空港の手荷物検査のゲートをくぐったら目の前をバッファローの群れが走ってるとかマジあり得ないんですけどヘアアイロン手にあと三分で一体どうしろと?

満つる

ヨシンモリ


 美千果ミチカには三分以内にやらなければならないことがあった。

 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れの向こう側で、微笑みながら優雅に手招きしている女神に、背中のリュックに入った大事な大事な2本のヘアアイロンを渡さなければならないのだ。

 でないと沖縄に、修学旅行の沖縄に、私だけが行けなくなる。


 今の今まで羽田空港第一ターミナル出発フロア保安検査場の長い長い行列に並び、辿り着いた金属探知機ゲートの前で、これでようやく飛行機に乗れると安堵のため息を漏らしていたのだった。


 それがバッファローだ。


 何で目の前を揚子江の流れのように最後尾見えないエンドレス状態で走る生き物たちがバッファローだと即座に分かったのか自分でも謎だけど、それでもやっぱりバッファローだ。間違いない。

 アレかな、毎週水曜日『いい旅〇気分』をつけながら夕食の片付けをしている母親の横で、学校の課題タブレット使ってやってたからかな? ってあの番組にそんなもの出てきてたっけ? 出ないか。なら、昔家族皆で観てた『世界の果てまで』の方かな?


 そんなことはどうでもいい。


 ゲートをくぐって、それで皆で飛行機に乗るはずだったのだ。乗った先には青い空、白い砂浜、透明な海が広がっているはずで、間違ってもバッファローと女神なんておかしな組み合わせが登場する予定などミリもなかったのだ。そんなものが出てくるとしたらアレだ、あのふざけた兄貴が始終見ているウェブサイト界隈のはずで、ってあのサイトならバッファローじゃなくてオークとかスライムとか? 


 そんなことはどうでもいい。


 あんまりにもあんまりな事態に「なんで? どうして? 教えて、〇〇えもーん!」と心の中で叫んだ。そうしたら。

 土煙を上げて走るバッファローの群れの向こう側で、やけに化粧の濃く見える女神(多分)が〇〇えもんの代わりに、

「それー。リュックの中のヘアアイロン、それこっちに持ってきてくれたら、すぐ帰してあげるからー」

 笑って言ってるのが、頭の中で直に響いて聞こえた。


 は? 何それ。


 元々このふたつは持ってるはずのないものだった。ヘアアイロンは手荷物検査で引っかかるって学校で言われてたから、旅行一週間前に送るスーツケースに入れておく予定だった。昔使ってた2wayのやつを。ストレートとカール2本持っていくのめんどいから。今、持ってるこの2本は、姪っ子に甘い38歳独身IT会社勤務の恭平おじちゃんにねだって誕プレで買ってもらったお高いやつで、壊したり盗まれたりしたくなかったから。

 それをあのバカ兄貴が「え? あれ? ごめん。オレのと間違えて持ってきちゃった笑」って、ウソつくな。絶対ワザとでしょ。兄貴のはプレートの幅細いじゃん。そもそも2wayじゃないじゃん。それもよりによって旅行で十日くらい帰らないとか、それだって絶対ウソでしょ。定職にもマトモに就かず顔と要領だけで女の間、渡り歩いてるチャラい兄貴が十日も旅行なんてするはずがない。新しい女の所に決まってる。


 文句言っても、ないものはない。JK最後の晴れ舞台、修旅にヘアアイロンなしで行くなんて、武士が刀持たずに登城するようなものだから、仕方ない、ホントは嫌なんだけど、いつも使ってる大事なヘアアイロン両方持っていくことにした。万一の時はクソ兄貴に弁償させる。一応保険に入ってるからお金出るかもって話だけど、それは兄貴には内緒。

「えー? 美千果ミチカちゃんチョー厳しー」って私の名前出して笑うなってば、新しい女が横で聞いてるって。


「はーい、新しいオンナでーす」

 バッファローの向こう側で、女神が目尻を下げていた。


 は? 何それ。

 


「金のヘアアイロンとー、銀のヘアアイロンとー、この2wayのヘアアイロンはー、あるんだけどー」

「ちょ、待って! それ、私のじゃない!?」

「んー、そう、みたい、ねー?」

「ねー? じゃない! 私の!! それを何で、女神のあなたが持ってるのよ!!」

「だってー。リョウくんが『マミちゃん一緒に使っていいよー』って持ってきたんだもん」

 ……バカ兄貴、とうとう女神にまで手を。


 そんなことはどうでもいい。


「金のヘアアイロン使わないんなら田中貴金属に持ってけば今、金めっちゃ高いから、換金してもっといいヘアアイロン買えるってば!」

「あー、でもー、こっちの金はそっちとちょっと違う不純物入ってるからー、無理かなー、換金」


 そんなことはどうでもいい。


「とにかく2wayあるんだからそれでいいじゃん。こっちの使うことないじゃん!」

「だって2way使いにくいんだもん。それにもう来ちゃったんだから、」

「そうよ、そもそもなんでこんな所に私来ちゃってるのよ、どうしてよ?」

「だって、『欲しいなー』って思ってる所に持ったままゲートくぐるんだもん」


 ……うっかりしてた。

 手荷物検査、ヘアアイロンリュックに入ってること申告してゲートくぐろうって思ってたのに、友達とおしゃべりしているうちに気が緩んで、それでそのまま。

 ゲートが光って、ブザーが鳴って、あ、と思い出した時には、


 バッファローの群れ、って、


 どうよ? どうなのよ??


「だいたい何で女神のあなたがヘアアイロンなんて要るのよ?」

「だってー、リョウくんがー、『女神だけあってマミちゃん、ヨシンモリ(※)似合いそう』って言うからー」

 アホ兄貴、余計なこと言って修学旅行に行く妹の足引っ張らないでよ!

「そんなラウンジ嬢みたいな髪、作んなくてもいいでしょ! ラウンジはラウンジでも私は今すぐ空港ラウンジに辿り着きたいの!」

「えー? ひどーい。ヨシンモリなんてそれこそJKだってやってるじゃなーい」

「……分かった。貸してあげるから、こっちに取りにきてよ!」

「ごめーん無理。だってその子たち、さっきからずっと私のこと待ってるんだもん。私がそっちに動いたら、間違いなくその子たちあなたに突っ込む」

「待ってるって?」

「え? 知らないの? バッファローの頭、私の金のヘアアイロンと銀のヘアアイロン使って毎日巻いてるんだけど。金は女の子、銀は男の子用」


 ……知るか!


「だからね、早く持ってきて? 搭乗締め切りまであと三分しかないみたいよ?」









 ※ヨシンモリ/韓国で人気のゆるめの外巻きウェーブヘア。韓国語でヨシンは「女神」、モリは「頭、髪」を指し、日本では通称「女神ヘア」として親しまれている。

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