆発音が響けば、眠気も何も吹き飛ぶもの。わたわた騒いでいれば、案の定シロと呼ばれた、白い男が瞬時に現れるのは時間の問題だった。
「お前らの計画の内なのか!? 参拝客の人達は!? というか大勢の人を何処へ隠した!?」
「一度に答えられるかっての! くそ、俺でも知るかこんな惨事……!」
「お前が……知らないのか? うわ」
様々な疑問をそっちのけ。出流はシロにひょいと担がれ、一瞬の思考が飛ぶ。
「な、何をするつもりで」
「現場に行く」
それはもう、秒を数える暇を与えず。資料館から瞬時に外へ視界が変わったかと思えば、す、す、と。目の前が土埃が舞う、見慣れぬ神殿が並ぶ岩場へ。疾風の如く、爆発のあったであろう現場へと辿り着いてしまった。
「おら、着いたぞ」
放り投げるよう、出流をどしゃりと地に落とす。何度目かも数えるのを辞めた、彼のぞんざいな扱いに流石に慣れが生じてきたので、何事も無く受け身を取る出流。そこに対する反論やツッコミは、数え切れないほどあるが、今は。
「立てるか」
「……不甲斐にも、立てない」
「だろうな。ったく、顕現させるにも程があるだろ」
足が、竦んでいた。
何に? 問われれば圧に。
何の? 疑問には答えられず。
「なあ・・・・・・『お前』が居るって事は、事態は収まったのか? 違うのか? あ?」
「疑問を何度も口にするなと、貴方も申していたでしょう」
瞬時に、土埃が、舞い散る紙へと形成。人を模す形の紙が、辺り一面の視界に舞い散っている、と思った。その呆けた隙に、紙は何処かへと収束して、まさかの『あの御方』の姿が現れる。
「……鎮静を確認、愚弟の暴走は押さえました」
それは幻惑、否、それが事実。
真夜中に、日が律と佇まい。
おかしな事に、それがこの『御方』の身なりであり、相応の存在と姿なのだ。
「おいっ愚弟、の時点でまさかとは思うが……」
「ええ、仰るとおり。どう取り繕うと所詮『愚弟』は『愚弟』……顕現させて損をしたな、とでもお思いで?」
「ありったけの式神をそこらじゅう一面に封しておきながら、よく大層な口がきけるな」
「少なくとも、貴方の『矛』で皆まで殺さずには済みます」
圧が、ずんと、一層の厚みを増す。それに何度も屈しそうになりかける、鋭利な眼、人の全てを穿ち殺されるが如くに。
しかし。
その向けたであろう御方が、一切の動向、存在の尊厳を崩さず。ただあるがままに、それがあらゆる理という名の平常を存続させる。
つまりは、白き昂ぶりと日の平常心、二つの感情というぶつかり合いのみ。刻々と流れる僅かな時間の間で、知り得るは格差在らずな二人の立場。寸分違わない力の均衡に、耐えられるわけが無い。
「辞めてください!!」
だからこそ、出流は狂っていたとしか思いようが無い。外れたリミッターが声を荒げ、脆弱な立場が空気を掠めるようだった。
「い……姉の命を優先し、貴女方に加担すると決めた時から、僕は此所の裏切り者です! ですが! 数知れない人々が何処に居るかも分からぬ現状で、神集う地に、これ以上の被害を出さないで欲しい!! 鬱憤でも些細な激昂でも、誰かを殺して済むなら、僕だって進んでこの命を差し出す!」
止まらない言葉の羅列、留めるを弁えぬ叫び。
「ぐっ!?」
突然、首根っこを捕まれた。その瞬間、出流は夜の静寂が辺りを占めていることに気づけたのであった。それは、彼が欠いた冷静を取り戻した、相応の状況判断である。
「だからお前みたいな奴が必要なんだよ……だがな、あの人柱みたく逆上して死に急ぐんじゃねえ」
