美しきかな我が愛よ
しろた
第1話
恋に落ちる音はなんだろう。一般的には雷鳴か? それとも、トゥンク……なんていうかわいいもんか? オレの場合は笑えることに無音。その代わり――
「オレって面食いだったのか?!」
と普通に叫んだ。物理的に、声に出して、よりによって授業中、その相手を目の前にして。
「どうかしたのか、定史?」
そしてその相手、如月紫はさっきオレと初めて喋ったくせに馴れ馴れしく下の名前でオレを呼び、世界で一番綺麗な顔で優しく微笑んでオレに向けて言った。突然叫んだことにより、クラスメイトの視線が一度にオレへ集まる。死にてぇ。死なせてくれ。これ、秒でバレただろ。とにかく急いで座る。そして視線から隠れるようにして机の上で組んだ腕へ顔を埋めた。
「定史? 授業中だぞ」
うるせぇ、黙れ。如月のせいだ。やめろ、なんで頭撫でんだよ! 余計に好きになるだろうが! 面で好きになったのに、行動まで好きになんじゃねぇよオレ!!
あぁ、なんでこんなことになったんだ。涙目になりながら、オレは数分前のことを思い出した。
前の席の、如月紫。高校生活が始まって三ヶ月が過ぎようとしているが、オレはこのときまでコイツと会話をしたことがなかった。嫌いとかじゃなくて、単純に話す理由がなかったからだ。できるならばこのまま一生話さないでいたかった。
如月紫はいわゆるパーフェクト人間だ。容姿端麗、頭脳明晰、運動だって、音楽だってなんだって出来る。家は金持ち。だからって人を見下したりしない。つまりはいいやつだ。非の打ち所のないイケメン。皆如月が大好きだ。女子はかっこいいって好きになる、男子も友達としてかっこいいって好きになる。だからそんな如月も博愛主義で――ということはなく、当の如月は誰よりも何よりも当然のように、自分を愛していた。自分が世界で一番美しいと言って憚らない。それぐらいは一種の事実だし、オレは気にしない。だって如月は同性から見てもそれほど綺麗なんだ。
閑話休題。
そんなオレたちの会話のきっかけはものすごく下らない。如月がオレの文字を見たからだ。いや、思い返すとマジでこれなに?
プリントが如月から配られたとき、オレはノートにふざけて自分の名前をでかでかと書いていた。ふざけてただけなんです。本当なんです。如月からのプリントに気付かなかったオレはそのまま下を向いていたのだが、向こうがオレの顔を掴んで無理矢理上げさせた。この時点では怒られると思ってた。授業中に何してるんだって。むしろ怒って終わりたかった。願望ばっかだ、この振り返り。そして如月はこう言った。
「なんて美しい文字を書くんだ」
めちゃくちゃ目が輝いていた……気がする。は? 文字? と混乱していたオレは、間近にある如月の顔を呆然と見ていた。そんなオレを他所に如月は美しい美しいとオレの文字を、オレを見ながら褒め続ける。そして混乱を極めていったオレは、血迷ったのか、そうだきっと血迷ったんだ。
如月が好きだと感じてしまった。
フリーフォールもびっくりな急降下だ。だって昇ってすらねぇもん。そして先程の叫びへ戻る。オレは男を好きになったのか?! とか、気のせいだ! じゃなくて、なぜか真っ先に自分が面食いだったということに驚いてしまった。あぁ……、なんでそこから行ったかなー……。せめて人柄から好きになりたかった。
授業を聞かずにひたすら後悔。もう後悔しすぎてて、逆にオレは何に後悔してるのか分からなくなってきた。とりあえず如月を好きになったことに、微塵も後悔してない自分がさいっこうに嫌だった。本当にいい加減にしろ、オレ。
そこからオレはどこに目をつけられたのか、如月にこれでもかってぐらい絡まれるようになった。
「おはよう、定史。これは今日のブロマイドだ。受け取ってくれ」
「あ、あぁ……。ありがとう……」
笑うな、余計に好きになる。そう八つ当たりしたいぐらいの笑顔を浮かべて朝の挨拶をした如月は、当然のようにオレにブロマイドを渡してきた。このブロマイドは言うまでもなく如月が被写体だ。コイツは毎日毎日、飽きないのか、もう飽きてくれってぐらい新作のブロマイドを作っては人に配り歩く。金をすごい使ってる。如月は経済を回す天才だ。
「今日は……んだこれ」
頭に捻り鉢巻、腰には紺色のエプロンそれで長靴とゴム手袋を身に付けた笑顔の如月が、ちょっと形容しがたいポーズを取っている。えっ、なにこれ。ついオレはブロマイドを凝視してしまう。がに股ってこんなかっこいいの? やだ、俺の片想いの人かっこよすぎ……。
「漁師スタイルだ。何を着ても、俺は美しい」
顔に出さないように気を付けながらうっとりとブロマイドを見ていたら、如月が馴れ馴れしくオレと肩を組む。顔を近付けるな。見れとるだろ。
「それよりも、」
「ぁあ?」
オレがお前の顔を堪能するよりも重要なことなんてあるのか? と思い、キレ気味に返事をすれば、あからさまに不機嫌なオレを気にすることなく話を続けた。
「定史はいつまで俺のことを如月なんて呼ぶんだ?」
だってお前は如月じゃん。
言いたいことをぐっと耐える。下唇を噛んでいたら、如月はオレの顔を引き寄せ、果てには自分の顔を近づけてきた。目を瞑ってもいいだろうか。
「紫と、名前で呼んでくれ」
好きって言っていい?
またぐっと耐える。お前他の人間に今まで名前で呼ぶように言ったことなかったよな。知ってんだよ、見てるから。だからなのか、誰もお前を紫とは呼んでいない。でもオレには名前で呼ぶように言う。それって俺のことを特別扱いしてくれるって意味なのか?
「な?」
は?
穏やかな如月の顔に対して、オレの内面はもうぐちゃぐちゃだ。呼びたい! 呼びたい! よーびーたーいー! って大の字になって駄々を捏ねるオレが脳内にいる。でもここで呼んだらきっと終わりだ。如月との距離感がぐっと縮まり、友達になりたいって思っちまう。それは、嫌だ。オレは他の皆と同じように、如月のクラスメイトで、世界一美しい如月を好きな有象無象の一人のままでいたい。だってそのほうが、きっと楽なままでいられるはずだから。
「美しい俺にふさわしい名だろう? ならば、俺はそう呼ばれるべきだ。
さぁ、呼んでくれ」
コイツなんでオレが名前を呼ぶ前提になってんの。本当に自己愛が強い。そしてそれを否定できないほどに出来た人間であることが羨ましい。好き。
「定史」
お前がオレの名前を呼ぶのかよ。
「俺の名前は紫だ」
「知ってる」
後ずさろうとしたら、更に引き寄せられる。もしかして名前を呼ぶまで、オレは如月から物理的に離れられないのだろうか。
「ほら、む」
「む……」
限界を感じて、ついに目を瞑った。そうしたらつられるように如月の言葉をそのまま返していた。
「ら」
「……ら」
名前を呼ぶのって、こんな拷問みたいなことなんだろうか。人を好きになるのって辛いとかよく言うけど、こんな辛いのか。初恋だから分からねぇよ。
「さ」
「さ」
「き」
「…………き」
――言ってしまった。
終わった。空を見上げて、目を開く。
「もう一度呼んでくれ」
「紫」
「うん、やはり美しい。美しい俺が、より美しくなる名だ」
延々と己の美しさを語りだした紫の話を聞き流しながら、オレは心の中で紫の名前を何度も繰り返す。
紫。如月紫。オレの好きな人。
うん、やっぱり綺麗だ。
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