石灰に咲く

夏休みもそろそろ終わるらしい。

ということを、

長束先輩の焦り具合で知った。

何に焦っているかというと無論

夏休みの宿題だ。

前半は部活の大会があったために

それに専念していたものだから、

後半に宿題の山が詰まってしまったらしい。

言い訳のようにも聞こえるのだが

あてがぐちぐちと言うことでもないし、

少々貶して笑う程度にしておいた。


麗香「…。」


からり。

何年も使い込んでいるシャーペンを

転がしてみた。

転がしてみた、なんてものは言葉のあやで、

実際は手の内側に熱気がこもってしまい、

それを逃がしたくてやったのだ。

未だに花火の熱が抜けきっていないらしい。

もう手の側面に黒鉛がびっしりと

張り巡らされることは無くなったものの、

ペンを取ることはやめなかった。


しぃ、じーじじ。

蝉が鳴いている。

そんな季節も後1ヶ月程すれば

落ち着いてくるところまできた。

夏も丁度折り返し地点。

夏休みが終われば、

次、季節を実感するのは冬だ。

秋はあってないようなものだと思っていた。

うつろいでいく中の

言わばグラデーションの内。

白と黒の間。

それが長いものだから

偶々名前をつけただけなんだろう。

4つあればなんだか収まりがいいから

春を重複させなかったのだろう。

そんな偏見を抱えて

今日も肺から呼気を浮かばせた。


学校の復帰後、先輩は体操頑張っていたのを

見ていたから知っている。

先輩は努力家なんだ。

あてが計り知れないほど。

あてなんかのように

決められたレールに乗ってばかりじゃなくて、

彼女は自分で開拓していく力を持っていた。

だからこそ自由で、責任感があって、

そして誰よりも輝いて見えた。


麗香「…もう少しまとめよ。」


もう1度シャーペンを手に取ってみると

やはり手中が蒸れるから

どうにも腹の底までが

むずむずして仕方がなかった。


長束先輩の良さは重々に分かっていたのだが、

根府川駅での一件を通して

関場先輩のいいところもわかった。

主には、長束先輩と

似ている部分がいくつかあり、

そこに目がいっていた。

思っている以上に波瀾万丈な

生活を送っていたこと、

それを感じさせないくらい

笑顔で人と接していること。

そして、彼女は普通を願っていたけれど、

彼女は普通になれなかったところ。

勿論、いい意味として。

関場先輩は普通じゃなかったから、

変だったからと自分を抑制していた。

けれど、そんな抑制は無い方が

関場先輩らしいって思った。

それでこそ、長束先輩と並んでいて

絵になると言えばいいのだろうか。

この言い方は引っかかるのだが、

何にせよ、あの長束先輩と

今でも関わりを持っていられると言うのは

普通の人じゃなかなかなし得ないことだと

勝手ながらに考えているのだ。


長束先輩も関場先輩もどんな人なのか

この1年程で大体ながら知った。

ただ、あては交友関係を広げたいとは

微塵も感じていなかった。

だからこそ、SNSでの繋がりも重視できず

異変が起こった後も

人と関わるようなことはしてこなかった。

求めていないから。

必要性を感じていないから。

だから。


…。


けれど。





°°°°°





花奏「…人酔い…してん。」


麗香「そう。」


花奏「麗香さんは…何でここにおるん?」


麗香「そりゃあ、猫ちゃんがいるレーダーがびびびってしたから。」


花奏「…猫?」


麗香「そう。けど、レーダーは故障してたみたい。」



---



花奏「待って。」


麗香「ん?」


花奏「…何も言わへんの?」


麗香「別に興味ないし。」


花奏「…そう。」





°°°°°





花火を背に縮こまり、

足元に群がる蟻に身を寄せるような

あの姿を見てあては

なんて言えばよかったのだろう。


麗香「…そりゃあ、なんも言えないけぇ。」


後1人、あてと何気なく関わりのある人がいた。

それがのっぽ、小津町という人だ。

第一印象からよくなかったのは

頭にしみが残るほど覚えている。

先輩後輩という概念がないのか

タメ口でずかずかと話してきては

下の名前で呼んでくるし

一体何なのだと些か憤りを覚えた。

絡みたくない、関わりたくない

という本音を持ち続けており、

それを本人も感じているのだろう。

あまり近くなることはなかった。


しかし、先日の花火大会で

