ファセラの呪い(2)

 お腹が大きくなって階段がきつくなったレイラにとって、フロルの部屋をもらえたことは、この上ないことだった。

 レイラは、ラベルのベッドもこの部屋に運ばせた。

 続き部屋の奥を自分が使い、大きな部屋はラベルに明け渡した。それは、おそらくフロルの期待通りだったのだろう。彼女は、自分の息子を隠すようにしている兄の態度が気に食わなかったようだ。

 表には出ないことだが、こうして王の家族の一員となれば、色々見えてくることもある。王セリスと妹フロルは、仲の良い兄妹ではあるようだが、何かと意見が合わず、頻繁に言い争いをしていた。

 不幸なことでも、なんとか明るく前向きに乗り越えようとするフロルと、不幸は表に出さず、全て抱え込んで、自分の内で処理してしまおうとするセリス。そして、夫には絶対服従の王妃エレナ。

 そのつもりはなかったのだが、元々が明るい性格のレイラは、何かとフロルの味方になってしまっていた。

 だが、それは、暗く陰湿で不幸をずっと抱え込んだままのエーデム王家にとって、良い影響をもたらした。


 レイラは、張り切ってラベルの介護にも時間を割いた。

 まるで死者のようにうつろではあったが、時々は、意識があるのでは? 何か言いたいことがあるのでは? と思い、手を握って話しかけたりもした。返事はもちろん、何の反応もなかったが、それでも、レイラは落ち込むこともなく、勝手に会話を続けたりもした。

 今まで静かな場所に隠されるようにして寝かされ続けていたラベルだが、新しい場所は常にレイラがそばにいるし、前の部屋よりも見舞いやすい。

 その証拠に、今まではこそこそと見舞っていた王と王妃も、二人揃ってラベルの様子を見に来るようになった。

 レイラは二人にお茶を入れ、ラベルをはさんでしばし談笑したりもした。


 王妃エレナも、だいぶ元気になった。

 しかし、四十代も半ばにさしかかろうとしている彼女は、すっかり老け込んでしまったようだ。この悲劇が、彼女をすっかり打ちのめしてしまい、自慢の美しい金髪は、半分は白いものに変わった。

 微笑んだ目じりに深い皺が浮き上がる。

 痛く感じた。もともと、エレナはさほど目立つほうでもなく、際立った美女ではない。表には出たがらない性分だ。

 セリスが、人目を引く美貌の持ち主である上に、王族の血を濃く現しているために、若さを保っているのとは正反対である。

 二人の仲は相変わらずいいのだが、まるでエレナの生気を吸い取るように、エーデム王は輝いて見える。

 部屋は薄いカーテンが掛かっているが、陽光を透過させて、雲の流れにあわせ、時々暗くなったり明るくなったりを繰り返す。

 ラベルの手が、ぴくっと痙攣する。

 そのとたん、エレナはビクッとしてベッドに目を向ける。この痙攣は、いわばいつものことで、セリスもレイラももう気には留めていないのだが、やはり母だけあってエレナはいつも気にするのだ。

 彼女の三人の子供のうち、二人が早逝した。そして、生き残った唯一の子供が、この寝たきりの意識のない死人のようなラベルなのだ。

 その横にいて、自分のお腹がピクリと動いたことを、レイラは言いそびれてしまう。

 明らかにお腹の子供はラベルの子ではない。

 でも、この子供が生まれたら、ラベルの子供として、王子として迎え入れられ、次の王位継承者となる。

 それは、死にかけている王子、つまりエレナの子の最後の生き残りが、王位継承者としての役目を終えることを意味するのだ。

 切ない現実……でも、この結婚が、王妃としてのエレナを守り、王家を守り、そしてエーデムの国を守ることに繋がる。


 この結婚が幸せだったのは、この頃だけだろう。



 その夜、レイラは夢を見た。

 ラベルの意識が戻り、子供も生まれ、幸せいっぱいの夢である。

 にこやかに皆で中庭でお茶の用意をしているのだ。

 セリスの一家は、ずっとこのようにしあわせだったのだろう。聞き分けの良い双子の王子ラベルとリーズ、それに、ちょっとわがままな娘のシリア。

 国の外では大いなる嵐が吹き荒れようが、この中庭は守られていて、セリスは幸せな家庭を持っていた。

 おそらくセリスがレイラと結婚していたら、家庭も政治と外交で休まることのないものだっただろう。

 その後、大いなる不幸がこの一家を襲ったが、もうそれは取り戻せる。

 ラベルが元気になり、レイラと家庭を築いて子供も産まれて……。


 フロルの言ったことは本当だ。

 いいことばかりが起きそうだ。


 レイラはもう一つ、叶えたい夢を願った。

 本当は、もうずっと願っている一番叶ってほしいこと。

 それは、すぐに夢の中で実現する。

 中庭の銀薔薇の陰から、レイラが待ち続けた人が現れたのだ。


「メルロイ!」



 思わず叫んで目が覚めた。

 あたりは闇。レイラは、ふっと息を漏らした。

 夫……いや、前夫が帰ってくるはずはないのだ。それなのに、やはりどこかで待っていてしまう。

 この結婚は、生まれてきた子供を無理なく王家に帰すための形だけのものであり、夫が死者同様の状態であっても、レイラは二つ心を持つことに後ろめたくなってしまった。

 やはり、メルロイを愛しているし、彼が万が一帰ってきてしまったら、どうしたらいいのだろう? 

 いや、メルロイは帰ってこない。それが前提の結婚だった。

 それに、ラベルも意識が戻ることはない、それも前提の結婚なのだ。

 そもそも、この結婚は二つの不幸が前提となっている。そんな不幸の間で、生まれてくる子供は、果たして幸せになれるのだろうか?

 お腹に手を当てる。

 レイラは考えていた。子供の名前は、エーデムでは父親が与えるものだ。

 しかし、どう考えてもメルロイが戻ってきて名前をあたえてくれるとは思えず、ラベルは付けられない。この場合、父か王に名前をもらうという手もあるが、もちろん母であるレイラが付けるということもできる。

 レイラは、すでに決めていた。


 メルロイが捨て去ってしまった名前を、子供に付けようと。

 つまり、セラファンという名を。


 夫の身代わり……なんて気はさらさらない。

 もっと重い覚悟——結婚を決断した理由のためだった。

 王族としての使命をはたす。

 夫が名前とともに捨ててしまった責任を。

 レイラの子供は、王子であれば、セラファン・エーデムとして、後のエーデム王として、生きていくのだ。

 まだ産まれてこない子供に、このような重たいものを背負わせるのは、親のエゴだろうか? しかし、それが宿命である。

 エーデム王族として生まれたものは、その血の宿命に抗うことは許されない。



 その覚悟を、レイラはセリスに伝えた。

 エーデム王は、当然のことながら、その名を快諾した。

 それこそ、彼の望みだったからである。

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