二つの名前
二つの名前(1)
「私は父として宣言する。我が子の名前は、ファセラ・エーデムであると」
ラベルは、今までとは違った朗々とした声で宣言した。
謁見の間に重たい空気が流れた。
その場にいた人々の中には、ラベルはすでに死んだのだろうと考えていた人もいた。相次ぐ不幸を押し隠すために、あえて明らかにしなかったのでは? と。
生きていると信じていた人も、ラベルの姿に不安以外の何物も感じることができなかった。
死者である王子が黄泉から戻って、不吉な名を子に与える。
王子の誕生で明るい未来しか見えなかったエーデムの人々に、まるで呪いをかけるような。
ラベルは、その宣言をして気が抜けたのか、よろよろと崩れかけた。
フロルの腕を払って、母であるエレナが駆け寄って彼を支えた。
「ラベル! よかった。意識が戻ったのね?」
この重たい空気の中で、ただ一人、エレナだけが感涙に浸っていた。
父である王セリスは、蒼白なまま、よろよろと座り込んだ。が、決して、息子を支えようという物ではなかった。だが、絵としては、親子三人がまるで寄り添い合うかのようになったのだ。
この場で、冷静を保ち、毅然と王族として振る舞えたのは、王妹のフロルだけだった。
エレナに腕を払われてしまった後、彼女は素早く反応した。
三人の前にすくっと立つと、凛とした声で宣言した。
「お越しいただいた皆様、命名の儀は、まだ途中ではございますが、ラベル王子の体調がすぐれないゆえ、これから先は王家のみで執り行わせていただきます。恐れ入りますが、退席を願います」
今起こっていることが良からぬことだ、と感じつつ、人々はぞろぞろと退室した。
誰も意義を唱えず、軽く会釈をする程度で、時々、ちらちらと振り返りながら。
そして、この収拾を一体どうやってつければ良いのだろうと、頭を悩ませながら。
王子の誕生を民は知っている。
祝って、エーデムの明るい未来を期待している。
だが、その王子の名前が不吉だったら?
偽名は許されない。では、今のことはなかったことに?
それも、すでにできないであろう。
レイラは、全く動けなかった。
でも、誰一人いなくなると、ハッと夢から覚めたように、ラベルの方へと駆け寄った。
エレナの腕の中のラベルの表情は穏やかな微笑みで、十歳の頃の面影があった。
頬に一筋の涙が流れた。
「母上……申し訳ありません。私は無理を推してここまで来ました。これで命を失ってもいい……と」
「だめ! だめです。あなたは……あなたは死なないで!」
エレナの涙が悲しみの色に変わった。
彼女の子供は皆、命を落として、残された子供は、このラベルだけだった。
近づいていいものだろうか?
レイラは躊躇した。妻ではあるけれど、形式的な結婚で、自分はこの場にはふさわしくないようにも思えた。
それに、子供につけられた名前の衝撃で、何も考えが浮かばなかった。
「我が妻よ……」
いきなりラベルが話しかけた。
目が合って、レイラは後ろめたくなり、思わず視線を避けた。
「私は、確かに動けなかった。でも、死人ではない。見えて、感じて、時に、体から心が離れて……そう、セルディの葬儀も見た。あなたと目が合った」
ゾッとした。
確かあの時……空気穴からチラチラと人影が見えた、と思ったのだ。何か良からぬことが起きるのでは? と思うほどの殺気。あれは、ラベルだったのだ。
「私は……彼が憎かった。兄弟として仲良くしようと努力したにも関わらず、彼は私を刺し、リーズを射殺した。私の双子の兄・リーズよりも盛大に黄泉に送られるセルディを許すことができず、憎しみのみであの場にいた」
あの葬儀の時、レイラが感じたのは、強い憎しみだった。
だが、ラベルは憎しみを持っても、葬儀に異議を唱えることも、やめさせることも、乱入してメチャメチャにすることすら、できなかったのだ。
「見て、感じて、思って……でも、私には、何もできなかった。何も伝えることができなかった……ただ、なされるがまま、見つめるだけだった」
セリスが、ガクッと膝をつき、そして、目線を逸らした。
エーデムの王として、常に家族よりも国を考えて行動してきた。あの葬儀もウーレン王となるアルヴィラントの提言を受けて、執り行ったものだった。
我が子を殺した者を、我が子よりも丁重に葬る……王として。
いや、おそらくラベルが傷ついたのは、セリス自身が息子のようにセルディーンを愛していたからだろう。
角を持っていたがエーデム王族としての力を感じない実の息子たちよりも、角はないものの、利発で美しい甥を高く評価していた、残念ながら。
それを、聞き分けの良い双子の息子は、何一つ文句を言わず、常に受け入れて従ってくれた。父親として、まるで当たり前のように、気にもしなかった。
「我が妻よ、あなたの献身的な介護を、私はとてもありがたく思っていた。明るい部屋に移されて、父や母と共に過ごせて……それは幸せだったと思う。でも」
骨と皮だけの手が伸びて、レイラの袖口を引っ張った。
葬儀の時に感じたあの視線が、レイラを射抜いた。
「でも、子供に前の夫の名前をつけることだけは許し難い、あなたにとって私は死人でなければならない存在だった……その事実が許せない」
ヒィ……と小さな悲鳴が思わず口からもれ、レイラは慌ててラベルの手を払った。
諦念の笑みがラベルに浮かんだ。
そして。
「父上、私はファセラと同じですか? あなたのようなエーデムリングに選ばれた者ではない、何もできない、ただ、王族として何か証明しなければ、存在価値もない存在ですか?」
最後にそれだけ語ると、ラベルは再び昏睡状態に陥った。
頬に一筋の涙を流して。
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