第6曲 少女レイ
タイトル:少女レイ/みきとP 初音ミク
ジャンル:ボカロ
URL 【 https://www.youtube.com/watch?v=JW3N-HvU0MA&t=3s 】
曲構成 Intro→1A→1B→1S/2A→2B→2S/3B→3S→Outro
少女レイは、かつて解釈小説を書きました。そのため、この枠や、この枠の前身にあたる枠でも解釈的分析は公表してこなかったのですが、あれから数年経ちましたし、新たな視点からの確認も面白いかと思いますので、改めて考察していきます。
⓪みきとP
みきとPは、かなり古い時代から活動しているボカロPの一人です。00年周辺に生まれた世代にとっては「いーあるふぁんくらぶ」や「夕立のりぼん」などが、もう少し下った世代にとっては「ロキ」などが有名でしょう。これらの曲は、ある種の中毒性があり、評価が高くなることも当然と言えます。
一方、わたくし蓬葉的みきとPベスト4は「夏の半券」「しゃったーちゃんす」「まとい」「Who are」です。「夏の半券」には「さよならはきえない」という曲もあるのでこれを加えてもいいでしょう。知名度はやや劣りますが、これらも名曲です。
さらに、みきとPには「学校」を舞台にした曲もあります。「バレリーコ」「夕立のリボン」などが挙げられますが、「少女レイ」もそのうちの一つとして挙げられるでしょう。
学校生活というのは、ある種の聖域性をはらんでいます。外部の介入は、あまりよしとされないでしょう。それが悲劇を招くこともあります。この点について、表現の分析や考察を行っていきましょう。
なお、その際、「いじめ」や「自殺」といった、非常にセンシティブな内容に触れます。あらかじめご了承の上、以下にお進みください。
①追い詰められたハツカネズミ
この曲はさわやかな夏の雰囲気を感じさせる始まり方をしています。
海を思わせるスチールパン(多分)の音色、疾走感のあるギターの音色……。そして、ゆっくり現れたイラストは海沿いの踏切に二人の少女が立ち、入道雲が海のかなたに浮かんでいる。
そんな夏の風景を見せたうえで、歌唱がはじまります。
本能が狂い始める 追い詰められたハツカネズミ
今、絶望の淵に立って 踏切へと飛び出した
「狂う」「ハツカネズミ」「絶望」「踏切へと飛び出す」
夏のさわやかな雰囲気とはまったく相容れない歌詞です。よって、これは「夏の半券」であったり「まとい」などとは違う曲であるということがわかります。
ハツカネズミとは、体長6~10㎝ほどのげっ歯類です。名前については「甘口ネズミ」を写し違えた結果「廿日(ハツカ)ネズミ」とよばれるようになったという説や、妊娠期間が二十日ほどであることからきているという説などがあります。また、このネズミは実験用マウスとしても使われているようです。
この曲では当然、隠喩として使われているわけですが、では、これは誰のことなのか。
この曲の主体としては「僕」と「君」の二人がいますが、これはどちらの行動か。
この場面の主体は「絶望」を感じているのは言うまでもありません。「絶望」を感じるような出来事に遭遇したのはどちらなのか。
その問いに答えを出すとするなら、それは「双方」ということになるでしょう。双方ともに、絶望を味わうことになるためです。
②「君」を追い詰める「僕」
この曲の核となる部分は2Aメロでしょう。
本性が暴れ始める 九月のスタート告げるチャイム
次の標的に置かれた花瓶 仕掛けたのは僕だった。
「君」はいじめのターゲットとなった。その黒幕は「僕」であった。どのようにしたかは、不明です。例えばいじめグループの弱みを「君」名義で暴露するなどをして、いじめグループの視線を「君」に向けさせた。
