第4話 本当の嫁入り

 お山に入って数か月、ゆっくりとだが、このお山のこと、四十万様のことがわかってきた。


 大妖狐・灰香、というのは代々この北のお山を治めてきた妖狐の襲名する名であり、真の名は別にあること。それが、四十万、という名であること。そして、力のある妖が真の名を明かすことはめったにない為、普段は灰香様、と呼ばれているらしい。


 なんでも、四十万様はこの任に就いてから200年余り経過しているが、嫁とりは初めての経験であるらしい。そのような風習が残っていたこともすっかり忘れており、先代からの眷属である烏が勝手に、村へ嫁を出すように伝えに行ってしまったのだそうだ。烏を責めようが時既に遅く、気付いた時には村一番の大店・紅天屋の娘が嫁入りに来る、ということになっていたとのことだった。


 私、しずかが玉尾様の替え玉として嫁入りすることも、事前に烏に調べさせ知っていたが、玉尾の代わりに、とお山へ来た私のことが不憫になり、あえて村人へ告げることはしなかったらしい。


 四十万様は、替え玉などという手で大妖狐様を偽った自分の罪に頭を下げる私に、ほとぼりが冷めるまでここにいれば良い、と言ってくれた。本当に嫁になどならずとも良い、と、何故かまだ赤い顔を隠しながら。


 四十万様達が住む大きな神社のような建物の片隅で、一連のことをこっそりと教えてくれた四十万様付きの眷属・暦殿は、大妖狐であることには間違いないのですが、どうにも優しく、穏やかな方なのです、と笑っていた。


 それからは、大妖狐様を欺こうとした上住まいに置いていただくというのに何もしない訳にもいかず、暦殿に無理を言って四十万様の身の回りのお世話や雑用を手伝わせて頂いて日々をすごしている。元々玉尾様のお世話や紅天屋の雑務を任せて頂いていたこともあり、働いているほうが自らも居心地が良く、随分とこの不思議な場所にも愛着がわいてしまった。


 しかし、四十万様は相変わらずそっけない。


 毎日恐れ多くも朝と晩に向き合って食事を摂る他、朝の身支度のお手伝いや昼餉の配膳、お堂の掃除のときにも時折顔を見せに来てくれたりすることもあるのに、なんとなく、まだ距離があるように思う。腫物でも扱うかのような優しい空気と、何不自由ないこの暮らしが、やけに関係の希薄さを強調させる。


 食事の際に四十万様から話しかけてくれることはあれど、私の話ばかりでご自身の話はほとんどして頂けない。お山を統べる恐るべき力を持った大妖狐様と比べれば、私などなんの力も持たないただの人間の娘であるので、おこがましいことを考えているのは理解している。しかし、嫁入り、という名目でお山に入ったのだから、もう少しご自身のことを教えて頂いても良いのではなかろうか。あんなに怖かった大妖狐様との距離が、今では少し寂しくなっていた。


「しずか」


「四十万様!なにか御用でしょうか?」


 ため息をついていたところを、後ろから低く心地よい声に名を呼ばれる。今まさに考えていたご本人の思わぬ登場に、持っていた竹箒に力が入った。


「そなたは客人なのだから、雑用などせずとも良いのだぞ」


「客人などと……私はここに置いていただいている身ですので」


「私が落ち着かぬのだ」


 四十万様はまた眉を下げ、いつものように困った顔をした。私がこうして雑用をしていると、いつもこの顔をされて、程ほどにな、と去っていかれる。私が好きでしていることとはいえ、あまり四十万様にお気を使わせるのも良くないのだろうか。


 しかし、私は当たり前ではあるが客人ではない。ここへは、何をしに来たのだったか。それも忘れてしまいそうなほど、ここに住まう方々は優しく暖かい。気付かぬうちにそれに慣れてしまっていたのだろうか。四十万様のこちらを見る顔を見ていたら、つい、口をついて言葉が飛び出してしまった。


「しかし、私は四十万様の嫁としてここに参りました」


「嫁っ……いや、そのようなこと気にする必要はない。私の眷属の早とちりだ」


「早とちり……やはり人間の小娘など嫁にとるのは、嫌でございますか?」


「……そういった話をしているのではない。そなたにも故郷があろう」


 また少し赤く染まった顔を袖で隠す四十万様の顔を見ていたら、なんだか急に悲しくなって、視界がぼやけた。涙などいつぶりだろう、と考える間もなく頬に落ち、止まらなくなる。あんなに怖かった嫁入りなのに、たった数ヶ月しかここで過ごしていないのに、もうこんなにもこの場所が愛しい。


「何故急に泣き出すのだ」


 涙を止めようと瞬きをした間に、いつの間にか四十万様が目の前に立って私の頬に自らの袖を添えていた。止まらない涙が、黒い袖に染みこむ。


「そなたは嫌々ここに来たはずであろう」


「最初は、そうでございました。しかし、今は、四十万様の」


「わかった、わかったから泣き止んでくれ」


 黒い袖でぐしぐしと頬を優しくなでられ、涙は段々と落ち着いていった。ぼやけた視界から見える四十万様の顔が、またあの時のように真っ赤に染まっている。泣き顔を見られたことにやけになったこともあったと思う。目の前の腕を両手で捕まえると、四十万様がぎょっとした顔でこちらを見た。


「そんなに嫁が嫌でございますか」


「い、嫌ではない……嫌ではないが……」


「嫌ではないならなんなのです」


「そなた意外と押しが……いや、その、嫁、などと私にはもったいないと……」


「もったいない?」


「そなたが……あー……そなたのように美しい娘を嫁に、など、私には……」


 放してくれ……と小さな低い声が石畳に降り、私の心臓にも降りた。四十万様は私に腕を掴まれたまま、真っ赤な顔をその腕で隠している。


「私の顔が好み、ということでございますか」


「う……まあそうなるのか……」


「それだけで……」


「それだけではない!私がどれだけ……」


 はあ、とため息をつき、四十万様が私の両手を優しく下げる。落ちた竹箒をかがんで拾い、私の手に押し付けると、赤い顔を勢いよくあさっての方へ向けた。


 なんて、なんて愛しい人であろう。人ではない、狐ではあるが。そんなものどうでも良い。私は、この人と添い遂げたいと思ってしまった。この身代わりの嫁入りが、私のさだめで良かった。悪名高い大妖狐・灰香狐様が、この方で良かった。


「これからゆっくり時間をかけて、私を嫁にしてくださいませ」


 ますます顔を赤くする私の主人は、小さく、だが確かに、私の目を見て頷いた。

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狐に嫁入り @kura_18

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