その人が姿を消したと聞き

みんなで探すことになったのだ。

サボるつもりで遠くに来てみれば

なんと出会ってしまったではないか。

ただし、いつもと様子が違うのは

流石にあてでもわかった。

只事ではないだろうな、と。

そこで浮かんだのは

一連の不可解な出来事。

今の一瞬で、何か経験したんではないか。


そう勘繰ったあては

とりあえず離れたくって

適当な言葉を投げかけてその場を去った。

そこにいたくない理由は勿論

嫌いだからというのもある。

しかし、その時に感じたのだ。

それとなくだが、

あてと小津町は似ている、と。

似ているからこそあては嫌悪して

あえて距離をとっていたのではないかとすら

錯覚してしまうほどに。

馬鹿馬鹿しい。

そう一蹴し、後は三門という人に

頼むことにした。

全員で行ったって邪魔な上、

迷惑になることだって目に見えているのだから。

そして今日、花火大会のやり直しを

することになったのだ。


麗香「…根府川駅…溺れる1番線。」


紙に浮かぶ文字をなぞる。

あては、この宝箱の中身のおかげで

長束先輩にたどり着くことができた。

他にも多くのヒントが

ここにはあるはずだ。

だから、他の人がもし不可解なことについて

経験しているのであれば

ぜひこの記録に残したいところなのだが、

生憎あては交友関係が狭い。

業務的なものだと割り切ればいいものの、

そもそもとして信頼関係がないので

話してもらえるかというのが疑問なのだ。


麗香「…先輩に頼めばいいんだろうけど。」


でも、プライドが邪魔をしているのか

どうにも行動に移すことはできない。

これは、聞くと相手が

苦い思いをするんじゃないかという

優しさではないことだけは確かだった。


頭の中で話を逸らしてたとしても

戻ってくるのは小津町のあの

不安げな表情ばかり。

そんな自分すら苛立たしい。


花火自体は綺麗だったからこそ

遠慮などなく暗闇が透けるのだ。

それは、関場先輩の問題だって該当する。


あて達はまだ、不可解な出来事から

何ひとつ抜け出せていないのだ。





***





花奏「ふんふふーん。」


鼻歌を歌いながら今日もお皿を洗う。

お父さんの仕事は漸く安定してきて

生活に必要なものを揃えられる様になってきた。

反面、私は高校に通い始めたものだから

高い出費が嵩む。

私にも何かできる事をしたいと思って

家事はできる様にしている。

できる様になった。

というかした。

高校生になってから暫く経ち、

夏にもなったのだから

バイトも始めたいところ。

歩さんにおすすめを聞こうかな。


少し前までは今よりぎりぎりな生活。

そんな生活を送る事を強いられたのも

全部私のせいだった。


花奏「あ、お母さんに挨拶してへんわ。」


ちょうどお皿が洗い終わった頃、

蝉が鳴いたから思い出した。

蝉が鳴かなきゃ忘れてたのか。

薄情だな、私。

でも視点を変えれば

それ程縛られなくなってきているという事。

例外はあるが、昔ほどではない。

…そう思いたい。


飾られたお母さんの写真の前に行き

お線香に火をつける。

井草の匂いと煙の匂い。

この家は父方のおばあちゃんの家だけど

お母さんもここに住んでいたかの様な

感じさえしてきてしまう。

…いや。

今一緒に住んでるじゃないか。

こうやって、一緒に3人で。

そりゃそう感じるに決まってる。


花奏「おはよ、お母さん。」


手を合わせていつも通り

深く短く挨拶をする。

お母さんは若い時のまま変わらず

笑顔を向けてくれていた。


私の生涯は幸せだった。

幸せである筈だった。

変化が訪れたのはお母さんが亡くなった時で

私はまだ小学生の低学年だった頃。

お父さんはショックからか仕事で

取り返しのつかないミスをし転職したらしかった。

当時の私はそんな事全然知らなくって。

後に打ち明けてもらったんや。

私はその頃のお父さんの事を色濃く覚えている。

酷い顔色、思い詰めた顔。

そんな状態の癖して

私には平気だよと辛そうに笑ってたこと。

まあ本人には言えんけどな。

私はというと一気に喋らない子供になった。

前髪は伸び切ったまま、

目線も合わさず下を見てばかり。

それは私が小学5年生になるまで続いた。

あの人に会うまでずっと下を見てた。


花奏「…よし、勉強でもするか。」


お母さんに挨拶をし終えて

