第2話

 学校へ向かうために玄関のドアを開けると、友人である紫が形容しがたい謎のポーズをとって立っていた。

 「おはよう、定史! 今朝は新しい乳液をつけてみたんだ。肌の潤いが増して、より美しくなっているだろう?」

紫が俺の家に来るのはいつものことだからさほど驚いてはいないが、朝からこのナルシズムのテンションはいまだに慣れない。乳液とやらは顔につけるものなのだろうか、紫は陶器のように白い肌の顔を強調するように己の顔に手を当てているが、なんかてかてか光っていることのほうが俺は気になった。脂っぽいぞ、紫。

 「そうだな。はよはよ」

 出会って早々に挨拶と、なんだかよくわからないことを言った紫を適当にあしらう。すると俺が肯定したことに気をよくしたのか、紫は「そうだろう」と誇らしげになった。まあ紫の機嫌がいいならそれでいいか……と思っていると、紫がカバンからきれいにラッピングされた袋を取り出した。それが何なのか、中身を見るまでもなく俺はそれが何なのか察する。

 「そして今日はこれだ」

 「げぇ」

 そして案の定、袋を差し出された。これは毎日もらっている、紫のグッズに違いない。てかそれ以外でも困る。い、いらねぇ~!

 「蛙のような声を出してどうしたんだ? 定史は喜びを表現するのに、蛙の鳴き声を使うのか?」

 何がどうしたら、「げぇ」が喜びの声になるのだろうか。到底俺には理解できないが、紫のことだ。この世のすべての人間がそれをもらって嬉しいと思うと、信じて疑わないのだろう。

 「げろげろ~」

 舌を出して追加で拒否反応を示すが、紫は一切気にすることはない。

 「うんうん、もっと喜んでくれ。今回は力作なんだ」

 顔がいいだけで、人間はここまでメンタルを強くいられるのだろうか。いや、ない。コイツのメンタルの強度が異常なんだ。鋼メンタルという言葉の比じゃないぐらい強い。そして紫は俺がそれを受けとるまで、差し出し続けるのだろう。なんならどのような手を使ってでも、俺に渡してくる。過去に無視しようとしたら、無理矢理制服のポケットに入れられた経験がある。何がそこまで紫を突き動かすんだ。

 「遠慮しなくていいんだぞ」

 「俺以外のやつにやればいいだろ。紫のグッズならほしいやつ、やまほどいるし」

 「安心してくれ。定史に百個渡しても全校生徒に配れる数は用意している」

 それはそれでこえぇよ。紫の家の財力と家族の懐の広さがわけわかんねぇ。

 「わかったよ。もらえばいいんだろ」

 紫が折れるわけないので、俺は早々に諦めた。仕方ねぇな~、という雰囲気を醸しつつ袋を受けとれば、いつものものより少し重かった。いつものブロマイドじゃねぇの? と思いながら袋を開けてひっくり返す。すると中から滑るように紫の姿がプリントされた板が出てきた。……えっ、なにこれ? 初めて見る紫のグッズに、俺はひどく動揺してしまった。

 「今回はアクリルスタンドだ。紙よりも厚みがあり、俺の実在性が増すだろう?」

 まじで実在してんのに、コイツは何を言ってんだ。

 「そ、そうか……」

 反応に困った俺は、少し戸惑いながら紫のアクリルスタンドをしげしげと見る。このアクリルスタンドになった紫の写真は初めてな気がする。夏なのにハロウィンをイメージしているのか、カボチャのランタンを持ってキメ顔しているという、季節感ガン無視写真はなんなんだ。俺はこれを……どうしたらいいんだ……。

