二.氷狼のお姫さまと狼のぬいぐるみ

 某日未明、ついに待ち望んでいた子どもが産まれた。


 二人で見守る中、たまごはカタカタと振動を増していき、ついにぱきりと割れた。

 手を握り合わせて見守ること数分。ひび割れた殻を押し退けて顔を出したのは竜の頭ではなく、真っ黒い鼻先だった。ぴんと張った小さな三角耳、子狐にしては細く子犬にしては長めなもふもふの尻尾。そして背中には小さな羽毛の翼。


『んぅ?』


 アーモンド型の青い目がぱちりと瞬く。卵の殻をかぶった淡い水色の子狼が、こてんと首を傾げた。


 予想外だった。

 温めた水晶竜クリスタルワームのたまごから誕生したのは、ぬいぐるみみてえなもふもふの、翼がついた狼の子どもだったんだ。


「……どういう、ことだ?」


 俺の伴侶パートナー、ギルと顔を見合わせる。彼も俺と同じように、目に見えて動揺していた。




 ❄︎ ❄︎ ❄︎




「これは、あれだな。陛下が押収したのは生物実験された卵だったっつーわけだ」


 一通りの診察を終え、白衣の男はそう結論づけた。


「生物実験? クリュウ、どういうことだよ」

「ほら、リュカの彼女もそうだったろ? 精霊やいにしえの竜の身体の一部とか、そういう魔法材料を掛け合わせて中身をいじるマッドサイエンティストが裏界隈には多いんだよ」

「なかみをいじる……。そっか、だから生まれたのが水晶竜クリスタルワームじゃなかったのか」


 目の前の男、クリュウは白衣を着てはいるものの、本職は医者じゃない。禁術と呼ばれる特殊な魔法の使い手であり、研究者だ。

 初めは俺たちは宮廷付きの医師に見せたんだけど、獣人とも翼族とも言えない姿をした娘には首を傾げるばかりだった。そこで研究者の彼ならなにか分かるんじゃねえかと思って診せたら、生物実験のたまごだと断じた。


 たまごからかえった子どもは女の子だった。赤ん坊の姿を飛び越えて、なんと一日で三歳程度の幼児に成長した娘は大人しく俺の腕の中におさまっている。

 俺たち魔族が生まれる時は本性の姿だ。俺のように妖狐なら九本の尻尾を持つキツネに、ギルのようにグリフォンならグリフォンのままで生まれる。

 すぐに人の姿に変身はできるけど、人間のように赤ん坊の姿を取ることはない。魔族の身体の成長具合が精神年齢に依存するせいなのか、それとも生存本能が働くためなのかよく分かんねえけど。生まれてすぐ幼児の姿だし、舌ったらずな言葉を話す。それでも、たまごから孵った娘は人型に変身しても、魔族特有の尖った耳じゃなく狼の耳のままだった。尻尾や翼だってそのままだ。


水晶竜クリスタルワームのたまごだったからか、生体は魔族ベースみてえだな。普通に腹はくし、与えれば飯も食うから安心しろ。色もヒムロとそう変わんねえし、狼だし、おそらく氷の中位精霊、氷狼の何かを材料に使ったんだろ」

「……まったく、信じられんな」


 隣でギルが軽く頭を振ってため息をついた。

 要するに、母親からたまごを奪い取り、殻に穴を開き、何らかの術を施してたまごの中に氷狼の身体の一部を入れたってことだ。国王のギルだって頭を抱えたくなるだろう。


 そんなの姿を見て、膝の上の娘が首を傾げた。元気がないと心配したのかもしれない。その青みがかった銀色の頭をそっとなでてやる。嬉しかったのか柔らかな細い尻尾がぱたぱたと揺れた。可愛い。

