歌うたいの子(2)

 後に「血塗られた五年」と呼ばれる戦乱の中でも、ガラルは平和だった。

 時々、滅びの予感にエーデムリングの氷竜たちが騒いでも、その声を聞けるだけの能力のあるものは、もうエーデム族にはいなかった。

 エーデム王セリスさえも、耳をそばだて、エーデムリングの迷宮に踏み入らなければ、彼らの声を聞くことはなく、戦時下の彼にはそのゆとりすらなかった。

 ただ一人……幼いながらに能力の片鱗を感じさせる子供がいた。


「母様、誰かが泣いている」

 言葉を話せるようになってから、セラファンは何度かそう言って、レイラを驚かせた。

「ダメよ、誰かに聞かれたら……」

 レイラは慌てて指を口に当てた。


 セラファンは、まさにメルロイとよく似ていた。

 豊かな銀白色の巻き毛と深い緑の瞳。ミルクの泡のような白い肌に、桃色の頬をした可愛い子供。きっと幼い頃のメルロイは、このような感じだったのだろう。

 色々なことに興味を持ち、周りの人たちを質問攻めにした。屈託のない笑顔で、誰にでも好かれた。

 メルロイが置いて行ったリュタンは、子供が弾くには大きすぎる楽器であったが、床に置いたまま、ボロンボロンと音を出しているうちに、レイラよりもずっといい音を出すようになった。

 ガラルの人々は、皆、メルロイを尊敬していたので、セラファンのことも大切にしてくれた。

 エーデム王子として扱うよりも、歌うたいの子として扱って、他の子たちと分け隔てがなかった。エーデム王族らしい卓越した容姿も、父親のメルロイとそっくりだ、と微笑まれるだけだった。

 レイラも、セラファンが父親の能力を引き継いだようだ、ということが誇らしかった。

 おそらく全エーデム族の中で最も古からの力を引き継いだ者がメルロイであり、やはり数少ないエーデム貴族の姫との間に生まれたセラファンは、当然のようにエーデムリングに属する者、強い魔力を持つ者だろう。

 と、同時に、なぜ、エーデム王セリスが彼を王子として手元に置かなかったのかと、疑問に思う人たちも多かった。

 エーデム王子ラベルとレイラの結婚は、そのための形式的な結婚だったはず……も、それすら忘れていた人もいるのだが。

 もしも、子供の才能を見誤っていたのなら、そのうち、お迎えが来るかもしれない。多くの人はそう思った。

 だが、レイラはその可能性を否定した。



 歌うたいのメルロイは、セリスが言った通り戻ってくることはなかった。

 この魔の島には存在しない、というセリスの言葉が正しければ、もう命を失った可能性もある。

 ガラルの地で、母と子の月日は過ぎさった。

 その日々は、レイラにとって、幸せそのものだった。

 夫の生死の不安、イズーに残してきた忘れたい出来事の傷、そして、子供の将来と、心配事は常にあったが、それを忘れるほどに、日々は忙しく、生きることに没頭していたからだ。

 セラファンが十歳を迎えた頃、エーデム王族の証である銀の角が生えてきた。

 ガラルにあるエーデムリングの遺跡が近いこともあるのだろう、誰に教わることもなく、幼少期から竜の声を聞いていたようだが、銀の角……となると、セラファンの王族としての力は、もう疑いようのないものだろう。

 そして、ますますセラファンはメルロイに似てきて、まさにレイラが出会った頃の彼を彷彿させるまでになった。

 さほど歌が上手でもないレイラが教えたにも関わらず、セラファンは歌まで上手で、ガラルの人たちを喜ばせた。

 そして、このまま平穏な日々が、ずっと過ぎていくのだろう、と思われた。


 だが。

 少しずつ、少しずつ……変化が訪れた。

 息子にエーデム王族の証でもある銀の角が生えてきて以来、レイラは違和感を持つようになっていた。


 それまでのセラファンは、時々エーデムリングに選ばれたる者らしい兆候は見せていたものの、明るく無邪気な普通の子……にしては、随分と好奇心が強く、知識欲が旺盛ではあったが……ガラルにいる他の子となんら変わりのない子供だった。

 レイラの母親としての心配事も、一般的な親の悩みの域を越えなかった。むしろ、賢くて優しいセラファンは、成長に伴って、至らぬ母親の家事も手助けしてくれるよくできた子供だった。

 セルディーンの葬儀の後、エーデム王族の衰退する様、滅びの道を歩む魔族の将来を危惧して、エーデムの血の責任を……と気張ったことを、レイラは忘れた。いや、忘れて考えないよう、子供の平凡でも幸せな一生を夢見ることにしていた。

 幼い日から貴族の誇りを胸に生きてきたレイラにとって、王族の地位を捨てた夫の生き様は、まさに革命的だった。故に、時々、それでいいのか? と疑問に持つことも多々あった。

 だが、ラベルとの形式的結婚を経て、すっかり考え方が変わってしまった。

 今となっては、夫の自由な自分らしい生き方を貫く姿勢が、むしろ、立派なことだとすら思うのだ。

 そして、息子にもそのように伸び伸びと生きて欲しいと願っていた。


 しかし、誰人だれびとも血の宿命には抗えない。


 セラファンは、時々、何かに怯えたり、塞ぎ込むようになった。

 無邪気な微笑みは見なくなり、顔色も蒼白で体調も優れない。食欲も落ちて、ぼうっとしていることが多くなり、時々、遠い目をして空を見ていたりする。

 エーデムリングの力が、何か影響を与えるようになったのだろうか? レイラは不安になった。

 かつて、ガラルに住んでいた巫女姫の振る舞いを思うと、古の血を濃くもったセラファンも、同じように人と接するのを恐れたり、過敏になってしまったり……があってもおかしくはない。だが、同じように王族の血を強く表したメルロイが、あれだけ明るかったことを思えば、セラファンの変わりようは奇妙に感じた。

 子供の変化を心配し、誰かに相談したいと思っても、今や、エーデムの古の血について、詳しく知っている者もいない。

 メルロイさえ戻ってきてくれれば……と、何度も思ってしまう。彼ならば、セラファンのことを、自分よりもずっと理解できるだろうに、と。



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