第2話 死神

「君は、何」


 僕の何歩か先を歩く彼女に問いかける。

 しかしまたその質問には答えるつもりがないらしく、無言のみが返って来た。諦めて僕も無言で後をついていった。


「もう、なんでずっと後ろにいるんだよ! 横に並べ横に!」


 さっと振り返った彼女は僕の手を掴んで無理やり隣に来させた。


「なんかあったのか?」


「答えるわけないだろ、知らない人にいきなり。それにそんな簡単に一言二言で語れることじゃない」


 街灯が、二人の歩く速さに合わせて一定のリズムで彼女の横顔を照らした。目線こそこちらに向けないが、心配の気配が伝わってくる。なぜ見知らぬ僕をここまで気に掛けるのだろうか。

 記憶の中であの人の声が何度も繰り返される。「そんなひどいこと言う人だったんだ。」嫌なことを思い出してしまった。

 やがて二人は丘のように高台になった場所に出た。ちょっとした公園のようだった。ビル群が視界にいっぱいに広がる。しかしそれはとっくに夜景ではなくなっていて、黄色の明かりはなく、赤い点滅と道路の街灯ががいくつもぼんやりと浮かんでいるだけだった。あたりは風の音以外聞こえず、公園の時計の針の音がやけに大きく響いた。一時二十分。


「もう一時か」


 何の意味もなくそう零したが、すぐさま彼女は口を開いた。


「いや、一時じゃない。二十五時だ」


「言い方の違いだろ?」


「いや、そうじゃないさ。存在しないはずの二十五時。寝て起きたならば朝の七時。しかし寝ずに迎えたならば、リセットされていないから三十一時。本来の人間のリズムには存在しない、未だリセットされていない二十五時」


 丘の端の柵に手を掛けながらそう説いてみせた。表情は見えない。逆光の月明かりが彼女の姿をうっすらと影にする。


「存在しないはずの二十五時。そこを迎えてから私はここに来れるんだよ」


「何を言ってるんだ」


 ふふ、と彼女は微笑んだ。


「『君は何』って訊いたよな」


 くるりと身を翻しこちらを向く。月の陰に妖艶な笑みがぼんやりと見えた。前髪が動きに合わせて揺れる。


「存在しないはずの二十五時。そこを越えてから、私はこの世に干渉できる。私は死神だよ」


———


「死神なら僕を助けたのおかしくない?」


「う~ん、それはその、あのだな、あれだよ」


 何かしどろもどろにあれこれと言った死神は、めんどくさそうに適当にまとめた。


「ともかくだな、私は君を助けようと思った! なぜかはちょっとややこしくなるから話さない!」


「はあ……」


「こっちは自己紹介をしたんだから、お前は?


「僕? ヨルだ」


「……え? ああ、それだけか。わかった。ヨル、よろしく」


 死神はにっこりと笑うと手をこちらに差し出した。おずおずと仕方なく握り返すと上に向かって引き上げられた。


「うわっ」


「お前下を向きすぎなんだよ、もっと視野広くしてみろ!」


 引っ張られて顔も上を向く、相変わらずのビルの景色が、もうちょっと広くなって見えた。月がその頂点に座っている。夜空の紺色がさらにその上を覆い尽くしていた。


「あれ、こんなに綺麗だったっけ」


「だろ? 夜は綺麗だ。都会といえど、夜になれば人はほとんどいなくなる。空は暗くなって、日光とは違う色の明かりが街を照らす。まるで別世界に来たみたいで楽しいだろ? ほら、行こうぜ、夜の街に」


 そのまま手を引っ張られ、公園を後にした。眼下に見ていたビル群の間に潜っていく。

 街灯が一定のリズムで死神の横顔を照らす。


「そういえば、こんな時間に起きてたら学校行けなくないか? 行ってないの?」


「ほとんど行ってない。たまに行ける時は行く」


「なるほど。眠れない日があるのかい?」


「ああ、というかむしろほとんど毎日だ。横になっていても全然眠れない。ずっと横になってるとかえって目が覚めてくるくらいだ」


「苦労してるんだな、人間」


 まだ怪しい存在だという警戒は完全には解けていなかった。まず第一死神だっていうのが現実的に信じられない。ただ事実として目の前に突きつけられたから、まるで受け入れたのと同じような対応をしているけれど、本来ならまだ腑に落ちていはいない。僕を助けた理由もよくわからない。死神ならむしろ、飛び降りようとしていた僕の背中を蹴落とすものなのではないだろうか。疑念はいろいろと尽きなかった。


「なんか考え事してる?」


「いや特に」


「考えすぎはよくないぞ、ほら、頭すっからかんにして楽しむことを覚えろ!」


 背中をばしんと叩かれた。頭がちかちかする。何を考えていたのかはっきりと思い出せなくなってしまった。


「あっ!」


 と言った彼女はどこかへと走っていく。


「え? どこに行くんだ」


「ブランコだ! おいヨル! 乗るぞ!」


「はあ?」


 近くにあった、都会の小さな公園に走って入っていった。そのままブランコに座ると、笑い声をあげながらゆらゆらと前後に揺れる。笑い声が深夜の静寂に響いた。


「声がでかいな」


「いいんだよ、夜なんだから。こんな静かな時じゃなきゃ自分を解放できないだろ? お前も乗れ! そして笑え!」


 仕方が無いから隣のブランコに座って揺り動かす。


「あれ」


 前に、後ろに、前に、後ろに。ごく単純な動きだ。夜の涼しい風が顔に当たる。金属のきしむ音と彼女の笑い声がやけに響いて聞こえる。


「ブランコって、こんなに楽しかったっけ」


「だろ?」


———


「深夜に出歩くと、まるで自分の部屋にいるかのように自分を解放することができるんだ」


 街灯が一定のリズムで死神の横顔を照らす。


「音楽を垂れ流しながらでも良し、口ずさめばなお良し、道端に猫ちゃんを見つけたら座り込んで話しかけてみてもいい、かわいい女がいたら声を掛けてもいい」


「最後のは流石に無理がある」


「とにかく、この『何もない街』が私たちに己を解放させるんだ」


 少し前を歩くと、くるりと振り返って、こちらに手を差し伸べた。


「夜の歩き方がわかったかい? 少年よ。理由はまあ単なる人助けだと思ってくれればいい。私はお前が死なないようにお前の支えになってやる。二十五時を迎えたら私はこの世に現れる。これから一緒に眠れない夜を過ごそう」


 さっき会ったばかりの人の言葉なのに、何故だかひどく心の奥深くに染み込んだ。思わず涙を流してしまいそうになったが堪えた。


「うん」


 手を握り返す。


「ありがとう、よろしく」

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