水星探偵はパイプを吸った

白ノ光

水星探偵はパイプを吸った

 「ああ、来てくれてありがとう助手君。これは難題な事件でね」


 小さなテラス席に、長い黒髪の女性が腰かけている。右手には酒の入ったグラスを、左手には時代錯誤なパイプを持ち、特に目を引くのはセーラー服だった。

 対面の席に、もう一人が腰かける。ハンチング帽を被りコートを着込んだ、中性的な顔の人物だ。


 「事件ですか所長。偶然にも遭遇してしまうなんて、不運でしたね」


 「まあな。お陰で、酒がとてもマズい。まるでガソリンみたいな味がする」


 「それは元からだと思いますよ。で、どんな事件なんです?」


 工場で合成され造られた劣悪な酒を一口あおり、所長と呼ばれた女性はため息をついた。


 「男が一人、向こうの部屋で死んだ」


 「ほうほう。所長が悩んでいるということは、殺人ですか?」


 「ああ、間違いない。近距離で銃弾を二発。殺しに慣れてる者の犯行だ」


 助手と呼ばれた人物は、テラス席の夜空から反対側、上下に隣り合う階段まで続く廊下を見る。

 警察やら野次馬やらが、並んだ扉の一つを囲んで騒いでいた。


 「誰が死んだんです? 有名人ですか? 新聞記者っぽいのもいますけど」


 「ディテクティブ・グッドラック。これ見よがしに我が探偵事務所の隣に自分の探偵事務所を構える、例の名探偵サマだよ」


 「えーっ! あの人がですか!? つい先日サインを貰ったばかりだったのに!」


 「なんだそれおい、捨てろそんなもん! ……いや売れ! これから値が付くぞ」


 「人が死んだのに便乗して売るとか、相変わらず金にがめつい最低な人ですね所長。それで、どうして彼がこんな場末のバーに? ガソリン飲むタイプじゃないと思いますけど」


 所長はパイプを一服吸った。吐き出した煙は輪となり、助手の顔に当たる。

 助手は嫌そうに手で空気を払った。


 「ここ、私の行きつけのバーだが……。これまた癪に、アイツも同じらしくてね。彼はここのマーキュリーっていうカクテルが好きなんだ。いやそんなことはどうでもよくて。彼は、このバーで水星独立十周年のスピーチをしに来たんだ」


 「ははあ、スピーチですか。この星も独立十年目だなんて、時間の流れは早いですねー。彼は確か、著名な独立賛成派でもありましたから人選には納得できます」


 「んで、一階のバーでどんちゃん騒ぎの中にあの男が登壇、スピーチをして二階に取った部屋に戻った。それでしばらくした後、銃声が聞こえて死んでいた」


 「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。死ぬまでの説明が雑すぎませんか!? 部屋で撃たれて死んだんですよね。密室ですか? 犯人の目星は?」


 「部屋は密室ではなかった。私が開けた出入口の他に、部屋の窓が開いていた」


 「第一発見者は所長なんですか? それで、犯人は?」


 所長は、酒をもう一度あおった。

 グラスは空になり、光の反射で人工的に描かれた空を映す。


 「それがまさに困ったとこなんだ」


 「はい?」




 「どう推理しても、私が犯人になる」




 「…………………………」


 助手は目を見開き、そして帽子を被り直した。


 「とうとうやったんですね所長。自首をお勧めします」


 「おい! これは冤罪だ。警察は私を犯人扱いするが、私はやっていない!」


 「口だけならなんとでも。動機は……そうですね、ウチの客を根こそぎ取られたことに対する逆恨みでしょうか。お陰でウチの事務所は潰れかけ、僕の給料も三ヵ月未払いなことですし」


