第二譚

 日頃の行いが悪いのか。そんなこと思い出せもしないのに。


「ふんがっ!?」


 おおよそ女性らしくない悲痛の一声。尻餅程度ならまだしも、衝撃で飛ばされた勢いは背中を強打する程であった。記憶どうこうよりも、まずとっても痛い。全くもって、自分が何したのか問いたいくらい。


 傍から見れば、仰向けになって微動だに出来ない変な大人だ。


 しかし、恥ずかしい感情とかよりも、痛みの理不尽感が勝ってる。とりあえずナニコレ、この言い表せない酷い状況は。


「……状況」


 ハッと我に返るかのように、現状況を研ぎ澄ます。ナニコレ、な感情は前者に勝った。


 誰も居ない、訳が無い。


 静寂は、透き通る風と木々の鬱蒼という存在を誇張。先程まで普遍的であった『賑わい』という活気、一切合切の生気。まるで存在しないが如くに、地べたの背筋がゾッとする。


 酷い痛覚は二の次、状況を見るべきと身体を勢いよく起こす。痛みを食い縛り、真っ白な目の前には目もくれず、社の参拝方向へと身体を捻る。


 人が、居る。

 でも、無い。


 現在視える、参拝通りを移動する人々……その足踏みに『音』は無く、おおよそ人という『意志』も無い。それは『形』在るだけに誇張する、不気味そのモノ、その現状。分からない、理解し難い、それは自身にも当てはまるはずなのに。


「……あぁー、ママぁぁぁー」


 度し難く、そして動けぬ状況が……子どもという健気な声の存在に、一転。


 気がつく間もなく駆けだしていた。それが求めた一筋の如く、螺旋硝子の飾りを揺らし、無機質な人通りを突き抜ける。


「君っ、大丈夫なの!?」


 丁度下り坂の中腹辺りか。灰色のパーカーを着た小さな男の子が、母親らしき人物の足にしがみつき、引きずられ泣きじゃくっていた。


「あっ」


 声を掛けられ、驚いたのか。小さな手が、ずるっと。

 そのまま為す術無く、地べたに正面から倒れてしまう。そして即座に浮かび上がった、嫌な予感は的中した。


「うわああああああああん!!」


 痛い、怖い、悲しい、嫌だ。


 響き渡る泣き声は、言い表せない子ども独自の爆発的な感情の混ざり合い。内包するその純粋で真っ直ぐな訴えに、耳にする彼女の心が締め付けられていく。それでも、迷い無く駆け寄り、男の子を持ち立たせたのだ。


「どこ打った? 痛いよね、痛いところ分かる?」


 泣きわめく男の子に、どのくらい彼女の声は届くのか。


 それでも、今はこの子を優先すべきであって。まみれた土埃を軽くパシパシと払い、恐らく地面と激突したであろう額の擦り傷を、応急処置としてポケットのハンカチを取り出し、ポンポンと優しく汚れを取り除く。


 正直、彼女自身も驚いている手際の良さに、男の子も少しずつ落ち着きを取り戻しつつあるようだ。ひっくと号泣した反動で収まる頃には、よしよしと髪の毛を整え、背中を擦ってあげていた、丁度その時。


 くしゃ、とパーカーのフード裏に、乾いた違和感。


 何だこれと思いつつ掴み取りだしてみると、違和感の正体は呪詛めいた札。


 そう認識した瞬間、がさがさぐちゃぐちゃっと、暴れる自我がある如く蠢きだした。


「ぎゃああああああっ!! 何っ!? うわ、怖、うわあああああああっ!!」


 明らかに男の子の泣き声より大きく、子どもが引くくらい大げさに慌てふためき、札を地面に叩き付け何度も何度も踏みつけることおよそ数分。

 ぜーはーと息切れする頃には、札の動きは止まっており、謎の白煙がふしゅーと情けない音を出していた。


「……だ、だだ大丈夫。動かない……ね。ただの紙切れ、だよね」


 拾った枝でツンツン突いて、完全なるびびり体勢で札の状態を確認する。

 傍から見れば変な大人とは勿論このことだが、今はそんな場合では無い。

 恐る恐る、手を伸ばし、札を摘まみ取る。煙はもう出ていないし、しわくちゃでよれよれで、呪詛的な文字も土まみれでほぼほぼ消えかかってる。物理的に攻撃された果てとは、まさにこのこと。


 もう(精神的に)無害だろうと何度も指で突いて、終いには弾いて、安心と安全を確かめる。しかしはっと気づいて、とても重要な存在の安全を確かめなければと。


「えっと、僕……大丈夫だから、良かったらこっちおいで~」


 泣き止んでからじっと見てたのか、少し離れた場所でキョトンとしている男の子。


 ああ、まずい、微妙な距離が開いた。

 そう反省する束の間、目に入るはパーカーのでかでかとしたイラストプリント。日曜モーニングタイム、大人気ヒーロー冠番組の……


「お面ライダーEXメタモルハイパー……」


 何故か口走った、代を重ねるごとに方向性が血迷うことで有名な、子どもに大人気のお面ヒーロー。今期は確かお面が変わるごとに衣装スーツが変化し、服飾業界がウハウハとかなんとか……


 って、何でそんな雑学覚えてるんだ!? と困惑したその時。


「お姉ちゃん、お面ライダートワイライト!?」


 ん?


