第3話

 3月1日

 玩具メーカーのタカラとトミーが合併し、タカラトミーが発足。


 本田技研工業がプリモ店、クリオ店、ベルノ店で軽自動車の取り扱いを開始(7月13日にはプリモ店、クリオ店、ベルノ店を統合しHonda Cars店発足)。同日、「ゼスト」を発売。


 安藤は精神科医の八嶋に憎しみを抱いていた。

 伊東景子には3歳の息子がいる。景子はノイローゼを患っていて八嶋クリニックに通っていたが、八嶋は景子に『安藤さんとは結婚しない方がいい』と助言をしたというのだ。


 3月2日 - 衆議院本会議は、永田寿康民主党議員への懲罰動議を採択、同議員を懲罰委員会に付託する事を全会一致で可決。


 安藤は愛車アルトにドラレコをつけた。午前中、病院に行き腰のレントゲン検査とMRIをやることになった。検査結果はヘルニアだった。病院のあとレンタル屋で工藤静香や矢沢永吉、BOØWYのCDを借りた。アルトでドライブした。静香は『嵐の素顔』、矢沢は『アリよさらば』、BOØWYは『ホンキートンキークレイジー』が好きだ。ローソンでおにぎりを買って近所の公園で食べた。

 木のテーブルで外人の子供がチェスをやっていた。家に帰ってきてDSで『もじぴったん』で遊びながらビールやウィスキーを飲んだ。□□か……□んか……りんか。

 

 3月3日

 第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)1次リーグ予選の「アジア・ラウンド」が、東京ドームで開幕。


 警察庁、北朝鮮による日本人拉致問題で、元工作員辛光洙、工作員「朴」ことチェ・スンチョル両容疑者を、ICPOを通じ国際手配。


 第29回日本アカデミー賞授賞式が、新高輪プリンスホテル・国際館パミールで行われ、「ALWAYS 三丁目の夕日」(山崎貴監督作品)が最優秀作品を含む12部門で賞を獲得。


 安藤は景子とデートをした。小山駅の地下にある餃子屋でお昼をして、カラオケ屋に行って小泉今日子の『なんてたってアイドル』や吉川晃司の『モニカ』などを歌った。前の客の香水だろうか?変な匂いがした。

 八百屋で人参やもやしを買ってひたちなかに戻った。自宅アパート近くの公園を景子と散歩してると、カワイイ女の子が近づいてきて「今日ば~ちゃんの家に行ってきたんだ」と言っていた。

 

 3月4日 - 公明党神崎武法代表、10月の任期満了時に退任する事が複数の関係者筋から明らかに。


 安藤は景子が息子の天使てんしを蹴っているのを見た。変な名前をつけるな〜と、安藤は思っていた。だって、伊東天使だぜ?芸名みたいだ。

 午後、車のタイヤ交換をDr.でやってもらった。

 

 3月5日 - 鹿児島県姶良町長が自宅でネクタイで首を吊り死亡。

 安藤は心臓の病になった。景子は頭が狂ったのかおせちを作った。ナマスにチョロギ、カマボコ。

「今年もよろしくね?」


 3月6日

 1997年、京都府警九条警察署が、泥酔し保護された男性を放置し死亡させ、その事実を隠蔽した事件で、大阪高等裁判所が元署長に逆転有罪判決。

 2月13日に京滋バイパスでタンクローリーが車列に追突、9名が死傷した事故で、京都府警が、運転手の勤務先「近若石油」の社長らを、過労運転下命の道路交通法違反容疑で逮捕。

 本高等学校野球連盟、元部員の飲酒喫煙による補導問題が発生した駒澤大学附属苫小牧高等学校の選抜高等学校野球大会出場辞退届を受理(北海道栄高等学校が代替出場)。


 安藤はショッピングモールにやって来た。マッサージ機で日頃の疲れを癒やした。

 安藤は、ケンタウルス社が開発した性病を完全防止する薬の注射にやって来た。

 単なる覚醒剤で、ケンタウルス社の根来恵子は暴利を貪っていた。恵子には八嶋Dr.も協力していた。

 

 3月9日 - 日本銀行、量的金融緩和政策を5年ぶりに解除。

 

 義経は抗争相手である安藤の女である景子と恋に落ちる。密会を重ねる2人だったがこれに激怒した安藤は義経の命をつけ狙うようになり、義経の身を案じた景子は義経をモンゴルに逃がす。義経の子を身籠っていた景子は裏社会から足を洗い、お腹の子を一人で産み育てる決意をする。


