朱夏の端くれ

梨菜「あぁーっ。あーあ。」


自分のベッドにて

大の字になって寝転がりながら

思うがままに息を吐いた。

それもそのはず。

今日を持って、2022年の夏休みは

終わってしまうのだから。


夏というものはやっぱりいい。

やっぱりよかったというべきか。


前半はこれといって

濃い思い出はそんなにないけれど、

特に後半は思い出だらけ。

みんなで花火大会にいったり、

そこから花火大会のやり直しと称して

手持ち花火で遊んだり。

そして、星李と海に行ったり。

それかられいちゃんって子と

出会ったりもしたっけ。

例年とは違った夏休みになって

心底満足している。


目の前には、全てやり終えた宿題。

ほとんど答えを写したけれど、

終わりといえば終わりなのだ。

波流ちゃんも今日は

宿題が終わらないと言って嘆いており、

個別で電話がきたほどだ。

先日は夜な夜なやったのだろう、

先程晴れて終わったようで、

歓喜のツイートが目に入った。

波流ちゃんは追い込まれれば

ちゃんとできる人だから、

きっとその危機を感じる力が

前倒しになっていればもっと

楽できたのかな、なんて。

私もそんなことは

言っていられないけれど。


梨菜「星李ー、ご飯ー。」


大声でひとつ声をかける。

しんとしているのが

不意に身に染みた。

星李は返事をしないままに

幾らか時が経る。


…?

