二つの名前(3)

「でも、それでは……」

 フロルがモゾモゾと不平を漏らした。

 民にとって印象に薄い結婚だったかも知れない。でも、確かに結婚した事実は公表されていたし、子供も産まれて大いに祝福された。

 王子の子ではなかった、だから、離婚した……では、レイラも恥になるし、エーデム王族も家名に傷がつく。

「私たちは、十分、その汚名を背負っても仕方がない理由があります。でも、産まれた子供には、親の都合で不幸を背負わせるわけにはいきません。民には事実だけを述べ、何の申し開きもしない、説明もしない、それで、噂好きのイズーの市民が何を噂しようが、我々大人は甘んじて受けるべきですわ」

 平民出身ということもあり、滅多に意見しないエレナだったが、今回は違った。フロルもタジタジになるほど、しっかりした口調で意見した後、夫である王セリスの顔に目を移した。

 セリスはラベルの顔を見つめていた。そっと頬に手を添えて、その頬が死人のように冷たいことに目を伏せた。

「私は……我が父、アル・セルディンと同じことをしてしまったのかも知れぬな」

 

 セリスの父アルとファセラは王位を争った。いや、争うはずだった。

 だが、アルはファセラに王位を継承させるつもりで、王や並いる貴族たちの推挙を辞退した。ファセラは、角ありではあったが、エーデムリングに選ばれし者とは言えず、迷宮に入る能力はあれど、迷わず進むことはできなかった。それは、エーデムの力を失いつつある当時の王族としては決して恥ではなかった。

 しかし、ファセラは自分がエーデムリングに選ばれし王であることを証明するため、迷宮に迷い込み命を失った。

 アルは、快く王位を譲ったつもりだったのに、なぜ、ファセラが命をかけてまで自らの王位の証明をしようとしたのか、さっぱりわからず、苦しんだ。


 父上、私はファセラと同じですか?

 あなたのようなエーデムリングに選ばれた者ではない、何もできない、ただ、王族として何か証明しなければ、存在価値もない存在ですか?


 ラベルの言葉が、セリスの胸に過去の心の傷をえぐった。

 古のエーデム王族の能力を、生まれながらにして持っていた父アル・セルディン。父が生き残って、自分が死ねばよかったのだ……と、何度思ったことか。

 確かにセリスはエーデムリングに選ばれし者だった。だが、父のアルには到底及ばず、それを民に知られて絶望されぬよう、いつも虚勢を張って生きてきた。

 そして、ウーレンとも同盟を結び、エーデムリングの力に頼らずともエーデムを守れるよう、尽力してきたつもりだ。

 しかし、エーデムの民の王族への絶対的な支持は、王族がエーデムリングの力にて民を守ってくれるという、いわば宗教にも似た崇拝によるものだ。

 そのため、エーデムの国には政敵というものが存在しない。王と王が頼りとする貴族から選ばれたブレインたちにより、国は安定していた。

 ゆえに、子供たちの能力のなさを悲観してしまったのだ。


 能力を持たざる者の苦悩は、誰よりも経験してきた……と思っていた。

 だが、同じ苦悩を……いや、それ以上の苦悩を息子にも押し付けてしまったのだろうか?


「レイラ、私の身勝手を許してほしい」

 突然、王に声をかけられて、レイラは我に返った。

 子供の名前のことで頭がいっぱいになり、嫌な未来ばかりを想像していた。そして、ラベルに申し訳ないと思ったり、逆に憎いと思ったり……で、頭が一杯だったのだ。

「エレナの言う通りだ。生まれてきた子供に、親の罪を背負う必要はない」

 レイラはセリスを見た。いつもの王の顔に戻っていた。

「この結婚は反故とする。王として、ラベルの父として、この子の名前はファセラとしたいが、歌うたいのメルロイの子供であれば、それも叶わぬであろう」

「では……セラファンという名前でも良いのですね?……あ、いえ、あの……」

 離縁を言い渡されて喜ぶのも……おそらくラベルはわかっている、彼にとっては憎々しいだけだろう……レイラの声は一瞬弾んで沈んだ。

 この流れについていけないフロルが口を挟んだ。

「でも……兄様。こんな話、民は納得するのでしょうか? あんなに祝福された王子が、実は違いました、なんて話……」

「王子はいる」

 セリスはエレナの手を取り、ラベルの手を取った。

「リーズを失い、シリアを失い、ラベルも目覚めず……私は絶望していた。エーデム王族が絶える将来に抗おうとして、レイラを巻き込んでしまった。でも、まだ希望はある。ラベルは死者ではないのだから」

 不穏な時代、セリスはラベルの存在を隠した。未来を担うはずの王子が、このような姿では民がますます不安になると恐れたのだ。

 そして、セリス自身、もうラベルは死んだものと思い込もうとしていた。

 レイラとの結婚がもたらした良い事は、ラベルを明るい部屋に移し、再び家族として穏やかな日々を過ごしたことか……それも、この事態の前では微かな幸せとしか言えないのであるが。



 レイラはガラルに戻った。

 民には「結婚はなかったものとする」という説明のない発表しかなく、首都イズーは大混乱になっていたので、逃げるように準備も程々に出発した。ガラルでは、以前と変わらない扱いを受けて、レイラは心の傷を癒すことができた。

 でも、イズーの王族は、そこまで穏やかな状況ではなかった。

 その後、二ヶ月ほどは噂や憶測で、イズーの街角は持ちきりとなり、城に押しかけて説明を求める民が現れたりもしたが、王からの説明は一切なかった。

 エレナの言う通り、王家は全てを甘んじて受けたのだ。

 やがて、噂も沈静化した。そもそもエーデム王族はあまり人前に出てこない、いわば、特別な存在でもあったので、日常の話題に埋もれてしまった。


 ただ一つ。

 レイラはイズーを離れる時、セリスとある約束をした。

 それは、ラベルの命がけの訴えである子供の名前を、万が一、成長した子供が王族として生きる道を選ぶのなら、ファセラを名乗ってほしい、と言うものだった。

「親の身勝手で生き方を決めるのではなく、成長した暁に自らの意志で生き方を決められるように」

 セリスは、自分の子供たちにはそうしてあげることが出来なかった。

 レイラは迷うことなく承諾した。

 それで全てが丸く収まるのなら、何も言うことはなかった。

 これからガラルでメルロイの帰りを待つ生活をする、子供も歌うたいの子として育てる。王子であることなど、口にもしない。

 息子が成長した後、イズーに戻り、王族の道を選ぶことはあり得ないだろう。

 セラファン・エーデムが、王位を捨て、歌うたいのメルロイとして生きることを選んだように。


 こうして、レイラは過去を封印し、忘れてなかったことにし、ガラルで歌うたいメルロイの子・セラファンを育て、十年あまりが過ぎたのだった。

 時にイズーの父を訪ねたりもしたが、城に出向くことはなく、セリスからの招きもなく、友であるエレナとも交流を絶っていた。

 ラベルの噂はほとんど聞かず、あの状態で十年も生きながらえるとは思えないが、身罷ったという話も聞かなかった。

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