 3月16日 - 北九州空港が「北九州空港」として開港。 

 午後3時20分頃、ひたちなか市の那珂川で、水面に浮かんでいた黒色のゴミ袋から人間の手が出ているのを発見。引き上げると、袋には全裸の男児の遺体が入っており、伊東天使と判明。藤原刑事は遺体に無数の虐待の痕があったことから、行方をくらましていた天使の母親の景子(24歳)を指名手配した。


 3月18日

 ソフトバンクが、携帯電話業界大手のボーダフォンを1兆7500億円で買収する契約を結んだことを発表。

 東日本旅客鉄道と東武鉄道の日光・鬼怒川方面行き直通特急、「日光」「きぬがわ」「スペーシア日光」「スペーシアきぬがわ」が運行開始。

 

 朝、ひたちなか市の西にある公園で清掃活動をしていた男性が人の足首や頭部が入った一斗缶を発見。一斗缶は植え込みに立てかけるように置かれ、ビニールテープでふたが固定されていた。同日午後に近くの路上で手首などが入った第二の一斗缶が、翌19日には近くのゴミ捨て場から左足首が1つ入った第三の一斗缶が発見された。

 

 19日の昼、ひたちなか署の屋上で藤原はタバコを吸っていた。

 後輩刑事が階段を駆け上がってきた。

「ここにいたんですか?ハァハァ、第四の一斗缶が金上駅前で見つかりました。中から男性の首が見つかりました」

 司法解剖の結果、精神科医の八嶋恒夫だと判明した。


 3月20日 - 日本国外務省、非接触型ICチップが内蔵された新型パスポート「IC旅券」を導入。


 安藤は那珂湊反射炉にやって来た。茨城県ひたちなか市栄町一丁目に存在した水戸藩の反射炉。海防のための鉄製大砲の鋳造を目的に、徳川斉昭が江戸幕府から多額の資金を借りて建設したもので、安政2年(1855年)に第一炉、安政4年(1857年)に第二炉が完成した。ここで鋳造された大砲はおよそ20門に及び、各地の台場に据え付けられた。

 

 反射炉として十分に稼働できないまま天狗党の乱で破壊されてしまったが、釜石鉱山・橋野高炉を開発する直接の契機となったことから、多くの研究者は、日本の製鉄業の端緒を開いたことに意義を見い出している。

 

 那珂湊(江戸時代は常陸国那珂郡湊村、後に那珂湊市)は東廻り航路の寄港地として、また常陸・下野の物資の集散地として水戸藩領内では繁華な地であった。このため、藩は初代徳川頼房の頃から湊村を中心とした海防に力を入れており、2代徳川光圀は湊村日和山に異国船番所を置いた。文政年間(1818年 - 1831年)にはたびたび異国船が常陸国沖合に現れた。警戒を強める藩に対し、沿岸漁民は好奇心旺盛で、船に乗り込んではチェスの駒やナイフ、瓶詰のマスタードなどをもらって帰ってきた。郷士格を持つ堀川興のように、藩の許可なく異国人と筆談したとして処分を受けた村人もいた。


 文政12年(1829年)、徳川斉昭が9代藩主に就任し、藩政改革に乗り出した。斉昭は海防意識が高く、助川海防城を築いて山野辺義観を海防総司に任じた。天保12年(1841年)には水戸城下の神崎に鋳砲所を建設し、助右衛門らに口径20 cm以上級の青銅製の大砲を約300門造らせた。原料の青銅は藩領内の寺社からほぼ強制的に供出させたため寺社の不興を買うこととなり、反斉昭派の勢力と結び付いて斉昭は一時謹慎を命じられたが、嘉永2年(1849年)に藩政への参与が許され、嘉永6年(1853年)の黒船来航後、海防参与に任命されて幕政にも参画するようになった。


 この間、嘉永4年(1851年)に薩摩藩が反射炉の建設に乗り出すことを斉昭は知った。当時、水戸藩領内の銅が不足していたこと、鉄製大砲の性能が優れているという情報を得たこと、薩摩藩主の島津斉彬とは親しい間柄であったことから、斉昭は嘉永5年(1852年)に大工の飛田与七を鹿児島に送り、鉄製大砲の鋳造技術を学ばせることにし。飛田は鹿児島で、後に水戸藩へ派遣される技術者の竹下清右衛門の下で反射炉について学んだものと見られる。


