流星

Slick

『流星』の名

 灼熱の太陽の下、真夏の体育の授業というものは、時に生徒を残酷なまでに苦しめるものだ。

 その日は、バレーのクラスが行われていた。


 「――来たぞっ!」

 バレーコートに味方の声が響き、回転のかかったボールがこちらのコート深くに叩き込まれた。

 「バシッ!」と音を鳴らし上がったレシーブに、セッターのメンバーが食らいつく。トッと高く綺麗に上がったトスが、空中で大きく弧を描く。

 ――だがその軌道は不安定で、アタッカーの手を空しくすり抜けた。

 急速に落下速度を増すボール。そのボールがネットを掠め、自陣サイドに墜落する寸前で――。

 ――俺が動いた。

 タっと駆けつけ力の限りに跳び上がった。ネットタッチすれすれのところで軽くボールに手を押し当て、敵のブロックを躱して斜めに軌道を折る。そしてそのまま柔らかくネットを越えさせ――。

 ボールは湿った音を立てて、敵陣に落ちた。

 ホイッスルの音が響き、マッチポイントが決まる。

 味方が各々のフォーメーションを崩し、俺に近寄ってきた。

 「ナイス! あれは上手すぎだろ!」

 「悪い、俺のトスが微妙なところに飛んで......」

 「いつも通り攻守ともに上手いな。今日のMVPはお前に決定!」

 「マジ泣けて惚れそうになったwww」

 ......等々、口々に言い寄ってくる味方を軽くあしらいつつ、俺は空を見上げる。

 今日も太陽は元気溌剌だ。

 彼らに視線を下ろすと、汗をダラダラと垂らした顔がすぐそばで俺を讃えてくれている。

 ――俺の方は、全く一滴ものに。

 


 幼い頃から、どれだけ動いても全く汗をかかなかった。

 

 そういう体質だった。

 俺は今、高校一年。青春真っ盛りと言われればそうだが、実際のところあまり楽しくない。


 学校の勉強はせいぜい中の下だったが、不思議と体育だけは良く出来た。俺自身、特に運動部員でもスポーツ経験者という訳でも無い。でも本当に、自分でも驚く程に優秀だった。

 そのありあまる才能だけは、運動部員をも凌ぐほどだった。

 そしてその中でも特に秀でていたのは、足の速さだ。

 短距離、中距離、長距離と何故か走ることにかけてだけは、まぁ万能と言っても差し支えないだろう。

 傲慢に聞こえたらすまない。

 そんな馬鹿なことありえない、と言われても、俺が実際そうなのだから仕方がない。

 そのくせ汗は一滴たりとも流さない。

 一滴たりともだ。

 子供の頃から皆に気味悪がられた。

 小さい頃には「エイリアン」と呼ばれイジられることも結構あった。

 人の言う俺の卑屈さは、多分その頃に形成されたんだろう。

 成長しても、それは変わらなかった。

 今、俺は高校生。

 今のあだ名は『流星』だ。

 『流星』のように速く走るところから、付けられた名だった。


 「――なぁ、今日の放課後どっか行かね?」

 授業終了後、皆がバラバラに教室へと戻っていく廊下で、友人の一人がそう声を掛けてきた。手持ちのタオルで汗を拭きながら、暑い〜、暑い〜としきりに呻いている。その横を俺は、汗さえ垂らさず涼しい顔で歩いていた。

 暑い? どこが?

 そう思ったが声には出さない。口に出せば、人に嫌味に聞こえるだろうということは、小さい頃にとっくに学んでいた。

 「悪いけど俺、今日は数学の補習だからパスで......」

 そう、俺は最近あまり成績が良くない。

 遊んでいる暇など、実はないのだ。

 とはいえ何故か昔から、人に成績優秀者と思い込まれることが数多くあった。

 別にスポーツの才能と成績とは微塵も関係ないのだが、しかし汗を全くかかないという特異な個性からか、何故か『特別な、それでいて異端な存在』と無意識に思われることがあった。

 俺は......、そんなことなど望んでいないのに。

 「ふぅんそう、じゃまた今度な〜」

 友人はそう言うと、俺からサーっと離れていった。自由気ままな奴だ。

 だがそれだけで俺は、自分が避けられているように感じた。

 被害妄想だと分かってはいるが、一人だけ汗をかいていない今の状況だと、何故か気まずく肩身が狭く感じる。

 まるで自分が何か悪いこと、ズルでもしているような気になる......。

 事実、汗だくの運動部員からは明らかに敵意の籠もる視線を感じた。

 まぁ、汗一つかかずにさらに彼らよりいいプレーを見せてれば、そう見られるのも仕方ないか。


 ......以前、陸上部にスカウトされたことがあった。

 俺の噂を聞いた上級生が勧誘に来たのだが......、俺は出会い頭にその誘いをバッサリ切り捨てた。

 ただ気に入らなかったのもあるが、それ以上に面倒くさいというのが大きかった。

 俺の考えでは、部活なんてのは好きでやるものだ。別に足が速いからといって、陸上部に入る義務があるわけでもない筈だ。

 でも多分、あっさり誘いを無下にした俺を、彼らは「イキってる」と見たのだろう。

 俺が己の才能を盾に、汗水たらして日々切磋琢磨する自分たちを見下している、と。

 とんでもない逆恨みだった。

 しかし説明すればするほど、彼らのその認識が凝り固まっていく気がする。

 それにそもそも、そんな視線など気にならない......。

 ......いや、本当か?