 「ま、待て! 信じてくれ! 君まで向こうに回ったら私は詰みだぞ!? なあ、未払いの給料はこの事件が解決したら払う! 本当だ!」


 「……はあ、分かりましたよ。所長を信じます。所長は金がないのに酒を飲むクズ人間でも、流石に人を殺すタイプの人間じゃないってことは知ってますし」


 「それも誤解だよ助手君。今日は独立記念で、このバーの酒はタダだったんだ! だから久しぶりに酒が飲めると楽しみにして来たら……。ああ、とんだ災難だよまったく!」


 「タダならどうして、そんな工業用アルコールみたいなものを飲んでるんですか?」


 「ふん。誰もが酒を飲むもんで、もう残ってるのがこれしかないんだ。君も飲むか?」


 「結構です。健康には気を遣ってるので。……話が逸れましたね。それでどうして所長が犯人だなんて話になるんですか?」


 「まず、私には動機がある。先ほど君が言ったようなね。そして、私が死体と部屋にいるところを駆けつけてきた客に見られた」


 「それは第一発見者だからでしょう? それだけで犯人扱いされるとは思えませんが」


 「ここが重要でね。凶器とされる拳銃に、私の指紋がべったりと付いている」


 「…………………………」


 深いため息。助手は所長から視線を逸らし、遠くの高速道路を走る流星群のような光の群れを見つめた。


 「やっぱり、自首したらどうですか?」


 「だから、やってない! 確かに私には動機も機会も証拠もある! しかし、やっていないものはやっていないのだ!」


 「じゃあそれを証明しましょうよ。アリバイは? 銃声がした時に現場以外にいたことが分かれば、犯人にはならないでしょう」


 「私はここで一人で飲んでいたんだ。一階に行こうと廊下を通った時に偶然銃声が聞こえ、アイツの部屋の扉を開けた。死体と捨てられた銃、開け放たれた窓が見えたから、逃げたであろう犯人の姿を確認しようと窓から下を覗いただけだ。そこを客に見られ……」


 「凶器は、部屋に残されてたんですね。そして、所長の無実を証明できる者はいないと」


 「その通り。な? 難題だろ?」


 「ううん……」


 助手は顎に手を当てて考え始めた。


 「凶器の銃は誰のものなんですか? 生体認証でロックされてる限り、本来の持ち主以外発砲できないでしょう」


 「銃はグッドラック自身のだ。古い大型の自動拳銃で、持ち主を識別する生体認証などの技術はまだ未実装。セーフティーを解除してスライドすれば、誰でも使用できる」


 「あらま、自分自身の銃で殺されるなんてお茶目な探偵ですね。しかも骨董品好きと。それでどうして、彼の銃に所長の指紋が付く事態に?」


 「彼は誰彼構わず女を口説く趣味があってね。そして古い銃のコレクターでもある。銃を見せて触らせ女の興味を惹く、アイツのナンパの常套手段だよ」


 「……所長、口説かれたんですか?」


 所長は口からパイプを外し、白い息をたっぷりと吐いた。


 「まあ、私は美人だからね。男は大体私に見とれる」


 「よくもまあいい歳してセーラー服なんて着てる人を口説こうとしましたね、彼。これまでの功績から考えればモテモテでしょうに、わざわざ所長を選ばなくても」


 「若く見えるんだ、この服は! それにセーラー服も今日日見ないものだろ? しがない探偵業としては、少しでも注目された方がいいという利口な考えだ。……ああそうそう、これも君の予想外だと思うが、向こうにも中々好感触だったようだぞ」


