花火の涙

わんかんかん、かん。

お祭り特有の音が

あちらこちらから聞こえてくる。

コロナウイルスがどうこうと

騒がれている世の中ではあるが、

人は十二分に多く

賑わっていることが見て取れる。

何せ、今日は花火もあるのだから仕方ない。

人が想定以上に集まってくるだろうことも

考慮しなければいけなかったな。

おしゃれをしようと思い

スカートを穿いてきたのだが

動きづらいところがある。

隣にいる美月ちゃんのことを見てみれば

彼女も同様スカートなもので。

ただ、後ろにいる三門さんは

イメージ通りパンツスタイルだったため

動きやすそうだなんてぼんやり思う。


すると、目の前から男の人が

ゆるりと近づいてきては

ぶつかりそうになった。

刹那、ぐいっと腕をひかれ

衝突することは免れたのだった。


美月「ちょっと波流、危ないわよ。」


波流「わっ…えへへ、ありがとう。」


にかっと笑ってみせると、

困ったように、はたまた呆れたように笑う

美月ちゃんがそこにいた。

三門さんが後ろにいるものだから

妙に緊張しっぱなしだったのだが、

ふと振り返ってみれば

彼女は彼女なりに楽しんでいるのか

景色を堪能していた。

屋台や人の流れを見ているのか、

視点はゆっくりと移り変わっている様子。


夏祭りに出かける際は

梨菜と一緒にいたのだが、

みんなと集まって以降

屋台を回る間に逸れていたのだ。

私達はご飯を主に探し、

他は娯楽だったり甘いものだったり

皆それぞれ何人かで

まとまって姿を消した。

みんなが集まった瞬間は

何とも言い難い感動と恥ずかしさがあり

あまり素直に喜べなかったけれど、

どこか懐かしい気持ちもしていた。


梨菜は三門さんと初めて会うようで、

どこか感動している様子だった。

やっと生きている人だと実感したみたい。

他のみんなは何かしらで

出会っているらしい。

同じ高校なのだから不思議なことではないか。


美月「歩、はぐれないでよ?」


歩「心配しすぎ。」


美月「そりゃするわよ。いっつも気づいたら1人行動してたじゃない。」


歩「いつの話。」


美月「昔の頃よ。」


歩「昔のことを引っ張り出されても困る。」


美月「対して今も変わってないと踏んでるの。」


歩「はいはい。どうも。」


波流「あはは…。」


時折こうして美月ちゃんが

三門さんへと会話を振り、

短かながら言葉を交わす姿が目に入る。

ただ、側から聞いていれば

三門さんが淡々としていることもあり

喧嘩腰なのではないかとひやひやするだろう。

私もその1人だ。

これが2人の間なりの距離感らしい。

他の人の間にはない距離で、

特有のものに違いない。


思えば、いつのまにか美月ちゃんの

三門さんへの呼び方が異なっていた。

確かだが、歩ねえと読んでいたはずだ。

それこそ、仲直りする際に

なにかがあったのだろう。

私はこの2人についての過去のことも

最近起こったことも

何も聞いていないから、

唐突にこんな状態になっていて

混乱している部分はある。

しかし、無理に聞き出そうとは思わない。

気にはなるけれど、

もし何かの流れでどちらかが

話そうと思った時で

いいのではないかと思う。


同様に相手側も

聞かれるの待ちだったら

笑うしかないけれど。


美月「ふと思ったんだけれど、歩と波流は関わりあったかしら。」


歩「ない。」


波流「…強いて言うならあの裏山での時にあったくらい。」


歩「そ。」


美月「そうなのね。じゃあ会ったのは2回目?」


波流「そうだよ。」


歩「そういやあれからどうなの。」


波流「あれからって…。」


歩「言わずもがなでしょうが。」


美月「…歩とは7月末に会ってて、その段階で全然改善されてないことを踏まえれば…まあ、見えてくるでしょうよ。」


波流「…。」


歩「進展ないね。」


美月「そうね。我慢との戦いなのかしら。」


歩「依存症的な?」


美月「えぇ。その山を乗り越えればってものなのかもしれないって最近思うのよ。」


波流「…でも、私はそうじゃない…と思うんだよね。」


歩「何で?」


波流「だって、我慢してたら1週間の間くらいには一旦引く波が来るじゃないですか?」


美月「私の場合、それがほぼないのよね。気を紛らわせてその感覚が引いていると勘違いさせてるって言った方が正しいの。けど、実際にはずっと積もっていっている。」


歩「ふうん。当人じゃないからその感覚は知らないけど。」


相変わらずつんと話を蹴るように

言葉を紡ぐ彼女だが、

一瞬のこと、祭りの光が届かなくなった隙に

物憂げな雰囲気を漂わせていた。

これは、私がそう出会ってほしいと

願っているからかもしれない。

思い違いだろう。

けれど、現在こうも親しく話しているのだから

少しくらいは心配する心を

持っていてほしいだなんて思ってしまった。


次、祭りの光に照らされた顔は

夏らしく無く冷えた表情のまま

足を運んでいる姿だった。


美月「元の生活に戻るまでは暫くかかりそうよ。」


歩「不便だね。」


美月「工夫すればなんてことないわ。それに、波流にも沢山助けてもらっているもの。不安はあまりないわよ。」


波流「私はそんなに何かしてるってわけでもないよ。」


美月「そんなことないわよ。5、6月だなんて特にずっと頼りっきりだったのに助けてくれたじゃない。」


波流「それは…ほら、当たり前っていうかさ。」


美月「優しいのよ、波流は。歩と違って。」


歩「は?」


美月「ふふ、冗談よ。」


歩「あー、うざ。」


美月「ふふっ。」


美月ちゃんはちゃんとしているところもありつつ

ムードメーカーのような部分があるのか、

私と三門さんに交互に話を振っていた。

私と三門さんが仲良くないのを

重々に承知しているからかつ、

三門さんの性格は私と合わないのだろうと

それと無く感じているからだと思う。

流れるように三門さんへと

銃弾を投げつけたところで

笑顔の咲く夏を見た。

多くの難儀なことがあったが、

何だかそれでもよかったなんて思えてしまう。

何も解決はしておらず、

何も進展などしていないのだが

そう思ってしまうのだ。

この夏に塗れた暖色を見ていれば

もう言うことはない。


美月「歩もちゃんと優しいわよ。」


歩「やめて、胸焼け起こす。」


美月「じゃなきゃあんな手紙書かないでしょう。」


歩「手紙?あー、昔の?」


美月「いいえ、7月末のよ。私たちが会って話をする前の」


歩「……は?」


美月「は?って何よ。」


歩「私、そんなの送ってないけど。」


三門さんが明らかに声のトーンを

落としているのが分かった。

それと共に振り返ってみれば、

彼女は足を止めて

この世のものではないものを

見るような目をしていて。

美月ちゃんだってそう。

段々とその事実を実感しているのか、

瞳が徐々に開いていくのを感じた。

私だって客観的に見てみれば

そうなっているのだろうな。


その間に、多くの人が横を通り抜けていく。

流動的な世の中で

ここだけは時間が止まっていた。

時間と、ついでに思考のおまけつきで。


美月「嘘…だって、歩って…」


歩「それ、なんて書いてあったの。」


美月「え…?…えっと…これまでのことに対して後悔があるから会って話したい…って言う内容だったはずよ。」


歩「…なるほどね。」


波流「…でも、三門さんは書いてないんですよね…?」


歩「書くわけないじゃん。仲直りする前なんて特に。」


美月「…後、住所。」


波流「住所…?」


美月「えぇ。そこで話そうって。」


歩「…あー…その場所があのマンションの部屋だったりする?」


美月「……まさにその通りよ。」


波流「…。」


住所、と聞けば宝探しの時に

そのような紙があったのを思い出す。

その場所には確か

三門さんと花奏ちゃんが行ったんだったか。

写真も送ってもらったけれど

気味の悪いところこの上なかったという

記憶だけは確とある。

詳細な視覚情報の多くは

既に抜け落ちてしまっているけれど。


波流「…誰が書いたんだろう。」


歩「…。」


美月「私は心当たりがないわ。歩は?」


歩「……思い浮かぶよ、一応。私そいつに連れてこられたし。」


美月「そうなの!?」


歩「まあね。…でも、そいつが誰とか知らないし、会えない限りどうにもできないだろうよ。」


