第1話①
王が戦時命令を出したのは早朝だった。
「戦争だ!」
最初にその事実を耳に挟んだのは、早起きの商人。
「戦争?」
続いて、朝ごはんを作る親たちの耳に。
「戦争だ!」
そして、やかましいボーン家の父にも伝わって、
「うるさいよ、お父さん」
シズ・ボーンの耳にも今この瞬間入ってきたわけだ。
寝起きのシズはまだ頭が働いておらず、朝食のパンを二口かじって初めてその言葉に驚愕した。
「戦争⁉」
パンを吹っ飛ばすシズ。吹っ飛ばされたパンは華麗に母の手によってキャッチされ、父譲りのやかましい弾丸文句が発動する前に口に戻された。
パンを咥えたままモゴモゴと唸るシズの前に、母が今さっき届いた新聞を突き出した。
「昨日、シタカ王国が国境近くの町一個を宣戦布告なく急襲して壊滅させたのよ。血の気の多い私たちの王様が黙っているわけないでしょ?」
シズはようやくパンを飲み込んだ。
「そんな! シタカとの国境近くにはたくさんの守衛がいるじゃん! 守衛は何をやっていたの?」
「今日の昼から徴兵が始まるぞ」
「私の話聞いてよ!」
シズがそう言うと、二人の親は黙りこくった。シズは狼狽える。
「そんな静かに聞かなくてもいいよ」
父はもう一度言った。
「今日の昼から徴兵が始まる」
両親の表情と言葉を理解するのには数秒の時間を要した。やっと理解したシズは、正気ではないといった表情で二人を交互に見つめる。
「え、え? ちょっと待って。もしかして、私を行かすつもりなの?」
二人は頷いた。
「もう十八よ」
「嫌だ、行きたくないよ」
「心配するな。シタカはそんなに大きな国じゃない。これまで幾度となく戦ってきたが、我が王国が負けたことはない」
「勝ち負けじゃない!」
「それに、いつもお父さんにしごかれてるシズは、既に誰にも負けない剣士よ」
「そういうことでもないって!」
シズは机を叩いて立ち上がった。
「私はただ……誰かと傷つけ合うことが嫌なだけ。戦争なんてしたくないよ」
「シズ」
二人は宥めるように言った。
「そんなことをあまり大声で言っちゃいけないわ」
「それに嫌だと言っても、戦争は始まるんだ。滅多な理由でもない限り、今後の生活のためにも、一家から一人は兵を出さなくては」
シズの視線は悲しげに、父のかつて存在した下半身と、母のかつて存在した左目と左腕を追った。
「俺たちだって本音を言えば娘を行かせたくはない」
「でも同時に誇りでもあるの。胸を張って娘を戦場に送れることが。この時の為に訓練させてきたんだもの」
シズはため息をついて椅子に座り込んだ。
「皆がやりたくないって言ったら、戦争なんて起きないのに」
「いいえ、シズ」
母はきっぱりと言い切った。
「戦争は必ず起きるわ。実際に戦場に出ないでいい立場にいる人間の誰かが、必ず戦争を始めたいと思うのよ、自らの利潤のためにね」
昼が永遠にこなければいいという思いでパンをチビチビとかじっていると、家の戸を誰かが乱暴に叩く音が聞こえた。毎日のように叩かれているので、叩く音で誰が到来したかはわかる。
シズがノロノロと戸を開けると、爽やかな顔が飛び出した。
「シズ、戦争が始まるぞ!」
「声がでかい!」
シルバ・ルキアは、風が吹くと靡くくらいの長い髪を持った見た目爽やかな青年なのだが、実際は泥臭く熱いことが大好きという中身は脳筋なシズの幼馴染だ。彼もシズと共にボーン家で剣を習っており、シズには劣るが、シズ以外には劣らない実力の持ち主だ。何人もやめていく苦しすぎる修行を一緒に乗り越えている仲であり、二人の絆は並大抵ではない。
「お、シルバ」
「あら、シルバ」
父と母が聞きなれたやかましい声に反応して玄関にやってきた。
「おはようございます、先生」
「お前は戦争に志願するんだろう?」
「もちろんです。僕が行かなくて誰が行くんですか。必ずや武功を上げて先生たちに恩返しをしますよ」
両親は満面の笑みを浮かべて頷いた。
「俺が教えているんだ。シタカの連中に負けることなんてないさ」
シズは顔を曇らせながらシルバに尋ねた。
「今日は稽古休みでしょ。何しにきたの?」
シルバはきょとんとする。
「何って、一緒に志願しにきたんだよ!」
もう昼は近かった。
シズは両親に無理矢理剣を背負わされ、シルバに押され、引っ張られ、引きずられて、担がれて、町の円形広場に急遽作られた志願所に向かった。
「自分で歩けよ!」
「行きたくない」
「心配すんなって。お前がやられそうになったら俺が助けてあげるからさ」
「それは。それはない」
シズの拒絶に、シルバはフフッと笑いを零した。
「やる気満々だね、シズ」
「違っ……」
広場へと近づく度に、剣を持った凛々しい顔つきの人々の数が増えていった。全員が此度の戦の志願者である。皆が皆やる気に満ちていて、誰も戦争で殺されることなど考えておらず、殺すことだけを望んでいるような純粋な覇気を纏っていた。
「国の為に命を捨てろ」
「泣くのは殺された後にしろ」
「死ぬまでに百人殺せ」
多くの家のベランダからは、そんな類の言葉が書かれた垂れ幕がぶら下がっており、町全体が静かなる高揚感に包まれている。悲壮の表情を浮かべているのはシズだけだった。
志願手続きは驚く程スムーズに行われた。戦争に関しては誰しもが協力的で、怠慢な王も、戦争に関しての法的仕組みだけはやけに力を入れたおかげだ。
シズも名前を書いて判子を押すほかなかった。この雰囲気で「戦争に行きたくない!」なんてほざいたら最後、その場にいる味方全員に非国民だと罵られ、ズタズタに切り裂かれるだろう。また、誰かと殺し合うという事実がシズにとってまだ現実味を帯びたものではなかったことも、彼女に判子を押させた理由だろう。
とはいえ、実はシズだけではない。皆戦争なんて初めてだった。もう長いことこの王国で大規模な戦争は起こっておらず、起きたとしても民衆に徴兵令が出る程の規模ではなかった。戦争がどんなものか、わかったようで誰もわかっていないのだ。勇気が試される場所、勇気を示す場所、国を背負って戦う誇りを得る場所、勝利の雄叫びを共に上げる場所……各々が抱いている戦争とは、そういった形なき栄光の結集でしかなかった。
実際に動き始めるのは翌日だということで、一旦二人は家に帰ろうとしたが、その時、大量の汗をかいて息を弾ませた男が円形広場に転がり込んできた。かなり目立つ王直属の衣装を纏っていたため、人々はざわめきながらもその人物に注意を向けた。
「聞いて下さい。聞いて下さい皆さん!」
「聞いてるよ!」
「先ほど、王が、此度の戦で、聖剣を全て解放すると宣言されました!」
聖剣。
その瞬間、志願兵たちに狂気的などよめきが走った。誰かが歓喜の遠吠えを上げ、誰かがあまりの衝撃に甲高い奇声を上げて失神した。シルバも大絶叫を上げて拳を掲げ、会場はひっくり返らんばかりに揺らいだ。
剣の遊戯 shomin shinkai @shominshinkai
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