 「秋を先取りだ」

 アクリルスタンドを手のひらに持て余していると、紫が太陽のような笑顔を浮かべた。俺の考えを読むな、それに応える発言するな。

 「夏を飛ばすなよ」

 この前渡してきたブロマイドは鯉のぼりと写ってただろ。飛ばされた夏の気持ちを考えろ。

 「大丈夫だ。夏はこれからだろう?」

 「正論で俺を殴らないでくれ」

 それはそう。俺がちょっと反論できずにいると、紫がやれやれと言いたげな顔をして息を吐いた。なんでこの流れでそんな飽きられなきゃならないんだよ。

 「定史は自己中心的だな。俺でなければ愛想を尽かされているぞ?」

 なんだよやんのか、と紫を睨んでいると、紫はとんでもないことを言いやがった。

 「その言葉でお前を殴り返してやろうか?」

 自己紹介もほどほどにしろ。俺が自己中心的なら紫は世界を自分中心で回しているし、俺が紫に愛想を尽かされるときは、それより先に俺から尽かせてやる。第一な、俺だってお前が紫じゃなかったら、こんなもん受け取りもせずにドブに捨ててるぞ。何が楽しくてクラスメイトのグッズなんてもらわなきゃならないんだ。

 「言葉ごときがこの俺に傷を付けられるわけがないだろう?」

 自信満々な表情を作り、紫が強気に言う。俺はまた「げろげろ~」と言いたくなるのを我慢した。それよりも、この流れはめんどくさくなる気配がした。

 「そうだな無理だな俺が悪かったはいこの話はおしまい」

 なので一息で俺は否定、謝罪、話題の終了を告げる。しかし紫はすぐに返事をしない。紫は顎に手を当てて少し考え込んだあと、何か閃いたかのように目を輝かせた。

 「定史が夏のアクリルスタンドを所望しているのなら、次回はそれにしよう」

 「俺一言もほしいなんて言ってねぇけど?!」

 紫の唐突な発言に、俺は大声で反応してしまった。俺の記憶が確かなら、まじでそんなこと一言も言ってないはずだが? あまりにも紫が自然な流れで言ったから、無意識に言ってしまったのではないかと錯覚する。言ってない、言ってないぞ!

 「なんだ、欲しくないのか?」

心外そうに言うな。まるで俺がおかしいみたいだろ。

 「もう部屋に置き場がないんだよ。俺の部屋が四次元だと思うな?!」

 こっちは高一から、毎日紫のブロマイドや紫が印刷されたコップやらペン立てやらのグッズを受け取っているのだ。本当に置き場がない。こんな立体物を増やされてたまるか、せめてブロマイドのままにしてくれ。願わくばもうブロマイドの配布すら止めてくれ。ブロマイドだって一枚一枚アルバムに入れていて、もうアルバムが五冊目に突入している。

 「邪魔なら捨てればいい。定史が捨てたら、そのぶんだけ俺は新しいものを贈ろう」

 すると笑みを浮かべて、当然のことのように紫が言った。えぇ……、それ紫が言うのかよ。

 「それは、その……あれでだな……ちょっと、良心ってやつがな」

 じゃあ捨てるわ! と即決できない俺は、ごにょごにょと口ごもらせる。というか捨てづらいだろ、普通に。

 「ところで、定史」

 俺が煮え切らない返事をしていると、紫が真顔になって俺の名前を読んだ。やだ、イケメンの真顔怖い。紫が目を大きく見開き、俺を見る。

 「それはいらないのか?」

 紫の顔に怯んでいると、紫か自分のアクリルスタンドを指差して言う。俺は紫から顔を反らして、隠すようにアクリルスタンドを鞄にしまった。

 「…………いるけど」

 小さな声でそう言えば、紫が満足そうに笑う。なんだその「当然だ」と言いたげな顔は。そうだな、俺はなんやかんやと言いつつも、いつも律儀に受け取ってるからな。そりゃ紫にとっては俺が受け取ることは当然のことなんだろうな。

 「俺はもらえるものは何でももらう主義なんだよ」

 「そうか。明日も楽しみにしていてくれ」

 今の短い会話で、なぜ俺が明日を楽しみに待っていると思ったのだろう。一応言うと、俺はまじで楽しみじゃない。

 「もういらねぇよ……」

 それでも渡されれば、俺は明日も受け取ってしまう。

仕方ないだろ。だって俺は、紫を好きなんだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

美しきかな我が愛よ しろた @shirotasun

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る