美月「…そう。」


波流「…。」


歩「嵌められたね。」


美月「…そうみたいね。」


あっさりそう言うと、

もう気が変わったのか

三門さんは既に歩き出していた。

そして、近くの屋台の方へと

向かっていったのだ。

確かに、いつの間にかどこかへ

言ってしまいそうだなんて思った。

最も簡単に逸れてしまいそう。

それこそ、美月ちゃんの言っていた通り

昔から変わっていない部分なのだろう。


美月ちゃんと顔を合わせてみれば、

今考えても仕方ない、

今は夏祭りを楽しもうと言っているのか

肩をすくめて小さく笑った。

そうだ。

今日くらいは忘れたい。

様々な苦難を忘れて、

今後の未来の苦さすら忘れ去って

甘美な今に浸っていてもいいじゃないか。

それが夢の端だとしても、

この先は暗清色の粘度の高い土地だとしても

それでも、今だけは。


だって今日は

空に花が咲く日だから。





○○○





愛咲「お、あっちに綿飴もあんぞ!」


花奏「ええやん!」


梨菜「はいはい、私りんご飴も買いたい!」


愛咲「ようしきた!いろいろ歩いて好きなの買おうぜい。」


花奏「射的とかもええよなぁ。」


梨菜「私は腕がないからくじとかがいいな。」


花奏「射的と輪投げ、金魚掬いも難しいよな。」


梨菜「金魚掬い!絶対やる!」


愛咲「だっはは、持ち帰るんならちゃんと世話するんだぞー?」


梨菜「はーい!」


みんなで集合してから

初めは集まって動いていたけれど

いつの間にかばらばらになって行動してた。

遊びたいって言うのを主に

動いているうちらは、

こうしてやりたいことを

各々の口にしてる。

こちら側に戻ってきてからこれまでに

バイトをまた再開して頑張ったから

今日は沢山遊ぶんだ。

それに、部活もひと段落ついて

ある一種荷が降りたようなところもあるから。


こうして普通に過ごしていると、

やはり海での出来事は

嘘だったんじゃないかなって思う。

でも、海…というよりかは

こちら側ではない場所にいた時は

これまで生きていた場所が

もしかしたら夢だったんじゃねーかなとも

思ってしまっていた。


あぁ。

うちが戻ってきてすぐの頃

こう思ったんだったか。





°°°°°





何せ2ヶ月間走っていなかったのだから。

…。

そう。

うちには空白の2ヶ月間があった。

そのうち、あの冷ややかな花に

包まれていたのは

たったの1週間弱。

他の期間はー。





°°°°°





よく気を狂わさずに

ここに戻ってこれたなと思う。

うちですらほぼ諦めかけていた。

それが、今じゃ明るい夜にはしゃいで

麗香や羽澄、みんなと遊びに来ていて

盛大に笑い飛ばしている。

奇跡だ。

周りが皆口を揃えて言うように

奇跡だったんだろう。

それを今更ながらに思い知る。

戻ってきてすぐの頃は

流石に大袈裟だと思っていた。

うちもうちであの気疲れやら

感覚が鈍りながらも気持ち悪さに

苛まれていたものから解き放たれて

ぐったりしていたこともあったからだろう。

そんな中でも、麗香や羽澄を見てたら

どうしてもそのままには

していられなかったな。


花奏「あ、鈴カステラや。」


梨菜「わぁ、何食べようか迷う!」


愛咲「だな!あと何して遊ぶか!」


梨菜「全部いいですよね、でもまずは腹ごしらえ!」


花奏「みんなで分けられるやろうし私買うてくるわ。」


愛咲「よし、頼んだぞ花奏隊長!」


花奏「よしきた、任せとき。」


花奏はそういうと

人混みの中に姿を溶かした。

それから、うちらは周りの屋台を見回しながら

やがて道端に止まったのだけど、

花奏は見つけることができるのだろうか。

スマホを片手に持つも、

LINEを開くことなく

ぼうっと空を見上げた。

今夜、空には火が灯るらしい。


梨菜「りんご飴ー、りんご飴はどこだー。」


愛咲「だっはは、それも探そうな!」


梨菜「はい、絶対!」


愛咲「そんな好きなのか?」


梨菜「というより、妹に買っていってあげたくて。」


愛咲「うぅ…いいねーちゃんじゃねーかよぅ…。」


梨菜「えへへ。でも暑さで溶けちゃいますかね?」


愛咲「はっ…べとべと行き直行だぞ。」


梨菜「うーん…そうなると飴じゃなくって…それこそ綿菓子とかの方がいいかも?」


愛咲「だな。チョコバナナも暑さに弱いしなー。」


梨菜「お祭りの食べ物は大体その場で食べるから美味しいってものが多いですよね。」


愛咲「むむ、良い着眼点だ!」


梨菜「今度は星李と来たいなぁ。」


愛咲「例の妹ちゃんか?」


梨菜「はい!私よりも何倍もしっかりしてるんですよ。」


愛咲「わお。うちにもいるいる、年下なのにしっかりしてる兄弟がさ。」


梨菜「何で姉を越していくんでしょうね…。」


愛咲「勝てない個性ってのは誰にでもあるもんでな…。」


梨菜「お、名言!」


愛咲「へへっ。ま、妹ちゃん連れてまた別のお祭りとか連れてってあげてくれよぅ。」


梨菜「私もそうしようって考えてました!今年受験生で頑張ってるから、息抜きさせてあげたいなって思うんです。」


愛咲「うぅ…泣かせるやないかいぃ…。」


梨菜「あははっ、妹のことが大好きなだけですよ。」


梨菜は心底わくわくしているようで

目を爛々とさせながら

あちこちに存在している屋台を

背伸びをして見ていた。

人が多く集まっているせいで

結局見ることは叶わなかったのか

すとんと踵を落とした。

妹かつ受験生ってことは

中学生なんだろうなと

偏見ながらその結論に辿り着く。

もしかしたら小学生受験を

するかもしれないなんて

隅をよぎるけれど最も簡単に

夜空へと吸い込まれていった。

そういえば、と過ったことがある。

それは、たに先輩のお墓参りに行って

花奏と会い、話した時のことだ。





°°°°°





愛咲「…最近さ、不審なこと増えてるじゃんかー。」


花奏「そうやっけ。」


愛咲「あー、うちの周りでっていう感じ?」


花奏「あはは、私知り得んやん。」


愛咲「はっ!?確かに。」


花奏「最近何があったん?」


愛咲「うちの妹の学年でなー、事故か事件だかで亡くなった子がいるらしくてなー。」


花奏「えっ…同じ学校の子やったん?」


愛咲「いーや、ちょっと遠かったっけな。友達の友達の友達とか、そんくらいの関係らしいけど。」


花奏「まあ、遠めっちゃ遠めやね。」


愛咲「そー。まだ中学3年だったんだって。」


花奏「…若いよな。」


愛咲「ほんとにな。みんな若くして亡くなりすぎだって、うちは悲しくなるぜ。」


花奏「うん…。」





°°°°°





中3なら、妹の咲蘭と同い年。

もしかしたらその話も

流れているかもしれない。


愛咲「なーなー、中3の子がさ、事故だか事件だかで亡くなった話って妹ちゃんから聞いたことあるか?」


梨菜「へ?ないですよ!」


愛咲「そっかぁ。」


梨菜「どんな話なんですか?」


愛咲「ん?ま、今言った通りなんだけどさ。うちも詳しくは知らねーんだ。」


梨菜「へぇ。物騒ですね。」


愛咲「んだよなぁ。うちらも気をつけよーな!」


梨菜「はい!勿論です!」


愛咲「ぶふっ…だっははー!」


梨菜は両手でガッツポーズの

ようなものをしていると思ったら

その手を天へと伸ばした。

その幼さがどうにもうちや

下の子たちと重なってしまって

思わず吹き出す。

楽しいことだらけだな。

うちはまたすぐさま

暗い内容の話なんて忘れ、

花奏が戻ってくるまで

話に花を咲かせた。

時々、足に電撃が走ったような

甘い痛みがくるのだが、

最近は多いので気にしなくなってきた。

慣れてきたと言っても過言じゃない。

ぼうっと空を見上げることはなく

今夜、空には火が灯るらしいと

反芻するのだった。





○○○





全く。

みんなはすぐに散り

各々で行動しているらしい。

あてはと言うと、

残った関場先輩と祭りそのものの

雰囲気を味わっていた。

不意に遊留さんらの姿が

人に埋もれて見えたような気もしたが、

歩いている間にあっという間に

見えなくなったので嘘かもしれない。


長束先輩がはしゃぐのは

勿論想像通りだったが、

関場先輩と行動するんだろうとばかり

考えていたので少々意外だった。

