真? 耳なし芳一
仁志隆生
真? 耳なし芳一
むかしむかしのことです。
下関のとあるお寺に、芳一という琵琶法師がいました。
芳一は幼い頃から目が不自由でしたが、琵琶の弾き語りがとても上手でした。
と言ってもある程度は皆様たぶんご存知かと思います。
ですが芳一の体中にお経を書くところからが違いますので、そこからお話を始めましょう。
「さあ、じっとしておれよ」
和尚様はお経を唱えながら芳一の体に経文を書いていきました。
すると隣で墨を磨っていた納戸坊主(雑用係の下級僧)が言いました。
「和尚様、どうか私にも書かせてください。芳一さんにはいつもいいお話を聞かせてもらってますから、その御恩返しがしたいのです。どうか、どうかお願いします」
和尚様はそれ程言うのならと「では首から上を書いてくれぬか」と言いました。
納所坊主はたいそう喜び、一生懸命心を込めて経文を書きました。
その晩、侍の亡霊が芳一の元に来ました。
和尚様達は法要で留守にしていました。
「むう、芳一はどこへ行った、おおい芳一、どこだー!」
芳一は座禅を組み、静かに口を閉ざしていました。
「どこにもおらんな。おや?」
納所坊主がそこだけ経文を間違えたのか効き目が薄かったのか、侍には耳だけが見えているようでした。
「よし、せめて耳だけでも持って帰ろう」
侍はそう言って芳一の耳をもぎ取ろうとしましたが……。
「うわああああ!」
侍は芳一に耳に触れた途端大きな声で叫び、一目散に逃げ帰りました。
「え?」
芳一は何があったのか分からないけど、とにかく侍の亡霊がいなくなった事だけは気配を察して分かりました。
その後も和尚様達が帰るまではと座禅を組んでいましたが……。
「芳一、そこにいるのでしょう?」
今度は女官の声が聞こえてきましたが、返事はしませんでした。
「芳一、聞いてください。先程の侍はあなたを連れてくることだけ命じられていたので、愚かにも耳だけ持って帰ろうとしたそうです。申し訳ありませんでした」
女官はそう言って謝りました。
「おそらく誤解されているでしょうが、私達はあなたをとり殺すつもりなどありません。実はとある旅のお坊様が私達の墓にお経をあげてくれた後、あなたの素晴らしい琵琶の音と語り口を六晩聞けば極楽へ行けると言われたのです。けど、私達のことは最後の時まで知られてはダメだと……今夜でやっとと思ったのに」
女官は悲しそうに語りました。
「……そうでしたか。ではもうどうする事もできないのですか?」
哀れに思った芳一が口を開いて聞きました。
「いいえ。思ったのですがあなたのその功徳があれば、一人くらいは極楽へ行けるのではないかと。なので帝だけでもどうか、どうか……ううう」
女官は泣きながら芳一に頼みました。
「分かりました。ですが皆様も行けるように、精一杯させていただきます」
芳一は女官に水を汲んでもらって体中の経文を洗い流して衣服を着せてもらい、女官に手を引かれて帝達の元へ行きました。
そしてお墓の前に着くと、早速とばかりにそこに座り、琵琶を取って壇ノ浦の戦いを語りだしました。
時に声を張り上げ、時に琵琶の音で場を表し、心の中で皆の成仏を願い続け……。
やがてそれが終わると、女官の涙ながらの声が聞こえてきました。
「ああ、ああ、ありがとうございました。どうやら皆、行けるようです」
「よかった、お役に立てて何よりです」
そして幼子の嬉しそうな声が聞こえてきました。
「やっと母の元に行ける。ありがとう」
「ええ、ええ……ようございました」
それを聞いた芳一は涙を流しながら頷きましたが、
「うっ!?」
芳一は突然誰かに蹴り飛ばされました。
「おのれ、せっかく帝を地獄へ引きずり込んでやろうと思ったのに」
侍の声が聞こえてきました。
どうやら芳一を蹴ったのは彼だったようです。
「な、何をするのですか!? それと帝を地獄へとはどういう事ですか!」
女官が声を荒げて言います。
「帝の高貴な魂を地獄へやれば第六天の魔王となり、この世を再び戦乱の世にできたはずだった」
「な、なんですって?」