男はそう言って、出流の首根っこを離しそのまま立たせると、今度は頭を容赦なく鷲掴んだ。
「いいいだだだだだっ!!」
「あと俺以外に敬語使うの、何か腹立つわ」
「堅苦し、言葉使うなっておっ前、痛い痛い痛いっ!!」
くすくすと。僅かな感情。
光無き夜に溶け込めない、その常在する在り方は、未だ佇む輪郭を捉えられる。手を離し、痛みが引かぬ様子の出流を他所に、女性の口角が僅かでも上がる瞬間を、男は見逃さなかった。
「……引き続き、貴方を従える『形式』は、変わらぬ方向で宜しくて?」
「勝手にするがいいさ」
「愚弟の封はこのままで。『相互存在』の形式は無事確立しているので、貴方の出番はありません。力尽きた頃に、私が首輪でも付けておきます」
「死にかけの愚息ってのが想像つかん」
「殺しはしません。貴方の人選に誓いましょう」
ーー傍から聞いてしまえば、その会話は相互にしか伝わらない、訳の分からぬ言葉を纏う神秘のベール。謎が謎を呼ぶ暗がり、たまたま近くに居てしまえば、こんな現状でも盗み聞きは可能であって。
たとえ、自身の名すら思い出せなくても、だ。
「俺の把握できる限り、かなり大規模な建築活動を行ったようだな」
「国宝潰しておいてまた何か潰したんですか!?」
「消して新たな活動拠点にしただけです」
「同じ!!」
「お前が煩く質問攻めしてた人間達を収容してるんだろーよ、何処とは知らんが。お、仮眠してた場所もいつの間に撤去するとは手際がよいことで」
「あそこ資料館!! 無闇矢っ鱈文化財を消されると罪悪感が胃潰瘍レベル!!」
「支配下に置かれた時点で、色々と諦めはつかないものですか。人間というのも難儀ですのね」
爆音という名の轟きに飛び起こされたのが、つい先刻。そもそも急に理不尽な現象が襲って、親子を成り行きで助け、生け贄という人柱を名乗り出た。それが、自身の記憶真っさらな身に刻まれる、濃厚かつ極端に少ない記憶の把握範囲。
息を殺す。私は何処に居るんだ。
深い眠りから叩き出され、高鳴る心臓に不快感を纏いつつ、幽閉されているのかと判断せざるを得ないほど埃臭い。誰かの声がすると感づけば、僅かに差し込む光を頼りに、懸命に盗み聞きしていたのだった。
そうこうしている内に、話し声が遠のいていく気がする。
気がつかれてはないだろうか。
欲を出し、周りが見えないにもかかわらず、一歩踏み出したのが起因した。勢いよくおでこが何かに激突、研ぎ澄ましていた感覚が全て痛覚に持って行かれる。真っ暗闇の中、目の前がチカチカ反転しそうになるも、声にならぬ声を上げぬよう悶絶しながら必死に取り繕うとした、その時。
「……痛っ、たぁぁい」
透き通る高い声……自分以外の人物と思わしき存在を、初めて確認する。
「だっ」
誰ですか、と一瞬言おうとした。だが、外の状況が分からぬ今、容易に声を上げられない。そう言葉を一回飲み込んだにもかかわらず
「大丈夫ですか?」
そう心配をしてしまった、自分は本当に赤の他人のことを気にする質らしい。いつの間にか外の話し声が聞き取れなくなったのもあるが、ひとまずは暗がりの眼を凝らし、現状を落ち着いて確認しようとする。
ぶつかった相手は恐らく自分と同じ女性……一応、外で聞こえていた三人には該当しないはず。まだ痛がっているのか、声を発しない代わりにもぞもぞと衣類がこすれる音。ぎし、とここが木造家屋だと判断できる音。その次に
「……あなた、誰?」
至極真っ当な問いが投げかけられた。
正体不明なんです、なんて自分でも信じられない。
笛の低音の如き、夜半を告げる梟の声が澄み渡る。
「私はイズミ、出る泉、と書いて
