Re.孤独を愛するあなたへ

うなぎの

第1話

実に31年ぶりに発見されたある野生動物。その遺伝子サンプルを持ち帰るのが今回の彼の仕事だった。


列島がピザみたいにバラバラに分けられて、名目では、その土地にもともと住んでいた人々の文化圏の復活を謳ったさらなる領土を求める為のチャレンジであった。


すっかり頭の禿げた年老いたインテリ風の男が、飾り気の無いノートpcのディスプレイを傾けた。テーブルに映像が反射して薄暗い部屋の角が無作為に照らし出される。


蝦夷大縞点貂えぞおおしまてんてん戦前まで本州でも飼育されていた記録もある肉食の哺乳類だ。これは、先週撮影されたその最後の一頭」


痩せて頬骨の飛び出た男は、暗闇で時々ナメクジのように光る両目を僅かも閉じる事をせず続きを待った。


「蝦夷大縞点貂は、旧日本の固有種であり、度重なる戦火と食糧不足による影響で既に絶滅したかと思われていたが自然動植物の慈善団体が長年の調査の末にようやく生き残った個体を見つけたという訳だ。彼等は終戦直後から世界中の国と地域で人間が起こした争いによって変化させられた生態系の研究をしている団体だ。映像は、その団体からリークされたものであり映像解析の結果99パーセントの確率でフェイクではない。残された戦前の研究データによると蝦夷大縞点貂は豚よりも人に近い核酸配置を持ち最新の研究によって同種の持つ抗体は人の抗Gal抗体と親和性が高く超急性拒絶反応発現のリスクが格段に低くなるという予測がされている、さらに体内の器官から分泌される特殊な休眠酵素によって・・・」


「報酬は?」


「では、引き受けてくれるのか?」


「前金で200。成功したらその倍欲しい」


「いいだろう」


年老いた男は皺の寄った目元を疑い深く歪めて、ノートpcのディスプレイを折りたたんだ。まもなくして、窓のブラインドが開いて、そこから飛び込むまばゆい秋の光が先ほどまでの怪しげなやり取りすべてを覆い隠す。


年老いた男が入り口付近に目配せして、一見不要ともみて取れるようなアクションを行った。


「来たまえ」


そう言うと、一人の男が部屋の中へと入ってきた。男は、挑戦的な目つきで未だに席についている痩せた男をゆるやかに見おろすと二人にも聞こえるように鼻を鳴らした。


「今回の兼は彼と二人であたってもらう事になる。期限は2か月。これも契約の・・・」


「必要ない」


「・・・」


「私は、これまでも一人で仕事をこなしてきたが人手不足を実感したことは一度もない。慣れないことをして、折角の仕事を台無しにしたくない」


部屋の扉は開いたままだというのに、一切の音がしない時間が続き、その間彼等はお互いにあらかじめ見ていた場所を引き続きじっと見続けた。


「いいだろう」


しばらくして、年老いた男がそう言った。








 実質的な所有国がもろもろの理由で自然消滅したことによって引き起こされるにらみ合いの渦中にあるこの地域で最も盛んな産業は林業であった。人間が消えた事によって自己修復した自然が、今ではこの地に住まうの人間たちの生活を支えている。つくづく、人間と寄生虫、その二つを区別するものがあるとすれば風呂に入るか否かだろう。全く、つまらないジョークだ。


・・・カラン。


「いらっしゃい」


地元の労働者たちが一斉に彼の方を見て、意地の悪い教師のように動きを止めた。彼は極めて居心地の悪い場所だと感じつつもその中を進み、べた付くカウンターに片ひじを付いた。今回の彼は、都会から送られて来た大学の研究者の一人なのだ。