 反射炉から少し歩いたところに赤ん坊の石像が置かれてある。ある子守唄を耳元で歌うと動き出すという都市伝説がある。

 安藤は考え込んた。最初に思いついたのは中国地方の子守唄だ。

「ねんねこ しゃっしゃりませ

 寝た子の かわいさ

 起きて 泣く子の

 ねんころろ つらにくさ

 ねんころろん ねんころろん


 ねんねこ しゃっしゃりませ

 きょうは 二十五日さ

 あすは この子の

 ねんころろ 宮詣り

 ねんころろん ねんころろん

 

 宮へ 詣った時

 なんと言うて 拝むさ

 一生 この子の

 ねんころろん まめなように

 ねんころろん ねんころろん」


 歌い終わったが何も起きなかった。

 次は五木の子守唄をチョイスした。

 伝承によれば、治承・寿永の乱(源平合戦)に敗れた平氏一族が五家荘(八代市)に定着したので、鎌倉幕府は梶原氏や土肥氏など東国の武士を送って隣の五木村に住まわせ、平氏の動向を監視させたという。その後、これら武士の子孫を中心として「三十三人衆」と呼ばれる地主層が形成され、「かんじん」と呼ばれた小作人(名子小作)たちは田畑はもちろん、家屋敷から農具に至るまで旦那衆から借り受けて生計を立てなくてはならなかった。娘たちも10歳になると、地主の家や他村へ子守奉公に出された。五木の子守唄はこの悲哀を歌ったものである。


「おどま盆ぎり盆ぎり


 盆から先きゃおらんと 


 盆が早よ来るりゃ 早よもどる


 おどま勧進勧進


 あん人たちゃよか衆


 よか衆ゃよか帯 よか着物


 おどんがうっ死んだちゅうて   


 誰が泣いてくりょか   


 うらの松山 蝉が鳴く


 おどんがうっ死んだら   


 道端ちゃいけろ   


 通る人ごち 花あぎゅう


 花は何んの花  


 つんつん椿


 水は天から もらい水」


 赤ん坊が動き出した。

「伊東景子を殺してくれ」

 ジャブのせいで安藤は、自分は源頼朝だと思い込んでいた。最近ゾンビがひたちなか市に現れた。

 魔物を倒すには聖なる武器を使って直接戦うか、悪人を3人殺す必要があった。既に町田、八嶋の2人は殺してある。景子を殺すことで多くの人間を救うことができるかも知れない。   

「了解ちまちた」

 

 3月26日 - 古川康佐賀県知事が、玄海町の九州電力玄海原発での国内初のプルサーマル受け入れを表明。


 景子はひたちなか海浜公園を占拠した。

 公園は7つのエリアに分かれており、その中に個々のアトラクションが設置されている。アトラクション間にはサイクリングコースが整備され、広大な敷地を自由に行き来することができる。また、主要なアトラクション間を結ぶシャトルバス、「シーサイドトレイン」もある。

 景子はセフレの藤原や、悲劇の作家安芸を仲間にしていた。

 プレジャーガーデンエリアにやって来た。

 🏌⛳ゴルフ場にいた人たちはショットガンやサブマシンガン、バズーカーで武装した3人を見て驚いている。

 ブルーアイズを景子は見上げた。🎡

 園内が一望できる観覧車。一番高いところで海抜100m。

 BMX(バイシクルモトクロス)コース🚵や、ディスク・オー(絶叫マシン)🎢などもある。

 なおこのエリアは『古畑任三郎』第2期において、木村拓哉ゲスト回「赤か、青か」のロケ地としても使われた。

 ダダダダダダダダダ!!

 藤原はサブマシンガンを空に向かってぶっ放した。 

「弾の無駄だぞ?」

 バズーカーを手にした安芸に窘められた。

 覆面パトカーがそこにやって来た。藤原は恐怖のあまりに身動きが取れなかった。ちなみに刑事の藤原とテロリストの藤原は兄弟でも何でもない。

 遥か東の空から赤ん坊がやって来た。

 目からレーザービームを発射して景子を殺した。

 赤ん坊は破壊することに興味を覚えたらしく、ジェットコースターや観覧車をレーザーで破壊した。

 もはやこれまでか!?と、藤原刑事は腹をくくった。ヒヒィン!タカッタカッタカッ!!🐎

 馬に乗った源義経が参上した。

 義経は鋼鉄の弓矢で赤ん坊を射抜いた。

 赤ん坊は空中分解し、黒い煙が枝垂れ柳みたいになった。

 藤原と安芸は呆気なく逮捕された。

 義経は新たなる戦場へと向かっていった。

 ゾンビは死ななかった。安藤が直接手を下したわけじゃないからだ。

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ひたちなか殺人事件 源義経の事件簿② 鷹山トシキ @1982

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