こういうところでも、

長束先輩は固定の仲だけでなく

周りとも誰とでも仲良く出来る人だったと

再認識するほかない。


関場先輩はと言うと

ほどほどに目を輝かせながら

嬉々として歩いていた。


羽澄「人、多いですね。」


麗香「うん。」


羽澄「ふふ、これじゃあ合流するのも難しそうですねよね。」


麗香「そうけぇ。みんな考えなしすぎるけぇ。」


羽澄「今日くらいはしゃぎたくなるのも分かります。」


麗香「特に長束先輩とか。」


羽澄「あはは、そうですね。でも微笑ましいじゃないですか。」


麗香「確かに。一時はどうなることかと思ったけぇ。」


羽澄「羽澄もです。そう思うと、今この結果になっていてよかったですね。」


麗香「同感けぇ。そもそもあの宝探しっていうふざけたものがなかったら全部よかったんだけど。」


羽澄「でも、そしたら今日集まったみんなに会うこともなかったんですよね。」


麗香「そうだけど、あては別にそれでもいいけぇ。」


羽澄「そうなんですか?」


麗香「だって仲良いわけでもないし、これから仲良くなりたいって思う人もいないし。」


羽澄「えっ…それは羽澄も…」


麗香「関場先輩は多分、こんなことがなくともいつかは親しくなってたんじゃないかなって思うけぇ。」


羽澄「ほっ…。」


麗香「あ、でもそっか。」


羽澄「どうしました?」


麗香「あてたちがこうして距離を縮めたのって、宝探しがあって、それで根府川まで行って…海の底まで行ったからだなって思ったんだけぇ。」


羽澄「そうですね。あれがなかったら羽澄は自分のことなんて話してなかったと思います。」


麗香「あてもそう。お互いあんな闇の深いこと、誰彼構わずにどこでも言えるような話じゃないけぇ。」


ふと、地面に捨てられた

何かしら食べ物の残骸、

それこそとうもろこしの芯のようなものが

転がっていたので、

ぴょんと軽々しく飛び越えた。

水泳をやめてから随分と経ったが、

それでも体は鈍り切っているわけでは

ないらしかった。


あてと関場先輩はお互いに

これまでの人生のことについて

語り合った仲だ。

これに関しては、長束先輩にすら

したことがないのだから、

一種長束先輩よりも

深い仲だと言っても

過言ではないかもしれない。

それでも、沼のようにドロドロではなく、

むしろ血液のようにさらさらとした

関係に落ち着いているものだから

不思議ったらありゃしない。

あての性格上、深くまで知ると

碌なことにならないイメージがあるのだが、

どうやら関場先輩は例外だったよう。

過干渉ではないくらいが丁度いいんだ。

寧ろ忘れてしまうくらいできっと。

けれど、時々気になったり

気にかけたりして話に出す。

そしたら、完全に忘れては

いないことにどこか安心して。

その程度が丁度いい、心地いい。


羽澄「あ、あそこの屋台とかどうですか?少し食べていきません?」


麗香「うん、そうするけぇ。」


羽澄「ふふっ。」


麗香「ん、何けぇ。」


羽澄「いいえ、なんだか…やっぱり羽澄は今の麗香ちゃんの方がいいなぁーって思ったんです。」


麗香「どういうことけぇ?」


羽澄「その喋り方だったり、警戒心はまだ少しあるんでしょうけど、それでも少し柔らかくなった雰囲気だったりとか」


麗香「うわ、やめてやめて、キモいけぇ。」


羽澄「そそ、そんなこと言わないでくださいよぉ!」


麗香「にしし、わぁー、変態けぇ。」


羽澄「そんな変な風には言ってませんよー!」


麗香「にっしし、あー面白い面白い。」


羽澄「もう…羽澄を困らせるとどうなると知ってますか。」


麗香「いいや、知らないけぇ。どうなるけぇ?にぃ?」


羽澄「は…羽澄が困るんです!」


麗香「まるで1=1けぇ。」


羽澄「ふふっ…あはは、あぁ、しょうもないですね…あははっ。」


しょうもないことを口にしながら

どうしようもなく今日を過ごす。

何気ない日々が好きだったと

勘違いしてしまいそうになる。


あては刺激のある方が好きだった。

台風だとか、大雪だとかで

世間が騒いでいるのをみるのは

大層気持ちがよかった。

慌てふためいているのを

他人事だと割り切って見ているのが

面白いのかもしれない。

将又、異常事態に呑まれている

その瞬間瞬間の景色が好きなのかもしれない。

真偽は定かではないがただひとつ、

これだけは言えることがある。

あて自身に被害がないことだった。

絶対的な安全が確保されている状態で見る

異常事態が1番楽しめる。

ジェットコースターやホラーゲーム、

ホラー映画だってその類だ。


けれど、最近はそれらに触れることも

大幅に減ってきている。

それも、現にこの生活が

充実し出している証拠かもしれない。

または、異常事態に実際に巻き込まれることで

少し懲りているのかも。


羽澄「今頃みなさんは何してるんでしょうかね。」


麗香「さぁ。ご飯食べて遊んでるけぇ。」


羽澄「ふふっ。微笑ましいですね。施設のみんなも連れてきたかったです。」


麗香「みんなで祭りに行くイベントとかないけぇ?」


羽澄「うーん…庭スペースで手持ち花火ならすることがありますけど、こうしてお祭りに行くことはないですね。」


麗香「そうけぇ。」


羽澄「はい。それに、赤ちゃんくらいの小さい子もいるから一定数つれて来れないんですよ。」


麗香「あぁ。こんなに人も多けりゃ逸れるだろうし。」


羽澄「まさにその通りです。」


麗香「そういえば、あのー…あれ。」


羽澄「あはは、何ですかー。」


麗香「逸れた友達はまだ探してるけぇ?」


羽澄「え?」


麗香「ほら、海で話してたけぇ。今の施設に移る前に、一緒に逃げてきた子。」


羽澄「…。」


麗香「関場先輩?」


関場先輩は不意に足を止めたのか

隣からすっと姿を消した。

振り返ってみれば、人々がぶつからないよう

避けて通っている中で佇む姿。

あては、きっとこの光景を、

背景の違う状態で何度か

見かけたような気がしていた。


羽澄「…それって、誰の話なんですか?」


麗香「…え?」


羽澄「羽澄は…そんな記憶ないです。」


麗香「あては関場先輩から聞いたけぇ。しっかりと。」


羽澄「でも、羽澄は…。」


口をつぐみ、どこか記憶のフックに

引っかかりかけているのだろうが、

その針がすぐに抜けているのだろう。

苦い顔をしたままだった。

思い出すことが出来ないようで、

はっとした顔になることはなかった。


あては確かに聞いた。

あの時、海の底で聞いた。

関場先輩の過去のことを、

どうして今の施設にして

今の生活をしているのかを、

直接関場先輩から聞いた。

なのに、どうして忘れているのだろう。

どうして。

海底であの後あったことはなんだ。


確か、あてが歩き疲れて

その間に先輩が話してくれた。

そして塔を目指して歩きー





°°°°°





昨晩、前に聳え立つ大きな塔に

鯨が突っ込んできてしまい、

大きな音を立てて崩壊した。

その破片は1部あて達を目掛けて

飛んできたところ、

先輩が身を挺して守ってくれたのだ。

先輩はというと、

一時は瓦礫に埋もれていたが

何とか救い出すことができた。

というのも、この空間では

重量が下方向へとあるはあるものの

浮力が生じているであろうからだ。

落下速度も遅いと言い切れるわけではないが

現実世界ほど早いとも言えない。

その影響もあり、致命的な怪我までは

しなかったのだろうと思う。



---



麗香「そういえば先輩、怪我はないけぇ?」


羽澄「え?あ、あぁ。無問題ですよ!」


麗香「怪我ひとつもない?」


羽澄「はい!頭は若干じんとするような気もしますが、体は歩きすぎて痛い以外何もありません!」


麗香「頭がじんとするって…よくないんじゃ。」


羽澄「うーん、でも爪楊枝で突かれてるくらいなんですよね。」


麗香「ふうん…?」


羽澄「まあ、何か異常事態になれば麗香ちゃんを頼ります!」


麗香「はーい、分かったけぇ。」





°°°°°





麗香「…っ!」


羽澄「…あれ………っ…誰でしたっけ…。」


そうだ。

塔が崩れて、それで。

それで…でも、その時は何も

なかったじゃないか。

話にでなかったからか?

それとももっと先の…

あの、訳のわからぬ人と

2人で話してた時か?


今日は地面に花の跡が降るというのに

不安が滲んでゆくではないか。


あてのせいかもしれない。

そんな言葉が脳裏をゆっくりと

横切って行った。





***





何時間かこの空間にいる間に

人の多さには慣れてきたものの、

暑苦しさに慣れることは全くなかった。

粗方祭り会場も歩き回り、

あとは花火を待つのみとなっている。

ご飯も口にした。

やはり、祭り特有の雰囲気の中食べる

焼きそばは美味しかった。

カップ麺でも十二分に満足はできるが、

やはり雰囲気、そして各々の屋台での

独特な味付けには劣る部分もある。

双方に良さがある分、

完全にどちらがいいと

口にすることは出来ないが、

どちらにも言えるのは満足ということ。


ただし。


花奏「歩さん歩さん。」


歩「何。」


花奏「歩さんは夜何か食べたん?」


歩「焼きそば。」


花奏「ええなぁ。屋台の味って感じて美味しいよな。」


歩「あんたは?」


花奏「ん?私はたこ焼き食べたで。」


歩「あー、ぽいわ。」


花奏「あはは、ぽいってなんやねん。」


歩「だって関西弁じゃん。」


花奏「あぁ、なるほどな。」


歩「あんたってさ、元から関西弁だったっけ?」


花奏「んー…初めて会うた時はちゃうかったかも。」


歩「やっぱ?」


花奏「やっぱって、そう思うことでもあったん?」


歩「この前日記読み返してて思っただけ。」


花奏「え、歩さん日記つけてるん?」


歩「あれ、知らなかったっけ。」


花奏「知らへんかったと思う。えー、何書いてるんやろ。見たいわ。」


歩「見せるか馬鹿。」


花奏「わー、いつも通りの棘や。」


歩「はいはい。」


夏休みになり、学校がなくなってから

小津町とは2回ほど会っただろうか。

1回だっただろうか。

ひとまず、学校がある時よりも

格段と会う回数が減っているのは確か。

その分今日に詰め込もうとしているのか

会話を途切れさせ

休むということがほぼなかった。

…前々からか。


遊留や美月と歩いていたのだが、

1人でふらふらと歩く小津町を見つけ

なんとなく声をかけてしまった。

それから2人とは別れ

そうして小津町と歩いている訳だが、

どうして自分から声をかけたのか

正直なところピンときていない。

身長が高いものだから

ただただ目についただけかもしれない。

それとも、美月の言葉が

今になっても尚残り続け

反芻されているのかもしれない。





°°°°°





美月「今、私のことを大切にしてくれる人のことを、これからも大切にしなきゃね。」


歩「彼氏?それとも遊留?」


美月「波流よ。遊留波流。」


歩「…大切…ね。」


美月「歩も花奏のこと、見てあげなきゃね。」


歩「は?」


美月「今1番近いんじゃないかしら。」


歩「…ま、そうだろうけど。」


美月「失ってからじゃ遅いもの。」


歩「そうだね。」





°°°°°





ほんと、今更と言った感じだが、

失ってからじゃ遅いという文字列が

今でも頭に刻み込まれたまま。


花奏「歩さん、どーしたんそんな難しい顔して。」


私の顔を覗き込むようにして

体を軽く屈めた。

確かに身長差は20cmほどあるが、

そこまで子供扱いされても困る。

けれど、何故かこの時

そのまま口に出せなかったのか

この後も知れることはない。

何故だろう。

彼女が、小津町が消えそうだとでも

思ったのだろうか。


歩「何にも。普段からこの顔ですが。」


花奏「へ、そう?」


歩「あーうざうざ。」


花奏「子供みたいな悪口言わんでもええやんー。」


歩「は?」


花奏「あはは、ごめんって。」


歩「や、別に謝られても困るけど。」


花奏「あ、そーや。歩さん。」


小津町はそういうと、

歩きながら自分の鞄を物色し始めた。

相変わらずハンドルを切るのが

早い人間だと感じる他ない。

そのまま視線を逸らし続けていたら

人とぶつかってしまうのではないかと

内心少しばかりひやひやしたが、

前から子供が走ってくるということもなく

ひょいと何かを取り出した。


それは、白いクマのストラップのよう。

大体私の掌程度のサイズで、

鍵や鞄につけるには

丁度よさそうな大きさだとは感じた。


花奏「これ、どうぞ。」


歩「何これ。」


花奏「白くまのキーホルダーやないかな。」


歩「どうしたの、これ。」


花奏「くじで引いてん。」


歩「いやいや、あんたが持っておきなよ。」


花奏「もう1個あるねんもん。」


歩「何回引いたわけ。」


花奏「1度で3回引ける的なやつがあったんよ。」


歩「てか…お揃いとか嫌なんだけど。」


花奏「完全に一緒やないよ。ほら、これなんよ。可愛いやろ。」


小津町のもう片方の手に握られていたのは

青いイルカのストラップだった。

メーカーはどうやら違うのか

顔つきが若干異なっている。

綿の詰め方か型が悪いのか、

イルカの方が不恰好で

スリムというよりかはまんまるとしていた。

出来の良い方を渡そうと

考えているのだろうか。


歩「いいじゃん。」


花奏「え、素直やん。」


歩「そこで引くな。」


花奏「意外やなって思っただけやし。」


歩「あーあ、だから卑屈になるだわ。」


花奏「自分で自覚あるんや…。」


歩「あ、はいはい。あんたのいう傷ついたってやつ。」


花奏「あははっ。まあまあ、そんな悲しいこと言わんと、はい。もらってや。」


歩「押し付けがましい。」


花奏「イルカがよかった?」


歩「そうじゃなくて。」


花奏「なら遠慮せんと。いつもお台所貸してくれるお礼やと思ってや。」


小津町はいつもの如く

半ば強制的に私の手に押し付けると

満足げに自分の分のイルカをしまった。

実際に、私はイルカよりも

クマの方が持つ分には気が楽だったので

全然いいか、と思った。

偏見なのだが、イルカのストラップを

つけている人はぶりっ子だと思ってたから。

それも小学生までの話だけれど。

今になったらそうでもないが、

ただ、自分の好み的な話で合わなかった。

獰猛な動物の方が自分で生きてそうで

安心できたのかもしれない。

…いつもそうだが、

私はどうでも良いことまで

くっつけて考えがちだな。

もう少し柔軟性を持っても良いのだろうと

不意に思うのだった。


手にはつぶらな瞳をした白いクマがいた。

祭りという暖色の季節に包まれて

ほんのりと微笑んでいる。

仄かに伝う温もりは

小津町が先程一瞬手にしていたからだろうか。

それともただの夏だろうか。


花奏「気に入ってくれたん?」


歩「ん?そうでもないけど。」


花奏「なーんや。ちょっと寂しいな。」


歩「はいはい。ありがたくいただきますんで。」


花奏「あはは、嫌々やん。」


歩「逆に嬉々としてることあんまないでしょうが。」


花奏「確かに、あんま見いひんな。」


歩「多分1回もないよ。」


花奏「いつか見せてなー。」


歩「無理。」


花奏「えー、駄目?」


こちらをちらと見ながら

妙に距離を縮めてくるものだから、

気持ち悪くって即座に離れた。

人とくっつくことが苦手なもので。

どうしても生理的に無理なのだ。

だから、女子高生同士で

べたべたしているのを見かけると

よく出来るなと感心と共に嫌悪していた。

長束とかまさにそう。


歩「もう、ほんときもいって!こっち寄るな!」


花奏「あっはは、声大きいー。」


歩「うっざ。」


花奏「もうせえへんて、近づかんから。ほら。」


歩「いつまでもその距離保ってろ。」


花奏「えー、そのお願いは聞けへんのやけどー。」


歩「もう友情決裂で。」


花奏「えっ、それの方が困るわ。」


小津町は渋々少しずつ離れ、

やがて元の位置に戻って行った。

横並びではあるものの、

頑張れば子供や人が1人

横ですり抜けられるくらいの幅を持って歩く。

これが私たちの丁度いい距離感なのだと

何度も暗示をかけた。

これ以上縮まることはないだろうなと

脳の隅で思いながら。


花奏「歩さん、悪いんやけどお手洗い行ってくるわ。」


歩「もうすぐで花火あがるよ。」


花奏「うん、それまでには戻ってこれるようにするから、先に川辺行っててや。」


歩「は?それくらい待つけど。」


花奏「ええからええから。反対方向やろうし一緒に行くんは気が引けんねん。」


歩「気にしいだね。」


花奏「今に始まったことやないよ。また川辺着いたら連絡するから合流しよな。」


歩「ん。」


花奏「じゃ、気をつけて。」


歩「そっちも。」


そう伝え終えると、

小津町はすいすいと反対方向へ

体を流して行った。

私が人とずっとくっついて

行動することが完全に苦手、

または出来ないと感じているから

今のように1人で行ったのも考えられる。

強情なのに気にしいなものだから

どこか不安定性を覚えるのだった。

そのまま、川辺へと向かう中

最後に花火をした時のことを

思い浮かべようとしてみるも、

どうにも浮かんでくれない。

そのかわり、とあることが過るのだ。


時折、思い出すことがある。

それは思い出さずともいいことのはずなのに、

何故か何度も想起されてしまう出来事。





°°°°°





花奏「なぁ、歩さん。」


歩「……。」


花奏「まだ寝てへんやろ?」



---



花奏「…今日な、めちゃくちゃ楽しかった。」


歩「…。」



---



花奏「友達とご飯食べて、夜中まで話して、一緒に寝てさ。」



---



花奏「…………こんな私のことを、助けてくれてありがとね。」


歩「………。」


それはとてもとてもか細くて、

夢の中に溶けてしまいそうなほど

薄く細く事切れそうで。

掴もうともがいた手で千切ってしまいそう。

そんな脆さを感じた。



---



不意に、振り返ってしまう。

何を思ってさっきのことを呟いたのか。

どうしてそんなに消えそうに言うのか。





°°°°°





歩「…。」


1歩、小津町のいる方へと

足を向けようとしたが、

人の波に呑まれる中で刹那

川辺に行くことを決意した。

あの夜とは違う、

また別の夜がここにいる。


その時、花火がそろそろ始まるという

アナウンスが始まった。


今日は空から夏が爛れ落ちるらしい。





○○○





美月「今頃歩と花奏は仲良くしてるのかしら。」


波流「どうだろう。でも学校でも一緒にいるイメージが勝手だけどあるんだよね。」


梨菜「分かる!あれじゃないかな、時々休みの日に2人で遊んでるっぽいし。」


美月「あぁ、確かに家に行ってましたよね。」


梨菜「仲良いねぇ。あ、あと私にも敬語なしがいい!」


美月「え?」


梨菜「へ?」


美月「いえ、唐突すぎて驚いたんです。」


梨菜「だって波流ちゃんにはタメじゃん!私も同い年!ね?」


波流「あはは、結構めちゃくちゃ理由だよ。」


梨菜「それでも!」


美月「全然私は構わないけれど」


梨菜「やった!」


波流「ちょっと距離感じて寂しかったのかもね。」


美月「あぁ、それで。」


梨菜「そう!」


波流「ね、梨菜って分かりやすいでしょ?」


美月「喜怒哀楽が顔に出やすいって感じよね。波流と似てるわよ。」


波流「確かにそこは似てるかも。」


梨菜「えへへ。」


波流「よかったね、梨菜。」


梨菜「うん!んで、ごめんごめん。何の話だったっけ?」


美月「えっと…歩が抜けてこのメンバーになって…あぁ、2人はどうしてるかなって話よ。」


梨菜「そうだった!仲良いよねぇって話してたんだった。」


波流「あ、あはは…あれは…仲がいいのかな…?」


美月「2人なりの関係の持ち方よね。」


波流「そうだね、私には出来ないな。」


梨菜「そういえばさ、はじめこそみんな珍しい組み合わせだなって思ったけど、結局こうなるよね。」


波流「いつメンっていうかね、分かる。」


美月「よく顔を合わせる人で集まったわね。」


梨菜「同じ高校だからそりゃあそうなるか!」


美月「それに、私と波流は部活も一緒だから尚更ね。」


梨菜「確かに。」


もうそろそろ、お目当てである

花火が空に打ち上がる。

楽しみで楽しみで仕方がない!

