銀の角の夢(4)

 種まきシーズンを終えた初夏の日。

 セラファンが十一歳になってすぐの出来事だった。

 レイラは家に子供たちを集めて勉強を教えていた。

 それは、いつものことだった。


 廃れてきているとはいえ、ガラルに住むエーデム族は旧家が多く、決して裕福とは言えないが、品位ある人々が暮らしていた。霊地でもあるので、エーデム族以外の魔族が足を踏み入れることすら許されない、由緒ある土地でもあった。

 エーデム貴族として英才教育を受けてきたレイラに、子供を預けて色々学ばせようとする親も多かったのだ。

 レイラは、セラファンも他の子供たちと一緒に勉強させていた。

 特別視しないよう、勉強を教えている時は、母とは呼ばず先生と呼ぶように言い聞かせたが、セラファンの口から「先生」という言葉が出ることはなかった。「母様」と呼ばれてたしなめていたが、やがてそれも諦めた。他の子供たちも、それで特別扱いしているとは思わないようだったので、妥協していた。


 その日もいつもと変わらず、勉強を終えた子供たちを見送っていた。

「先生は素敵な人ですね、がんばりがいがあります」

 背後から、突然、声をかけられて、レイラはゾッとした。

 子供たちは、皆帰った。残っていたのは、我が子であるセラファンだけだ。

 セラファンは、自分が何を言ったのか、まるで気にしていないようで、椅子に座ったまま、今日の勉強を振り返るように本を開いていた。

 蒼白で表情のない、死んだような瞳のままで……。


 先生は素敵な人ですね。

 がんばりがいがあります。


 レイラは、突然、イズーにいた頃の自分に引き戻された。

 そう、かつて、レイラは家庭教師をしていたのだ。友人のエレナ王妃に頼まれて、彼女の双子の息子を教えていた。

 ラベルとリーズ。

 今のセラファンと同じ歳で、やはり、エーデムの銀の角を持っていた。

 彼らはとても優秀で、聞き分けが良くて……。

 まるで、二人で一人のような、仲のいい兄弟だった。


 まさか……。


「セラファン!」

「え? 何? 母様」

 名を呼ばれた子供は、キョトンとしている。

 いつものセラファンだ。

 レイラのことを、先生とは呼べない甘えっ子の自分の子供だ。

 だが、先ほどの言葉は確かに……。

 あの日、あの時の、ラベルとリーズ。


 古のエーデム族の力の一つに「心話」がある。

 この能力は王族だけではなく、時にエーデム族の一般男性にも強く残っていて、鈍竜やムンク鳥などとも交わすことができる。

 どうしてこのようなことが起きているのかはわからないが、銀の角を通じて、セラファンはラベルとリースの記憶を思い出しているのに違いない。

 銀の角が生えて以来、セラファンは変わってしまった。

 時々、訳もなく泣いたり、辻褄の合わない理由で悩んだり、夜も眠れなくなったりと、不思議な行動を取るようにもなった。

 それは、もしかしたら、あの双子と心が通じてしまったからなのかも知れない。

 だがこれでは、心話というよりは、むしろ、心を乗っ取られたかのようではないか?


 これは……ラベルの呪いなの?


 忘れてなかったことにしよう……と決めてかかっていた現実が、レイラにひたひたと迫ってきた。

 形だけのことではあったが、レイラは確かにラベルと結婚した。

 その結婚は、エーデム族のためであり、血の責任を果たすことであり、そして、確かに、エーデム王家は新しい家族として幸せだった。幸せだったと思っていた。

 レイラは、何のトラブルもなく家族に向かい入れられ、むしろ、不幸続きの王一家に希望の光をもたらした。

 そしてその光は、これから先も明るく王家を灯すのだ、と誰もが信じた。

 レイラが無事に出産を終え、生まれた子供が祝福され、エーデム王子に親が命名の儀式をする、その時までは。


 苦い思いが蘇る。

 なかったことにしよう、と誓った過去。

 でも、もう過去を封印し、忘れたことにはできないだろう。なぜか、子供がその傷をすでに背負ってしまっているのだから。

 セラファンの中に、心身ともに病んで死にかけているラベルがいる。


 レイラは、深く息をついた。

 そして、身をかがめて息子と視線を合わせた。

「セラファン、今、何を言ったか覚えている?」

「え? 僕、何も言っていない」

 ハッとした表情。明らかに戸惑っている様子。

 息子の身に何が起きているのか、はっきり知らなければならない。

「じゃあ……何か夢でも見ていた?」

「いや……僕は……本を読んでいただけで……」

 確かに彼は本を開いていた。

 セラファンの中にラベルを感じたのは気のせいなのだろうか?

 いや、今までのセラファンの変化を考えれば、ラベルが何らかの影響を与えているのは間違いない。

 レイラは、目を閉じた。


 親として、許し難い名前がある。

 それを、我が子につけるとは……。

 二度と名乗らせないと誓った名前で、息子を呼ぶことになろうとは……。


「……ファセラ」


 震える声で呼びかけると、子供の声で子供じゃない返事が返ってきた。

「我が妻よ」

 レイラが驚く中、セラファン……いや、ファセラは語った。おそらく、ラベルの言葉を。

「私は迷宮に迷い、ついには死に至り、瑠璃門から流れ落ちよう。ガラルのあなたに会うために」

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