では、「僕」は「君」を嫌悪するようになったからそういうことをしたのか。
それは否です。
むしろ逆です。
2Bメロは次のように続きます。
そう君が悪いんだよ 僕だけを見ててよ そう君の苦しみ 助けが欲しいだろ
溺れてく其の手に そっと口吻をした――。
君が悪い。僕だけを見てよ。
「君」が「僕」以外の誰かを見ていたことがわかります。それを「僕」は許せない。「僕」だけを見ていろと、「君」が苛烈ないじめでボロボロになっていくその手に、優しくキスをします。「僕」が蒔いた種が芽生えて苦しむ「君」を、「僕」がいつくしむのです。
1Bメロも同様の構成を持っています。
ただし、1Bメロは「二人きりこの儘 愛し合えるさ――。」とあることから、時系列的には、 二学期(九月)が始まる前になるでしょうか。
「僕」の手を掴んでいればいいんだ。だって「君」は独りぼっち。居場所もないんだから。そのままの日々が続いていれば、このあとの悲劇は起きなかったのに、というようなニュアンスを読み取ることもできます。ただし、2Bメロと同じ時系列で読むこともできます。
そして2サビ。
苛烈ないじめの様子が、とても残酷に、巧みな比喩を使って表現されています。
薄笑いの獣たち その心晴れるまで 爪を突き立てる 不揃いのスカート
夏の静寂を 切り裂くような悲鳴が 谺(こだま)する教室の窓には青空
獣たち(=いじめグループ)は、いじめを楽しみます。ライオンがシマウマを食欲の尽きるまで食らいつくすように。その様子を「不揃いのスカート」という表現で端的に表しています。これは1サビ、あるいは3サビの同じ部分「お揃いのキーホルダー」という言葉と韻を踏むように対応しているのでしょうが、その制限の中でこのような表現を生み出せるところに、みきとPのすごさがあるような気がします。
なお、いじめグループを獣たちと表しているところからは、「僕」は、いじめの種を蒔いたことは間違いないものの、そのグループからは引いたところにいるのだとわかります。
「君」の悲鳴は谺となって教室に反響します。しかし、窓には「青空」が広がっている。これは、教室の内と外とで風景がまったく違うことを表しているのでしょう。
③君は友達
君は友達
この歌詞は、三回登場します。三回です。
一回は、1Bメロ、三回目は、3Bメロ(3サビ前)。そして二回目は、2サビと3Bメロの間のイントロで、呟かれます。
この言葉は、キャロル・キングの曲であればすばらしい絆を表す言葉になるでしょうが、この曲においては、残酷な意味を持ちます。
この曲において「僕」は「君」に対して恋心を持っているといえるでしょうか。
1Bメロ「二人きり この儘 愛し合えるさ」とあるところを強調するなら、それは首肯できる仮説です。また、2Bメロに「口吻」という言葉も出てきます。
恋心を抱いているとするなら、この言葉は残酷な響きを持つでしょう。つまり、「君」にとって「僕」はどこまでいっても「友達」である。友達を続けていればその儘愛し合う関係になることもあるかもしれませんが、この曲において「君」には「僕」以外にも語れる人が、おそらく多くはないものの、いるのでした。だからこそ、2Bメロで「僕だけを見ててよ」と求めたわけです。
そうなると、「僕」は「君」にとって不特定多数の「友達」にすぎない。オンリーワンではない。
ひょっとしたら、この言葉は「僕」が凶行に臨んだきっかけだったかもしれません。「君」が苦しめば苦しむほど、「僕」は「君」を助けるただ一人の存在としてそこにいることができる。「居場所」を作れる。
「君」は学校の中で居場所を失っていく。けれど「僕」という居場所があるだろう?