「エールを一杯」


反射的に出た言葉と裏腹に、店主はつまらなさそうに顔の片方を器用に持ち上げた。


「生憎、冷蔵庫が壊れててね」


それは、酷くぬるいビールだった。彼はそれを一気に飲み干すと、ジョッキを置いた。


「どこか開いている部屋を借りたいんだ。2か月間で・・・ああ、前払い2000くらいでと考えているんだが」


「部屋ねぇ・・・ないことは無いと思うけどねぇ」


「もう一杯くれ」


再びぬるいビールが彼の前へと運ばれる。


「ふぅん部屋か、そうだな。おい!日吉。しってるか?」


日吉と呼ばれる男はやれやれと、それでも、自らの役割ロールを理解しているかのようにふらつきながら立ち上がった。周りから自然と田舎くさい醜悪な笑いが巻き起こる。


「あるぜ」


「ほんとうか?」


「ああ。ここだよ。こ・こ」


日吉はジョッキを持っていない方の手で自分の股間を持ち上げながらそう言った。狭い飲み屋のそれぞれの席に着いた労働者たちは再び静かな笑い声をあげた。


「そうか、わかった。・・・ぁぁ。他をあたってみることにしよう」


彼はそう宣言して、ぬるいビールを飲み干した。喉を通り過ぎていくそれを彼は妙にうまいと感じた。







「ここの連中に何か嫌がらせをされなかったかい?どうか悪く思わないでくれ、自然保護だの正しい歴史認識だの言ってることは立派だが、働いてる奴らにとっちゃぁ仕事を失うようなもんなんだよ」


何人かの人物を経由してたどり着いた佐々木というこの人物は、前方に停車した車から降りるなりそう言った。山のすそ野にあるこの小さなコテージは佐々木の話によると辛うじて空いている唯一の住居だという。


「ああ。大丈夫でした。どうもありがとう」


「ヒョッコ(蝦夷大縞点貂)の調査だって?あの辺りは、地雷や不発弾がまだ残ってるから一人じゃ危ない。一緒について行こう」


「いや、それは結構です御心配には及びません」


「そおかい、まあいいけどね。どうせ俺を頼ることになるよ。おぉーい!」


佐々木は玄関の階段を数段登り、白いペンキで塗られた古い扉を叩いた。空き家のように静まり返っていた屋内から激しい足音が聞こえて来て、その発生源はすぐに玄関の扉を開けた。


「ささ爺!」


「おおーっはっは。元気だったか?」


「うん!」


「ママから聞いてると思うが、大学の先生を連れてきた」


「わかった!任せて!」


黒々とした癖のある頭髪の女の子と、その少し奥にもう一人、気難しい顔をした男の子だった。


「じゃぁ、俺はもう帰るから」


「うん!」


とくに別れを惜しむことなく、佐々木は心なしか軽い足取りでその場を後にした。帰り際に車の窓から何かあったらまた連絡をくれとだけ言い残して。


「こっち!ママから聞いてる。あなた大学の先生なんでしょ?私野リス。そっちは電車!」


野リスは彼の手をぐいぐいと過剰に引いて、後から電車が黙ってついて来た。彼は二人の歩調に合わせて足早に廊下を通り抜けたが、入り口のすぐ隣の部屋の僅かに空いた扉の向こう側でベッドに横になっている人影が見えていた。




「パパの部屋。しばらく使ってていいって」

「わかった」

「ほかに必要なものは?」

「なにもない。ありがとう」

「ゆっくりしてって」


…ばたん。


彼はそれから、持ってきていた荷物をほどいて、ライフルを組み立てて引き金を一度引いた。すると撃鉄が一度だけカチリと音を立てる。異常は無い。

次に地形データと今回の目標である生物の生態を照らし合わせて、最も生息していそうな地域に目星をつける。現場で必要なものはこのライフルを除いて全て車に積んであった。おおよそのスケジュールが組みあがると彼はノートpcを開いて簡単な報告書を作成し、それを電波に乗せた。


そして彼は、いつものように風呂に向かった。


しかし、やはりというべきか、風呂は酷く汚れて使い物にならない状態だった。屋内に立ち込める酷い臭いは入居者から発生しているものだったのだ。


二人の子供は小さなリビングで絵を描いて遊んでいた。


「親はどこにいる?」


彼の言葉を聞くと野リスは気まずそうな顔をした。電車はクレヨンを握りなおしたかのように見えたが結局は黙ったままだった。


「パパは山に調査に行ってるところ、ママは・・・ああ、こっち!」


野リスに連れられてやってきたのは先ほどの扉である。

少し開いている扉を小さな手が押すと、天井から吊るされたガラス玉が楽器のように鳴る。誰かの喉が笛のように鳴っているのが部屋のどこかから聞こえた。ベットの人影にこれと言った変化は一切なかった。




