第三譚

 人がまた一人、また一人。


 全国的にポピュラーな境内への入り口……勢溜せいだまりを区切りとしても、下り参道に招かれたものが、銅鳥居を通過する頃合いなのだろうか。嗚呼、祓社はらえのやしろに寄るだとか、手水舎で清める行為だとか、職業柄もあって別地方の知人に熱弁したこともあった。


 人がまた一人、また一人。


 祀られる神様を前に。正確には、銅鳥居抜け真正面に在る建物は拝殿。大国主命祀られる御本殿は、正確には真後ろ……であった。過去形である事実に、今は目を背けたい。それよりも、という言い訳では無いが、目の前に広がる現実に目を向ける。


 それは神を前にして、何事も意味を成さない非現実。


 まばらな間隔と意図しない足取り。参拝客は拝殿に賽銭をする気配も無く、目の前で一定数立ち止まってしまう。すると、決められたように同僚……であるはずの数名が、参拝客の額に札を貼る。貼られた者は何処かへ消えるし、貼られなかった者達は、誘導されるように何処かへ立ち消えていく。その二択、取捨選択の自由は無く、寧ろこの全てに意思など存在しないことを、すぐ目の前で知っている。


 その知る一人、この人物。


 先程からぽつりと一人立たされる、貴重な意思持つ人間。

 だが非力で無力、その場の人々を救うことは出来ず。若くして境内に勤める出流いずるという青年、浅葱色の袴を召す、まだまだ神主としての職歴は浅い立場。言われなければ気付かれない、『意思無き人間』が占める虚無の渦中に『意思持つ人間』として居る唯一。そんなイレギュラーな立ち位置である理由は、この状況で、無能な自身を悔いている彼自身の現在にも繋がる『縁』故だ。


