夫の面影(2)
レイラが思い出すラベルの姿は、ほんの十歳くらいの少年である。
瓜二つの双子の兄リーズと常に共にあった。エーデム族らしい容姿の双子は、驚くほどにかわいらしかった。
真綿をかぶせたような柔らかな巻き毛に、銀のかわいらしい角が顔を出している。二人そろってちょろちょろ走る様は、まるでからくり人形のように愛らしく、誰もが微笑んでしまうくらいだった。
「先生は素敵な人ですね」
「がんばりがいがあります」
子供っぽくないお世辞さえ、二人は口をそろえるのだ。どちらかというと、ラベルが言い出し、リーズがまとめる……というパターンで、二人で一人のような兄弟だった。
家庭教師のような似合わない仕事を、レイラが苦なくこなせたのも、この双子が非常に聞き分けがよくて勉強もできたからだ。たまにいたずらとかしてくれたほうが、面白みがあるのに、と思うほどだった。
だから、逆にあまり印象に残らない子供たちでもあった。
印象といえば、滅多に会わない妹のシリアのほうが強烈だったかもしれない。まさにキチガイ姫だったので、忘れたくても忘れられない。ガラルの巫女姫となってからは、多少印象は変わったのだが。
双子は、幼いながらに自分たちが王子であることを自覚していた。だから、妹の分まで常に礼儀正しくしていたのかもしれない。
「あの子たちは……私に気を使ってくれているの。自分たちが王子として至らないと言われたら、私が責められると思って……」
そうつぶやいたエレナの言葉が、双子の思い出としては、一番レイラの脳裏に残っている。
駆け落ち同然の結婚をして、イズーを去って以来、レイラは双子にあっていなかった。
リーズが、イズー城の守りの中心に立って命を落としたと聞いたとき、レイラの頭の中の双子は、まだ十歳のままだった。
その子供が、成長した先にあったものが、戦死という運命だったなんて。
まさに戦いとは悲惨なもの……。
エーデムの王族とはいえ、矢羽に当たれば死ぬのだ。
しかし、不思議なことにエーデムの民はそうは思っていなかった。
エーデムリングの結界に守られた王族が、戦いで命を落とすはずはないと信じている。そして、その力で常に国を守ってくれるのだと信じているのだ。
それは、半分は正しく、半分は間違っている。
【エーデムリングに選ばれた者】つまり、夫のセラファン・エーデムであれば、矢に当たって死ぬことはありえなかったはずだから。
イズーに戻ったレイラは、セリスに連れられてイズー城の尖塔にある小さな小部屋の前に立っていた。
先日の雪が嘘のように、暖かな穏やかな日だった。
「もしもラベルに会って……やはり結婚はできないと思ったら」
そこまで言って言いかけた言葉をセリスは飲み込んだ。やめてもいいです、とは、言えなかったようだ。
レイラの心は決まったわけではない。
やはり、メルロイを愛していたし、何か嫌な予感がしてならない。
どの道を選べばいいのかがわからない。道を誤れば、子供の将来に影を落とすことになる。
憂鬱さが押し寄せる。揺れ動くがままに、ここまできてしまった。
ラベルに会ってしまったら、踏ん切りがつくのだろうか? やはり会わないで帰るべきだろうか? いっそのこと、父に相談すべきだったのではないだろうか?
とはいえ、父が王に口で勝てるはずはないから、相談してもしなくても結果は一緒である。
入った部屋には小さなベッド。一人のムテ人の医師が横にいる。
小さな窓にはカーテンが掛かっていて、日差しを防いでいる。心地よい薄暗さと、程よい室温が保たれている。
どうやらラベルが病んでいるという噂は本当だったらしい。かつて勉強を見てあげていた小さな少年を思い出して、レイラの胸は痛んだ。
「どうぞ」
ムテの医師が立ち上がり、レイラに場所を譲る。それぐらい小さな部屋だった。
レイラは、セリスに後押しされて、恐る恐る横になっているラベルの顔を覗き込んだ。
死んだような顔。
先日の葬儀で送られた死者のほうが、まだ生気を感じたほどだ。
蒼白な顔に開いたままの緑の瞳。銀の巻き毛は色が褪めていて白髪のようにも見える。目は何も映してはいない。
十八歳。成人しているとはいえ、エーデムでは充分すぎるほどの若者だ。しかし、ラベルの顔には、レイラよりも年老いたような疲れが浮かんでいた。
長い間の病みは、体から肉を奪い去ったのだろう。まるで木の枝のような腕が、ベッドの端からたれていた。
「受けた傷は治ったのですが、精神的ショックが大きかったのです。それでもリーズが死ぬまでは、時々意識が戻ったりもしていたのですが、今は眠ったままなのです」
セリスが淡々と説明する。もう散々に悲しんで、回復を祈り尽くしたのだろう。
しかし、貴重なムテの医師を専任につけているところをみると、あきらめきっているわけではないことがわかる。
だが、セリスの口から出てきた言葉はこうだった。
「彼は死者です」
レイラは声もなく、その場に座り込んだ。
ベッドからこぼれていたラベルの手をとると、本当に枯れ枝のように軽かった。その手をベッドの上に置きなおす。
かわいらしかった少年時代を知っているだけに、レイラのショックは大きかった。同じ人とは思えなかった。
ラベルの手は、もう癖になっているのか、しばらくすると再びベッドからすべり落ちた。
レイラは再びその手をとると、今度は強く握り締めた。
かすかに指先が動いたような気がした。
「死者ではありませんわ!」
「たまに、手を握り返すこともあるのですが……」
かすかな反応に声を上げたレイラだが、何度も空喜びをさせられたのだろう、セリスの反応は冷ややかだった。
「医師の見立てでは、回復する可能性はきわめて少ないのです。どうにか命を繋いでいるだけで……」
セリスの声は沈んだ。
ラベルは、結婚に異義を唱えられる人ではなかった。それどころか、結婚したとたんに、レイラは寡婦になる危険性もある。
しかし……。
ラベルが死んだら、エーデム王族の血はどうなってしまうのだろう? 寡婦になることよりも、そちらのほうがぞっとする。
一瞬、庶民の噂を思い出してしまった。
セリスが、妹のフロルと再婚する――という、くだらない噂だ。
貴族であるレイラとの結婚を断って、エレナを選んだセリスだ。その選択を貫いて欲しい。しかし、それはもう許されないだろう。
平民では駄目なのだ。エレナがどんなに王の力になっていたとしても、民は彼女に期待をしない。
エレナがあまりにもかわいそうすぎる。
子供をすべて失い、夫まで取られてしまっては。
ここに来て、レイラは本当に王族の血の危機を感じた。
その血を大事にすることに、はたして意味があるのかどうかはわからない。しかし、民はそれを望み、王族に希望を託すのだ。
「死んじゃだめよ、ラベル」
つい、レイラは死人のような病人に話しかけていた。
レイラは、ラベルに会ってやっと決心がついた。
エーデムの血を守ることこそ、夫の望むことだと考えたのだ。
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