 次の日、獲物の生息地へと向かう途中だった彼は、人間の集落から2時間ほど車を走らせた場所で運転席から降りて、道を塞ぐ巨大な重機を横目で見て、責任者らしき人物に声をかけた。


「すまない。道を少し開けて欲しいんだ」


彼の要求に返事は無かった。彼は佐々木の言っていた言葉の意味を即座に理解した。





「ヒッピーの連中が座り込みをして2週間作業が遅れたことがあったんだ。季節が変わって、雪が解けて、その時何人も仕事を失った。それからあんな調子だよ。この沢を下ると沼地に出るんだが・・・」


「佐々木さん。ここまでで結構だ」


「結構?何がだ?俺も同行する。よそ者に好き勝手させないのも俺の役目だからな」


「あなたの言った通りにしますから。金属性の罠は使いません決して。それに、あなたのペースでは・・・」


佐々木は、早くもぜえぜえと喉を鳴らして息をしていた。お目付け役が目障りなだけでなく、単純にこの年おいた白髪の老人の存在は足手まといだった。

佐々木は彼の遠慮がちな視線と都会からやってきた色白の痩せこけた中年の健脚さをようやく受け入れて自分の足元を見た。するとやはりそれは頼りないものに見えたのかもしれない。


「そうか、わかった。戻ったら俺に一報入れてくれよ」

「わかりました」





餌となる草食動物、水場、身を隠せる住処、糞、全てが重要な痕跡になる。彼は当初の予定通り、半径7キロほどの範囲を中心に鉄の罠を仕掛け、獲物が住み着きそうな場所の付近には解体したばかりの鹿と動体検知式の録画装置をいくつか仕掛けて回った。

キャンプを転々としながら2週間ほど仕掛けた罠を周り、見つけたのは2頭のアナグマだけだった。しかし彼は、いつもと全く変わらない様子で最後の録画装置が仕掛けてある場所へと向かいそれを回収した。この期に及んで状況に変化が訪れる、録画装置のバッテリーとメモリーカードが抜き取られていたのだ。さらに、車に戻ると窓ガラスが割られ車内は泥だらけになっていた。






 コテージに戻ると、彼は足早に風呂場に向かい取り憑かれたようにバスタブに媚びり付いた黒い錆びを削り落とした。それが終わると今度は裏のガレージへと向かい古い発電機の始動紐を何度か引いた。エンジンがかかる気配はまるでない。何度も何度も引くうちにいつの間にか二人の子供たちが外で遊び始め、先に野リスがそれに飽きて家の中へと戻っていった。

そうして日が暮れる頃、エンジンは未だにかからなかった。飽きもしない彼を憐れんだのか、電車がゆっくりと彼へと近づいて、エンジンの排気塔に片手を乗せた。

二人は、無言のまま目線を交し、まもなく始動紐が引かれた。


連続する爆発と共にガレージの電灯がオレンジ色に発光する。彼は思わず微笑んで、それを見た電車も微かにほほ笑んだように見えた。



彼は、バスタブいっぱいに溜めたお湯にベッドでから運び出した母親を静かに沈めて、捌いた動物を川で洗う時のように丁寧に石鹸でこすった。母親は終始意識混濁の中にあったが、元のベッドに戻された時は見違えるように人間らしさを取り戻していた。

彼はお湯を張り直して次は自分がそれに浸かり大きく息を吐いた。すると。笑い声と共に二人の子供たちがやってきて彼が何かを言うよりも早く湯船へと侵入を果たした。湯気が立ち上り、言葉を失っていた彼が漸く声をあげた。


