雪の降る公園(冬の匂い)

帆尊歩

第1話  雪の降る公園

せっかくの日曜日だというのに、窓の外は雪が降っている。

私は窓の外を見てみる。

窓の外には公園が見える。

たいして大きい公園ではない。

二階の窓からなら、全てが見渡せる程度だ。

でもこんな公園でも、子供の頃の私にとっては大事な遊び場だった。

いつだってここに来れば誰かしらいた。

あの頃公園に遊びに行くことは、一番の楽しみだった。

でも、今日の公園は本当に寒そうだ。

さっきまで黒い地面が見えていたのに、今はもう一面真っ白、大粒の雪が降り続いている。

なんて寒そうなんだろう。

私は自分の部屋の中にいるから分からない。

子供の頃から住んでいる家のすぐ横に、こんなにも寒そうな場所がある。


一番遠いベンチの上に何かがある。

私は物が置いてあるのかと思った。

いや違う。

人だ。

人がベンチの上で横になっている。

あんな所に居たら寒さで死んでしまう。

なんであんな所に、そして私は思い出した。

あれは。

あの時のおじさんだ。

帰って来たの、と私は心の中で叫んだ。

いやそんなはずはない、あれから何年経っている、私が子供の時、十年は経っている。

でもあれがあの時のおじさんなら謝りたい。

そう、私はあの時のおじさんに謝らなければならないことをした。

世間的にはたいした事ではないのかもしれないけど。

謝りたい。




寒い、そして冷たい

いつのまにか雪が積もっている。

昨夜からかなり気温が下がったから、雪が降りそうだとは思っていたが、本格的に降って来た。

でも本当に降ってくると、さすがにこたえる。

これは、もたないかもしれない。

そうだ俺のような、にわかホームレスにこんな寒い雪の日を乗り切る術も、根性も、ましてや希望もない。

すでにボロ切れと化した、かつては着る物だった布を多量に着込んでいるが、とてもそんなもので寒さを防げるとは思えない。

そもそもが防寒のものではない。

おそらく今着ているボロボロのコートでは命さえ、そんなにもつまい。

そう、もたないだろう。

まあ、それはそれでいいのかもしれない。

今まで散々なことをして来た。

その報いは、ホームレスに身をやつし、いま死にかけているということだ。

別に死んでもいい。

段々意識が飛んでゆく。

ふと疑問がわく、このまま何も分からなくなり、死んでゆくのか、こんな死に方なのか、

冬の匂いのする公園で、

寒さで、

そして次の瞬間、

まあそれでもいいかと思う。

もう何もない。

今ここで死ななかったとしても、明日は死ぬかもしれない、明日死ななかったとしても明後日は死ぬかのもしれない。

この冬を乗り切ったとしても、次の冬には死ぬかもしれない、結局その繰り返しだ、遅いか、早いかの違いだけだ。


死んでいく。

そう思った瞬間、何かの視線を感じた。

イヤ感じたように思っただけだ。

この俺に視線を向けるとすれば、俺を疎ましく思う一般人だろう。

俺は目を開けて周りを見渡した。

ここは冬の匂いのする公園だ。

大人より子供が多い。

これは子供の視線か?

イヤ違う、この視線は。

雪が公園を白く染めている。

あそこだ、住宅に囲まれているこんな小さな児童公園を見渡せるような窓が見えた。

そこに一人の女がいて、俺を見下ろしている。

暖かそうな部屋の中から、この寒い冬の匂いのする公園を見ている。

誰だあの女は。

こんな哀れなホームレスを見て、少しでも優越感に浸りたいのか、たんに哀れんでいるのか。

どうでもいい、俺はこのまま凍え死ぬんだ。

いや待て、俺を見つめる女なんて一人しかいないじゃないか、ましてこんな落ちぶれた俺を見ようとする女。

そう麻美子だ、あれは麻美子だ。

俺は朦朧とする頭であの女が麻美子だということを疑わない。

俺の人生の最後の時にお前は現れてくれた。

いや俺への当てつけか。

復讐か。

イヤ、なんだっていい、会いにきてくれただけで十分だ。

麻美子。

麻美子。

ああ、なんと言うことだ、麻美子が俺の命の尽きる瞬間に逢いに来てくれた。

それが文句を言うだけでもいい。

復讐をするだけでもいい。

ただ、ただ、今はお前が愛おしい。

あの時、お前にそんな言葉をかけていたら、何もかもが違っていた。

麻美子のことは、今では本当に愛おしい。

イヤ今だからこそ、麻美子が愛おしい。

俺は公園を見下ろす麻美子に向かって手を伸ばした。

あの頃は簡単に届いた手、でも今は届くはずのない手。

それでもいい、伸ばすだけでいい、ただそれだけでいいんだ。


 



おじさんが手をの伸ばしている。

その手はなに?