気を抜けばスキップを

してしまいそうなくらい。

この後はみんなで川辺にて

集合する予定なのだが、

人が多いが故に簡単にはいきそうもない。

少し早めに向かった方が

いいだろうっていう美月ちゃんの考えで

私たちは人の流れに沿って

川辺へと向かっていた。


梨菜「ふんふー、ふふーん。」


波流「ご機嫌だね。」


梨菜「そりゃあね!星李にもお土産買えたし。」


波流「何を買ったの?」


梨菜「綿菓子!それと、鈴カステラも買っちゃった。」


波流「鈴カステラいいねぇ。」


梨菜「でしょ。花奏ちゃんや長束さんと食べてたら家でも欲しくなっちゃって。」


美月「妹さん用なんでしょう?」


波流「あはは、絶対梨菜が全部食べちゃうじゃん。」


梨菜「そ、そんなことしないよ!」


波流「どーだかねぇ。ね、美月ちゃん。」


美月「少し不安ね。」


梨菜「もー、2人とも似てきたんだから。」


波流「そう?」


梨菜「そーそー。気づいてない?」


美月「あまり実感という実感はしていないわ。」


波流「うん。私も美月ちゃんも違う人だしって思う所が多いからかな。」


梨菜「そっかぁ。案外自分じゃ気づかないもんなのかもね。」


美月「そうね。そういうものかもしれないわ。」


波流「梨菜って時々哲学系の話入るよね。」


梨菜「そう?」


波流「あ、ほら。分かってない。」


梨菜「はっ…本当だ!」


美月「ふふ、そんな大声を出さなくても。」


梨菜「いやー、実感したもんでして。」


波流「偶にTwitterとかでも呟いてるじゃん。難しいこと。」


梨菜「そんな覚えはあんまりないけど…周りが言うんならあるんでしょう!」


時に思う。

人間の無意識には膨大な力が隠されている。

どうして人間というものの力を

100%出し切れる状態にしないまま

この地球に発生させたのか、とか。

他にも、あの宝探しのギミックだとか

いろいろなことが気になっている。

いつか、全てを科学で

解明できる時が来るんだろうか。

それは魔法と判断されずに

理論を説明できるようになるのだろうか。

人間の脳は魔法のままでは

いられないんだろうな。


思えばいろいろあった。

宝探しから始まり、

長束さんや美月ちゃんがいなくなったり

将又関場さんや嶺さんが

姿を一時的に眩ませたりしながら

今日は皆揃っている。

私個人の話では異臭騒ぎがあって

家に警察が来たりだとかもした。

なんだか、思い返せば返すほど

色々あった半年弱だけれど、

今、私も星李も笑って過ごせていて、

周りのみんなだってこんなにも笑顔だ。


それだけでもう十分。

家に帰ったら星李と

また映画でも見ながら

お祭りのお土産を食べよう。

そして、鞄にしまったままの

新しい家族を迎え入れる準備をしよう。

金魚掬いで2匹取れたのだ。

名前は何にしようかな。

そう考えるだけで楽しい。


今日は清々しい程の多量の花が

綺麗な綺麗な花が沢山開くんだから。





○○○





愛咲「そろそろ花火打ち上がるし見やすい場所にいこーぜぃ!」


麗香「そうするけぇ。」


羽澄「レッツゴーであります!」


愛咲と合流してからは

いつも通りになったと感じずには

いられませんでした。

愛咲がいないといつもではないかと問われると

そうではない部分も多いです。

しかし、やはり愛咲がいた方が

日々に安定感があるのでした。

麗香ちゃんと2人でいても

気まずくなることはほぼなくなりました。

それも、麗香ちゃんから

話しかけてきてくれることが

増えたからというのもありますし、

羽澄からも雑談として何かを

口に出すことが多くなったから。

気を遣いつつ、無駄な気は

遣わなかくなったんでしょう。


愛咲「もうみんな合流してんのかなー。」


羽澄「そろそろ時間ですよね?」


麗香「でも、LINEを見てる感じまだ合流はしてなさそうけぇ。」


愛咲「まじか。なんか、2人、3人とかで集まってる感じでもねーか?」


麗香「えっと…三門さんと小津町って人の2人、遊留さんと嶋原さんと雛さんの3人、あとあて達で別れてるみたい。」


愛咲「そっか!ならちょっとは簡単に合流できそうだな!」


羽澄「ここ3人が逸れないようにしなきゃですね!」


愛咲「おう!お手てでも繋ぐか!」


麗香「嫌けぇ。絶対。」


愛咲「ぬぁーんでだよぅー。」


麗香「人が多いんだからはしゃぎすぎないで欲しいけぇ。」


愛咲「ちぇー。じゃあじゃあ、川んところ着いたらな!」


麗香「家に帰ってからならいいけぇ。にぃ?」


羽澄「それじゃあもう1人になってますよね…。」


愛咲「はっ…なんだと…?」


麗香「ばれちゃあしかたないけぇ。」


愛咲「くっ、危ねぇ!羽澄のおかげだぜー!」


愛咲は人が多いことを考慮し

こちらまで来て抱きつくのはやめたようで、

行き場を失った手を

空へと突き出して喜んでいました。

こういう姿を見ていると

どうにも笑顔が溢れてくるんです。

自然と、心の底から。

どんな学校行事よりも楽しいなんて

思ってしまうんです。

それはきっと麗香ちゃんも一緒でしょう。

だって、彼女も隣で

こんなにも笑っているのだから。

麗香ちゃんを挟むようにして

3人で歩いていると、

なんだか家族になったような

気さえしてきます。

それこそ、羽澄の家にこういう

雰囲気があるからでしょう。


にしても、先程の話が

どうにも頭から離れないままでした。

羽澄は誰かを忘れている、という話です。

確かに、羽澄は前の施設を逃げてきました。

それも、誰かと一緒に。

そこまではいいんです。

問題なのは、その人をまるで何にも

思い出せないところです。

姿も声も年齢も雰囲気すら。

羽澄は一体その人とどんな話をして

どんな経緯で一緒に逃げ出し、

そしてどうして逸れて

今、羽澄は1人になっているのか。

その人を探していたのか

まるでわからないのです。

靄がかかったままなのです。

隣にはいつだって

雲が居座っていたように、

何ひとつ羽澄から見ることができません。


どうやら麗香ちゃんにすら

その人についての詳細は

話していないようです。

こういう時に限って本当の意味で

全てを話しておかなかったことを

後悔するのでした。


みんなで歩く中、

不意に愛咲が手を望遠鏡のようにして

何かを除くような仕草をしました。

何事かと思いましたが、

いつもの気候と思えばそれまでのこと。

と、考えていたのですが。


愛咲「あ、知り合いみっけ。」


羽澄「この人の中でですか?」


愛咲「おうよ!ちょっと遠いけど、斜め前んとこだぜ!」


麗香「目だけはいいけぇ。」


愛咲「頭もだ!ちょっと声かけてくるわー!」


羽澄「え、あちょっと!」


麗香「ほんと、コミュ力お化けけぇ。」


羽澄「その通りですね。」


愛咲はすいすいと人をかき分けて

その人に話しかけていました。

一応見失わないようにと麗香ちゃんと話し、

愛咲を追ったところ、

どうやら羽澄は見覚えのある人だったようで。

その人は誰かと2人で歩いているようでした。

女の子だったので友達でしょうか。


愛咲「お、2人ともきてもらっちゃってわりーな!」


麗香「逸れると面倒だから。」


羽澄「…!」


「あ…。」


愛咲「ん?2人は知り合いか?」


「…まぁ…顔は知ってるなって感じ。」


羽澄「ですね。」


麗香「…?」


愛咲「紹介するな!こっちは前田って言うんだ!うちと同じ部活の同級生。」


前田「えっと…前田ってのは旧姓なんだけど…まぁいいや。隣にいるのはうちの妹の古夏な。」


古夏「…!」


そう前田さんが言うと、

妹ちゃんはぺこぺことお辞儀をしました。

可愛らしく、人見知りなんだろうと

それとなく察する部分があります。

施設にも似たような子がいるので

どこか近くに感じているのでした。


愛咲「んでんで、こっちは麗香。それから羽澄。」


麗香「どうも。」


羽澄「関場羽澄です。よろしくお願いします。」


前田「よろしく…。」


やはり前田さんは罰が悪そうに

羽澄のことを見るのでした。

それもそうでしょう。

羽澄も前田さんも、

愛咲がいなくなった時に

衝突したことを覚えているようですから。





°°°°°





羽澄「いえ…分からないです。」


「そっか…ありがとね。」


「関場さんもよく愛咲と話してたから色々思うことあるよね。」


羽澄「…そうですね、よく楽しく話してました。」


「そうだよな。よく長束から話を聞いて」


「どうして過去形なんだよ。」


羽澄「えっ…?」


「だから、どうして愛咲はもう死んだみたいに話してんだって。」



---



「まだ愛咲は死んだ訳じゃねーだろ、行方不明でしょ?」


羽澄「そうですが」


「生きてるに決まってるじゃんか。」


羽澄「…。」


「お前はもう、愛咲のこと諦めてんだろ。」


羽澄「…そんなことないです。」


「だったら、故人みたいに扱うなよ。」


羽澄「…っ。」



---



「そんな責めないであげて。」


「なんだよ、こいつの態度に腹が立たねーのかよ。」


「怒りをそのままぶつけるのは違うでしょ。」


「…くそ。」





°°°°°





そう思えば、あの時よりも前田さんは

やつれが少なくなっているように見えます。

それはお互いでしょうか。

愛咲が戻ってきて以降

前田さんと2人で話すこともなく

今日まで至ったのですが、

自然と関係が治っていることなどなく、

むしろ気まずさの募る展開となっていました。

時間が全てを解決するわけでなかったのだと

漸く思い知るのです。


愛咲と前田さんは少し話した後、

また学校で、と挨拶をしていました。

羽澄や麗香ちゃんも一礼して、

遅れながらも川辺に

向かおうとした時のことです。

声が、声が届いたのでした。


前田「関場ぁー!」


唐突なことだったので

心の準備など何もなく

反射に身を任せて振り返ります。

愛咲や麗香ちゃんは今、

どんな顔をしているのかなんて

一切見えません。

それどころか、人に埋もれて

前田さんの顔すら見えるか危うげです。

そんな中でも、

ひとつ言葉を届けてくれました。


前田「あの時はごめんな!」


羽澄「…!羽澄の方こそ、ごめんなさい!」


前田「また学校でな!」


羽澄「はい!」


だった数秒のことだったのですが、

それだけで羽澄は心が洗われたかのように

軽くなっていったのです。

やはり、言葉は魔法だったんです。

傷つけもします。

けれど、救いもするのです。


あぁ。

蟠りが残ったままでなくてよかった。

今、前田さんが声をかけてくれなかったら。

ここに愛咲がいなかったら。

羽澄達は仲違えたままだったでしょう。

想像に容易いことでした。


愛咲「よかったな、羽澄!」


羽澄「はい!」


麗香「って長束先輩は言うけど、実は何もわかってないパターンけぇ。」


愛咲「な、なんでばれてんだ!」


羽澄「ふふふ、あははっ。愛咲らしくていいですね!」


愛咲「ちょ、誰が馬鹿だ誰が!」


麗香「誰も言ってないけぇー。」


暖かい笑い声が近くでします。

3人で笑っていられるなんて

まるで夢のようでした。

これから先もこのままであってほしい。

そう願うのでした。


刹那。


どーん。


そんな音と共に空には夢が顔を出したのです。

川辺まではあと少し、

きっとみんな集まっているでしょう。





***





歩さんにはお手洗いに行くと言って

お祭りから抜け出してきた。

屋台のある道を抜け、

住宅街の方へと進む。

出来るだけ、出来るだけ川辺から

離れるようにと願って。


歩さんやみんなは今頃

川辺で集まっているだろうか。

無事集合できていたらいいな。

そんなこと切れそうな願いを浮かべながら

焦るがあまり走っていた。


花奏「はっ…はぁっ…。」


もうすぐで花火が始まる。

そうすれば、ここら一帯は

笑顔と轟音で塗れていき、

皆は空を眺め光に盲目になる。

ひしゃげた地面を見ることなど

一切忘れ去って今という

存在すらしていないものを

目一杯楽しもうと努力する。

ここにあるのはいつだって

何もかも想像のつかない

明るい無彩色の未来と、

何もかも手遅れとなって手のつけられない

暗い無彩色の過去しかない。

今なんてものは夢にしかすぎない。


今を大切にして生きていようと

何度も何度も心の中で唱えた。

今日が近づいてきても

今日が来たとしても、それでも。

それでも、何度も何度も。

何度も。

何度も。

…。

何度…も…。


…それでも、駄目だった。

私は逃げてきたのだ。


花奏「はぅ…ぅ…っ……は、はっ…。」


両手を膝について、

それから背を壁に預けて

浅く浅く空を見上げた。

すると、建物に阻まれているのは

ほぼ僅かな範囲でしかないことを知り、

心底残念になった。

人の流れに逆らって走ってきたせいか

変に疲れてしまっている。

ここでも十二分に

忌々しい風物詩を見聞きすることに

なってしまうだろうけれど、

これ以上離れるのには気が引けた。

それも、みんながまだあのお祭りの中に、

お祭りという名の盲目に

足を踏み入れたままだから、

そのまま置いて帰るわけにも

いかないなんて考えるの。

自分がここまできてしまっているのだから

用事を思い出したと言って

そそくさと帰ってしまえばいいものを、

どうして私はむやみやたらに抱えて

何でもないふりをするのだ。


近くにあった人通りのほぼない

住宅地に存在していた

自動販売機の裏に隠れるようにしゃがむ。

時間が経ったわけでもないのに

既に足はちくりと痛む。

この痛みだって苦手だ。

筋肉痛の類も好きではない。

だから、部活に入るのはやめたんだった。

辞めた、なんて綺麗な言葉では表せない。

諦めたのだ。


花奏「…あー…ぁ…。」


逃げてきた。

逃げてきた。

多くのことから、嫌なことから。

人によっては、それは逃げではなく

適切な対処をしただけだと口にするだろう。

けど、そんなのはまやかしだ。

言葉のあやだ。

そんな生ぬるい言葉を

今更心の根から信じられない。

信じたいと思う時は幾許もある。

けれど甘い言葉を信じるなんて怖い。

怖い。

できたもんじゃない。


高校生になって思い知った。

今の高校に入って思い知った。

私は、感謝の言葉の多くを

そのまま澱んだ川に流している。

そして、火の残花が衒ったその光景を

睨みながら目を離すこともできず、

自らが取った行動に対して後悔し

憎悪を抱きながら眺めているのだ。

足元へと視線を移せば

いつだって髪の千切れたままの

何にも縋りさえしない自分が

半透明なまま写っている。

願いも忘れ去り、意味も価値も

見いだせなくなってしまった目は

未だ心の窓に反射され続けている。

それは、助けを求めていた。

いつだって、何年経ったってそう。

まじまじと見るのが怖くて

上や前ばかり見るようにしてきた。

だからこそ気づかなかった。

気づけなかった。

その影が梅雨時の雲の脳の如く

知らぬ間に川、そして空にまで

広がっていたなんて。

手も足すらもその自分には

伸ばしてあげたくない。

伸ばしてしまったが最後、

私はきっと戻ってこれないから。


花奏「…ぅー………。」


クラスで仲のいい人もいる。

学校や学年を超えて

仲のいい人もいる。

それが、今いるみんなだ。

みんなはいい人だ。

いい人だから、分からなくなる。

いい人だから、疑ってしまう。

いい人だからこそ、裏があるのだと

心の奥底では決めつけてしまう。

いい人だからこそ、みんなは結託し

私を陥れようとしているのではと

どうしようもなく勘繰ってしまう。

疑ってしまうから、辛くなる。

疑ってしまうから、自分が惨めになる。

辛いのに、人との関わりが、

繋がっているという安心感が欲しくて

話しかけにいったり遊びにいったりしている。

歩さんと話す時は

常に鋭利な言葉が飛ぶものだから

いつも心は冷や汗をかいていた。

それでも、私も彼女のようになりたくて、

歩さんのような心の持ち方に憧れて、

その生き方を知りたくて近づき続けた。

そんな関わりは偽りだろうか。

何を信用していいのか。


こんな私はおかしいのだろうか。

おかしくなってしまったのか。

そのような人は探せば

世の中にいることくらい分かっている。

少数派ながらもそのような心を無意識に育て、

必死に抱えながら生きている人がいると

想像はできるのだ。

けど、見えやしない。

見えないものは、ないのと一緒だ。

例えば、ここに猫がいるとする。

しかし、それは見えない。

口に出してみなければ見えない猫。

ほら、それはいないも同義だ。


嫌なことばかり思い出す。

夏だから。

夜だから。

火が上がるから。

理由はその全て。


そして何より、

私が私であるからだ。


花奏「…もう嫌…。」


私の生涯は幸せだった。

幸せである筈だった。

変化が訪れたのはお母さんが亡くなった時で

私はまだ小学生の低学年だった頃。

お父さんはショックからか仕事で

取り返しのつかないミスをし

転職したらしかった。

当時の私はそんな事全然知らなくって。

後に打ち明けてもらったこと、

その頃のお父さんのことを色濃く覚えている。

酷い顔色、思い詰めた顔。

そんな状態の癖して

私には平気だよと辛そうに笑ってたこと。

親子だと思うほかないな。

私はというと一気に喋らない子供になった。

前髪は伸び切ったまま、

目線も合わさず下を見てばかり。

それは私が小学5年生になるまで続いた。

あの人に会うまでずっと下を見てた。

その人も、2年ほど前忽然と姿を眩ませて

次会った時はもう棺の中だった。

それが真帆路先輩だったのだ。


大切な人ばかり居なくなっていった。

消えていった。

その年前後1年間は只管に大変だった。

沢山傷を負った、沢山逃げて来た。

逃げて来た結果0からのやり直しになった。

今の家計的にぎりぎりな生活を

送る事を強いられたのも、

父さんに迷惑をかけておばあちゃんの家に

引っ越してきたことだって

全部私のせいだった。

全てを置いて、捨てて逃げて来た。


花奏「…っ。」


知ってる。

私だってわかっている。

こんな朽ち錆びれた生活を、

こんな心の持ちようをしていたって

根本にいる幼い私は

膝を抱えたままだということを。

…それに限度があることをいつか知る。

実感する。

決壊して立ち直れなくなる。

このまま恐怖に怯えて

動けないままでいたとしても、

恐怖に打ち勝とうと立ち向かったとしても

どちらにせよ掌の焼けるような思いを

することはわかっているのだ。

分かってる。

分かってるつもり。


今のこの逃げは

一体何の利益があったんだ。


しゃがんだままに顔を伏せる。

暗闇になった途端、

自分は外からどう見えているのかという

第三者視点の映像が脳裏を過った。

ああ。

しょうがないことに頭を使いすぎた。

考えたって無駄なことくらい

相当前に学んだはずなのに、

人間はこうも忘れてしまう。


忘れてしまう。


花奏「…。」


荒れていた息は漸く

落ち着きを取り戻しつつあり、

伏せたままに深呼吸を行えば、

腹部に酸素が溜まって

膝を圧迫する状況に心底吐き気がした。

すぐさま息を吐いてみれば

微かに震えている気がする。

弱いな。

私は弱い。


歩さんにお手洗いに行くと言って

離れてから幾らかは心が落ち着いた。

反面、申し訳ないことをしてしまったと

悔いている私もいた。


花奏「…。」


ふと顔を上げてみる。

刹那、どーんと腹の底までに響く

太鼓のような音があたり一体を

豪快に包み込んでいった。

その中には、私も勿論含まれているわけで。


花奏「……いつ、戻ろっか。」


まるで誰かに話しかけるように

ぽつりと独り言を漏らす。

あぁ。

始まってしまった。


それからはしゃがみ続けているのも限界で

立ったはいいものの、

自動販売機の裏に立ち尽くし続けた。

時折、近隣住民の方が

好奇な目を向けるのだが、

それも2人程度しか通らなかったので

ありがたいことこの上なかった。

ほとんどが家にいるか

川辺にいるかなのだろう。

住宅街は花火の音さえなければ閑静一択だ。


どのくらい時間が経っただろうか。

もうすぐで花火は終わるだろうか。

時間をそろそろ確認して、

みんなの元に戻ろうかと

考え出した時だった。


「…みっけ。」


花奏「…っ!?」


不意にすぐそこの道から現れた姿に

心臓が止まるような思いをした。

そしてどくどくと急速に

波打ち始めるのだ。


麗香「ここで何してるの?」


花奏「…っ…え……っと…。」


どうしよう。

どうしようか。

ばれたくなかった。

気を遣わせたくない。

話したくない。

話したくない。

どうすれば。


そんなことで頭をいっぱいに

満たされてしまう。

逃げ道を探っている間は

このままだと言うことに気付かぬまま。

全てに向かい合わなければならないと、

そこまでは思わない。

けれど、向き合わないことが多すぎても

よくないとは思う。

その塩梅が難しいのだ。

どこまでを逃げていいのか。

多くを逃げてきた私は、

この先向き合うことを覚えなければ

変わることができないんじゃないかって

不安に陥るのだ。


私が答えられないままでいると、

麗香さんはふらっと

体重の重心を変えた。


花奏「…人酔い…してん。」


麗香「そう。」


花奏「麗香さんは…何でここにおるん?」


麗香「そりゃあ、猫ちゃんがいるレーダーがびびびってしたから。」


花奏「…猫?」


麗香「そう。けど、レーダーは故障してたみたい。」


そうとだけ言い残すと、

またもらふらっと重心を変え

そのままの勢いで

来た道へと帰っていこうとした。

特に何かを問うわけでもなかったので、

その不気味さに心底体が震える。

気味が悪いと思ってしまう。


花奏「待って。」


麗香「ん?」


花奏「…何も言わへんの?」


麗香「別に興味ないし。」


花奏「…そう。」


ふらり。

顔だけこちらを向いていたが

また背を向けて歩き出した。

まるで猫のようにふらっと現れては

気ままにいなくなるものだから、

まるで静かな台風のよう。

荒らすこともなく、

かと言って何もなかったとは言い難く。

麗香さんは一体何が目的だったのか

何も知ることは出来ないまま、

意図も何も図ることすらできないままだった。

それは4月の頃からそう。

私のことをあまりよく

思っていないことは伝わるけれど、

それ以上のものがわからない。


ただ、ひとつ。

興味がないと一蹴してくれて安心した。

それでいい。

それがよかった。

今は、親切にされる方が辛い状態にまで

体を浸していることを自覚している。

だから、これがよかった。


花奏「…。」


これが。

…。


夜も、夏も、自由すらも

私を悲観的にするものだった。

今は花火も上がるので

その影響も重なり全てを

悪い方向へと捉えている。

自分のせいだ。

逃げている。

結局何も変わっていない、と。

きっと、夏じゃなかったら。

夜じゃなかったら、花火すらなかったら。

そしたら私はいつも通り。

いつものように笑って過ごすだけ。

そうしていれば何事もなく、

荒波の立つことなく鮮明な不幸から目を背け

濁った幸せに半身浴をしたまま

高校を卒業出来るから。

その先も、分厚い皮を被って

素肌を晒すことなく生きていけるから。


…。

…。

…。

…。


それからまた暫く経た。

下手というのに花火は

終わってくれる気配がなく、

思っている以上に轟音が鳴り続けている。

そりゃあ何千発も上がるというのだから

まだまだ続くことだろう。

いつまでもこうしているわけにはいかないか。

そう思い、足を動かそうとするも

全く思い通りに動いてくれない。

花火の呪縛にかかっているかのように

私の体は地面を眺めながら

突っ立っているのみ。

皆、花火の元へと寄ったのか

背の自動販売機を使用する人も

いなくなっていった。


この辺りに住んでいなくてよかった。

もし住んでいたら、

私はこの夜、眠れなかっただろうから。

そのまま夜に呑まれ、

嗚咽を上げることすら出来ず

震えたままに朝を迎えただろうから。

たった2年。

2年しか経っていないのだから。

時間は確かに多くのことを解決する。

しかし、それだけでは

どうにもならないことも

ごまんと存在しているのだ。


もう3年ほど経てば

この傷だって和らぐのだろうな。

そう思い、左腕を優しく掴んだ時だった。


かこん。

かこん。


背の自動販売機にて、

お金を入れる音が聞こえた。

その度に、息を呑んで待つのだ。

早くいなくなれ、と願いながら