 自分の中で、きつく溜め込んでいるだけじゃないのか?

 でもこればかりは、誰にも言うことはできない。

 誰に言っても贅沢な悩みだと思われそうで、口に出せない。

 ......そんな陰陰とした思いを抱えながら、俺はさっさと着替えを終えて自分の席に座った。

 ここ窓際の席は少々蒸し暑いとはいえ、エアコンの壊れている教室へ吹き込む唯一の風の通り道。

 汗だらけの連中にとってはオアシスのような場所だが、残念ながら俺には全く不要な特典。

 とはいえここは俺の席で、譲るつもりはない。

 俺の席に勝手に座って談笑でもしているような奴がいれば、問答無用で蹴り落とす。

 なぜならここは「俺の」席だからだ。そこに妥協などする気は毛頭ない。

 さて、イキってるのはどっちかな?

 ......こんなことをしているから余計に嫌われるんだ、とは自分でも理解しているが、ある意味いつもの意趣返しのつもり故にこれで五分五分だろう。

 吹き抜ける風を顔に受けながら、わざと涼しい顔で彼らに目線を投げかけた。

 舌打ちの音が聞こえた気がしたが、多分空耳。

 こんな学校生活にも、もう慣れっこだった。

 


 ――その晩、夢を見た。

 幼かった俺は夢の中で父に連れられ、休日の夜に天体観測へと出かけていた。

 それは小さい頃、実際に行ったときの記憶と寸分違わなかった。

 夢の中でも不思議な既視感があったが、夢の中のお約束でそんなことは気にならなかった。

 向かった先は、近所の住宅街の近くにある小山。地元民には緑地として使われ、小山をぐるりと巻いたスロープを登ると頂上には小さな広場がある。

 俺たち親子は、天文学者になるのが夢だったという父の大切な望遠鏡を、頂上までわざわざ担いで行って天体観測をした。

 そしてその夜、俺は初めて「流れ星」を見た。

 「わ〜、すご~い!」

 そう無邪気に歓声を上げる幼い俺を、自慢げに見返した父の顔は今でも覚えている。

 「ねーパパ、ながれぼしって、どこから来るの?」

 そう聞いた俺に、父は言った。

 「宇宙から来るんだよ。あれはな、宇宙の隕石が地球に遊びにきた姿なんだ。火の尾を引いててキレイだろ?」

 幼い俺には、その説明でもイマイチ腑に落ちなかった。

 「あれは火なの? 『いんせき』さんは、あつくないの?」

 「まぁ多分、流れ星も熱いだろうな。でもそうして地球にやってきて、身を焦がしてまできれいな姿を見せてくれている。お前もそんなふうに、人のために輝ける人になるんだぞ」

 やっぱりよくわからなかったが、俺はそれを聞き流した。

 「うん、わかったよ、パパ!」



 ――その夢を見た翌日、高校からの帰り道で。

  じっとりと厚い布のように感じられる暑さが立ち込める中、不意に背後から肩を叩かれた。

 振り返るとそこには先日の友人、聞くと要件は週末の外出のお誘い。

 「悪い、週末は俺ちょっと課題が......」

 そう言って断った直後――

 ――チッ!

 相手が舌打ちをしたのが、はっきりと聞こえた。

 その目に一瞬敵意が浮かんだのが、間近からはっきりと見えた。

 その目はこう言っていた。なんだよお前、才能あるくせにいつもいつも謙虚ぶった態度でイキりやがって、と。

 それは一瞬だったが――、その一瞬で、俺の中の何かがプツリと切れた。

 気がつくと、彼の呼び止める声を無視して走り出していた。

 何故かは分からないが、無性にここから逃げたかった。

 ふと涙が頬を伝った。

 ふいに今まで抑えてきたもの全てが溢れ出した。

 学校で疎まれる自分、『流星』の呼び名、『特別な存在』であると思い込まれ、それを誰にも相談できなかったこと。

 家にも帰りたくなかった!

 ただ無意識に道を駆けた。

 自分がどこへ向かっているか分かったのは、少しして町並みが住宅地へと変わった頃だった。

 そうだ! あの小山へ!

 あそこならきっと、一人になれる。今までの自分と向き合える。

 走った......。

 走った!

 ただひたすらに走り続けた!

 人のためでなく。

 誰かに疎まれるためでもなく。

 ただひたすらに、

 「俊足」という足枷が、今は俺を支えていた。

 身体が熱を帯びる。

 そして額から、汗が吹き出した。


 小山の頂上に着いたのはもう夕暮れで、広場には誰もおらず、ポツンと立つ街灯が寂しく瞬いていた。それを横目に俺は暗くなった空に目を巡らせ、何かを必死に探し求めた。

 不意に空に細長い閃光が瞬き、そちらにバッと顔を向ける。

 あれは確か......。

 暗くなった空に再び、光の切れ込みが走った。

 『流れ星』だった。

 再び涙が流れ、頬を湿らす汗と混じった。

 ふと、父の言葉を思い返した。

 『――まぁ多分、流れ星もだろうな』

 あぁ、

 流星が今、天空の果で

 あぁ......、あぁ......。

 言葉が、口から溢れた。

 「『』でいるのは辛いよな、兄弟......」

 三度輝いた光が、彼の首筋を伝う汗に反射してキラリと光った。




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流星 Slick @501212VAT

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