瑠璃門からの流れ(2)

 白い回廊だ。

 どこまでいっても白い。

 果てがないのかとすら思う。

 窓一つないのに、なぜか、明るく、まるで壁自体が発光しているかのようだ。

 セラファンは、目が痛くなってきて、手で目を押さえて小さくため息をついた。そして、再び目を開けると……。

 あたりは一変していた。

 今度は、岩壁だ。どこまでいっても岩の壁。まるで自然の洞窟のようだ。

 白い壁はどこにもなく、岩場を誰がつけたのか、灯籠がところどころに置いてあり、岩肌を浮き上がらせている。

 風が入ってきて、時折自分の影が揺れる。灯火は弱く、やはり揺れているからだ。

 大きくなったり、小さくなったりする自分の影に時々怯えながらも、セラファンは前に進み続けた。


 これがエーデムリングの迷宮。

 選ばざれる者を惑わせるという。

 しかし、ここで迷っているわけにはいかない。

 なんとしてでも金剛門にたどり着き、己のエーデム王族の血を証明しなければならない。たとえ、命をかけてでも。


 そう思った瞬間、急に足元がなくなった。

 穴に気がつかなかったのだ。体は一瞬宙に浮き、次に岩壁にぶつかった。それでも、落下を抑えることはできない。どこまでも果てしなく落ちていった。

 そして、意識が朦朧としそうになった時、冷たい水の中へと投げ込まれた。

 息ができない。衝撃で体がバラバラになり、心臓が止まった。目の前が真っ暗になり、やがて、今度は白い世界。

 水面を通して青い空が見えた……と思ったら、また、空中へと放り出された。

 ザーッと激しい水音と共に。


「セラファン!」


 やっと目が覚めた。

 母の激しく揺すぶる腕と声のおかげで。

 止まってしまったと思った心臓は、ドクンドクンと信じられないほどの速さで打ち、肺は貪欲に空気を欲し、陸に放り出された魚のように、パクパクと口を動かして、呼吸した。

 まだ暗い。でも、目の前に蝋燭の光に照らされた母の顔があった。


 夢だったのだ。

 また、夢だった。

 昨日も今日も夢だった。


 でも、いつも同じ夢なのに、見ている間は夢とは思えず、毎回現実だと思ってしまう。夢なら覚めてくれと思うのだが、いくら願っても覚めないのだ。

 眠っている時はもちろん、起きている時ですら、夢は襲ってくる。

 そして、現実に戻っても、本当に夢だったのか? と疑ってしまう。

 母のレイラは、心配していつも「どうしたの? 怖い夢を見たの?」と聞いてきて、抱きしめてくれるのだが、セラファンは「なんともないよ」と言うしかなかった。当初は怖い夢を語ってもいたが、自分でもだんだん矛盾を感じて。


 だが、その日の母は少しいつもと違った。

「セラファン、あなたが見た夢を私も感じたわ。起きて! それは夢であった現実ではないし、夢の中の人はあなたではない。これからそれを確かめに行くのよ」

 母は手際よく服を出してきた。着替えが終わるか終わらないかのうちに、カーテンを開いた。

 ちょうど空が明るくなってきたところだった。



 晴れ渡った朝だった。

 空気は冷たく、時々、強く風が吹いた。

 親子は瑠璃門の見えるベンチに座り、朝焼けに染まるガラルの山の岩肌を見つめていた。

 もうすでに温かな季節ではあるが、朝は冷え込む。レイラはしっかりと息子の手を握り締め、フードが飛ばされないよう、もう片方の手で押さえていた。それでも、ベンチからジンジンと冷えが来る。

 二人の銀髪が風に揺れた。

「セラファン、あなたは夢を見ていたのよね? で、現実と夢が時々ごちゃ混ぜになってしまうのよね? それでいつも不安になるのでしょう?」

 レイラの手に力が入った。

「でも、これこそが現実。誰も、瑠璃門から流れ落ちてなんか来ない!」


 ドーッと水が流れ落ちた。


 瑠璃門がエーデムリングの遺跡に溜まった雪解け水を吐き出したのだ。

 セラファンは、思わずレイラに抱きついた。そこから流れ落ちるのは、自分だった。が、清らかな水が轟音を立てて落ちてくるだけだった。


「あなたは、ラベルの悪夢を見せられているのよ」

 レイラは、あえて敬称をつけずに、自分のかつての夫を呼び捨てた。

「親の過ちを子が補う必要はないわ。それを恨みがましくネチネチと……あの人が不幸で可哀想なのはわかるし、同情もする。でも、あなたの心を支配しようとするのは許せない!」

 水の勢いは弱まり、やがてゆっくりと瑠璃門が閉じる。

 青く美しい門が、無機質な色の岩肌に浮かび上がった。

「セラファン、あなたはあなたなのよ! あなたらしく生きること、考えること、思うこと、感じること、話すこと……全部、当たり前のことなの。ラベルなんかに操られる必要はない!」

 そういうと、レイラは立ち上がった。

 セラファンは、母の言葉の意味が、まだはっきりと理解することができず、オドオドと立ち上がった。

「私たちは、これからイズーに行く! そして……ラベルを張り倒してやる! 王族のしがらみから、私たちは解放されるのよ!」

 力強い母の言葉に、セラファンは頷いた。

 だが、ラベルという名の人を知らなければ、今、自分の身に起きている不思議な出来事が、その人のせいだという母の言葉もよくわからなかった。

 夢の中のことは、確かに、自分の現実にはそぐわない出来事かも知れない。が、夢の中で感じることは、確かに、自分の内なる声だと思えてくるのだ。


 僕は僕、僕らしく生きること。


 夢の中で悩み苦しんでいること、この苦しみは僕のものじゃない?

 セラファンには、そうは思えなかった。

 だが、その苦しみの根源を知ることが、今は何よりも大切なのだ、とは思った。


 こうして慌ただしくも、レイラ親子はガラルを後にし、鈍竜に揺られてイズーを目指した。

 ひとまず実家に戻るので、引っ越し荷物はほとんどない。

 でも、レイラはメルロイの置いていったリュタンだけはしっかりと持ってきた。

 それは、我々は王族ではなく、自由な歌うたいの家族であり、血や宿命に縛られない、という意思表示でもあった。






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