三章 抗うために

瑠璃門からの流れ

瑠璃門からの流れ(1)

 我が妻よ。

 私は迷宮に迷い、ついには死に至り、瑠璃門から流れ落ちよう。

 ガラルのあなたに会うために。



 レイラは、ふらふらと川沿いの道を歩いた。

 川のせせらぎが聞こえ、深い森があり、時々開けてはガラルの山肌を望むことができる。ガラルの山は万年雪をたたえ、銀色に輝き、いかにもエーデム族の神聖なエーデムリングがあるにふさわしい。

 ベンチが置いてある。

 そこに座ると、ちょうど崖にあるエーデムリングの瑠璃門が見えるのだ。

 古の時代は確かにエーデムリングの遺跡の門であっただろう瑠璃門は、今や、単なる排水のための門となっていた。

 エーデムリングにある地底湖の水が、ガラルの雪解け水で満水となると、水圧で門が開き、滝のように流れ出る。そして、水が減ると再び閉まるのだ。


 エーデムリングは迷宮で、選ばれた者しか入れない。

 万が一、入れたとしても、選ばれざる者は迷ってしまう。

 そこには不思議な時間も流れていて、イズーにある黒曜門、ガラルにある白亜門と瑠璃門、そして、ラガダ族の聖地にある水晶門のいずれからいずれに出るにしても、ほぼ時間はかからない。むしろ、遡りさえしなければ、好きな時間に出ることができるのだ。

 セルディーンの葬儀の時、レイラがガラルに到着する時間に合わせて、セリスが会いに来たのも、彼がエーデムリングを通り抜けてきたからである。

 誰もが通り抜けられるわけではないが、イズーにある黒曜門だけはかなり寛容で、王族であれば通れる者もいる。

 レイラも、かつてその門をくぐったことがあるが、エーデムリングに選ばれた者ではなかったので迷い、セリスに助けられた過去を持つ。


 つまり……。

 王族であるラベルなら、エーデムリングに選ばれし者でなくても、黒曜門を通り抜けることが可能かも知れない。


 かつて、ファセラはエーデムリングの中央にある金剛門に至ろうとして、ガラルにある白亜門を越え、結局、迷宮に迷い、地底湖に落ちて命を落とし、瑠璃門から水と共に流れ落ちた。

 あの日、ラベルは、セラファンの口を借りて、黒曜門からエーデムリングの迷宮に入り、ファウルと同じように死してガラルに至ると言った。レイラに会うために。

 そんなことは、ハッタリだ、単なる嫌がらせだ、あり得ない。

 そもそも、十年以上も何事もなく過ぎ去ってきたのに、なぜ今になってなのか? 確かにあの結婚は遺恨を残すものだろうが、あの状況下では仕方がないものだった。

 ラベルの恨みはそこまで深いのか?

 だとしても、もう償う方法もなければそこで恨みたいのはこっちの方だ、そもそも王族の都合に振り回されたのは、こっちの方なのだ、レイラは何度も言い聞かせたが、まるで不吉な予言を聞いたかのように不安に苛まれた。

 真実を確かめるしか方法はなく、家を出てここまできたのだ。

 そして、瑠璃門が開き、ゴーッと音をたて、水が流れ落ちるのを見た。

 ガラルに住んでいれば、時々見る光景、聞く水音だ。いつもと何も変わらない。

 ホッとして帰ろうかと思ったその時。


 蒼白な塊が水と共に落ちてきて……。


「きゃー!」

 悲鳴を上げたのはレイラではない。

 隣で眠っていた子供が、まるでレイラと同じ夢を見ていたかのように、レイラの代わりに悲鳴を上げたのだった。


 夢……。


 レイラはベッドから起き上がり、おそらく悲鳴の後も悪夢を見続けているだろう我が子を見た。

 悲鳴を上げても夢から覚めることはなく、シーツを固く握りしめながら、何か言っている。揺り起こそうかと思ったが、起こしてしまえば、もう今夜は眠れない。そういう日々を、息子は過ごしてきたのだ。

 母である自分は、こうして悪夢から覚めれば現実に戻れるのに。

 あの日、セラファン……いや、ファセラの口から出た言葉は、ずっとレイラを苦しめてきた。

 瑠璃門から水が落ちる時は、気にしないようにしても気になった。

 見る夢は、瑠璃門を見に行く、そして、ラベルの死骸がエーデムリングの遺跡から流れ落ちるのを見る、そればかりなのだ。

 そして、もっと辛いのは、おそらく、セラファンはずっとこのような悪夢に襲われていて、心休まる時がないのだろう、ということだ。

 角ありになった時から、ずっとずっと。

 ラベルの夢に悩まされている。




 月夜だった。

 レイラは着替えて、外に出た。

 少し夜風に当たりたかった。

 ふらりと白亜門までやってきた。月明かりに照らされて、青白く見えた。

 メルロイは、よくこの白亜門の向こうでリュタンを弾き、歌を歌い、エーデムリングの遺跡に住まう氷竜たちを慰めた。

 彼曰く、竜たちはエーデム族他、純血魔族が滅びゆく予感に怯えているのだそうだ。そして、その咆哮を、幼きセラファンもよく聞いていた。

 黒曜門に受け入れられたレイラも、この白亜門を越えることはできない。

 できたとしたら、すぐにでもイズー城に出向いて、ラベルの生死を確認できただろう。今のところ、王子が死んだという発表はないが、伏せられている可能性もある。

「そうよ、怯えて待つことはない。私から出向けばいいんだわ」

 突然、レイラは思い立った。

 瑠璃門の見えるガラルにいれば、門が開き、水が流れ落ちるたびに、不安にならなければならない。

「もしかしたら……まだ、実行していないことかも知れないし」

 ラベルは自分に「会うために」と言った。

 ならば、もしかしたら、自分が会いに行けば、彼が黒曜門を越えることも、迷宮に迷うことも、死して瑠璃門から流れ落ちることも、阻止できるのではないだろうか?

 そして、我が子に悪影響を与えることを、何としてでもやめさせなけれなならない。そもそも、セラファンはラベルの子ではない、ファセラを名乗る意味がない。いや、名乗らせない。

 親が犯してしまった過ちを、子供が背負う必要はないのだ。

 この因縁を解くのは、親である私しかいない! レイラは決心した。

 


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