二章 親の罪
歌うたいの子
歌うたいの子(1)
かつて、エーデムリングの氷竜たちを慰めた巫女をおき、固い結界に守られた霊地として知られたガラル。
エーデムがウーレンに占領されていた時代、生き残った王族や貴族が移り住み、最後の砦として機能した地域でもある。
今となっては、多くの人々が首都・イズーへと帰還して、人口も減り、長閑な農村となっている。
それでも、この場所がエーデムで最も安全な地区であることは間違い無いだろう。
結婚した後も頻繁にふらっと旅に出てしまう歌うたいのメルロイは、普段は移動に便利な国境の村・サラに住んでいたが、旅が長引く時は、妻のレイラには実家に戻るか、ガラルの家に移るように言っていた。
そして、最後に旅立つ前は、ガラルにしばらく滞在していた。
なので、レイラはサラの家はすっかり畳んで、ガラルに長らく住んでいた。
本来はエーデム王族であり、癒しの歌をもつメルロイは、どこに行っても多くの人々に愛されて、大事にされた。なので、レイラも貴族育ちで農夫としては今ひとつではあっても、ガラルでは多くの人が手を貸してくれて、生活には困ることがなかった。
歌うたいが旅立った後、レイラはすっかり元気を無くしてしまい、村人たちは随分と心配してくれた。ガラルにいる時は、留守がちだったメルロイのこと、またすぐ戻るだろうよ、と慰めてくれた者もいた。
そのような中、レイラが突如としてラベル王子と再婚すると聞いて驚いた者が多かった。だが、壁に残されたリュタンを見れば、メルロイが戻ることはあり得ないのだろう、それでレイラが幸せになれるのなら、と喜んでイズーへと送り出してくれた。
最も、多くの人たちは、これが貴族ゆえのやむない結婚であり、エーデム王セリスの命令によるものだ、と想像がついていたのだが。
本来、王族の結婚式は大々的に行われるものだったが、今回はあまりにも不幸が重なっていることもあり、簡略化されたもので、平民の目に入る儀式は何もなかった。事実は一般人には伏せられていたことだが、ラベルが昏睡状態で公にできない姿であるからだった。
それに、戦争も拡大しそうな時期で、エーデムは直接軍隊を送ることはなかったが、ウーレンを陰ながら支えることに力を入れていたので、民の関心はそちらに向いていて、これだけの明るい話題なのにあまり注目されなかった。
長引くだろう戦争に、人々はなかなか明るい未来を想像できず、不安に慄き、街角ではそんな暗い話題ばかりが語られていたのだ。
だから、初夏の気持ちの良い日に、鈍竜のひく荷車に揺られ、赤子を抱いてレイラがガラルに戻ってきた時には、皆、あの結婚はデマだったのか? と疑ったほどだった。
旅の疲れなのか、レイラは少しやつれた顔をしていたが、表情は明るかった。ひたすら懐かしい、を連発して、はしゃいでいるほどだった。
鈍竜に積み込んだ引っ越し荷物をせっせと下ろしては、先に家の掃除だったわ、などと、右往左往している。思わず手を貸したくなる有様だ。
なので、誰も「一体どうしたんですか?」の一言が、かえって聞けないほどだった。
メルロイを心底愛していたレイラのこと、ラベルとの結婚はうまくいかなかったのかもしれない。不幸続きのエーデムに明るい話題を提供……にしては、地味な結婚式だった。
なので、影で囁かれたのは。
「生まれた子供が、おそらくセリス様の思っていたような子供ではなかったんだよ」
自身の孫として、王家の子供として名乗らせようと、結婚を急いだのだろう。時期的に考えれば、ぎりぎりラベルの子供であってもおかしくはない。
だが、ガラルにいるものならば、すぐにわかる。
生まれた子供は、歌うたいメルロイの子だ。
つまり……生粋のエーデム王族のはずだ。
王族同士の結婚で生まれたセラファン=歌うたいのメルロイと数少ないエーデム貴族ベルヴィン家の姫・レイラの子であれば、平民の血を引くエーデム王・セリスと平民の娘・エレナの間に生まれた王子よりも、よりエーデム王族の血が強いはず。
立て続けに子供を失ったエーデム王セリスは、なんとかして、レイラとメルロイの子供を王族の血をひく王子として迎入れたかったのだ。
それを期待しての結婚……だが、目論見は外れたのだろう。
引っ越し作業を手伝いながらもかける言葉に詰まる村人たちを見て、レイラは明るく言った。
「結局、振り出しに戻っただけよ。ここで、メルロイの帰りを待つだけよ。この子……セラファンと一緒にね」
セラファン……。
それは、夫である歌うたいがエーデム王族の地位と共に捨ててしまった名だ。
レイラは生まれた子供に、愛する夫の本名をつけたのだ。
村人の多くは、子供がラベル王子の子ではなく、歌うたいのメルロイの子である、というレイラの主張だと思った。
そして、わずか一年にも満たない結婚生活が真実だったのかも疑い、ただ、出産のために医療も充実したイズーの実家に帰っていただけじゃないか? とまで思い始めていた。
レイラが何も言わず、今まで通りの生活を始めてしまったので、誰も何も聞けず、噂も徐々に消えてゆき、やがて、ラベルとの結婚のことも、人々の脳裏から消えていった。
いや、レイラ自身。
悩みに悩んで踏み切った結婚を、まるでなかったように、切り捨てようとしていた。
ラベルとのことは白紙に戻して思い出しもしないことが、自分にもエーデム王家にとっても、そして我が子にとっても、一番良いことのように思われた。
ただ、自分自身が信じた幸せに向かって、邁進することが大事だと。
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