星李はいつの間に

家を出ていたのだろうか。

いつもなら返事をするものだから

何だか不思議で仕方がない。


自分の勉強机を離れ、

この慣れてしまった匂いの中を泳ぎ、

汚れの目立ってきた廊下を進む。

星李に言われたらやっていた掃除も

今ではそんなにしなくなったな。

気が向いたら、程度。

この夏休みから星李はぐちぐちと

私の行動に口を出さなくなっていた。

私は掃除と洗濯ならできると

豪語していたのだが、

それは星李の多大なる支えがあったからのよう。

今だって十二分に

支えてもらってはいるのだけど、

どこか自立させようとさせているのか

距離を置かれているような気も少々する。

けれど、遊びに行こうといえば

一緒に遊びに行くものだから、

結局どっちなんだかわからない。


最近、何となくだけど

星李に対して不思議だなと思うことが増えた。

ご飯は正直美味しく無くなってから

数週間経ったから慣れてきたけど、

でもやっぱりおかしい。

あと、ゴミ出しはこれまで

星李が担当だったのに

急に私に押し付けてきたのも数週間前のこと。

それから、金魚の世話をすると言いながら

多分だけど何もしてなかったこと。

最も簡単にからになった水槽を

思い浮かべることができた。


それから、頭をよぎったことがある。

これは確か夏休み前の記憶だった筈だ。





°°°°°





梨菜「まぁまぁ。あのさ、コップ割れちゃったの?」


星李「あぁ、ヒビが入ってたやつ?」


梨菜「そうだっけ。なんか少し欠けてたよ。」


星李「そうなの。洗ってる時落としちゃって。」


梨菜「怪我なかった?」


星李「うん。シンクに落とした感じ。」


梨菜「そっかそっか。ならよかった。」


星李「よくはないけどね。」


梨菜「じゃあ、お姉ちゃんから提案ひとつ。」


星李「何?」


梨菜「週末、コップ買いに行こう!」


星李「一緒に?」


梨菜「勿論。部活ある?」


星李「日曜日は休みだよ。」


梨菜「ほんと!やったー!」


星李「他にもどこかいきたいところある?」


梨菜「どうしたの、急に優しいじゃん。」


星李「前々からどっかいきたいって言ってたし…それに、テストも終わったから気兼ねなく遊べるなーって思って。」


梨菜「遊ぶ。気兼ねなく遊ぶ!」


星李「お姉ちゃんはいつだって考えてないでしょ。」


梨菜「失礼な!コップ買うならお揃いがいいなとか、妹が逞しく成長していて嬉しいなとか思ってるもん。」


星李「そんなこと考えてる暇があったらほら、さっさとテスト勉強をしたした!」





°°°°°





コップは未だに

買い替えていないままで、

欠けたままだったのだ。

これを使うこともなく、

ただただ放置してある。

捨てることもできず、

かと言って2人で買いに行こうといえば

断られてという出来事が

何回か起こっている。


これまでの星李とは

違った行動が多すぎると

最近は頻繁に思うようになった。

言葉にし難いのだが、

それとなく違和感と距離を感じている最中。

リビングにたどり着いた時だった。


ふと。


れい「…!」


梨菜「わぁっ!びっくりした。」


れいちゃんの姿が目に入った。

夜もいい時間なのだが、

私の家に何故かいるのだ。

それに頭が混乱する。

慌てて時計を見てみれば、

今は21時が近くなっている。


星李が招いていたのだろうか。

いつ?