「留守番ご苦労だったな」


 言葉としてはごく自然。

 しかし、発する圧を押さえ知らぬような、人知れない力を隠しきれず。低音の男の声は、静かに出流の後ろに姿を現した。


「おま……人の気も知らないで」

「貴様の怒りなんざ重々承知の上だ。だがまあ、律儀に事こなす傀儡よりかは、臨機応変の効く手駒がこの場じゃ貴重。この俺に堂々たる姿勢を見せるのも含め、な」


 言葉に含まれた、余裕たる笑みを感じさせる声色。

 わしゃわしゃと出流いずるの頭を乱暴に撫でたのが、もはやスキンシップかどうかも分からない。


 少なくとも出流いずるにとっては不快な行動の後、その主は表舞台へとその姿を見せた。

 白を基調とした、和の出で立ち。

 と思いきや、参拝客の忘れ物から勝手に拝借した、青く縁取られた生成りの合皮ジャケットを羽織る、何とも独特な和洋折衷スタイル。

 鋭い眼光が見え隠れする白髪の前髪には、一筋の黒いメッシュ。


 手に携えるは、水色に存在を放つ数珠が巻かれる、まるで光を刺すような『槍』。


「俺が居なかった間の状況を聞こうじゃないか」

「別段、変わった様子……至って不自然な光景をずっと目の当たりにしている」


 そりゃそうだと、男は乾いた笑いをする。


「お前こそ、急に何処かへ消えたと思ったら、急に戻って……」

「あー、それな。俺でさえ想定できなかった」


 何が、を問う前に。


 男はすぐ、傍の参拝客が集められる方向へ。


 刹那に、槍を。


「……外で何の因果か巡り合わせか、現代に厄介な術を使う連中が居たもんでね。人柱を思うように集められなかった」


 発言、行動、実に噛み合わず。


 しかし、その穿つ手捌きは、まるでその一点のみを捉えたが如く。

 一人の女性のみの、喉元に。


「お前、何を!?」

「殺しちゃいない。ついでに言や、誰一人傷つけてもない」


 まるで、その一本筋が最初からあったのか。

 槍が刺した筋は、誰も擦らず、何も傷つけず。

 微動だに出来るはずもない、女性の喉すれすれを、その矛先は捉え光る。


「おい、出流いずる。こいつを人柱だ」

「は?」

「さっき手短に話しただろ。ひとまずこいつを例の人柱にする」

「初めから何度も言うが、お前の選定基準は一体何なんだよ!? 俺はともかく、ここに居る人達はただの参拝客じゃないか! 無作為に犠牲者を出……」


 わずかに動いた、槍の長い柄。


 伺い知れない力量の、迷い無き槍の筋に……女性を救い出さんと、その柄本を非力な握力で、後ろから抵抗をしてきた。    


『想定外』で


『不自然』の


 ただ一人。


「……無作為、だって?」


 低く唸るように、『意識を封じられている』はずの参拝客……一人の別の女性の声が、爆発する感情に存在を露呈させた。


「知ったこっちゃ無い理由で、人の命を軽んじるな! 白いお前、私の存在に気づいての愚行な人選か!? 本当なら、そうでなくとも、今すぐ! 矛先を変えろ!! 潰すべき厄介者はこの私だ!!」


 境内の静寂に、怒りが響き渡る。


 そうさ、そうだとも。

 『足音がしている時点』で、この境内でのイレギュラーと気付かれないわけが無い。

 だからこそ皆が皆『足音を消している』のだ。

 全ては、『想定外』を炙り出すために。


出流いずる、お前コイツの存在に気付いていたろ」


 参拝客の集団から、女性は槍の柄を握ったまま引きずり出される。片手に子どもを抱く彼女を心配する間もなく、確信を突かれた出流は、死を垣間見た。


「あー、咎める要素は微塵もない。お前にとっちゃ『足音がしない光景』も『その中で足音がする』のも『不自然』極まりないからな。最初にも言ったと思うが、俺は無意味な殺生なぞしない方なんでね」

「その割には、『人柱』なんて物騒な古語が連呼してたけど」

「俺の意思じゃ無いだけで、立候補してくれるのは有り難い事だ。礼を言うぜ嬢さん」

「誰が無償で犠牲になると言った」


 払うように柄を離し、女性はまたも唸る如く男を睨み、距離を置いた。


「この子と、先程槍を向けてた母親を解放しろ」


 恐る恐る、顔を埋めたまま動かなかった子どもが、心配そうに女性を見る。


「おいおい、どういう関係か知らないが、二人だけ解放が条件とはな。人間で言う『えご』というやつか?」

「世の中、エゴの無い人間なんて居ないと思うけど。

 だが、札の貼られた人々を解放しろで、私の命一つで事足りるか? 人々を全員解放したところで、この事態は収まるのか? 私は、私自身の相応を見極め、出来うる限りを尽くすだけ」