食卓にある低いテーブルの元へ向かう。

古い家ということもあって

踏む毎にぎぃと不快な音を立てる。

ここに越してすぐは

いつか床が抜けるんじゃないかと

常に不安だったけれど今では慣れてしまった。

お父さんによると床が抜けない様に

工事はしてあるらしい。

何年前の話やって感じやけど、

その情報を鵜呑みにしておいてあげた。


夏休みの宿題と最近中古で買った参考書。

あと学校で使ってる

シャーペン等が入ってる筆箱が遠くに。

鉛筆削りとまだ丈の長い鉛筆が近くにあった。

鉛筆は受験時にだいぶ消費したが

まだこの1年間家で勉強する分には

不便しないであろう量が残っている。

いつ何のためにそんな多くの鉛筆を

購入していたんだろう。

何でか家では鉛筆の方がしっくりきた。

なんでなのだろうか。

家が和風ってこともあるんだろうか。


花奏「…うーん、なんでやろうな。」


よく考えればお母さんが

鉛筆をよく使っていた気がする。

私が小学生で、一緒に買ってたような。

だからだろう、多分。


花奏「…まだ縛られとるんかなぁ。」


思わず声に出てしまうも

お父さんは今仕事中。

返事をしてくれる人なんていなかった。

返事をしてくれる人がいたら

少しは落ち込んだ気持ちも軽くなるんやろうか。

それこそ。

それこそ歩さんがいたら。


花奏「…いや、無視するやろうな。」


にへへ。

口がふやけた。

歩さんならどんな反応をするか

容易に想像がついてしまう。

どれだけ歩さんの事が好きなのか。

過去の事を思い出す時は大体

気分が沈むけれど、

今回に限っては思ったよりそうでもないっぽい。

幾らか気の持ちようが

元に戻ってきたというべきか。

しかし、それも今日でまた

地にまで落とされるのだけれど。


前髪は伸び切ったまま、

目線も合わさず下を見てばかり。

それは私が小学5年生になるまで続いた。

あの人に会うまでずっと下を見てた。

その人も、2年ほど前忽然と姿を眩ませて

次会った時はもう棺の中だった。

大切な人ばかり居なくなっていった。

消えていった。

その年前後1年間は只管に大変だった。

沢山傷を負った、沢山逃げて来た。

逃げて来た結果0からのやり直しになった。

こういうぎりぎりな生活を送る事を強いられたのも

全部私のせいだった。

全てを置いて、捨てて逃げて来た。


沢山回り道をして今ここには安寧があった。

この安寧は私の頑張った証明のようなもので。

手放したくない。

そう一心に思うばかり。


かりかり。

鉛筆が擦れる音と蝉の声。

夏がにじり寄って来ているらしい。

去年の夏はひたすら勉強してたんだっけ。

今行ってる高校にどうしても入りたくて

ただひたすら自己嫌悪と戦って頑張って。

不意に左腕の傷跡が目に入るも

人と会わないからいいやと放置した。

扇風機が唸ってる。

うっすら首筋に汗が浮かぶ。


花奏「あっつー。」


海にでも行きたい。

そうだ。

海行きたい。

花火じゃなくって。

…。

そうとは口に出せなかったな。


今年はいつもと大きく違って

歩さんをはじめみんながいる。

今まであの人…真帆路先輩以外では

深い仲になった人が

居なかったからとても新鮮。

新鮮だった。


だからこそ、私の持つこの爆弾が

露呈してしまうことを恐れ続けている。

みんなは愚か、歩さんにまで。


花奏「…気にしい、かぁ…。」


独り言はただ垂直落下して、

諦めたように呟く私がそこに居た。

いつまでも過去にだけ囚われていた。

今日はみんなで花火大会のやり直しをする。

発案は梨菜さん、

理由はみんなで見れなかったから。

私のせいではあるのだ。

ただ、行きたいとは当然の如く

思うことができなかった。

歩さんは2度もこのような集まりに

参加しないだろうと踏んでいたから、

それに乗じて私も行かないように

しておこうと思ったのだが、

何と歩さんは賛同した。

だからこそ、逃げ道は無くなっていた。





°°°°°





歩「因みに、祭りは完全に終わるまで1時間半くらいあるんだとか。」


花奏「そうなんや。」


歩「どーする?」


花奏「どうするも何も、みんなで帰るんやろ?」


歩「どうせ数駅分でしょうが。」


花奏「でも…」


歩「別に最初で最後にしなきゃいいじゃん。」


花奏「…!」


歩「帰る?」


花奏「…花火。」


歩「え?」


花奏「歩さん、見てへんやろ?見てきぃや。」


歩「あんたは?」


花奏「私はええや。ここにおる。」


歩「それで今年の夏の思い出づくりは終わりでいいわけ?」


花奏「ええんよ。もう十分や。」


歩「それ以上は求めないんだ?」


花奏「うん。十分。」


歩「そ。」





°°°°°





きっと最初で最後に

しないでくれたんだろうな。

たったそれだけの思いだったんだろう。





***





相談して決められた集合地点についてみれば、

既に多くの人が集まっていた。

来ていないのは、それこそ梨菜さんと

波流さんくらいだろうか。


愛咲「おぅーい!花奏こっちー!」


こんな声が耳に届くものだから

すぐに場所はわかった。

愛咲さんの大声は

部活だけでなくこういう部分でも

役に立つのかと感心する。


夜になってゆく間に

気温はみるみるうちに下がっていき、

人肌よりも随分と低い位置にまでなっていく。

風が心地よく、ポニーテールが

ゆらりと大きく揺れた。

不意に、彼女の姿が視界を満たすしてしまって

思わず視線を逸らしたのだった。


歩「…?」


愛咲「楽しみだな!足りなかったら近くのコンビニで買い足そーぜ。」


羽澄「ですね。でもこれだけあれば結構十分だと思いますよ。」


麗香「誰がこんなに用意したの。」


愛咲「美月だぜぃ!」


美月「親に言ったら、去年使わなかったものがあったからって快く譲ってくれたわ。」


愛咲「去年何する気だったんだよ…。」


羽澄「まあまあ、コロナもありましたからね。」


歩「昔の花火は爆発するよ。」


愛咲「うええっ!?マジかよ。なんてもの持ってくんだ!」


麗香「…そんなわけないじゃん。」


美月「歩、意地悪しないの。」


歩「冗談冗談。」


羽澄「三門さんが言うと本当っぽく聞こえるんですよね。」


愛咲「わかるぜ…。それでうちが引っかかってるからな!」


花奏「あはは…引っかかった自覚はあるんやな…。」


愛咲「なっ…!は…はは…あーはっはっは。さっきのは冗談だ!」


愛咲さんは高笑いをすると

そんなことを口にしていた。

それでも嫌な気がしないのは

彼女の才能だろう。

麗香さんだって美月だって

羽澄さんも笑っていた。

歩さんだけは相変わらず表情を変えず、

ひと通り話を聞いたら

そっぽを向いていたけれど、

それが歩さんらしいだなんて

思う私がいるのだった。


それから数分待っていれば、

梨菜さんと波流さんが

走りながらこちらに来た。


梨菜「ごめん、お待たせしました!」


波流「遅れてごめんなさい!」


愛咲「いーんだよぅ。暑かったろうしこれで汗でもふけって。」


羽澄「そ、その流れでの花火譲渡は上級者すぎます。」


麗香「いつものこと。」


羽澄「それは確かにそうですね。」


梨菜「はぁ、はぁ…あっつい…。」


美月「夜でもまだ蒸すわね。」


波流「だね。あ、そうだ、私の家にも花火が余ってたみたいだから一応持ってきました!」


愛咲「おぉ!よくやったぞ、遊留大佐!」


波流「えへへ、ありがとうございますであります!」


美月「日本語が大変なことになってるじゃない。」


麗香「先輩が人の名前を覚えてたことに驚き。」


愛咲「見くびってもらっちゃ困るぜい?」


ちらと歩さんの方を見てみれば、

何を思っているのかわからないが

川のある方向を眺めたままだった。

私達は半ば円になりつつ話しているものの、

あまり気にしていないらしい。

協調性がないといえばないが、

同調圧力に屈しない強さがある

といえば聞こえはいい。

私も私か。

にこにことしているだけで

今後するであろうことに対してばかり

意識が向いてしまって仕方ない。

楽しむなんてことは

毛頭できないようで。


すると、歩さんは唐突に動き出しては

地面に広げられた花火をひとつ手に取った。

そして、また離す。

選んでいるのだろうか。


歩「…ふーん。」


美月「どんなのがあった?」


歩「ま、普通の。」


波流「私が持ってきたのもここに置いておきますね!」


愛咲「ありがとな!」


それぞれの場所で、

そして時にみんなで会話しているものだから

耳が追いつかなくて混乱する。

…。

理由はそれだけではないか。

みんながわらわらと

花火に群がり始めた中、

その群れから1歩離れた人影。

その姿にはまだ火のつけられていない

手持ち花火がひとつだけ。

そして徐に私に近づいては

小さな声で話しかけるのだ。


美月「…花奏、調子でも悪い?」


花奏「…え?」


美月「だって、なんだか浮かない顔をしてるもの。」


花奏「んー…まあ、いろいろなことが重なっててな。」


美月「低気圧とかかしら。…あぁ、あの日とか。」


花奏「そんなところやね。」


美月「辛い中来てくれてありがとう。」


花奏「んーん。来たかったんやもん。」


美月「そう、ならよかったわ。」


花奏「…梨菜さんがはじめにみんなで花火大会をやり直そうって言った理由、覚えとる?」


美月「えぇ。みんなで花火を見たいって言ってたわね。」


花奏「そう。…みんなで見れへんかったのって私のせいやからさ。それに…。」


美月「…そんな使命感や責任感を感じなくてもいいと思うけれど。」


花奏「そうかも知れへんけどね。」


美月「そうよ。少なくとも私はそう思ってるわ。…後、歩もきっとそう。」


花奏「歩さんも?」


美月「絶対ではないけれど、きっとね。」


美月はそういうと、

火をつけにだろう、

またみんなの元へ戻っていった。

…。


きっと、口に出しても大丈夫なのだろう。

少しだけ休みたい、と。

見ているだけでもいいかな、と。

言うだけでいい。

このまま無理をして、

これ以上の失態を見せる方が

私にとっては嬉しくない。

この時に限って聞かぬは一生の恥だの

そう言った言葉が脳裏を過る。


ゆっくりと掌を見てみれば、

暗くなりつつある空が覆ってくれるから

変に汗が光を反射せずに済んだ。


花奏「あのっ…。」


そうひと言だけかけた。

そう。

ひと言だけ。

ひと言。

それだけで汗が噴き出て

止まらないかと思うほど。

それほど、心臓は別の生き物のように

鼓動し出して止まらず、

背中からはつうっと汗が流れた。


みんなの視線が集まるようで、

それがどうにも苦手だった。

花火を持つみんなは

まるで私に対して嫌悪の意を抱いた

怪物のように見えてしまう。


愛咲「ん?どーした?」


花奏「えっと…ちょっと座って休んでてもええ?」


愛咲「えー、どうしたんだよーぅ!」


羽澄「体調が悪いんですか?」


花奏「ぁ、え…そんな感じで…」


愛咲「てーへんだぁ!花火って結構匂いするしさ、離れたところにいた方が楽か?」


花奏「その方が嬉しい…かな。」


愛咲「よしきた、愛咲さんに任せときな!」


愛咲さんはそういうと、

片手に花火を持ったままだったが

私の手を引き階段のところにまで

連れてきてくれた。

目を細めずともみんなが

何をしているか見える程度の

ちょうどいい位置だったため、

私はここにいることにした。


愛咲「花火持ってくるか!?」


花奏「ううん、見とく見とく。やから楽しんできてやー。」


愛咲「楽しむのは愛咲さんの大得意分野だからな!やってやらぁ!」


大きな声を上げながら

麗香さんの名前を呼び

そちらへと駆けて行った。

その後ろ姿、癖っ毛が大きく揺れた。

夏らしくポニーテールをしているのが

漸く目に入ってくれた。

これまでの愛咲さんは

髪を下ろしているイメージが強かったために

印象が随分と違うなと思う。

離れることで落ち着いてきたのか、

鼓動はやがてゆっくりとなり

安静時と同様になってゆく。


そうだ。

これでいいのだ。

無理する必要はない。

無理したってさらに迷惑をかけるだけだ。

それは目に見えていた。

あの状態のまま、

今の心持ちのまま花火なんて

出来るはずないのだから。

私は、いつも私のことを

無視してしまいがちだ。

だから、今日くらいは。

…。


…これも、逃げになるのだろうか。


花奏「…っ。」


きっと私は生きることが下手な部類だ。

いつまでも過去に抱きつかれたまま

それを引き剥がそうともせず、

むしろその温もりに安心してしまい

そのままでいいかと思い始める始末。

そのくせして何もできない自分に対して

腹は立つし不甲斐なさを覚える。

私は何も変わっていない、と。

あいつらですら

変わっていっているだろう現在に

取り残され続けている。

周りはいつだって私を置いていく。

置いていかれる。


同級生は学力面で。

周りの友達は人間力で。

そして、お母さんや真帆路先輩は生命で。


いつもいつも置いてかれる。

私が先に立つことなどない。

先頭を目指しているのではないものの、

距離が離れすぎてしまうと

どうにも手を伸ばせなくなっていく。

いつしか、その手を伸ばしても

届かないことを悟り

引っ込めるしかなくなるのだ。

私は、願ってもないのに

1人になる才能があるのだろうな。

あってしまったんだろうな。


それから伏せるとも違うと思い、

みんなが騒ぐ姿をただただ見つめた。

楽しむ姿はどうにも

私からすれば悪い微笑みを浮かべている

悪魔のようにしか見えなくて苦しい。

みんなはみんなだ。

あいつらではない。

違う。

違う人間なのだ。

なのに。

…なのに。


私は、やっぱりー


歩「気分は?」


花奏「えっ?」


歩「ご気分はどうですかって聞いてんの。」


花奏「あ…っと…」


歩「って、元から別にそんな悪くないんじゃない?」


花奏「…ノーコメントで。」


歩「あそ。なんか意外。」


花奏「んー?仮病がってこと?」


歩「違うわ馬鹿。」


歩さんがこちらに寄ってきて

1人分空けて横に座った。

階段は夏というのにそこそこ冷ややかで

私らを嘲笑っているかのよう。


歩さんはというと頬杖をつき

みんなのいる方向をぼんやり眺めてた。

頬杖をつくのは最早

癖を通り越して習慣なんだろう。

今年度初めて会った時も

教室で頬杖をついていたなと思い出す。


歩「あんた、あの輪の中に入って騒ぐタイプでしょ。」


花奏「私の事そんなふうに思ってたん?」


歩「多分あそこにいる人ら全員思ってるだろうよ。」


花奏「えへへ。そりゃどーも。」


歩「誉めてるわけじゃないないから。」


花奏「なぁーんや。残念。」


歩「対して思ってない癖に。」


花奏「言葉鋭いでー歩さん。ちくちく言葉やー。」


歩「はいはい、言ってろ。」


こっちに視線をよこすこともなく

ただただ会話をしていた。

私も私でがっつり歩さんの方を

見ている訳ではなく横目で見たりだとか

偶々視野に入ってくる情報のみで会話をしていた。

それが心地よかった。

歩さんと話すのが1番楽かもなんて。


とことこと蟻が歩いていて、

私のところに近寄ってくる。


花奏「…。」


えい。

でこぴんをして弾き飛ばしてやると

不恰好な体制のまま明日の方向へ飛んでいった。


歩「…何飛ばした?」


花奏「蟻。」


歩「そ。」


ちらと階段の方を見た後

またみんなの方へと視線を移す。

みんなはわいわいと色のある花火を、

強い光を放つ花火を手に騒いでいた。


麗香さんは一時期に比べて

ほんとよく笑うようになった。

梨菜さんも波流さんも楽しそうで。

みんな、楽しそうで。

夏なんだなってしみじみ思うばかり。


花奏「歩さんは混ざってこーへんでええの?」


歩「無理。あんなぎゃーぎゃー騒ぐの。」


花奏「あはは。でも1本くらい光らしてきたら?」


歩「いい。」


花奏「えー、せっかくやし」


歩「あんたこそいいの?いかなくて。」


部が悪かったのか私の言葉を遮ってまで

私に花火をするよう言葉を放ってた。

本当に嫌なんやなって思って口を閉じる。


歩「私に気を遣ってるとか?」


花奏「…あはは、ぜーんぜん。」


歩「じゃあ何。」


花奏「なーんどうしたん歩さん。めちゃくちゃ聞いてくるやんけ。」


歩「分かんないから聞いてるだけ。」


花奏「んー?」


歩「あんたがいつもと違う理由が分かんないから聞いてんの。」


そう静かに淡々と言っていた。

目線は未だに合わないけど、

心なしか憤りにも似た何かを感じた気がする。


花奏「そんな違うかいや?」


歩「時々変な顔してる。」


花奏「メンタリストになれるで歩さん。」


歩「なるか。興味ない。」


花奏「あっはは、相変わらずぶった斬るやん。」


歩「…。」


ぷいっとそっぽをむいてしまった。

お気に召さなかったらしい。

まるで猫みたい。

気が向かなかったり嫌だったりしたら

自分の思うように行動してしまうあたり

猫を連想させた。


けど歩さんはすぐにまた向き直って

ただ呆然と先を見ていた。

少しすると下を見、何かを観察していた。


歩「…何か今日、他の用事でもあった?」


花奏「いいや、なかったで。」


歩「そ。」


花奏「当てる気やん。」


歩「いつもへらへらしてるあんたが何か違ったら流石に気になるっての。」


花奏「上手くかわせてると思ったけど全然かあ。」


歩「前の時から思ってたけど。なんか違うなって。」


花奏「…まあ、そりゃ思うよな。」


歩「何に対しても動じなさそうなのに思ったより人間じゃん。」


花奏「私の事なんやと思ってたん。」


歩「化け物。いや、あんたは馬鹿者か。」


花奏「ちょーっと口閉じような歩さん。」


好奇心なのか気遣ってくれてるのか

何か異変に気づいているということは分かるも

吐かれる毒の濃度は変わりなかった。

でも変に気遣って優しくされるよりは

こうやって馬鹿話して罵倒されてる方が

なんだかんだで楽だったり。


歩「もしかしてさ。」


頬杖を崩して膝の上にちょこんと手を乗せる。

彼女視線はまだ下のままで

そこには蟻が2、3匹行進してた。


歩「花火関係ある?」


ちらと。

合ってる?とでも問うかのように視線を向け、

何故かじっと離してくれない。

なんで。

なんでこんな時だけじっと見てくんねん。

逃げ場がないやんか。

そう、思ってしまった。


ふぅ、とひとつ息を吐き

なんともないように明るげに。

…何ともないように声を。


花奏「あるで。」


いつもの私であるように。

けれどそれは歩さんには

あまり通用しなかったみたいで。


歩「…そう。」


と珍しく声を落としていた。

ほんとに珍しかった。

初めて見た。

歩さんが同情してる様を初めて見た。

それと同時にこうも違うらしい私を見るのは

歩さんにとって初めてだったんだろう。

こんな感覚だったんだって

今更ながらに痛感する。


歩「いい思い出?」


花奏「うーん、どうやろね。」


歩「…。」


花奏「急に黙ってどーしたんや。」


歩「あんたってさ、あくまでも自分から話す事ってしないよね。」


花奏「そう?」


歩「そ。こっちから問い詰めて漸く答えてる感じする。…ってか今そう感じた。」


花奏「ふうん。」


歩「ま、そう思っただけ。」


花奏「何が言いたいん…?」


歩「さっきも言ったけどあんたも人間してんだねってだけ。」


ぱっと蟻の子を蹴散らして

その場ですくっと立ち上がり

お尻についた細々とした砂をはたき落とす。

話したいことを話し終えたのか

それともやっぱり花火をしたかったのか

すいすいとみんなの方へと

歩いていってしまった。

隣が寂れてしまった。

私はいつまでも先に進めてないみたいで

何だか訳もわからず笑っていた。

どうしようもなさすぎて笑ってしまう。

そんな感じだろう。


花奏「…嫌やな。」


不意に漏れた本音。

それが意図するもの。

きっと。

…きっと、表面だけ見て欲しかった。

私の内面とか過去とか触れずに

そのまま、今までのままでいて欲しい。

そう思うところがあったんだと思う。

心から信頼し合うという事が

いつの間にか分からなくなっていた。

過去を知られるのは怖かった。

とはいえ歩さんは一部既に知っている。

けれどそれ以上は。

…それ以上は。

…踏み込んでほしくなかったのかもしれない。

嫌。

…嫌。

表面だけを見ていて欲しかったんだ。


歩さんといるのは楽だ。

だけど今後、私は彼女と

どういう関係になりたいんだろうか。

私は、やっぱり何も変われていない。


歩「はい。」


花奏「……え…?」


不意に振る声。

いつの間にか視線は落ちていた様子。

ぱっと顔を上げたその目の前には

細い紐のようなもの。

もう歩さんはこっちには

戻ってこないかと思ってたからか

あまりにも間抜けな声が出る。


歩「持つのも無理?」


花奏「…っ!」


白い指に摘まれて

差し出されていたもの。


花奏「……それ…。」


歩「線香花火。」


花奏「…っ。」


歩「これも無理そう?」


花奏「…えっ…?」


歩「聞いてんの。2択なんだから答えるくらいして。」


ん、と線香花火を突き出してくる。

それはまるで幼女のよう。


花奏「…それなら多分大丈夫。」


歩「そ。」


多分大丈夫、なんて答えつつも

少しの間手が出なかった。

一間置いて漸く紐を手にして。

そしたら歩さんはぱっと花火から手を離した。

微量の重さを感じる。

火薬が詰まってる。

それを考えたくなかった。


歩「どうしてもきつかったら蟻にでも食わせといて。」


花奏「あはは、蟻お腹壊すで。」


歩「蟻より大切な事くらいあるでしょうが。」


また歩さんは同じところに腰を下ろしてた。

こういうことをさらっと言ってしまうあたり

歩さんは本当にずるいと思う。


花奏「いつから分かってたん。」


歩「何が。」


花奏「花火、苦手なんやろうなって事。」


歩「何となくこうだろうなって思ってたのは全員で遊びに行こうだか花火しようだかって話が出た時。珍しく乗り気じゃないなって。」


花奏「いやー、バレるなんて私もまだまだやな。」


歩「でも確信したのは今。」


花奏「そっか。」


歩「私が言えた事じゃないけど、不器用すぎ。」


花奏「ほんとに歩さんが言えた事じゃないな。」


歩「うっさい馬鹿。」


花奏「なぁんでそこまで言われなあかんねん。」


歩「いつも通りでしょうが。」


花奏「まあそうやけども。」


かち、かち。

みんながいたところから1つ拝借したのか

ライターを片手で器用に鳴らす。


花奏「…。」


歩「無理だったらすぐに消すから。」


花奏「心配性すぎやって。」


歩「あんたはそれくらいまでに思い詰めた顔してんの。」


花奏「暗いからそう見えるだけや。」


歩「言ってろ。」


ぼ。

酸素を血肉にして火が灯る。

日常生活を送っていくうちに

コンロとかの火は慣れていったんだっけ。

でも、それは固定された火だったから。

ライターとかマッチ、花火には

未だに抵抗があった。


歩「腕伸ばして。」


花奏「うん。」


歩「そのまま動かないで、つけるから。」


風から身を隠すように手で多い

花火をつけ出す。

ぱち。

ぱち、ぱ。

ぱち。


花奏「…。」


花火だなあ、って漠然と思った。

…それだけだった。


横では歩さんが器用に自分の花火をつけ、

ライターを側に置いていた。

花火を眺む間、歩さんは相変わらず

肘をついてぼんやり眺めていて。

不意に、何で私はこの人と、

歩さんと花火を眺めてるんだろうと思った。

1年前どころか入学まで

こんな事になっているとは微塵も考えなかった。

想像もつかなかった。


花奏「……。」


歩「…。」


花奏「ありがと、歩さん。」


歩「何、急に。」


花奏「前々から…それこそ初めて会った時から思ってんで。感謝しても足りひんくらい。」


歩「私はずっと何もしてないっての。」


私のことは全てお見通しているかの様に。

謙遜とかそういう感じではなく

本当に何もしていないと

事実を述べるかの様に。

そんな様に言葉を紡いでた。


歩「頑張ったのはあんたで、環境を変えたのもあんた。」


花奏「きっかけの1つは歩さんやで。」


歩「あそ。」


ぱち、ばち。

ぱっ。

ち、ぱぱ。

線香花火は力を増し、

四方八方に残骸を残していく。

手が震えてた気がした。

けど、離さない様にきゅっと

指先に力を込める。

花火を持っていない方の手は

いつからか握りしめていて、

手汗が指と指の間を這い気持ち悪かった。


ふっと目を閉じる。

見なければいい。

そう思って試行した得策。

しかし回想ばかり捗るもので。


歩「小津町。」


花奏「ん?」


歩「消すよ。」


ぱっと花火を持っていた方の手首を掴まれ、

そのまま地面の方へ下ろそうとしていた。


花奏「待って。」


歩「…。」


花奏「待ってや。…最後まで見たい。」


歩「…あそ。」


するりと体温は緩い風に阻まれて

無惨にも散ってしまった。

その瞬間、花火は小さく輝く

玉の様になってしまった。


歩「余計な事してごめん。」


花奏「ううん、余計やないよ。」


歩「…。」


花奏「あんな、何回も言うけど歩さんには助けられてばっかりなんやって。」


歩「何もしてないっつってんでしょ。」


花奏「あはは、歩さんはそういうけど私はそう思わん。いつか恩返しするな。」


歩「いらないやめて恩着せがましい。」


花奏「酷い言われようやん全く。」


変な気分だった。

歩さんとこんなふうに

花火を見ているだなんて。


花奏「………3つ目。」


歩「は?」


花奏「くじの3つ目な、花火やってん。手持ち花火。」


歩「…そう。結局それ、どーしたの。」


花奏「道端に捨てちゃった。…あはは、ほんま衝動的やったとはいえ良くないことしたよな…。」


歩「ふうん。多分それ、蟻が食べたよ。」


花奏「冗談?」


歩「冗談。」


花火を見ながら笑っている私がいた、

そこにいたのだ。

そこに。


紛れもなく、ここに。

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