「・・・なにをしている?」


「お湯。パパが無駄にするなっていつも言ってるから」


野リスはそう言って、頭で石鹸を泡立てた。電車は、どこかにしまっておいたと思われるおもちゃを沈めて遊んだ。彼は言葉を失い膝を抱えるような窮屈な姿勢を取った。


風呂から上がると3人は小さなテーブルを囲んで半分腐った鶏肉を食べた。


「お母さんは病気なのか?」


間髪入れずに野リスが答える。


「そう。うつ病なの」


恐らく、この場に居ない父親の存在に起因する物だろうと思ったが彼は黙っていた。


「あなた大学の先生ならママの事を直せる?」


「わからない。見て見よう」


「うん」


何度か部屋を見渡した時におおよその見当はついていた。素人でもわかる事だ。精神安定剤の過剰摂取である。それも、数種類の薬品を同時に服用しているようだ。更に。


「この薬は?」


アンフェタミンだ。


「ささ爺が持ってきてくれたの。全部」


「そうか、お母さんにこの薬は必要ない。この薬もだ」





その晩、彼の部屋を電車が尋ねて来た。

その時も電車は普段の調子で幼い表情に老人のような悲哀を滲ませていた。


「どうした?」


彼がそう尋ねて、電車は頼りなく鼻で一つ息をした。それから後ろに回した手の中で紙の擦れる音がした。それだけであった。彼は作成途中だった報告書の続きを書いた。成果は無し。次は東北東の沼地エリアの調査を行う予定である。と。そうして、丁度送信ボタンを押すころに部屋の扉がそっと閉まった。




次の日、目覚めた彼が小さなリビングへと向かうと昨日まで散らかり放題だったテーブルの上が整頓されていた。彼の存在に気が付いたのか、一足先に起きていた母親は、わざとらしく食器を鳴らして清潔な布巾で両手を拭いた。


「子供たちをお風呂に入れてくれてありがとう。さあ座って」


彼はその言葉に従った。テーブルの別の場所では野リスと電車が黙々と皿の料理を口に運んでいた。母親が同じものを持って来る


「ほら、より子。肘をつかないの。」


「違うよママ、私は野リス!それに、電車」


彼の前に料理が置かれた。分厚く膨らんだパンケーキと、なみなみ注がれたコーヒーだ。彼は遠慮なくそれらを食べた。途中、余程うまそうに食べているように見えたのか野リスは彼の様子を横目で見てにやにやと笑った。


「2週間調査に行く。部屋には入らないでくれ」


「まって」


「なんだ」


「その・・・聞きたいことがあるなら、遠慮しないで聞いてほしいの」


「何もない」


「そう。もし、保護エリアで彼を見つけたら早く帰るようにいってもらえる?スカイブルーの耳当てをしているからすぐにわかると思うの」


「わかった」





以前のエリアから新たなエリアへの移行は残しておいた罠を仕掛けなおしながら行われた。その際、鉄製の罠のいくつかが何者かの手によって破壊され、近くの木に吊るされてるのを発見した。予定していた2週間彼はエリア内を歩き回り手掛かりを探したが、発見した懸念事項はただそれのみであった。


沼地ではないのか。


期限はまだ半分残っている、しかし、遠くに見える山の頂にはうっすらと雪が積もる日も見られるようになった。獲物が冬眠の為に洞穴に潜り込んでしまえば見つけるのはより困難になるだろう。彼はひざを抱えて湯につかりながらより気の利いた狩猟プランを思案した。


風呂から上がると一足先に脱衣所から飛び出した子供たちの声が屋外から聞こえ。小さなリビングでは痛みの少ない衣服を着た母親の姿があった。


「友達を呼んだの。あの人の友達。あなたの事、都会から来てる大学の先生だって話したらぜひ会って話したいって。大丈夫みんなとてもいい人たちよ」


庭で小さな花火が上がり子供たちが笑った。そして、緑色の火花が炸裂した。






「俺たちの活動を浅はかだとか、矛盾してるとか、目立ちたいだけだとかいう奴らがいる。逆に環境を破壊しているとも!確かにその意見は正しいかもしれない。けど、それだけが全てじゃない!」


