形だけの結婚(3)
セリスの説得は続いた。
「レイラ、本音を言おう。私はセラファン様の血を引く王子が欲しいのです。知っての通り、私の子供は死にました。残されたラベルにも、エーデムリングに選ばれる力はありません。私のあとを継げるものは、誰も残されていないのです」
「ひどい話!」
「ひどくても本音です。エーデム魔族の血は守らねばならぬ。しかも、それは王族でなくてはならない」
一瞬、言葉を切って、さらにセリスは続けた。
「私があなたを選べば、このような悩みを持たないですんだでしょう。自分のわがままを子に償わせようとしている卑怯な親だといわれても仕方がない。でも、今更後には戻られない。今はできることで最善を考えるだけ」
今更過去の話を持ち出され、レイラは口を閉ざした。
エーデム貴族のレイラを振って、たかが平民と周りの反対を押し切って結婚したのはセリスだ。
しかし、レイラとの婚約も所詮は愛情ではなく、血のためのものだった。滅びの道を歩むエーデムにおいて、純血の王族であるということがどれだけ重要なことか、知らないレイラではない。
「でも……まだ、セリス様にだって王子が生まれる可能性が……」
「それは言わないでください」
セリスの声が沈んだ。
王妃エレナは平民出身である。
王族ではありえないほど、たて続けに子を三人もうけた。しかし、長命ではありえない彼女は、もう子をなせるような年齢ではない。
子供が次々と命を落としてふさぎこんでいる彼女に、回りは次の子供を期待し、彼女を追い詰めている。中には平民たちの噂に耳を傾け、王妃が子供を産めないならば、王妹フロルと再婚すべきだ、などと王に進言するものさえいるくらいだ。
今はそれどころではない……と、情勢を言い訳にしているものの、やがてこの問題は大きくなるだろう。命を捨ててでも国を守る覚悟はあるが、使い古したぼろきれのように王妃を捨てることはできない。しかし、国のことを思えば、再婚するしかなくなるのだ。
他にどうすれば、エーデム王族の血を保つことができるのか?
そのような時に、セリスはレイラの子供の存在に気がついたのだ。
「形式上でも構わない。あなたがラベルと結婚すれば、生まれてくる子供は王子となる。私も無理矢理あなたの子を奪って養子にせずに済む。あなたを母として王族に組み込める。子供のためにもそのほうが良い。卑怯と罵ってくださっても結構。我々の利害は一致しています」
誰が、レイラのお腹の子供をラベルの子供だと思い込むだろう? いるはずがない。
誰もが、レイラの子供の父親は、セラファン・エーデムだと知っているし、そのように血を読むだろう。
だからこそ、ベルヴィン家に戻って出産してしまえば、貴族の子供として王族の血筋から逃れることは出来なくなる。夫が捨て去った血の宿命を背負って生きることとなる。
多くの民が、そして、貴族が、生まれた子供を次期の王として期待するだろう、王族として育てることを望み、万が一、夫が帰ってきたとしても、もう家族としては過ごせない。
だから、一番いいのは、このガラルで農民として苦労しながらも、自由に暮らすことだと思った。
ひっそり子供を産み育て、夫の帰りを信じて待つつもりだった。
それはもう不可能?
どうあっても、セリスは生まれた子供を王子として育てるつもりだ。
頭が朦朧とする。
追い討ちをかけるセリスの声は冷静だった。
「レイラ、私はもうセラファン様を逃がしたくはないのです。お願いです。あの方の血を返してほしい」
「え?」
レイラは呆けたように返事を返した。
じわり……と、汗が出る。
実に長い間、レイラの心の奥底に引っかかっていたものを、セリスに見透かされたようだった。
無言の時間が流れる。
窓の雪が熱されて溶け、するりとすべり落ちていった。
部屋が急に明るくなった。日が差し込んできたのである。汗をかくはずである。部屋の温度はかなり上がっていた。
レイラは、突然そのことに気がついた。
朦朧としていたのは、暑すぎるからなのだ。
「ごめんなさい。これでは真夏のようですね」
身を翻すと、暖炉の前にかがみこむ。そして汗を拭きながら、鉄棒で暖炉の火を弱めようと引っ掻き回した。
話は聞かなかったことにしたかった。気がつかなかったことにしたい。
しかし、ますます木炭は赤々と燃え、レイラは焦った。
氷のように冷たいセリスの声が、後ろ頭に響いてくる。
「あの方は風のように育ってしまい、血に縛られることはなかった。でも、我々は血の宿命からは逃れることはできません」
レイラは王の言葉を無視しようとした。しかし、言葉は強かった。
「誰も血には抗うことはできない。王族の血を持つものは、王族として育てられ、王族としての使命をはたすのです。あなたの子供もそうであるべきだ」
ぎくりとして、レイラはついお腹に手を当てた。
セラファン・エーデムが、メルロイとして気ままに生きることができたのは、ほかならぬセリスがいたからである。
エーデム王族の血を持つとはいえ、セリスは平民の血をもっている。生まれにふさわしい責任をはたし、生まれ以上の責任も負った。
本来ならば、夫セラファン・エーデムが負うべき責任である。
引っかかっていた言葉が、頭の中に充満した。
レイラは汗を拭きながら、鉄棒で木炭を叩き割る。
――違う……。血なんかに縛られない。
バシッと叩いた瞬間、真っ赤な炎が一瞬上がり、レイラを驚かせた。
「セラファン様の血を、粗末にすることは許されない。お願いです。エーデムにはエーデムリングに選ばれる王が必要なのです。民に尊き血を返してください」
鉄棒が、レイラの手からこぼれ落ちた。
立ち上がり、真っ赤に火照った汗だくの顔を王に向ける。
氷のような表情だ。王族としての血の義務をはたしてきた者の顔だ。
――これは、お願いなんかじゃない。命令だわ。
レイラの心は激しく揺れていた。
「でも……子供がエーデムリングに属しているかなんて……」
産まれて見なければわからなかった。
それともエーデムリングに属するセリスには、すでに子供の力量がわかるのだろうか? それに、子供が王子だとも決め付けられない。
セリスの顔が久しぶりに緩んだ。
「私にもわからないことです。でも、大事なのは力ではない。血なのです。血ゆえに人々は力を信じるのですから……」
若い王族は死に絶えた。
エーデムの民は絶望し、将来に不安を抱いている。しかも、戦争は長く続くだろう。
貴族の姫として、レイラにだってはたす使命がある。
品よく振る舞い、人から白い目で見られぬよう、努力することだけが貴族ではない。
「でも……そんな。だいたいラベル様が私をもらうなんて……」
揺れる心のままに、レイラは不安を口にする。
「ラベルのことは気にしないでください。彼に不満などありえません」
その意味はつかみかねた。
結局、セリスは、レイラにイズーを訪ねてくるよう、そしてラベルと会うよう約束を取り付けて帰っていった。
力と話術でねじ伏せられたような、かすかな不快感が残る。
いや、それは悪阻のせいかも知れなかった。
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