形だけの結婚

形だけの結婚(1)

 普段の日々が戻ってきた。……はずだった。

 葬式が終わったあと、レイラは鈍竜に揺られて再びガラルに戻ってきた。

 神の山ともいわれるガラル山脈のふもとに位置したこの秘境の村は、花咲き乱れる美しい地であった。

 しかし……今年はとんでもないことが起きていた。

 なんと、滅多に積もらない雪がどっさりと降り、真っ白な世界だったのである。

 レイラが唖然としてしまったのも無理はない。

「巫女姫がお隠れになったので、氷竜たちが悲しんだのでしょう」

 などと言いつつ、気を利かせた村人たちがレイラの家の前までも雪かきしてくれたため、家に入れないことはなかった。

 が、それでも家の周りはそのままだ。窓は雪が吹き付けたまま凍ってしまい、部屋は真っ暗だった。

 寒さと暗さはレイラを萎えさせた。

 久しぶりのイズー暮らしで、仕え人付きの贅沢を思い出してしまった。ひどく体調が悪いときなどは、本当に助かった。

 父の誘いを思い出す。

 夫が戻ってこないならば、イズーで父と暮らしたほうがレイラにも楽にちがいない。一人では雪かきすらもできないのだから。

 昼間から蝋燭に火をつけ、苦労して暖炉に火を入れる。もともと育ちが良すぎるレイラは、家事に関するすべてが苦手だ。

 やっとどうにか温まり、お茶を入れて飲むと、レイラはふっとため息を漏らした。


 ――イズーに帰るわけにはいかない。どうにか一人で乗り切らないと。


 誰かが扉を叩く音。

 まるで、レイラが帰ってきて落ち着くのを待っていたかのようなタイミングだ。

 レイラは慌ててカップを机の上に置き、お客様を迎えた。

「……え?」

 扉の向こうに立っていた人は、見上げるほどの長身で顔をフードで隠していた。雪が降っているのだから、隠すつもりはなかったのかも知れないが。

 冷風が家の中に吹き込んでくる。

 風に逆らい、男がフードを外したとたん、銀糸のような銀の髪が舞った。

「セ……セリス様?」

 レイラは驚いて、エーデム王に対する礼儀を欠いていた。

 セリスのほうも、呆然とする家人の横を断りもなく家に入るという無礼を犯して、丁寧にも家の扉を閉めた。

「すまない。今日は寒いので……」

 それが王の口から出た最初の言葉だった。


 レイラが真っ赤になってしまったのは、王の無礼を怒っているのでも、暖炉の火で火照ったのでもなかった。

 レイラがまだ少女の頃、セリスは憧れの人だったのだから。

 エーデム王セリスと結婚する夢を見て、しかも寸前まで実現しかけた過去が、レイラをドキドキさせるのだ。

 時が流れたとはいえ、王族をよくあらわし、エーデムリングの力を解放できるセリスは、レイラがあこがれていたときとまったく変わっていない。

 エーデム族には珍しい癖のない真直ぐな髪が、彼をますます長身に見せる。エーデムリングに属する証の銀の角は、耳の横で大きく湾曲したまろやかな形状で、透き通るように美しい。

 王族らしい優雅な身のこなしもレイラの心を虜にしたものだが、今はその身のこなしで、無礼をさらりと詫びてしまう。

「突然の訪問を許してほしい」

 彼は長身をかがめ、胸に手を当ててレイラに敬意を示した。さらりと流れる銀の髪が床に届いた。

「あなたに頼みがあって……忍んできたのです」


 鈍竜ならば二日は掛かる旅路も、エーデムリングの迷宮を通り抜けることができる王には、わずか数時間の行程なのかもしれない。

 明らかに、イズーからレイラが帰り着くのを待っていたのであろう。しかも、イズーではお願いしにくいことらしい。

 レイラはひそかに緊張した。

 ここにはお茶を入れる道具も粗末で、貴人を迎え入れるような応接用の家具もない。料理台兼用になる机が一つと椅子が何個かあるだけなのだ。

 しかも、王という立場の人と、机をはさんでお茶をするということも、貴族とはいえ、王族の主流の血筋からはかなり外れたベルヴィンの姫には初めての経験である。

 もちろん、王一家と交流がまったくなかったわけではない。

 イズー時代のレイラは王妃エレナとは友人であるし、彼女の――今は亡くなったり生死をさまよったりしてはいるが――息子たちの家庭教師をしていたこともある。

 王セリスからも、並み居るエーデム貴族の中で、直々御礼を受けたことがあるほどだ。

 しかし、今回のような密談は初めてである。

 だいたい、戦いが一時的に中断された状態とはいえ、リューマとの決着がついてはいない。今は戦時下にある。

 この大事な時期に王が忍んでお願いにくるほど、レイラは重要人物ではない。

 重苦しい空気を払うように、セリスはレイラの入れたお茶を一口のみ、カップを机に戻した。

 その優雅な指の動きに、レイラが気をとられた瞬間、王はいきなり本題を切り出した。

「実は、あなたに私の息子ラベルとの結婚を受けていただきたい」

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