形だけの結婚(2)
ラベル・エーデム。
エーデム王セリスの双子の息子の片割れだ。もう一人のリーズ・エーデムは、リューマ軍がイズーを包囲した戦いで、セルディーンの矢に命を落とした。
その戦いに、ラベルは参加していなかった。やはりセルディーンの刃に倒れ、伏していたからである。
心通う双子の兄が命を落としたとたん、病床のラベルは大きな悲鳴を上げて飛び起き、そのあと再び気絶したという噂だ。
それから先、エーデムでは彼の新しい情報を聞かない。命を落としたという話はないが、回復したとも聞かない。だから、彼は生死の境をさまよっているといわれ続けている。
成人してから会ってはいないが、かつての教え子のことを心配していないレイラではなかった。
「わ、私が? ですか? なぜですの? すでに既婚である私がふさわしいとは思えませんわ。それに……年齢だって。彼はまだ十八歳ではありませんか!」
あまりの奇妙なお願いに、レイラはすっかり動揺してしまった。覚悟していた以上の、信じられない申し出だ。
そう……レイラは、ラベルの父であるセリスの婚約者でもあった女だ。三十六歳という年齢は、ラベルの母といっても通じてしまう。
セリスはさらりと言ってのける。
「あの子は、エーデムの角を持っているとはいえ、平民と変わらない寿命しかない。あなたの年齢にすぐに追いつくことでしょう」
心から夫を愛しているレイラにしてみれば、再婚なんて考えられない。考える余地もない。
出来れば無礼なく遠慮したい。そう思うレイラの心など、セリスは読みきっているらしい。
さらにセリスは畳み込んでくる。
「ラベルは今、傷心のために伏しています。親としては、どうにか彼を立ち直らせたい。教師として慕っていたあなたには、きっと心を開いてくれます」
「でも! そんな!」
抜け抜けと……。という言葉をレイラは飲み込んだ。かつての婚約者を息子に振る父親がいるだろうか?
「あなたも……あの子が好きだと言ってくださった」
何年前のことをいうのだろう? しかも、それは教え子としてだ。
「でも、私には夫がいます! た、確かに家を出ている状態ではありますが、いつか帰ってくると思います。だから……」
そう言ったとたん、真直ぐにセリスがレイラの瞳を見た。思わず、声が出なくなってしまった。
見透かされるような緑の瞳。
「セラファン様は戻ってきません」
氷のような冷たい声で、セリスはレイラの心に釘を打ち込んだ。
夫は二度と戻ってこない。
そうエーデムリングの魔力を秘める者に言い切られてしまった。
「あの方は戻ってはきません。あなたは知っているはずです」
再びセリスが言う。
レイラは、ぐっと唇を噛む。口の中がしょっぱくなるほどに。
それでも涙がこぼれてしまった。
いつも気まぐれに旅立つ夫は、愛用のリュタンを持たなかった。それを渡そうとしたレイラの腕に、しっかりと戻してしまったのだ。
「それは、すぐに戻られるということですか? それとも……」
レイラの質問に、エーデム王子セラファン……いや、歌うたいメルロイは微笑むだけだった。
――それとも、形見にせよということですか?
「あの方は自分の使命をはたすためにお出かけになったのです。血の宿命に従って……そして、もう戻らない」
レイラの頬を伝わる涙を、セリスの手がぬぐった。その手は、ほんのりと温かく感じた。
「セラファン様の気は、この魔の島にもうありません。あの方は、あなたを愛しておられた。しかし、何よりもあなたの幸せを願っていた。もしもセラファン様があなたに望むことがあるとすれば、残された人生を帰らぬ人を待つよりも、新たな幸せの日々にして欲しいと思うでしょう」
確かにあの人ならそう言うだろう……。レイラはさらに唇を噛む。
「それに、あなたはここで農婦を続けるつもりですか? 夫がいるならばともかく、非力なあなたでは誰かの手助けなしに生きることはできないでしょう。貴族の姫として生きるほうが、はるかにあなたらしい」
それも全く本当のことだ。
「イズーにお戻りなさい。そうすればベルヴィンも安心する。彼は、あなたの助けを必要としているのです。ラベルと結婚したとしても、私はあなたの実家通いを禁止するつもりはありませんから」
よたよたと歩く父の姿が目に浮かぶ。
戻っておいで、という父の申し出を、本当は抱きついて受け止めたかったのだ。本当は。
田舎の生活は厳しいし、愛する人はもういない。普通ならば、イズーに帰らない理由など、レイラにはなかった。普通ならば。
まるで媚薬のように心にしみてくるセリスの言葉を、レイラは必死に振り切った。
惹かれてやまない王の手を払い、レイラは椅子から飛ぶようにして立ち上がった。
「よしてください! それはすべて詭弁です! 私のためなんていわないで!」
もうすでに、丁重に申し出を断るなどという気はなかった。
そんな話は受けられない。冗談ではなかった。
「夫の名前も言わないで! 父の名前も出さないで! ずるいです! 卑怯です! 本音のひとつも言わないで、きれいごとでわがままを言わないでください!」
みるみるうちに穏やかだったセリスの顔が、仮面のように硬直してゆく。それでもレイラはかまわなかった。
「私、ラベル様と結婚する気なんて、これっぽっちもありません!」
そこまで怒鳴ると、レイラは鼻をすすった。
セリスがふわりと立ち上がった。このまま、あきらめて帰るのだろう。しかし、送る気持ちもなかった。
が、王は戸口に向かわず、レイラをじっと見つめたままだった。
「本音を言おう」
無表情のまま、声は低かった。
そばに寄られると、ますますセリスの背の高さが際立つ。レイラはそれほど背が高くない。
圧倒されてうつむいたレイラの手をとり、セリスは一度呼吸を整えた。
「セラファン様の……形見が欲しい」
レイラは驚いて顔を上げた。
汗が吹き出てきたのは、暖炉の火加減の調整が下手だから……ではない。
「あの……リュタンでしょうか?」
とぼけたわけではないが、そう言うしかなかった。
「本音を言ったのです。本気で答えなさい」
セリスは眉をひそめた。
「葬儀の時、私が気がつかなかったと思うのですか? あなたが子供を宿していることに」
レイラは慌てて王の手を振り払った。
見抜かれていた。
あれほど、お腹が目立たぬよう苦心していたのに。父も気がつかなかったというのに……。
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