この花火の振動に身を任せて。


「何がいい?」


花奏「………は…っ……えっ…?」


話しかけられたこと以外にも

驚くべきところがあってしまって、

私は先ほどの麗香さんの時のように

声を出すことができなかった。


歩「聞こえた?何がいいって。」


花奏「…。」


歩「返事。」


花奏「…うん。」


歩「んで、どうすんの。」


花奏「………。」


歩「…。」


花奏「……歩さん…何でなん?」


歩「…。」


花奏「何でここにおるん。」


歩「そのセリフ、そのまま返すから。」


花奏「…。」


歩「水、お茶、コーヒー、抹茶、炭酸。どれ。」


花奏「…。」


歩「…。」


花奏「…いらへんよ。」


歩「…。」


花奏「いらへん。」


歩「…。」


花奏「…。」


歩「分かった。じゃあ後でね。」


花奏「…。」


歩「それでいいでしょ。気ぃ向いたら言って。」


刹那、ぴっという音がしたと思えば

がらんがらんとペットボトルが

地に落ちた音がした。

思うように声が出ない。

まだ、顔を合わせたわけでもないのに。

歩さんが自動販売機を隔てて

反対側にいるだけというのに、

体が震えて仕方がない。

なんだ。

なんなんだこれは。

怖いのか。

それとも嬉しいのか。


自分のことが一切分からなくなってしまって

そのまま口をつぐんでいた。

このままいれば、

歩さんは麗香さんのように

興味がないからと言って

どこかに行ってくれるんじゃないか。

そう思っていた。

けれど、そんなことはなく、

ペットボトルを開ける音が鳴り響く。

かかか、という特有の音。


歩「あ、これは私用ね。喉乾いたから。」


花奏「…。」


歩「みんなで探したの。そしたら誰かさんが見つけたって。」


花奏「…っ!」


歩「んで、来ました。」


花奏「他のみんなは近くにおるん?」


歩「いいや、川辺に。」


花奏「そう。」


歩「あいつが言ってたの。あいつ…嶺だっけ。」


花奏「何て言ってたん。」


歩「私だけで行ってこいって。」


花奏「…。」


歩「人使い荒いよね。流石に頭にきた。」


花奏「あはは…口悪いなぁ。」


歩「冗談。ただ、面倒とは思ったけど。」


花奏「…。」


歩「でも、理由はちゃんとあったんだなって思ったよ。」


そういうと、花火の音に紛れて

何も聞こえなくなっていった。

喉越しの音がなっているのだろうけど、

私にもで届くことはない。

そう。

私と歩さんは

全く違う場所にいるから。


みんなが探していたのか。

そんなのは予想外だった。

ああ、なんだかいないね。

でも花火綺麗だし見てようか。

いつかくるだろうね。

そんな雰囲気になっていると思っていた。

私は居てもいなくても

その場は大して変わりないものだと。

それが、みんなの大切な時間を

奪ってしまった。

きっと幾らかの燦然とした夜を

見逃してしまっただろう。

麗香さんだけでなく、

みんなも、ここにいる歩さんだって。


そんなのはお構いなしに、

花火が刹那凪いだ瞬間を狙ったのか、

不意に髪の毛が揺れて見えた。

驚いて振り向けば、

歩さんは側面にもたれかかっているよう。

ほぼ隣にいるようなもので、

心臓がうるさくって仕方なかった。

どうしようもなく

初めて出会った時のことを

思い出してしまう。


歩「嘘つき。」


花奏「…っ。」


歩「何に対してかは分かってんでしょ。」


花奏「…置いていったこと。」


歩「正確には戻ってくるって言ったのに連絡もなしにいなくなったこと。」


花奏「…うん。」


歩「お手洗い、こっちにあった?」


花奏「…。」


歩「最初っから言えばよかったのに。」


花奏「帰るって?」


歩「いや、もっと前から。用事あって来れないとか。」


花奏「だって、折角集まろうっていう話やったんにこうへんのは…。」


歩「気が引ける?」


花奏「…っ。」


歩「私はそういうのはあんま感じないし、今日も気分で来た身であって正直面倒って思い続けてる。」


花奏「…。」


歩「だから、完全に理解はしてあげらんない。」


花奏「…そりゃそうやね。全部分かったら怖いて。」


歩「ん。」


そうだ。

歩さんはこういう話し方をする人だった。

前もそうだったじゃないか。

まず、深く聞き出すことはしない。

それから、自分の話を引き出してくるの。

そうだった。

そうだ。

…。

あぁ。

2人で外にいる時が1番懐かしい。

懐かしくて苦しい。


歩「因みに、祭りは完全に終わるまで1時間半くらいあるんだとか。」


花奏「そうなんや。」


歩「どーする?」


花奏「どうするも何も、みんなで帰るんやろ?」


歩「どうせ数駅分でしょうが。」


花奏「でも…」


歩「別に最初で最後にしなきゃいいじゃん。」


花奏「…!」


歩「帰る?」


花奏「…花火。」


歩「え?」


花奏「歩さん、見てへんやろ?見てきぃや。」


歩「あんたは?」


花奏「私はええや。ここにおる。」


歩「それで今年の夏の思い出づくりは終わりでいいわけ?」


花奏「ええんよ。もう十分や。」


歩「それ以上は求めないんだ?」


花奏「うん。十分。」


歩「そ。」


それから、またペットボトルを開き

上へと傾けている姿が

視界の端に映った。

それからすぐにどこかに行くと思えば

麗香さんのようにはいかず、

ずっと居座っているではないか。

けれど、わたしから何かを

口にする度胸もなく、

黙ったまま夜に呼気を吐いた。


歩「確かに、音だけでも十分だね。」


花奏「見にいった方が綺麗やで。」


歩「そうかもね。」


花奏「行かへんの?」


歩「いいや。人多いし。」


花奏「理由はそれだけ?」


歩「花火とかさ、見ちゃったらそれが全てじゃん。」


花奏「…?」


歩「多分相当綺麗だよ。でも、その音と映像は結びついて、見たものが正解になる。」


花奏「…。」


歩「けど、音だけなら何色でもどんな大きさの花火にだってできる。分かる?」


花奏「何となく。」


歩「だから、正解なんてなくていいや。」


花奏「…。」


正解なんてなくていい。

そんな生き方をしたかったって

何度思っただろうか。

どん、どどど、という轟音塗れ、

低い音塗れのはずなのに、

何故かピアノでいう右端側のような

きらきらとした高音が

輝きながら放たれているような気がした。


正解なんてなくていい。

私に言ってくれているような気がした。

そして、自分に言い聞かせているような

気すらしていたのだ。

きっと私たちは正解を探しすぎて、

正解を決めつけていたのかもしれない。

歩さんの過去全ては知らない。

逆も然り。

全てを知り得ることはない。

いくら一緒にいようとも、

そうなる日は絶対に来ない。


かこり、かこり。

ペットボトルを凹ませているのか、

そんな空虚な音が鳴り響く。


歩「そういや、くじは3回引いたんだっけ?」


花奏「え?…そうやけど。」


歩「ストラップ2個と、あとひとつは何だったの。」


花奏「…。」


歩「…。」


花奏「…抹茶。」


歩「は?」


花奏「抹茶が飲みたい。」


歩「…はいはい、わかりましたよーだ。」


歩さんは文句を言いながら

鞄を開くような音を立てた。

それから自動販売機の表へと向かう。

私と歩さんは正反対。

そう。

こちらに踏み込まないほうが

お互いのためなのだ。

そう言い聞かせ続けた。

それでも、諦めてしまいがちになっても、

どこか希望を見出してしまうのだ。

どうしてか、這い上がるような力を

人間というものは身につけている。


…愚かしいな、と

笑うことしかできなかった。


花奏「…あはは。」


歩「…。」


花奏「3つ目はまだ内緒な。」


歩「気が向いたら言ってもらえる?」


花奏「気が向いたらな。」


歩「あーあ、あんたと何気にこうやって関わっていける理由がわかった気がしたよ。」


花奏「そう?」


歩「そ。お互い気まぐれ。」


がこん。

ペットボトルが落ちる音がする。


同時に、火の残花が衒ったその光景は

濁った川へと溶け混ざっていった。

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