 先程までの発言に、自暴自棄の破片も見当たらず。


 臆さぬ口調に、律と崩さぬ声色。


 ピンと緊張が続く空気に、一先ずの終止符を打ったのは。


「条件を飲もう。出流いずる、人を退しりぞかせた、母親とやらを連れてこい」


 先程まで密集していた集団が、何の指示も無く何処かへと去り、母親のみが取り残される。

 出流いずるは躊躇いながらも、母親の元へ行き、手を取った。

 意思は封じられているが、彼が手を引く方向には従ってくれるらしく、二人と子ども一人の居る場へと連れられる。


「お前はそのまま少し離れろ。おい女、お前もだ。抱いてる坊主を置いて、離れてくれ」


 言われるがまま、無意味であろうが警戒は怠らず。


 こーき君をゆっくりと地へ置き、一歩、二歩と、彼女が離れると同時に、母親がこーき君に近づいていく。

 そういう仕組みかと、原理はまるで分からないなりにも、現状把握に努める事を怠らず。

 対して、現状がまるで把握できないであろうこーき君は、困惑した表情で固まっている。




『私が……って言うまで、誰に話しかけられても喋らないでね』


 それは、おねーちゃんが『お願い』した内の一つ。

 だから、目の前で悪い紙が剥がれて、ママが倒れそうになっても。

 それを、白いおじさんが助けてくれて、そのままママにしがみついても。


「……すまねえな、坊主」


 僕にしか分からない小さな声で、白いおじさんが話しかけても。


 いっぱい、いっぱい、我慢をするんだ。


 小さな決意は、一人を除いて、誰にも悟られること無く。

 ただただ、座り込んだ体勢で眠る母親を、小さな体でしがみつき、支える息子の雄志を、知られることも無く。


「この親子を境内の外へ出す。お前は確認が取れないだろうが、要は瞬間移動だ。何、取引を違わない事は、俺も命を持って誓おうじゃないか」


 ひゅうと、親子の周りを光の円陣が舞う。

 こーき君が、驚きで瞬く間もなく、『おねーちゃん』は笑顔を浮かべた。


「偉かったね、こーき君!!」

「おねえちゃ」


 一瞬にして、光は親子と供に、その場から消え去った。


 原理などもはや、どうでもよい。


「……取引、違わないんでしょ」

「ああ。お前の望み通り、あの親子は安全な外へ出した」


 後は、と男は懐から何かを探すと同時に、槍の柄で、ツンと。

 大人げないような膝カックンをされた女性は、完璧に隙を突かれて、それはもう不本意に倒れ込んでしまった。


「ちょ、おまああああああ!」


 出流いずるも唐突な出来事に、唖然と言う言葉をただただ体現するばかり。男は男で、懐から出した紐を取り出しながら、呆れ返った顔と声を表出した。


「お前、『すとれす』や疲労で立つのもギリギリな状態だったろ? 加えて、得体の知れない俺に対し、出流以上の吠えっぷり。今立てないのは、お前が極限まで恐怖やら何やらを押さえていた、その反動を身体に反映させたからだ」

「結局お前の仕業じゃないかー!」

「うるせーな、命からがらの状態で『人柱』が務まるか」


 間髪を入れず、今度は額を柄でコツンと。

 すると瞬く間に、女性はこてんと、無防備に寝入ってしまった。


「ったく、大人しく、今は黙って寝てろ」


 男は女性を拾い上げると、懐から出した首飾り……橙に透き通る勾玉を、何も無い女性の首に引っかけた。

 そして何も言わず、ぐーすかと眠りこける女性を、札が貼られ、操られる境内の職員に預けたのだ。


「おい出流いずる、何をボケッとしてやがる」

「流石に考える時間は欲しい」


 時は夕暮れ、外の状況も未だ分からず。


 外界から遮断された境内も、現れた巨大神殿含め、分からないことばかりである。


「ついでに、俺にも分からないことを教えてやるよ」


 何がと問う前に、両手にひらひらと出されたのは、真っ二つに破れた『札』そのもの。


「これが何だって?」

「女の背中に張り付いてた。恐らく奴も知らないだろ」

「貼り損ねたならともかく、普通は破れるものなのか?」

「全身を強打するくらい、強い衝撃を与えん限りはな」


 男の言いたいことが飲み込めず、思わず黙りこくってしまう。


「あの坊主はな、偶々『貼り損ねた』んだろう。それをさっきの人柱が見つけたか何かが、あの三人の関係性だ」

「……待て、じゃあ彼女は見ず知らずの親子を助けるため、自ら人柱を!?」

「俺が言いたいのはそこじゃ無い」


 くしゃりと札を握りつぶし、霊力という名の白煙が溢れ出る。


「握りつぶして叩き潰して、札を無力化させたなら別だ。万一、お前が背後の札の存在に気付いたとする。即座に自らを叩き付けて、怪しい札を破ろうとするか?」


 瞬時にそんな行動を、とてもでは無いが自分はしない。

 そう言いたげに、それでも返す言葉も無く、沈黙だけが二人の空気を存続させる。


「……あの人柱は、念のため俺が厳重に幽閉させる。出流、お前は『あの御方』のトコにでも行って、何か指示が出るまで待ってろ」

「お前が俺の面倒を見るようなこと言っておきながら、今見事に丸投げしたな!?」


 人柱に情が出るの、今は一人で事を成すだの、男の言い訳に反論をする出流いずる

 境内に、言葉を発すのは、今はただこの二人。

 無論居るはずの、意思無き大勢。

 その存在証明は、薄暗くなるだけの境内に、為す術も無く。

 

 神隠しの夜は、やってくる。

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