何かをつかもうとしているの?

つかもうとしているのは何?

私たちの笑顔?

ありがとうの言葉?

確かにおじさんはそういうものを欲しいいと思って、私たちを見つめていた。

でも私たちの誰もがその言葉を言うことはなかった。

思えば子供は残酷だ。

相手の事を思いやる事が出来ない。

とてつもない努力をしているのに、その結果が気に入らなければ簡単にそっぽを向く。

やはりあれはおじさんだ。

怒っているの?

怒っているはずだ。


あの時私たちは、おじさんを本当のサンタさんと思っていた。

ある冬、十二月に入ったばかりの頃、私たちはおじさんを取り囲んだ。

さぞかしおじさんは驚いただろう、小学校に入るか入らないくらいの子供たちに取り囲まれたのだから、そしてみんなで声を合わせて、

「サンタさん、お願いします」と言って、小さなメモを差し出した。

そこには、

ミニカーが欲しいですとか、縫いぐるみとか、綺麗な鉛筆とノートとか、それぞれ欲しいものが書かれていた。みんなサンタさんと疑っていなかったから、どうせ近くにいるなら直接お願いしようということになった。

私はパンダさんの書かれた大事な大事な便箋に覚えたての字で


良い子にするから、お人形さんをください。


と書いて渡した。

おじさんは本当に驚いた顔をしていたけれど、次の瞬間優しく微笑んだ。

その顔を見て、私たちは、ああこのおじさんはやっぱりサンタさんなんだと思った。


クリスマスが近づいたある日、おじさんは私たちにプレゼントをくれた。

一体どこから調達したのかわからなかったけれど、みんな希望どおりの物ではあった。

でもどこか壊れていたり、汚れたりと、新品ではなかった。

みんなガッカリして、その顔には露骨に落胆の色が映った。

「こんなのいらない」と言って、受け取らない子もいた。

今にして思えば、ホームレスのおじさんがプレゼントなんか買えるわけもなく、きっとどこかのゴミ捨て場から拾って来た物だろうというのは想像ができた。

子供は正直だ。

おじさんは私たちよりも、もっと寂しそうな顔をしていた。

きっとおじさんは、寒い冬のゴミ捨て場で、一生懸命プレゼントを探しただろう。

栄養状態が良い訳もなく、体に応えただろう。

そしてそんな時は、私たちの顔を思い出しただろう。

私たちの笑顔、このプレゼントを渡した時の私たちの嬉しそうな笑顔、そしてありがとうの言葉。

でも私たちはそんなおじさんの事など知らない。

そして私もみんなと同じ対応をしてしまった。

私は一応は「ありがとう」とは言ったけれど、少し汚れたお人形は全然嬉しくなかった。

嬉しくはなかったけれど、サンタさんの寂しそうな顔が何となく目に焼き付いた。


それから数日して記録的な寒さが続く時があった。

そんなある朝、おじさんが死んでいるのが発見された。

寒さによる凍死だった。

もしかしたら、私たちへのプレゼントを探すために無理をしたからかもしれない。


やっぱり私のことを許してはくれていないの。

おじさんはずっと昔からこの公園で暮らしていた。

こんな住宅地の中の児童公園に、ホームレスのおじさんが住み続けることなど出来るわけない。

だって、周りの大人が出て行くように言うはずだから。

でもおじさんは、ずっと公園にいて遊ぶ私たちを見つめていた。

そんな人がいれば子供は怖がるのに、私たちは怖いと思ったことは一度もなかった。

きっとその目には、いつだって優しい光に満ちていていたから。

だから、私たちはまるで近所のおじいちゃんに見守られているような安心感があった。

なぜそうなったのかは色々な噂はあった。

誘拐された子供がおじさんの目撃証言で助かったとか。

怪我をした子供をいち早く手当をして、大事にいたらなかったとか。たとえ本当ではなかったとしても、それに近いことはあったんだと思う。




公園を見渡せる窓から、俺が麻美子と信じて疑わない女が俺を見下ろす。

麻美子が戸惑った表情をしている.