私は昼に起きて以降は

多分だが昼寝はしていないはず。

誰かが家に入ってくるような音だってなかった。

気づかなかったのではと考えてしまえば

それまでなのだろうけれど。


梨菜「帰らなくていいの?」


れい「うん。」


梨菜「お母さんには言った?」


れい「お母さん、捕まってるから今は1人。」


梨菜「え?」


れい「え?」


梨菜「捕まってるの?警察にってこと?」


れい「そう。」


梨菜「悪いことしたの?」


れい「したよ。」


れいちゃんは淡々と口にするものだから

事の重大さがいまいち体に浸透してくれない。

けれど、今1人であることには

間違い無いだろう。

干しっぱなしの洗濯物が

視界にふと映った。

あれ、昼間に取り込んでおくように

星李に言ってるんじゃなかったっけ。


梨菜「あ、れいちゃんごめんね。先に洗濯物中に入れちゃうから。」


れい「うん。」


いつものれいちゃんとは違うようで、

星李とは似ているもののどこか

似つかない雰囲気が漂っている。

そもそも、星李はどこに行ったのだろう。

こんな時間に買い出しに

行ったかと考えてみるも、

今日は特に映画がある日でも無いので

きっと違うだろうと想像がついた。


窓を軋ませ、そのまま外に出ると

裸足のままだったからか

すうっと生ぬるい空気が

底から身に染みていった。

洗濯物を取り込んでいく中で

不意に思ったことがある。


梨菜「…?」


いつかからか、洗濯物が

異常なまでに少ないのだ。

それは、洗濯をサボっている

というわけでは無い。

毎週2、3回程回しているにも関わらず

何故か使用しているハンガーの数が

やたらと少ないのだった。


「お姉ちゃん。」


梨菜「…?」


洗濯物を手に振り返ってみれば、

星李がそこにいるでは無いか。

髪を緩やかに夜風にたなびかせ、

うっすらと笑う彼女。

私の大好きな妹だ。

いつもは天真爛漫に笑っている姿か

むっと眉間に皺を寄せ怒っている姿が

焼き付いてしまっているためか、

どうにも星李だと確実に

認識できたとはいえなかった。


そうだ。

星李とれいちゃんは見分けがつかないほどに

似ていたんだった。

そうだ、そうだ。

思い出した。


梨菜「星李?」


「…。」


梨菜「いや、れいちゃんか。」


れい「うん。」


梨菜「なんでお姉ちゃんって呼んだの?」


れい「ちゃんとれいのことを見てるのかなって疑問に思って。」


梨菜「…?どういうこと?」


れい「星李ちゃん、2、3日帰ってこないって。」


梨菜「………え…っ。」


れい「れいは聞いたよ、星李ちゃんから。それと、お姉ちゃんから。」


梨菜「私は言ってないよ、そんなこと。それに私、知らなかったし…!」


れい「言ってたよ。」


梨菜「あのね、れいちゃん。嘘も大概にしようね。」


れい「れいは小さい子?」


梨菜「私からすればね。」


れい「だから怒るの?」


梨菜「違うよ。小さい子だからじゃない。」


れい「知ってるよ。お姉ちゃんは、お母さんみたいになるんだよ。」


梨菜「…。」


れい「れい、星李ちゃんとお姉ちゃんに聞いたよ。」


梨菜「…ねぇ、れいちゃ」


れい「私たち、ずっと暗い部屋でお腹空いたまま、痛いのだって我慢したじゃん。それで、お姉ちゃんは決めたんでしょ?」


どくん、と嫌な跳ね方をした。

心臓がこくんと喉を鳴らした反動が

たった今全身を駆け巡っている。

指先がぴくり、と動いた。


れいちゃんはくるりと背を向けてから

キッチンの方へと向かい、

それから何かを取り出して戻ってきた。

それは、星李の言っていたコップ。

欠けたコップだった。

少しだけ、欠けたという思い出だけが

重ねられたコップ。

それを、れいちゃんは迷いもなく

手から離したのだ。


梨菜「…っ!」


ぱりいぃぃん…。

勿論快活な音を出して

コップは粉々に砕けた。

当たり前だ。

落としたのだから。

綺麗とはいえないほどの

鈍った音だったけれど、

そこにあった形のものは消え去った。

もう、それはコップでは無い。

形あるものは全てなくなるのだろうなと

実感していたのだが、

れいちゃんは私のことを

休ませようともおもわず、

将又飛び散った破片を

片付けようともせずに

ひとつの大きな破片だけ手に取った。

そして、それをこちらに向けたのだ。

そのまま突っ込まれれば、

私は死んでしまうのだろうか。


…。

あぁ。

そうだ。


その先に触れていいのは

れいちゃんじゃない。


れい「だからお姉ちゃんはお母さんのこと」


梨菜「うるさいっ!」


気づけば、れいちゃんに

食いかかるかのように飛びついて、

彼女の肌を視線で噛みちぎるかのように睨み、

ぎゅっと爪が食い入るように肩を掴んだ。

あたりには洗濯物が散っている。

ぴー、ぴー、と

特有の虫が鳴いている。

さらに遠くでは、救急車の音。

それから、もっと遠くに私の呼吸の音。


れい「…。」


梨菜「ふー…っ…ふー…。」


れい「お姉ちゃんは、お母さんみたいになるよ。」


梨菜「ならない!」


れい「じゃあ、今は?」


梨菜「…っ……私は、私たちはもう、何にも不自由はしてない!」


れい「…。」


梨菜「……っ…。」


れい「…星李ちゃん、2、3日後に帰ってくるって。」


梨菜「………聞いたよ。」


れい「違うよ。さっきは2、3日帰ってこないって言ったんだよ。」


梨菜「…同じでしょ。」


れい「違うよ。」


梨菜「…。」


あぁ。

どうでもいいことで怒ってしまった。

れいちゃんから離れるべく

とっつかんでいた服や肌をそっと離した。

すると、れいちゃんは

何もなかったかのように

すうっとその場を離れて、

いつも星李が座っている場所へと座った。

まるで、いつものように。

いつもの星李のように。


梨菜「…。」


今度は光なんてなくとも

容易に視界に飛び込んできた。

掌には燦然と輝く夏のような赤が

綺麗に綺麗に咲いている。

近くのタオルにも少しばかり

散ってしまっているようで。


梨菜「…。」


どうにも綺麗じゃない。

あれ。

これ、どこかで見たことあるな。


梨菜「…あははっ。」


そうだ。

そうだ、そうだ。

あの日はテストの直後だった。


梨菜「星李ー?寝てるのー?」


…。

…。


…。

…。

いくら声をかけても

家鳴りが返ってくるだけ。

それだけ。

やはり、それだけだった。

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