首都で待つもの(3)
あの悪夢の命名の儀から、もう10年以上の時が過ぎ、以来、レイラは王族とは縁を切っていた。
別に喧嘩別れをしたわけではないのに、エーデム王セリスとはもちろん、王妃エレナとも連絡を取り合うことがなかった。
全てを無かったことにして、触れないようにする……その約束が、お互いを近寄らせなかったのだ。ただ、レイラは父から情報を得ていたし、セリスやエレナも、レイラの情報を同じように得ていただろう、そして、ますます、その平安を崩さないよう、お互いを遠ざけてきたのだ。
毎日、夕暮れに厳かに鐘が鳴る。
死者の黄泉送りが済むまでは、イズーではそういうしきたりだ。もう1週間も、この時間に鳴り続けていることになる。
黄泉送りの間に入るのは、あのセルディーンの異例づくしの葬儀以来だ。
その日と同じように、レイラは内部屋の入り口でセリスと挨拶を交わした。あの時と違うのは、他に誰もいない、ということだ。弔問客が並んでガヤガヤとうるさく、胸が悪くなりそうな圧迫した当時の空気は、ここにはない。
そして、王妹のフロルもいない。事あるごとにセリスと対立してしまう妹は、どうやらこの場所を遠慮したらしい。彼女が気を使うほど、セリスとエレナにとって、今の現状は不幸そのものだ。
セリスが視線を向けた内部屋の奥に、座り込んで死者の手を握っている王妃エレナの姿があった。息子が亡くなって以来、鐘が鳴り響くたびにここへ来ては、死者に語りかけているのだという。
王族は長命で庶民よりも歳を取らないと言われているが、さすがにセリスも十年前と同じではなく、やや顔に疲れの色が出ていた。ましてや庶民出身のエレナに至っては、同年代の女性よりもやや老けたように見える。
無理もない、子供三人、これで皆失われてしまったのだから。
「ラベルに会ってほしい、最後のお別れを……」
セリスの言葉に促され、捧げる花の代わりにセラファンの手を硬く握って、レイラは内部屋へと歩を進めた。
そういえば……。
ラベルは、天井に開けられた空気穴から葬儀を見ていた、と言っていた。
今は、あの時に感じた殺気ある視線も感じられない。
王族と袂を分つ前、セリスは「まだ王子は失われてはいない」と希望を語ったが、その希望はむしろ残酷だっただろう。エレナの十年はただ辛いだけだっただろう。
しかし、エレナはレイラを見るとやつれた顔に微笑を浮かべ、軽く頷いて場所を開けた。偽りとはいえ、一度は夫婦を名乗った、家族であったのだ。
エーデム王子ラベルの死が、過去の行いを清算し、真の終わりとなるのだろうか?
レイラは、横たわる死者に目を落とし、ふと違和感を持った。
ラベルは、もう五年も前に医師に見捨てられ、死者だと言われていた。だから、レイラはすっかり乾涸びてしまった死骸を想像していたのだ。
だが、そこに横たわっていたラベルは、レイラが必死に介護していた時とあまり変わらない、むしろ、若返っているようにすら見えた。
もちろん、レイラと結婚していた当時ですら、ラベルは死者のようだった。長い時間が、レイラの記憶を改竄し、死者のような印象を際立たせていたのだろうか。きっとそうに違いない。
レイラが覚えているラベル。
可愛らしい聞き分けの良い子供の頃はその後の介護の日々に上書きされて、年齢に相応しくない乾涸びた半分死人のような姿だった。
その日々は、決して不幸なものでは無かったが、今となっては、思い出したくもない悪夢へと変わった。
今、彼に抱く感情といえば、息子を返せ! という気持ちと憎しみだけで、愛のかけらすらない、ただ、死んでしまったという事実は、ここへきた理由を一瞬忘れさせるものだった。レイラの中に、ラベルに対し、愛にも似た哀れみの気持ちが生まれていた。
これで全ては終わった。
悪夢は黄泉の国へと旅立った。
生きているうちは、幸に遠い王子だった、せめて、死後は安らかに……。
と、ラベルの手に触れた時だった。
バタン! と背後で音がした。
え? 何? と、振り返ったレイラの目に映ったのは、その場で倒れている息子セラファンの姿だった。
慌てて子供を抱き抱えようとしたその時、触れた手を握り返されるような感覚が走り、背筋に冷たいものが走った。
恐る恐る振り返ると、死者であるはずのラベルの目が空いている。そしてこちらをじっと見つめていた。
深い緑のエーデム王族らしい澄んだ瞳で。
ラベルのうっすら開いた口元が、やや微笑んだようにも見えて、レイラは悲鳴を上げた。
やっと……捕まえた。
ラベルの口元がそう言ったように見えた。
レイラは必死にもがいて、ラベルの手を振り払おうとした。だが、その骨のような細い指は、レイラの腕にしっかりと刺さり込み、なかなか抜けなかった。何度も何度も腕を振って、やっとの思いで振り切った。勢い余って腰砕けになり、悲鳴を聞いて駆け寄ったセリスに助け起こされた。
そして、倒れてしまった息子を、レイラよりも先にエレナが介抱しているのを見て、安心して気を失ってしまった。
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