それはそうだ、麻美子は今更なんだと思っているだろう。

でも、もしかしたら・・・・・。

麻美子ほど俺を愛してくれた女はいない。

それは今だからわかる。

実の親だってこんなにも俺のことを愛してはくれなかった。

でも俺はその愛に答える事はなかった。

その愛は煩わしく、憎みすらした。

その想いは麻美子に向けられた。

でもそんな俺の仕打ちを麻美子はめげることはなく、麻美子は献身的に俺を支えようとした。

なぜ麻美子があそこまで俺を支えようとしたのか、わからなかった。


それは今でもわからない。


たしかに俺は麻美子から愛されていた。

それは分かる。

でも、その愛に俺は答えなかった。

麻美子に愛されていて、その愛が普遍的な物とたかをくくっていた。

そういうわけでもない。

その愛が、煩わしいと思っていた。


俺が麻美子と出会ったのは、中学に入った頃だった。

麻美子は可愛かったから俺なんかに近寄らなくても、誰かもっとまともな男と付き合うことが出来たはずだった。

でも麻美子は俺の世話を焼いた。

その頃の俺は、そういう麻美子の所業が自分を安全なところにおいた偽善的な行為、もしくは自己満足の為と思っていた。

だから麻美子が俺に世話を焼けば焼くほど、その行為を嫌悪し、そのことを後悔させてやろうという思いだった。

麻美子がいる前でわざと万引きをする。

すると真美子は、自分の小遣いでその商品の払いをする。

そして店の人間に謝る。

わざと少し優しく接して、麻美子を喜ばせる。

そして麻美子に弁当を作らせて、それを目の前で地面にぶちまける。

そして足で踏みつける。

麻美子のその時の悲しそうな顔が今では胸を締め付ける。

なぜあんなことをしたんだろう。

今なら分かる、麻美子があのときどんな思いだったか。

でもあの頃はザマアミロという気持ちだった。

そこまでしても麻美子は俺を許した。

そして高校を卒業した時、俺たちは結婚した。




公園に降る雪はかなり積もりそうな気配だ、さらに寒そうに見える。

あのベンチにいるおじさんは大丈夫だろうか。


あの頃遊ぶ私たちは、おじさんと多くの接触があった訳ではない。

お互いに干渉はしなかった。

私たちがおじさんと言葉を交わすことは基本的になかったし、おじさんが私たちの方に寄ってくる事もなかった。

ただそこにいるだけ。

ずっと前からあるベンチの上の置物のような存在。

その存在に注意をはらうことはなかった。

だから名前も知らないし、歳も知らない。

でもいつしか、私たちはおじさんをサンタさんと思うようになっていた。

ではなぜサンタさんなのかというと、顔中白い髭に覆われ、これはホームレスだから仕方のない事だけれど、それは見事に真っ白だった。

つまりものすごい高齢だったという事なんだけれど、その頃の私たちにそんなことがわかるはずもなかった。

そして赤いニット帽、ダブダブのコート、あの頃の私達にとっては、やはりサンタさんだった。

そしてやはりそんなに若くは無かったんだろうと思う。

体が疲れるのか、座っていないときはベンチに横たわっていた。

そう今ベンチに横たわっているように。

あそこにいるのがおじさんでないことは分かっている。

でも私はおじさんに謝りたい。

おじさんはサンタさんとしか思えない、おじさん、ごめんなさいと言えたら私の心はどれだけ救われるだろう、

ごめんなさい。

ごめんなさい。


なんて言うことだろう。

おじさんは私に「ごめんなさい」と言わせてくれるためにそこにいるの、私を救いにきてくれたの。

なんて優しいんだろう、そうだおじさんは優しい、あの優しい目でいつだって遊ぶ私たちを見守ってくれていた。



        

公園を見下ろす窓に見える女は、本当に麻美子に見える。


麻美子とは結婚はしたが籍は入れなかった。

理由は簡単だ、めんどくさかったからだ。

いつまで一緒にいるかわからなかった。

そのうち麻美子は俺に愛想を尽かして出て行くと思っていた。

それでも内縁の妻として俺たちは結婚生活を開始した。


相変わらず俺は麻美子に辛く当たっていたがそんな中でも、一緒に買い物に行ったり、散歩したりと、良い関係がなかったわけでもなかった。

そんな時麻美子が妊娠した。

麻美子は、子供ができれば俺が少しはマシになるだろうと思っていたようだった。

そういう言動が多くなったきた。

だから余計に俺はそんな麻美子の思いに反発した。

麻美子の気持ちは、少しづつ俺からから腹の中の子供に振り分けられるようになっていった。

ある時俺のせいで麻美子がつまづいて転んだ。

結果大事には至らなかったが、その時初めて麻美子は俺に文句を言った。

「この子に何かあったら許さないから」たったそれだけのことなのに、俺はイラつき捨て台詞を残して家を出て行った。

長い月日が経って、きっと俺は煩わしいと思っていた麻美子の事を愛するようになっていたのだろう。

でもそれ以上に、麻美子は俺を愛していると思っていたから、そこにあぐらをかいていた。

だから麻美子がはじめて俺に苦言を吐いた時イラついてしまった。

そして俺はしばらく家を空けた。

俺が悪いことはわかっていたが、謝ることはもちろん、そのせいで少しでも麻美子に優しくする事が癪に触る。

そんなふうに思っていた。

そしてしばらく家を空けているうちに、麻美子と子供は死んでしまった。

転んだ事が原因かどうかわからなかった。

救急車が呼べていれば助かったかもしれない。

でも俺は家にいなかった。



       