全ては手探り、自身の記憶する範疇で、それでもそれしか持ち得ないために我武者羅な説明であったろう。にもかかわらず、凜とした対応をしてくれたのが
「あっという間に夜になったかと思えば、そんな大事になってたなんて……説明ありがとう、今度はこっちの知り得る範囲を話すわ。私はそのお社に務める内の一人よ」
驚いた。この敷地内に居る人達は皆、何処かへ幽閉されているはずだった。それは先程盗み聞きした、数少ない情報の一つ。
「私も記憶が曖昧でね。変な白い男に捕まったと思ったら、いつの間にかここに居て、貴方とぶつかって今に至る……という感じ」
「変な白い男……」
思い当たる節が一つに当てはまりすぎて、眉間に皺が寄っていただろう。
「何でかしら、思い出そうとすると靄がかかるというか、確かお社に居たと思ってたけど家に居た気がしなくも無い……ごめん、せっかく貴方から情報を聞いたというのに、肝心の私が持ってる情報がダメダメだったなんて」
「いやいや、自分のは多分例外というか、正直記憶ぶっ飛んだ話とか信じてくれる
「困ったときはお互い様でしょう? むしろ記憶が無いどうこうよりも、私としてはお社が制圧されている事実の方が、よっぽど現実味が無いわよ……あと、身の安全そっちのけで、人助けのために今に至る貴方も、記憶喪失よりよっぽど」
「何というかその……あのときは無我夢中だったというか」
兎に角、と
「この暗闇で今できる判断としては、私達は幽閉されてる可能性が高いこと。無闇に動いてまた変にぶつかってもいけないし、ひとまず明るくなるまで待ちましょう」
「ふふっ」
つい、緩んだ気持ちに正直になる。
「何か可笑しかった?」
「いや、ちょっと安心しちゃって」
「張り詰めすぎてたんでしょうね。明るくなったら私が起こすから、貴方は少し休んでいて良いわよ」
そんな訳にはいかない、とは思いつつ、実のところ気疲れしていたのは否めない。
「じゃ……お言葉に」
甘えまして。正体も分からぬ相手であるにもかかわらず、少なからず打ち解けられたのは、互いに非現実的な目に遭ってきているからであろう。たとえ騙されていたとしても、それはもう運命だと受け入れるより他ない。
そうウトウトし始め、更に気が緩んだ次の瞬間だった。
「人柱ぁ! 起きろ!!」
響く大声、部屋全体がバンと、日が差し込む。
雀がチュンチン冴え渡る中、驚いて目が丸くなった。
「……何呆けてやがる、寝ぼけてんのか?」
「へ、いや……あれ?」
状況が、飲み込めない。確か、自分は
「ここ何処?」
「誰かさんが改変した部屋の一室だ。ったく、一晩で変えられて探す羽目になったじゃねーか……」
辺りを見回す。寝床にしていた床の一角、自分の後ろには古めかしい資料が山のように置かれていた。
言わば、それだけ。
目の前に仁王立ちする男を除けば、自分一人だけ。
「悪いが『最後の晩餐』とやらに、朝餉を準備する暇は無かったんでね。痛めつけられたくなけりゃ、大人しく外へ出ろ」
そう言って男は室内から出て、戸を閉めた。拘束しない辺り、足掻いても無駄、ということなのだろうか。いや、それよりも
「……夢?」
釈然としない、そんな余韻に少しは浸りたい。
だとしたら何処までが夢?
ふとした瞬間、不意にコトンと、冷たく堅い感触が手に伝わる。早くしろ、と低い声が唸り、無意識にポケットの中に入れてしまった。
何の破片とは、全く知らずに。
現神噺 真樹叶 @yorohsanoha
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