 お面ライダートワイライトとは、確か謎めいたお助けお面ライダーの一種。


 正体不明性別不明、中性的な出で立ちは、確か世のオタクも中の人を特定するのに困難していて……じゃなくて。

 これは、と彼女は男の子の目線になるようしゃがみ込んだ。


「トワイライトは正体不明だよ、君、何でそう思ったの?」

「だってトワイライトは虫嫌いだもん!!」


 あー、何かそんなギャップ的な設定があったなあと。

 確かにこの札は虫を連想させる動きだった。思い出して身の毛がよだつ。


 どうしよう、流れに乗ってしまうべきか。だが子どもの夢を壊したくないなあと悩んでいる暇は無く、母親らしき人物は、何だかんだで先に進んでしまっている。


「君、おいで! お母さん追うよ!」


 有無を言わせず、男の子を抱っこして駆け出す。

 傍から見れば誘拐とか考えたらいけない。

 周りの様子を見、相変わらず不気味に移動を続けて、こちらには全く目線を向ける様子が無いことを確認する限り、そんな心配は無用なのだが。


「この人だよね?」


 一応をと確認をし、男の子はうんと頷く。男の子の母親であるショートボブの女性は、周りの人々と同じく、音の無い歩行を続けている。男の子片手に母親の前で手を振ってみても、全くもって反応は無い。そして何より気になっているのが。


「……みんな、札がある」


 先ほど物理退治したものと同じ、呪詛めいた紙の札。

 男の子の母親は首筋に、少し離れて真横を歩いている人は腕に。人によって場所は違うが、共通しているのは露出した『肌』に貼り付いているということ。


 彼女は、現状況の知識が少ないなりに推測してみる。もしかしたら、札は男の子にも貼り付こうとしたのではないか。母親と同じ首筋を狙うも、タイミング良くフードを被ったか何かで、貼り付き損ねたのでは、と。


 そうしたら、男の子が一人奇妙な状況に残されていたのも、納得はいく。


「ママが変なの、この悪い紙のせい?」


 最近の子は察しが良いなぁ! と、男の子の発言に驚きを隠せない。


「んー、まだ分からないけど、多分剥がしちゃ駄目だよ」

「何で?」

「お面トワイライトの大嫌いな虫になるから」

「さっきみたいに、トワイライトが倒しちゃいなよ」


 あ、しまった。時すでに遅し、男の子の目は期待の眼差しで輝いている。


「僕、こーき! お姉ちゃんお面トワイライトだよね!」

「ごめん、ごめんねこーき君、おねーさんはお面トワイ……」


 彼女はとにかく全力で否定しなければと、坂を下りきり、そこで息を飲んだ。


 何故。

 今まで気付かない、こんな存在に。


「トワイライト? わぷっ!」

「こーき君、私はトワイライトの友達なんだ。だから、良いって言うまで前見ちゃ駄目」


 どういう理屈だと彼女は内心ツッコミするも、フードを被せられた、こーきと名乗った男の子は素直に頷いて言うことを聞いてくれた。


 別に、見てはいけないものでは無い、はず。

 だけど直感的に、得体の知れぬものが見えたら、この子の不安は増すであろう。

 現在の彼女が、不安の高鳴りを露呈しないよう、平常心で踏ん張っているのだから。


 その上で、もう一度見る。度し難いほどのソレは。

 長く長く、とてつもなく、木造階段そびえる『神殿』。

 遙か太古の昔に、存在したとされる神来社の『旧社』。


 このまま歩いたら、真っ直ぐ吸い込まれるのではと錯覚するごとく。


 境内に気付く間もなく設置された、高く巨大な神殿。

 位置から察するに、多分本当の神奉る『本神殿』はおろか、いくつかの建造物も潰れているのでは無いか、と別の意味で不安になる。


 ただ、一番分からないのは。

 現代の建築的にとても違法な古来の神殿が、何故出現したのかはともかく。


 何故『存在』するのか。その『存在意義』だ。


「おねーちゃん、おねーちゃん」


 お面ライダーの一件で、多少なりとも打ち解けてくれたのか。こーき君はひそひそと彼女に話しかけてきてくれた。


「ちゃんとママについてきてるよね?」

「うん、ちゃーんとママさんと一緒だよ」


 こーき君は前を向いていないので、母親の様子は分からない。今は、とりあえずそれでいい。


 問題は、このまま素直について行って大丈夫なのか。彼女は頭を捻る。


 単独行動なら、このまま逃げ道を探していたのかもしれない。だが、彼女はこーき君を助けた。そして、母親は意思を失って歩き続ける。放っておく選択肢など、微塵も無かった。


 なら、さして考える必要も無いか。


 正直、こんな状況に陥れば、自身の記憶も二の次なのだと、彼女は認識せざるを得ずであって。ふうと息を吐くと、こーき君を呼ぶ。


「ね、お願いがあるんだ」

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