「おのれあの坊主め、余計なことを言いおって……だから寺男が後をつけて来た時、わざと見つかるようにしてやったわ。そうすれば和尚は芳一が悪霊に取り殺されるとでも思い、経文でも書いて隠そうとするだろうとな」
「もしやそれでも私の姿が見えていたと?」
芳一が思わず尋ねました。
「ああそうだ。こやつらには芳一がいなかったと言って、耳だけ持っていこうと思っていたのだ。そうすれば絶望して地獄へと……だがその耳に触れたらなぜか消えそうになったので、止む無く退散したのだ」
「それならなぜ私に報告したのです? いなかったと言えば済んだのでは?」
女官が訝しげに聞きました。
「そうしようとも思ったが、どうせなら僅かな望みも絶たれて絶望してくれた方がいいと思った。だが俺の考えが甘かった、まさかあれ程の力を出すとはな……」
侍が憎々しげに言います。
「そんな……あなたは人一倍帝に忠節を尽くしていたのに、なぜ?」
「ふふふ、そいつならとっくに俺が消してやったわ。そしてそいつの姿を奪った後、今までずっと機を伺っていたのだ」
そう言って侍がその姿を変えました。
「あ、妖!?」
女官の驚く声が聞こえました。
芳一には見えていませんが、禍々しい気配だけは感じ取れました。
「まあどうとでも呼べ。さて、成仏させるくらいなら消してやるわ!」
妖は刀を振り上げ、帝に斬りかかろうとしました。
それを察した芳一はそうはさせじと琵琶をとり、静かに語りだしました。
「ぐっ!? な、なんだ、力が、おのれ……ん?」
よく見ると芳一の耳が大きくなって光っています。
「その耳、その話……そうか、如来の力か!」
芳一が語っているのは阿弥陀様のお話でした。
「ぐ、お、おのれ、どうせ消えるなら!」
妖が芳一の耳をがしっと掴み、最後の力を振り絞るかのように引きちぎりました。
「!」
芳一はそれでも痛みを堪え、琵琶を弾き語り続けました。
「ふ、はは……如来の力は消せた、ぞ……」
妖はそう言った後、塵となって消えていきました。
「ああ、ああ、ごめんなさい、私達のせいで」
女官が泣きながら芳一の手当てをしました。
「いえ、皆様が極楽へ行けるなら、このくらい」
芳一は痛みを堪えて笑みを浮かべて言います。
「ああ、ありがとうございました」
「寺に使いを出したからじきに迎えに来るよ」
帝がその小さな手で芳一の手を取って言います。
「ありがとうございます。ああ、帝が極楽へ行ける。本当にようございました」
「うん、ありがとう」
「時が来たようです。芳一、どうかお達者で……」
女官がそう言うと辺りから人の気配が消え、しいんと静かになりました。
その後、迎えに来た寺男に担がれ、芳一は寺に戻りました。
そして和尚様に一部始終を話しました。
「そうじゃったのか。無事とは言えぬが命があってよかった、うう」
和尚様は涙を流しながら言います。
「はい。しかしなぜ耳がと思いましたが、もしや納所の方が書いてくださったからでしょうか?」
「そうかもしれぬな。あれは知っての通り元は旅の僧じゃが、実は徳の高い僧だったんじゃろな」
「あの、あの方はまだお戻りではないのですか?」
「さっき部屋を見たら書き置きを残していてな、また旅に出るとあった」
「そうですか……お礼を言いたかったです」
「こうも書いておったぞ『もし礼をと思ってくださるなら、これからも多くの人に話を聞かせてあげてください』とな」
「……はい」
その後この話があちこちに広まり、多くの人が芳一の話を聞きに来ました。
そしていつの頃からか、芳一は耳が無いことと聞く人全ての耳に幸せを成す事から「耳なし芳一」と呼ばれるようになりました。
終
真? 耳なし芳一 仁志隆生 @ryuseienbu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
見た覚えのないもの/仁志隆生
★12 エッセイ・ノンフィクション 完結済 1話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます