あの夜空の下で君を待つ。

天川希望

あの夜空の下で君を待つ。

星の降る夏の夜、高二の俺は初めて家出をした。


 その日はやけに空が綺麗だったので、星の見える山の方まで自転車を漕いで向かった。


「すげー」


 頂上まで歩いて登ると、目に入ってきたのは幾筋もの光の線が描かれる澄み渡るような漆黒の空だった。


 夏休みも中盤に差し掛かった八月の半ば、昼間の暑さが少し収まり、時折吹く風が心地よかった。


 ただ、ぼんやりと眺めていた。

 特段何かをするわけでもなく、ただ、地面に座り、輝く星を眺めていた。


 どれぐらいの時間そうしていたのだろうか。


 俺は隣に人影を感じて、ハッと我に返った。


「綺麗だよね。流星群」


 その人影は、俺の隣に腰を下ろすと、そう話しかけてきた。


 恐る恐る振り向くと、そこには一人の少女がいた。


 夜空のような黒く長い髪の、顔立ちの整った少女だった。


 年は、俺と同じか少し上か、といった感じだが、どこか大人びて感じられた。


「星、好きなの?」


 俺が黙って見つめていると、彼女はそう続けた。


「別に、好きって程じゃない、です」

「じゃぁ、どうしてここに?」

「家出して、何となく」

「家出少年かー」


 そう言って、彼女はクスクスと笑う。


 実際、俺もくだらない事をしている自覚はある。


 勉強のことで、親と揉めて、逃げるように家を飛び出して、こんなところでボーっとしているのだから。


 ひとしきり笑い終えた彼女は、どうして家出したのかと聞いてきたので、俺は素直に答えた。


「そっか、勉強のことで喧嘩したのか」

「笑いたかったら笑ってください」

「あはは。実は、私も同じような感じなの」

「え?」


 彼女の話は簡潔に言うとこんな感じだった。


 昔から彼女は両親とはよく意見が食い違い、言い争いになる事が多かったらしい。

 そんな時、毎回ここに来ては、満天の星空を見て、気を紛らわせているらしい。


 今回も、進学先について揉めて、家を飛び出してきたと言う。

 ちなみに年は俺より一つ上の高三だった。


「私、夢があるの」

「夢、ですか?」

「そう。私、学校の先生になって、いろんな子どもと触れ合って、そして私が憧れた先生のように、私も子ども達の憧れになるような、そんな先生に成ること」


 そう語った彼女は、今日あって一番の眩しい顔で、生き生きとしていた。


「いい夢じゃないですか」

「そう……かな?」

「はい」


 俺は自信をもって肯定した。


 成りたいものもない、したいこともない、そんな、夢も希望もないような、くだらない人生を送っている俺なんかから見たら、眩しすぎる程立派な夢だった。


「成れるかな、私。皆が憧れる先生に」

「成れると思いますよ」


 だから、そんな立派な彼女に、不安そうな表情をさせては、いけないような気がした。


「さっき会ったばかりのガキにそんなこと言われてもって感じですけど、それでも、俺は成れると思いますよ、あなたなら。立派な先生に」

「本当?」

「はい。根拠は、ありませんけど」

「なにそれ」


 俺の話を聞いて、彼女はおかしそうに笑った。


 そして、俯きかけていた顔を上げて、少し話をしてくれた。


「私ね、親には医者になれって言われてるの」

「医者ですか」

「そう。私のお父さんが医者なの。だから、医者になれって」


 なんとも古い考え方だとは思うが、そういう家庭が実際にあるとは聞いたことはあった。


 確かに、それは喧嘩になってしまうのも無理はないとは思う。


「それは、なんと言うか……」

「うん、そうだよね。でも、ありがとう」

「え?」


 彼女はそう言うと、そっと立ち上がって、俺の方に振り返った。

 そして、笑顔を向けてきた。


「私、もう少し頑張ってみようと思うの」


 そう言った彼女の表情は、明らかに先ほどまでの暗さがなくなっていた。


「ありがとう。君と話したら、何だか少し気が楽になった」

「そっか」


 彼女はそれだけ言うと、空を指さした。


「ねぇ、二年後、もう一度この場所で会わない?」

「二年後?」

「そう。二年後のペルセウス座流星群の極大を迎える日に、もう一度ここで会って、お互いの進捗を言い合いましょう?」


 俺は彼女の指を追いかけ、夜空を見上げた。


 そこには、まるで夢のような光景が広がっていた。


 無数の星が夜空を駆け巡り、暗いはずの空が、少し眩しく光っていた。


「二年後ですか……いいですよ」

「ほんと?」

「はい。必ず来ます」


 俺がそう返事をすると、彼女は今日一番の笑顔を俺に向けた。


「ありがとう!」


 多分、あの時からだろう。

 彼女に、恋をしたのは。




 あれから二年が経った。


 俺は彼女のおかげで、人生を変えることができた。


 彼女の目指す先生に、俺もなりたくて、勉強して、大学に入学した。


 彼女のその後は知らない。

 先生を目指したのか、それとも医者を目指したのか、俺には分からない。


 ただ、一つだけ確かなことは、俺は未だに彼女に惚れていると言うことだ。


 たった一度出会っただけの、名前も学校も連絡先も知らない彼女に、俺は恋をしているのだ。

 考えてもみたら単純な男だ。


「来るかな?」


 俺は約束の場所を目指し、山を一歩一歩登っていた。


 一つの決意を胸に。


 今日、俺は彼女に告白をする。


 彼女は約束なんて覚えていないかもしれない。

 それでも、もし、今日あの場所に彼女が来たら、俺は告白をするのだ。


 長かった。二年間だ。


「「あっ」」


 山の頂上まで来ると、そこには一人の女性が立っていた。


 夏の夜風に吹かれてたなびく黒髪は、あの日より少しだけ短くなっていた。


 そう、間違いなく、あの日出会った彼女が、そこにはいた。


「来て、くれたんだね」

「うん。まぁね」


 俺はそう返事をすると、彼女の元へと向かった。


「久しぶり、覚えていてくれたのね」

「勿論、忘れる日はなかったよ」

「私、先生に成る道を選んだよ」

「そっか。良かった」

「うん。君が勇気をくれたから、私頑張れたよ。だから……」


 そう言った彼女は、さらに何かを言おうとするが、俺はそれを遮った。


「俺も。俺もあなたのおかげで、夢を見つけられた。俺も先生に成ることにしたんだ」

「そ、そうなんだ」


 俺がそう言うと、彼女は少しだけ恥ずかしそうに指で髪を弄った。


「それで、さ。俺、あなたに会ったら伝えたかったことがあるんだ」

「え。それって……」


 断られたらどうしようとか、そう言う不安はたくさんあった。

 それでも、今、伝えないと後悔することは分っていた。


 だから、俺は、ありったけの空気を胸に入れ、そっとそれらを吐きだして、口を開いた。


「あなたの事が、あの日から好きでした。俺と付き合ってください!」


 夏の静かな夜空に響いたその声は、間違いなく彼女に届いたであろう。


 ゆっくりと彼女の方に目をやると、彼女はあの日、俺が恋した笑顔で、返事をした。


「はい、喜んで!」


 その返事を聞くと、どちらからともなく、俺たちは抱き合った。


 そして俺たちはお互いに見つめ合うと、そっとキスをした。


 二年という長い期間を埋めるように、その一瞬の時間をかみしめるように。


 空には、あの日と同じように、流星群が輝いていた。

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