 俺より小さな三角耳と、犬にしては長めでほっそりとした尻尾は狼の特徴だ。


 そう。狼、なんだよな。


 実を言うと、俺は狼が大の苦手だ。まだガキだった時、手酷く扱ってきた大人が人狼の男で、今は会うことがないものの未だに同じ人狼のヤツらを見かけると胸が締め付けられるほどトラウマになっている。

 でもだからと言って、この子を育てると決めた以上やめるわけにはいかないし、やめるつもりもない。


「ママ」


 娘が小さな腕を伸ばしてきた。抱え直して、腕に軽くぎゅっと力を込めると、娘は嬉しそうに尻尾を揺らす。可愛い。可愛すぎる。こんな小さくて愛おしいいのちを簡単に手放してたまるか。


 そういえば以前、トラウマになるくらい苦手だったグリフォンの子どもを引き取り養子にした男に会ったことがある。いくら子ども好きだからって、なんでよりにもよってグリフォンなんだって当時は疑問だったけど、今なら彼の気持ちがわかる気がした。


「ヒムロ、大丈夫か?」

「ああ、大丈夫だ。この子は俺が守る」


 背から生えているやわらかな翼を潰さないように、そっと抱え直す。華奢で小さなからだはひどく頼りなくて、あたたかい。

 たまごのうちに実験されるなんて、虐待と同じようなもんだ。そのせいなのか、娘は俺と同じく耳と尻尾がついたままだし、翼だって生えている。獣人族や翼族に似ているどころじゃない。まるで人外の、精霊のような姿だ。

 これで身体は人族と同じだって言うんだから、不思議だ。傍目から見れば人外の子どもにし見えないこの子を外に出せば、間違いなく悪い研究者や魔術師の類に狙われるだろう。


 なんとしても、俺が守らなくちゃいけない。


 そう決意を新たにしたっていうのに、クリュウときたら目の前で吹き出して笑い始めやがった。なんだよ。人の覚悟を笑うんじゃねえよ。いくら恩師だからって許さねえぞ。

 思いきり睨みつけたら、なぜかぽんぽんと頭を軽く叩かれた。


「ま、そう気負いすぎんな。城ん中にいれば危険はそうねえだろ。どんなナリをしてたって、ガキには腹いっぱい美味いもん食わせて遊ばせてやりゃいいんだよ。ほら、プレゼントだぜ」


 そう言って、クリュウが取り出したのは灰色と白の狼のぬいぐるみだった。小さい手のひらサイズだけど、娘が抱えるには十分な大きさだ。

 つーか、ほんとにこれ、どこに隠してたんだよ!?