酔いが回り饒舌なった青年は、熱のこもった語気でそう言った。

その場に集まる誰もが彼よりも若く、世間知らずで、がむしゃらに善良であった。


「物事はそんなに単純じゃないんだ!どこかで雨が降ればどこかで干ばつが起きて、どこかで地震が来ればどこかで火山が噴火する。そのつまり、世界は混沌としていて、でもバネが元に戻ろうとするみたいに自分でバランスを保とうとするんだ!最も最良の状態の!」


「ガイア理論ね?」


ギターを鳴らす若者の隣に座っていた女がそう言うと、熱弁をふるっていた若者はビールの缶を持った方の人差し指を彼女へ向けた。


「そう!つまり、俺たちがこうやって自然を守ろうとするのも世界がそれを望んでいるからなんだよ!ごくごく当然の事なんだ!誰だっていいんだただ偶然俺達だったってだけ!だってよ考えてもみろよ!今日・・・」

「自然に乾杯完敗!!!」

「・・・ッ!」


『自然にかんぱい!』


つい昨日まで鉄の罠を仕掛け鹿を撃ち殺して食いつないでいた彼はぼんやりと窮屈さを感じながら若者たちに調子を合わせた。


若者の一人がビールを一口飲んで、再び熱弁をふるおうとした時だった。何台もの車が激しく坂道を登ってきた。この地で林業を生業にする者らだ。


それから間もなくして一発目の銃声が聞こえた。悲鳴と、嘲笑の中、若者たちのパーティーは自然に解体された。





成果無し。沼地の捜索を打ち切り南部の森林へと移行する。現場にて部外者の関与有り何者かは不明、こちらは契約通りに行動する。






ノートpcの画面を閉じるのと同時に、部屋の扉を誰かが開ける。


「どうした?」


電車だ。


血の滲んだ額の絆創膏が少年のこの日の悲哀を一回り大きいものにしていた。

電車は、黙ったまま部屋のある場所をじっと見つめていた。彼もそちらを見た。そこには保護エリア全体の地図が貼られていた。彼は訝し気に視線を戻す。


「わかるのか?」


すると電車は、今まで調査した箇所よりもずっと人の土地に近い地図上のメサを指さした。







まさか、まさかな。


しかし、居た。


空中から散布された薬品の影響でこの辺りではネズミのような小動物が激減した。それに伴い、蛇や中型の鳥類までもが減り、結果として、肉食性から雑食性へ転化したしたことが要因と思われる。痩せ細った貂は物陰に隠れもせず岩の隙間に頭を突っ込んで干からびた草の根を食べていた。次に彼は、獲物の行動パターンを調べる事にする。食料、住処、仲間の有無、その全てを特定するのには一日もかからなかった。結局、発見できた個体はその一頭のみであった。





彼は予定よりも早く戻り報告書を作成した。





次の日、仕掛けた罠の回収をしていた彼の背中に銃口が押し当てられた。


「まったく気が付かなかった。見事なトラッキングだ」


「そうだろう。おい!振り向くな!銃をよこせ!」


彼が言われるままライフルを置くと、その男は彼の手をきつく縛り上げた。


「正直に言う。俺は大学の研究者じゃないんだ」


「黙れ。歩くんだ」


彼は要求に応えて、歩いた。

二人はやがて、沼地の中ほどの朽ちた倒木へとたどり着く。


「そこに跪け、向こうを向いたままだ。質問に答えろ」


「わかった」


言われた通りにすると、倒木の影に白骨化した人の骨が転がっているのが見えた。頭部には一発の弾痕があって、近くには色褪せたスカイブルーの耳当てもあった。


「奴はどこにいる?」


「奴?」


「とぼけるな!そいつみたいになりたいのか?」


「わかった。案内しよう」


彼は立ち上がって、わざとメサと逆方向へ足を向けた。


「おい。そっちじゃ、ないだろ?俺が言ってるのはだ」


「・・・」


残しておいた鉄の罠、地雷、彼はその上をわざと通過するルートを選んだ。しかし、後ろの男は難なく彼に付いてきた。


「もう少しだ。命だけは助けてくれ」


「いいだろう、だが妙な真似はするな。お前をずっと監視していた。それにここじゃお前より長い」


「そうか」


「ああ。そうさ・・・ッ!ガッ!あ゛あ゛っ!」


藪に突き進む時に無意識に出る右手や右足、明るい場所から暗がりへ移る際の微かな視界不良、無意識のうちに獲物がすり替わる瞬間、狩る側が狩られる側へと吹き荒れる山の風向きの如く入れ替わる。


銃声が一度鳴って、彼はすかさず踵を返し銃身を思い切り踏みつけた。

男も即座に反応し山刀を抜いたが、その瞬間強烈な体当たりをもろに食らい山肌をゴロゴロと転がった。不運にもその時の衝撃で腕が逆さに折れていた。その男は初めペアを組む予定になっていた人物であった。


「木の枝を利用した人間用の罠だ。抜け出してもお前は破傷風で死ぬ」


「くそ!くそ!」


男の脚に深々と食い込んでいた枝の一本には親切な事にナイフが仕込まれていた。彼はそれで両手の紐を切り、男の元へ向かった。簡単なやり取りの後、一発の銃声が鳴り響いた。




 

彼は、男の持ち物を検めた。その結果によっては、もう2度と同じクライアントからの依頼は受けないつもりだった。しかしながら、彼はすぐに自分の甘い考えを後悔する事となる。

男の持ち物の中から、部屋のゴミ箱に捨てた報告書作成用のメモ書きが発見されたのだ。メモの裏には、クレヨンで子供の落書きがびっしりと書かれていた。





彼は大急ぎであの一家の住むコテージへと向かった。

すると、コテージは黒焦げになって一部を除きすっかりなくなっていた。

足元に転がる半分溶けたおもちゃは電車の物だ。彼はすぐに佐々木の元へと車を走らせた。





「ッ!!俺じゃない!それに俺はもう歳だ!面倒なんて見れないよ!」


彼の顔を見るなり、バルコニーの揺り椅子の上で揺れていた佐々木は泣きそうな顔でそう言った。彼は佐々木の胸ぐらをつかんで問い詰めた。


「どこにいる?」


佐々木はぼそぼそとその質問に答えた。彼は振り返り歩き出した。


「元々、あんたらが来なければこんなことにはならなかったんだよ・・・」


彼は、車のアクセルペダルを思い切り踏んで佐々木の存在をかき消した。






メサに湿った雪が降り始めていた。彼はいつもと異なりまるで素人のようにその中を真っ直ぐに突き進んだ。内に秘めた思惑に反して、痩せた獣は先日と大して変わらない場所で実につまらなそうに岩の隙間に顔を突っ込み枯れた植物を齧っていた。景色が完全に変わる頃、獣は顔を上げて、時々彼を見た。それはまるで、用事があるならとっとと済ましてくれと言っているかのようであった。


彼は無意識のうちに目立ちすぎる呼吸を止めて引き金を一度引いた。





とある孤児院にたどり着いた彼は、車を正面の門の目の前に止めてしまった事に今更ながら気が付いて、駐車場を示す立て看板を捜した。しかし、彼の両脚は知らないうちにアスファルトを踏みつけていた。


あらかじめ連絡しておいたからか門は施錠されていない。一人分の隙間を作って彼はそこから侵入した。


職員から話を聞き、彼は施設中央の運動場へ通される。はしゃぐ子供たちは皆孤児だ。ボールが飛び交い、常にブランコは揺れていた。人形遊びをする女の子がいてそこから離れた日の当たらない木の影に探していた人物がいた。


電車だ。


彼は無意識に足音を消していた。だというのに、電車は彼の存在に気が付いて、思わず半歩踏み出した。そして、元に戻った。


彼はさらに歩み寄った。右手は所在なく汗ばんでいた。電車はその間ずっと下を向いたままだった。


立っているのがいよいよ辛くなり、彼は片膝をついて電車と目線を近づけた。怯えた獣のように押し殺した呼吸が聞こえて、彼はようやく自分がするべきことを思い出した。


彼はポケットから、半分溶けたおもちゃを取り出して電車に見せた。電車はそれを一瞬見てから、無言のままゆっくりと弱々しく彼へと抱き付いた。彼は電車の冷えた体をそっと抱きしめた。


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