しかし、事態は思わぬ方向に、そして想像しうる限り最悪の方向へ進んでいきます。
④フラッシュバック
1サビと3サビはほぼ同じ歌詞となっています。この点から、曲の時系列が一本線ではないことがわかります。
その想定の助けとなる歌詞が「フラッシュバック」です。
フラッシュバックとは、「過去に起こった記憶が意識せずに思い出されてしまい、それがまるで現実に起こっているかのように感じる状態」を指します。(https://medicaldoc.jp/m/qa-m/qa0250/ より)
フラッシュバックする内容は以下の通りです。
繰り返す フラッシュバック・蝉の声・二度とは帰らぬ君 永遠に千切れてく
お揃いのキーホルダー
つまり、この曲において、「僕」がいる現在は、いじめが過ぎた後、もっと直接的に言ってしまえば、「君」がこの世を去った後であるということがわかります。
時系列を考慮すると、当然このような形になります。
1「僕」は「君」に恋心を抱く。
2「「君」に「僕」以外の誰かの存在が現れる。「君」にとって「僕」は友達。
3「僕」の本性が暴れ始め、「君」が「僕」だけに縋りつくよう、いじめを背後で扇動する。
4「君」は追い詰められるが、「僕」には縋りつかない(後述)。
5「君」は自ら電車に飛び込み、命を絶つ。
6これまでの記憶、夏の記憶を「僕」は何度も思いだす(繰り返す フラッシュバック)。
7「僕」は絶望を覚え、「君」と同じ最期を迎えた。
4については、3Bメロがそれを示唆しています。
そう 君は友達 僕の手を掴めよ そう 君が居なくちゃ 居場所なんてないんだよ
これは明確に1Bメロとの対比になっています。非常に皮肉がきいた歌詞です。
「僕」は「君」を追い詰めることで自分に視線を向けようとしました。「君」に居場所を、厳密にいえば、「君」と「僕」だけの世界を作ろうとしました。
しかし、それはまったくの逆効果で、「君」は「僕」に頼ることはなかったのです。それは、「僕の手を掴めよ」と1Bメロと同じ歌詞を繰り返していることからわかるでしょう。そのとき「僕」は悟った。居場所を失ったのは「僕」の方だ、と。
しかし、すべてはもう遅すぎました。
「君」は自ら電車に飛び込んだのです。
しかも、最後、このような歌詞で締めくくられます。
透明な君は僕を指差してた
これは、「君」が、「僕」の所業を知っていたということを示唆しているとしていいでしょう。
はたしてその光景は、これは「僕」の妄想だったか。それとも、現実だったのか。
いずれにしても、「僕」は自らの罪の記憶を何度も繰り返し思い出します。そして、
永遠に千切れてく お揃いのキーホルダー
互いのキーホルダーは、二度と揃わない。互いの気持ちは、二度と寄り添わない。
これ以上ない、悲劇です。
悲劇であるのに、爽やかです。
そのギャップに、私たちは惑わされ、毎年この曲を聴きに戻るのです。
以上、歌詞をたどってみました次第です。また、次の曲でお会いしましょう。蓬葉でした。
ここから下は、ただの疑問です。時間があれば読んでください。
⑤「僕」は本当に死んだ?
一点だけ、疑問な歌詞があります。それは、1サビもしくは3サビの後半部分です。
夏が消し去った白い肌の少女に 哀しい程とり憑かれてしまいたい
まず、「とり憑かれる」という言葉は、おもに生者と死者との間で使われる言葉でしょう。死者同士で「とり憑かれる」というのは、あまり想像がつきません。
また、「夏が消し去った」という歌詞にも違和感があります。この「白い肌の少女」は、素直に考えれば「君」のことでしょうが、実際に「君」を消し去ったのは苛烈ないじめであり、それを実行した「薄笑いの獣たち」であり、それを手引きした「僕」であるはずです。しかし、ここでは「夏が」となっています。
この曲は「僕」視点であり、「僕」がやったとは言わないでしょうが、それにしても「夏が」というのは、不可思議です。「あの夏」を懐古するような感さえあります。
この曲において、「君」がこの世を去ったのは確かです。二度とは帰らぬ君とあり、透明な君とある点はそれを論拠づけていると思います(もちろん、これもただ転校したなどの解釈もありますが……)。
また、お揃いのキーホルダーは、片方のキーホルダーが千切れるだけでも、永遠にお揃いでなくなります。
曲の最後は、電車によって断ち切られます。そして遠くの踏切の音と蝉の声が聞こえる。
不穏なものを感じてしまいます。
そして、もう一つ。
最後に笑ったのは、誰ですか?
楽曲解釈・考察の部屋 蓬葉 yomoginoha @houtamiyasina
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