「きゃーっ! おおかみ!」


 自分と同じイキモノだからか、娘は歓声をあげて喜んでいる。その様子をクリュウは楽しげに笑っていた。

 大概、クリュウも子ども好きだよな……。


「狼のぬいぐるみか……。よく見つけたな」

「フツーに中央市場で売ってたぜ? ヒムロがガキの頃はクマのぬいぐるみをやって散々泣かれたからな」

「だからって狼かよ! どっちも猛獣じゃねーか! うさぎとか猫っていう選択肢はねえのかよっ」

「あー、そうだったか。思いつきもしなかったな。悪ぃ」


 カラカラと笑っているあたり、そこまで悪いとは思ってないみてえだ。……ったく、熊なんてフツー怖いだろ。魔物をのぞけば、森や山ん中では最強の猛獣だろうが。

 けど、娘はぬいぐるみをいたく気に入ったらしい。狼だから仲間とでも思ってんだろうか。未だに両手で抱いてたまま、黄色い歓声をあげている。


「それで、名前は決めたのか?」

「え?」

「狼の子でもなんでも、おまえは育てる気持ちに変わんねえだろ?」


 右手の中指で銀縁眼鏡を押し上げ、クリュウはにやりと笑った。そんな彼の深い青の瞳を見返し、俺は笑ってみせた。

 ぬいぐるみ抱き返す娘の頭を撫でて頷く。


氷芽ひめって、名付けたんだ」

「大陸風に発音すると、ヒメか? いい名前じゃねえか」

「ああ、ギルもそう言ってくれてる」


 隣に視線を移すと、ギルは笑って頷き返してくれた。

 氷芽ひめはぬいぐるみを抱きしめてすっかりご満悦だ。にこにこと屈託なく笑う顔がめちゃくちゃ可愛くて見惚れてたら、いつのまにかぬいぐるみの足をかじり始めていた。だめだ、こりゃまずい! あわてて娘の口からぬいぐるみを離した。泣かれたらどうしようかと思ったけど、口に入れたらだめだと言ったらお利口に聞き分けてくれた。


「おー、おー。そんなにぬいぐるみが気に入ったか。同じオオカミだもんな」


 プレゼントが喜ばれたのがクリュウは嬉しかったようだ。俺の時はクマのぬいぐるみをもらってもぎゃん泣きしちまったからな。そりゃ嬉しいよな……。

 どうやら氷芽ひめは人見知りをしないらしい。大人のクリュウ相手に怖がる様子もなく、元気よく頷いた。


「うん! ママとおんなじ、おおかみだもん!」


 小さなほっそりとした淡い水色の尻尾を元気よく振りながら、氷芽ひめは答えた。

 その瞬間、俺を含めた大人たちはぴきりと石化したかのごとく動けなくなる。


 おなじ、おおかみ……だと?


 俺は魔族だけど、尖った耳じゃなく獣人のような見てくれをしている。キツネ特有の大きな三角耳に、もふっとした太い尻尾。そう、俺は妖狐だからキツネなんだ。形や大きさは狼と似ても似つかない。けど、生まれたばかりの子どもにそんな違いがわかるはずもなかったんだ。


 氷芽ひめは血のつながった本当の娘じゃない。偶然、成り行きで拾ったたまごだった。

 いつかは俺とギルが本当の親でないと気づくだろうと思っていた。けど、これは気づくどころか、むしろ……。


 これはなんて答えるのがベストなんだ!? 俺がオオカミじゃないと否定すれば、氷芽の母親じゃないと言ってるようなもんだし。

 正しい解答が欲しくてそっとギルを見て、俺はぎょっとした。

 普段は沈着冷静なギルが目に見えてわかりやすく、狼狽えていた。額にだらだらと汗をかいて、俺を見ている。……考えていることは同じだったみてえだ。


「……ヒムロ、どうする?」

「ど、どどどどうしよう、ギル」


 いつかは真実を告げなくちゃいけない。俺とギルが本当の親ではないこと、どうして氷芽が翼を持つ狼なのか、話さなければならない局面が、いつか必ずくる。

 だからって、今はまだ早すぎる。

 けど、嘘をついてママは狼だって言うわけにもいかねえし!


「てめえらしっかりしろ! ヒメの尻尾とママの尻尾は一緒、それでいいじゃねーか!」

「うん! それでいいの!」


 クリュウも叱咤激励に、氷芽ひめはこくこくと頷いて俺の顔を見上げた。くりっと大きなアーモンド型の目。その淡い蒼色の瞳でまっすぐ俺を見ている。ちくしょう、俺の娘が可愛すぎる。


 いや、たしかに同じ氷の属性だから色も似てるけどさ!

 ああ、そうか。似ているからか。三角耳と尻尾の色も、氷芽ひめと俺は同じ色だ。


 ギルも同じことに気づいたようだった。苦笑して、ぽんと軽く肩を叩いてくる。まるでこれから頑張ろうぜ、と言わんばかりに。


 狼の耳と尻尾、鳥の翼を持って生まれてきた俺たちのお姫さま。大人たちの葛藤を知らず、本人は母親の俺を同じ狼だと勘違いしたままだ。

 前途多難すぎて不安なことだらけだけど、せめて伸び伸びと育って欲しい。


「これからよろしくな、氷芽ひめ

「……? うんっ」

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