 「うーん、分からないなぁ」


 助手は簡素なプラスチック製の椅子の背もたれに身を預けた。

 すると、所長は空のグラスを持って立ち上がる。


 「あれ、どこ行くんですか?」


 「便所! あと、酒を補給してくる」


 「呑気なアル中ですねぇ」




 「そも、私は最初一階のカウンター席で飲んでたんだ。ここぞとばかりに高い酒をマスターに要求しながら、ステージの上で行われるどうでもいい催しを見ていた。私がグラスを四、五杯空にしたあたりで、登壇したのがあの男。スピーチの内容はもちろん、我らが水星の独立十周年を祝ったものだ。その内容なんて気にする必要は無いが、客席は盛り上がってたな。それで彼の出番が終わり、次にバンドのライブが始まって盛り上がりは絶好調。爆音と暗がりの中、彼は私の隣にそっと腰かけ、座った後で『隣良いかな』なんて抜かしてきた。まあ何が頭にきたかってそりゃアイツ、私の事を初対面だと思ってるところだよ。自分の隣の事務所にいるのが誰なのか把握していない。いやそもそも、隣の事務所はとっくに潰れてるものだと思ってたみたいだ。誰のせいでそうなったと思っているのか。怒鳴り散らして帰してやろうかと考えたんだが、彼が酒のつまみ──ああ、これは有料──を奢ってくれるから渋々隣りに座ることを許してやった。彼の話すことは実に退屈な事ばかりだったが、何やら自慢の銃を見せてくれると言う。私はホルスターから取り出されたそれを受け取り、せっかくだからとべたべた触らせてもらった。感想としては、古いわりにしっかりと手入れがされていて、未だ実用に耐えうるといった感じだ。実際彼も護身用として持っていたようだし、その銃で殺されたんだが。同じ探偵だが、私は銃を持ち歩く趣味は無くてね。やっぱり一丁ぐらい携帯した方が良いかな。しかし重いんだよな。私は手ぶらで歩くのが好きだし、そうなると脚とかにホルスターを付けて持ち歩くということになるが、外出の度に準備するのは正直面倒だ。別段射撃が上手いわけでもないし、私の仕事は人が死んでからということも多いから────。ああ、話が脱線したな。どこまで話したっけ?」


 「ディテクティブ・グッドラックから銃を受け取った所までです。あと所長、早口過ぎます。僕じゃなかったら聞き取れませんよ? 後半、事件と関係ない個人的な話ですし」


 「ああすまん。ちょっと酒を飲み過ぎたかもしれんな」


 「何時間ぶっ通しで飲んでるんですか……。自分の無実を証明するってのに、酒を飲んで酔っぱらってちゃ駄目じゃないんですか?」


 「酔っぱらっていた方が調子が良い。最近気づいたんだけど」


 「アルコール依存症ですね。まず病院へどうぞ」


 そうは言うものの、所長の様子にはあまり酔いのまわった仕草はない。顔もほんのり赤い程度で、猛烈な酒臭さを除けば、普段と違いは判別できないだろう。

 酒を水のように飲み干すその身体の頑丈さだけは、助手が羨むものだった。


 「そう、銃だ。調子に乗ってスライドに手をかけたりトリガーに指を置いたもんだから、警察の指紋確認でまさに私が犯人ですといった感じに。私が彼の銃に触ったのは、その時が最初で最後なんだ。触るのに飽きたから銃を突き返して、それだけ」


 「それで終わりですか? 所長は二階で飲んでたというのが最初の供述ですが」


 助手の手には小型の端末が握られている。

 ボイスレコーダーの役割もするそれは、人の会話を文字に起こして保存してくれるものだ。二人の会話は初めから、それにメモを取られていた。


 「アイツ、『俺の部屋に来てくれればもっとデカい銃を見せてやる』なんて言うんだ。しかもどさくさ紛れに私のケツを触ってきた。私はその手をはたいて、『知るかボケ、テメェの銃は自分で磨け』つって席を立ち、二階のここで酒を飲むことにしたわけ」


 「最低ですねどっちも。その後事件が発生、と」


 「まあ、うん。そんな感じ」


 所長にしては妙に歯切れの悪い返答に、助手は少し気になった。

 だがそれは一旦置いておき、次の質問に移る。


 「話を変えましょう。真犯人は彼を部屋で殺害した後、窓から脱出したんですよね」


 「だろうな。扉と窓以外、あの部屋に他に出入りできる方法はない。もしあったとしたら、流石に警察が見つけているだろうさ」


 「二階なら窓から飛び降りることも出来ますか……。それで所長、犯人の姿は見えましたか?」


 「それが駄目だった。このバーは廃ビル同士に挟まれて窓の下は裏路地、出てすぐは通りになってるだろ? 今日は祭りだからいつも以上に飲んだくれて騒ぐ連中が多い。人が多すぎだし、逃げていく影もなかったように思える」


 「目撃者はいないのでしょうか。誰か窓から飛び降りる人物を目撃していれば、少なくとも所長が犯人ではないことが分かるはずですが」


 「酔っぱらいながら歌って歩く連中が、建物の二階なんぞ見てるものか。二階から飛び降りれば目立つだろうがな、今のところ目撃情報は入ってきていない。あれほど混雑しているのにも関わらずだ。消えたんだよ、犯人が」


 助手はうんうんと唸りながら考えるも、その真相は分からなかった。

 そして、所長が悩んでいるのだから自分に分かるはずもないか、と思い直しまた違う話を聞くことにする。


 「ディテクティブ・グッドラックはなぜ、このバーの二階に部屋を借りたのでしょう。彼の事務所は我々の隣、つまり歩いて帰れる距離のはずです。あえてここで寝泊まりする必要はないのでは」


 「そりゃお前、自分の家に女は連れ込みたくなかったんだろ。下のバーで女を捕まえて、上で寝る。部屋の後片付けの必要もないし効率的だろ?」


 「彼、そんなことしてたんですか? 女関係が杜撰だなんて、イメージ崩れちゃうなぁ」


 「こんな腐った街じゃ男も女も、飽きたら終わりの使い捨てみたいなもんだ。お互いにそれを理解して同じ布団を被る。助手君、君はもうちょっと社会勉強した方がいいよ」


 所長のパイプからもうもうと煙が立ち上る。彼女にとってはいい香りのそれも、助手にとってはクサイものでしかない。

 だが顔を背けても、そこに綺麗な空気はない。眼下の道路を走る自動車が無秩序に排ガスを撒き散らしている。

 この水星にはいまだに、ガソリンで走る車が多い。急速に開拓され発展していった星は、多くの歪みを抱えている。


 「犯人の動向を少し確認しようか。犯人は自らあの男の部屋を訪ね、アイツもそれを了解して連れ込んだ。いつものように銃を見せ、それを犯人に手渡す。犯人は素早く銃のセーフティーを解除しスライドを引き、男に向かってトリガーを二度引いた。そして銃を捨てると、その部屋に私が来るまでに不明な手段で姿を消した。一つ分かるのは、あの男が部屋に入れた以上、犯人はまず女で間違いないだろう。そして決して、この犯行現場に戻ってくることはない」


 「動機は何でしょう。それが分かれば、犯人のしっぽが掴めるかも」


 「難しいが、それもある程度推察出来る。まず犯人は殺しに慣れているという点だ。指紋含め、部屋に犯人の証拠となるものが残っていないし、銃弾は正確に心臓を二度も抉った。これらの手際から単なる女関係の痴情のもつれとかではなさそうだ」


 「計画された犯行であると?」


 「だろうな。この日のこのバーに彼が来ることは予め告知されていた。そして、あの男の使う部屋はいつも同じ部屋らしい。ああそれと、犯人とグッドラックは初対面だ。でなければわざわざ同じ銃を見せたりしない」


 「うーん、殺し屋でも雇われましたかね」


 「その可能性は大いにあると私は踏んでいるよ。その仮定なら、怪しいのは独立反対派の連中か。丁度今日という記念日に犯行に及んだのも理解できる。水星独立の新たな旗印となりそうな人物を、邪魔者だと葬り去ったのだろう」


 そこまで推理が出来ても、犯人を捕らえることは出来ない。

 恐らくはとうに逃げているだろう。女は顔も名前も分からぬままに犯行を済ませた。所長は自分がその事件に遭遇していながら、欠片の手がかりもつかめないことに苛立ちを隠せなくなる。


 「クソ、最悪だ! なんでよりにもよって私が犯人扱いされるようなことに……!」


 「……所長。少しいいですか? 気になるところがあるんですけど」


 「あ? なんだ?」


 「どうして犯人は、自ら被害者の部屋を訪ねたって断定したんです? 彼が犯人を誘って部屋まで連れて行ったって可能性もありますよね」


 「そりゃ……まあ、言葉の綾だよ。事実がどっちであれ、そこに意味はないだろう」


 「確かにその通りです。ですが、所長がそう推理してことには意味があると思うのですが」


 「何が言いたい?」


 「所長、まだ僕に隠してることがありませんか?」


 沈黙。

 所長はパイプをふかしながら目を閉じ、苦虫を嚙み潰したような顔をする。


 「もっと突っ込みましょうか? 所長が隠しているのは恐らく、ディテクティブ・グッドラックとした会話の一部。所長が二階のこの席に座ってから事件発生までの間に、彼ともう一度会話する機会があったのでは? その会話の内容が彼の行動を予測させ、彼が能動的に女性を部屋に連れ込むことはないと判断し、先のような断定になったのではないでしょうか」


 「はぁ~~~~~」


 助手の提言に、所長はパイプから口を外し白い煙を吐いた。


 「変なところで鋭いんだよな、お前。有能な助手で嬉しいよ」


 「当たりですか? じゃあどんな会話をしたのか教えて下さい」


 「これは本当に事件とは関係ない。話す必要はない、些事だ」


 「その些事から所長の無実が証明出来るかもしれないじゃないですか。どうして隠すんですか?」


 所長はグラスに並々入っている琥珀色の液体を、一度に飲み干した。


 「言いにくいことは誰にでもある」


 「……言う気はないと? じゃあ、もう一つ質問です。所長は廊下で銃声を聞き、彼の部屋の扉を開けて死体を発見したわけですね?」


 「ああ、それが?」


 「鍵はどうしたんですか? 部屋の鍵、まさか掛かっていなかったんですか?」


 「……………………」


 「僕は間違いなく、鍵が掛かっていたと推理します。男性が女性を部屋に入れるなら当然、鍵は掛けるはずです。さらに、その女性はこれから男性を殺そうとする意志があります。犯行の発覚を遅らせるため、部屋に鍵を掛けないという選択肢はないはずですよ」


 「………………………………」


 「所長? 何か言ってくださいよ。所長は何故、彼の部屋の鍵を持っていたんですか? 鍵の話はこれまで出てきていませんでしたよね。すると、先ほどから隠そうとしている会話の内容が怪しい。所長は彼から直接、部屋の鍵を貰ったんですね?」


 しばらくの間、誰も喋らなかった。

 助手は一瞬たりとも目の前の被疑者から目を離さず、所長は観念せざるを得ないとばかりに、ゆっくりと口を開く。


 「あー、その通りだよ助手君。素晴らしい推理だ。七十点」


 「残りの三十点は?」


 「これだけ推理の材料があるなら、会話の内容についても説明出来るはずだ。分からない? だとすればやはり、勉強不足だな」


 助手は帽子の上から頭を掻いた。会話の結果は分かるが、どうしてそうなったのかまでは推理出来ていない。


 「私は一階のバーで彼を突き放し、二階で飲み始めた。ところが彼は私を追って来たんだ。しつこい男だ。今の君のように私の向かいの席に彼が座り、なんて言ったと思う?」


 「え? さ、さあ……」


 「自分の部屋の鍵と札束をテーブルに出して、『部屋で待ってる。来てくれれば、もっと大金を支払ってもいい』だとよ。何でもアイツ、私の服装が気に入ったらしい」


 「それってつまり、お金で所長を────」


 「『金で買えるような女と一緒にすんじゃねぇ!』ってその場は追い返したんだが。ちょっと札の額を数えてみたら予想以上にその、多くて」


 「所長?」


 「私の中で二つの感情があった。まず一つは、よくもまあ私たちから奪った儲けを見せつけてくれるな、という怒りと……。二つ目は、これが前金なら一晩でどれだけの金が貰えるんだろう、という興味で」


 「もしかして後者を選んだんですか? 売ったんですか自分を!?」


 「待て、君も実際目の当たりにしてみれば分かる! 電気もガスも止められかけてる窮状に、ぶら下げられたニンジンは非常に美味そうなんだ! 第一、金が無いと私の酒が────あいや、君の給料が払えない!」


 「ううん、そりゃそうですけど……。所長、タバコ吸いまくったり酒を飲みまくったり金に困って売ったり、自分の身体に対して無頓着ですよね本当に。助手としてちょっと恥ずかしいです」


 「だから言いたくなかったんだ……。だが人生は楽しく生きたもん勝ちだよ。とにかく、金が魅力的だったもんで私は腹をくくった。あの男なんかに身体を触られるというのは非常に癪で、吐き気のする想像だったが、背に腹は代えられないというもの」


 「ここから、彼の部屋を訪ねにいったと」


 「ああ。すぐ行くのは啖呵を切って追い返した手前、ちょっと気まずいから時間を置いた。犯行はこの時間の間に行われ、廊下を歩いていた私が銃声を聞きつけ、咄嗟に持っていた鍵で彼の部屋に立ち入った」


 「ここと廊下は直線ですけど、彼の部屋の前に立つ犯人の姿は見ていないんですか?」


 「生憎とそこの出入り口の扉を閉めていてね。廊下の様子は伺えなかった。他の客も殆ど一階のバーの催しに釘付けだったし、目撃者もいないようだ」


 「彼が違う女を探しに行かないと推理出来たのは、所長と既に約束をしていたからなんですね。でも、犯人の方から部屋をノックされると入れてしまったと」


 「向こうも私が来るかどうかは確証が持てなかったし、別に違う女を連れ込んでる途中に私が来ても構わないと思ってたんじゃないか?」


 「だらしないですね、女好きって」




 「監視カメラとか付いてないんですかね、このボロ店」


 「それがあれば楽だったかもしれないが、生憎とここは写真撮影を嫌うような連中のたまり場でもあってね」


 「営業をとり潰した方が良いのでは?」


 「馬鹿言うな、私はどこで飲めばいいんだ」


 「飲まなきゃいいんでしょ……。あ、刑事さん。いつもこの人が迷惑をおかけして────。連行する? ちょっと待ってくださいよ。まだ事件は解決してないんですから」


 「そうだそうだ。私を連れ出すのは後にしてくれ。一生事件が解決しなくてもいいのか? え? 私が犯人だから解決する? はは、冗談はよしなさい。分かった、あと一時間待て! 政府の犬なら待てぐらい出来るだろ!」


 テラス席に手錠を持ってやって来た刑事を追い返す。

 タイムリミットは刻々と迫っていた。


 「本当にあと一時間で謎が解けるんですか?」


 「知らん! それぐらいで解ければいいなと思っただけだ」


 「はぁ、再就職先はどうしようかな。今度はちゃんとお給料払ってくれるところにしよう。でも法に触れてそうなのは嫌だし……」


 「おい、縁起でもないことを考えるな。この私に解けない謎があるとでも思っているのかね? 水星の名探偵とは私の事だが」


 「わりかし解決してない事件もありますよね? 所長が逆に現場をかき乱した事件もあったような……。あと、水星の名探偵といったら今回の被害者、ディテクティブ・グッドラックのことだと百人中百人答えると思います」


 「ぐ……」


 「さらに言ってしまえば……。所長が見栄を張らずとっととテラスから動いて、グッドラックと一緒の部屋にいればこの犯行は成り立たなかったんじゃないんですか? 死体が二つに増えただけかもしれませんけど」


 「うるさいぞ助手君! やっぱりお金欲しくて来ましたなんて、簡単に言えるか!」


 事件について考えながらも、軽口を叩き合う。二人の議論は、犯人の行く末に移っていった。


 「それで結局、犯人がどうやって逃げたのか分かりませんね。もしかして開いた窓はブラフで、違う方法で出て行ったのでは?」


 「それも考えたんだがなぁ、どうも違う気がする。私は予め部屋の鍵を持っていたんだ。だから犯行現場には相当早く駆けつけられた。犯人がアイツを殺してから部屋でどうこうする時間はない」


 「なるほど、そうですね。時間的に窓から脱出するしかないと。でも、下に降りたわけではないんでしょう?」


 「ああ。この謎だけ解ければ、私の犯行ではないと証明されるはずだ……。あと少しなんだが」


 「そうだ! 下に降りていないのなら、向かい側にジャンプしたっていうのはどうでしょう! ここ、窓のすぐ向かいが廃ビルでしょう? 向こうの窓に向かってジャンプできるのでは?」


 「そう思うなら、やってみたらどうだ? 私は距離が足りず落ちるに賭ける」


 「うーん、それじゃあどうやって……」


 唸っている助手を前にして、所長は片眉を吊り上げた。ヒントを見つけたのだ。


 「ああそう、向かいだ。犯人はきっと、向かいの廃ビルに逃げ込んでこの場から消えたんだ。いや間違いない」


 「え? でも距離が足りないって……」


 「そりゃ、あの部屋の窓からジャンプすればな。ちゃんと橋を用意してあったとしたら?」


 「は、橋?」


 「橋でもなんでも、こっちとあっちを行き来可能な道具があればそれでいい。助手君、今すぐ警察に向かいの廃ビルを捜索するよう言い給え。私の冤罪はそれで晴らされる。全ての可能性を検討し、最後に残ったものが真実だ」




 バーの二階の階段を上ると、屋上へ続いている。

 特に何があるわけでもないが普段は立ち入り禁止だが、今回は特別だ。屋上端の手すりにセーラー服の女が腰かけていた。

 マスターからの許可を受けて扉を開けてもらったのだ。


 「よいしょっ、と……」


 手すりの下から、助手が顔を出す。壁に対して垂直に作られているので、普通ならばまずありえない光景。

 鍵は、手すりに引っかかっている鉤爪だった。


 「うん、やはり一瞬で飛び移って登ってこられるな。この線でまず間違いないか」


 「本当に向こうの廃ビルの三階に、ワイヤーと縄梯子が隠されていたとは驚きです」


 「なんだ、私の推理を疑っていたのか? 犯人はグッドラックの部屋の窓から、予め横の壁に垂らしてあった縄梯子に掴まりこうして屋上に出た。この動作自体はあっという間に終わり、屋上から縄梯子を回収すれば痕跡も残らない」


 「これ、所長が素早く犯行現場に押し入れたからこそ推理出来たんですよね。短時間で屋上へ移動できるからこそ逆に、こうするしかないと考えられたわけで」


 「まあな。これで死体発見まで間が開いていたら、壁際を伝って違う部屋に行った可能性などを考慮する必要があった。私が部屋の鍵を持っていたのは犯人も想定外だったに違いない」


 「で、屋上から廃ビル三階を繋いだワイヤーにこう、マシンを引っかけて巻き取りながら移動したと。使い終わったら全部を廃ビルの隅に隠して、自分は悠々と逃げればいいわけですね」


 「そのとおり。今回は犯人を逃がしたが、私の無実が証明されたことで一応の一件落着としよう。さて助手君、帰るぞ」


 所長は手すりから降り、階段へ向かって歩き出した。

 警察が複数名立っているが、彼女の道を塞いだりはしない。助手は彼らに縄梯子を渡す。


 「所長、それで給料なんですが……」


 「ん」


 階段の踊り場で、所長はスカートのポケットの中から札束を取りだした。それはゆうに助手の三ヵ月分の給料を越えている。


 「うわ、ホントに出た! これがもしかして前金なんですか?」


 「いんや。前金と本番の金を合わせた一部」


 「え? でも所長、そのお金は所長が受け取る前に彼は死んで……」


 「私が犯行現場に突入した時……。寝台にな、置いてあったんだ。札束が。多分私宛のものだから、遠慮なく受け取っておいた」


 「…………しょ、所長ー! それ泥棒ですよねー!?」


 「静かに! 人聞きの悪い……。彼は私に、部屋に来いとしか言ってない。だから私は部屋に行った。そして金を受け取った。ほら、どこが泥棒だ。れっきとした契約の対価だよ」


 「いや詭弁……。まあ、いいですか。給料さえもらえれば僕はそれで。あーあ、ディテクティブ・グッドラックが見境ないセーラー服好きの変態だったとは、幻滅です」


 「なに、お陰で儲かった。後で警察から協力金を貰うことも忘れないでおこうか。人を疑ったんだ、たんまりせしめるぞ」


 パイプから伸びる白い煙をくゆらせ、所長は階段を下りて行った。

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