公園のベンチからおじさんが私を見つめる。

公園のベンチから寒さに震えながら、私を見つめる。

その目は、あまりにも悲しげだった。

何かを失ってしまった喪失感。

おじさんは何を失ったの?

失ったのは私なのに、おじさんの優しさを私たちは失った。

あの慈愛に満ちた目、私たちを本当に心配してくれる心。

みんな失ってしまった。

おじさんは何かを伝えたいかのように、公園のベンチから私を見つめる。

なにを伝えたいの。

謝りたいのはわたしの方なのに。

考えてみればなんて虫のいい話なんだと思う。

あんなひどいことをしたのに、一方的に誤って自己満足に浸りたいだけだ。

おじさんの事なんて何も思っていない。

私が救われたいだけだ。

だめだ、おじさんに許して貰おうなんてずっと私はこの思いを持ち続けなければならない。

だっておじさんは私たちにがっかりさせられて、失意の中、寒さで死んでしまった。

でも私の中に安堵の気持ちがわく、顔にでる。

おじさんに謝ることが出来ず、それだけでも私の顔に安堵の表情が浮かぶ。





麻美子に許して貰おうなんて、なんて虫の良い話なんだ。

あんなに麻美子にひどいことをしたのに。

そうだ俺はせめてもの罪滅ぼしのために、これからも後悔の念をもち続けて死んでゆくんだ。

それがせめてもの罪滅ぼしだ。

麻美子が俺を憎んでくれれば、それがせめてもの俺にとっての救いだ。

なのに公園を見渡せる窓から、麻美子はじっとこっちを見つめている。

そこには安堵の表情が浮かぶ。

俺が雪に埋れて死に行こうとしていることに安堵しているのか。

いや違う、麻美子はそんなことを思う女ではない。

では生きてもいいよと言っているのか。

俺のことを許してくれるのか、いや許してもらおうなんて思わない。

でも許してくれるなら、なんて心安らかに死んで行けるだろう。

俺は公園を見渡せる窓にいる、麻美子に手を差し伸べる。

すると麻美子は嬉しそうに微笑んだ。

なんて心が癒される笑顔だ。

そんな物がすぐ隣にあったのに、俺はそんなことにも気付かず生きてきた。

いやいいだろう。

それが分かって死んで行ける。

そろそろ意識が朦朧としてきた。


    



公園のベンチにいるおじさんが私に手を差し延べる。

それは助けを求めると言うより、まるでに慈愛に満ちた心で私を包み込もうとしているかのよう。

許してくれるの。

許してくれるの。

あんなにひどいことをしたのに。

私たちを喜ばせようとして結果死んでしまったのに。

感謝はおろか、こんな物いらないという態度をとってしまったのに。

あの時、嘘でも満面の笑みで、ありがとうと言えていたら、おじさんはどんなに救われただろう。

そしてどんなに私の心は救われていただろう。

だめだ、結局私自身が救われたいだけだ。

でも公園のベンチのおじさんは私に手を差し伸べてくれている。

許してくれるの。

許してくれるのね

なんて優しいいんだろう。

私はおじさんに手を差し伸べる。

ありがとう。

ありがとうおじさん。

私はおじさんの優しさを忘れない。

ありがとう。





麻美子が俺に手を差し伸べる。

だめだ麻美子。

朦朧とした意識の中で。

俺はだめだと繰り返す。

俺なんかを許してはだめだ。

麻美子、俺のことは憎め、俺はそれだけのことをしてきた。

でも、

でも、

俺は途切れる意識の寸前で、心が安らかになって行くのを感じた。

俺は、

俺は麻美子から許されたかったのか。

麻美子。

麻美子。

おまえはなんて優しいんだ。

この最後の瞬間。

もう一度だけおまえの優しさに触れてもいいだろうか。

ありがとう麻美子

ありがとう麻美子

そして俺の意識は眠るように消えて行った。


        

公園はその後も雪が降り続けた。

どんな謝罪も、許しも、愛も、

何もかも、その雪に覆い隠すかのように、冬の公園にはいつまでも雪が降り続いた。

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雪の降る公園(冬の匂い) 帆尊歩 @hosonayumu

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