番外編②魔法具職人の子育て日記

一.魔法具職人と水色のたまご

 あたたかな日差しが窓から差し込んでくる、よく晴れた日。俺はかつてない難題に頭を抱えていた。


「どうすればいいんだ」


 バスケットに敷き詰めたふかふかの毛布の上に置かれた水色のたまご。触れるとあたたかいそれは確実に生きていて、時たまカタカタと音を立てる。

 そのたまごをバスケットごと抱えたら、ずしりと腕にいのちの重みを感じた。

 俺は早くも泣きそうになっていた。


「子育てって、どうしたらいいんだよ!?」




 ❄︎ ❄︎ ❄︎




 某日、ルーンダリア国内で違法売買を行なっていた悪徳商人が摘発され、逮捕された。信じられねえことにそいつは人や精霊を物みてえに売って金を儲けていたらしい。

 子ども好きなギルが当然許すはずもなく、国王の彼自ら現場に乗り込み、近衛騎士と共に逮捕。元凶の容疑者は牢屋にぶち込まれたんだけど、問題はすぐに片付かなかった。


 差し押さえた商品はただの物品じゃない、生きた人や精霊だったからだ。


 囚われていた精霊はすぐに解放し、帰る場所がない子どもたちは保護施設に迎えてもらえるように手配する。そうして最後に残ったのが、たったひとつの水色のたまごだったんだ。


「参ったな……」


 いつもなら迷いなく英断するギルも、今回ばかりはさすがに困り果てているようだった。

 まだ孵化ふかしていない子をあずける場所なんて、病院くらいしか思いつかない。でも、病院にあずけようにもこの子の親はわからないんだ。囚われていたのは精霊や子どもたちばかりで、大人は一人もいなかった。


 両手で抱えるほどのそれは、触れるとあたたかかった。まだ生きている。

 そう実感した途端に、胸の奥がきゅうっと締めつけられた。


 どういう経緯でこの子が悪徳商人の手に渡ったのかは分からない。もしかすると、この子を産み、しあわせを願っていた親はすでにいないのかもしれない。

 俺自身もかつて故郷で狐狩りに遭い、人の手によって物みたいに売られた。でも今は色んな人に手助けしてもらったおかげで、こうして生きている。

 それなら、今度は俺は同じような境遇の誰かを助ける番じゃねえか!


「ギル、俺は決めたぜ」

「ヒムロ、急にどうした?」

「俺、この子を育てる!」







 ——と、勢い任せで決断をしたはいいものの、肝心なことを忘れていたのだった。

 そう。普通は考えなくても分かると思うんだけど、俺は子育てしたことがなかったんだった。


 普段ネガティブ思考のくせに、俺はいつも勢い任せてで行動し、自滅する。

 考えなしもいいとこだ。ひとつの命を育てるのがどんなに大変なのか、よく考えたら分かるってのに。ダメ大人なんだ。


「おまえはそう言うが、考えなしではないだろう。故郷では幼い弟の世話をしていたと言っていたではないか」

「そりゃそうだけどさ、子育てと子どもの面倒を見るのは別物だろ!?」

「ははは、そうだな。だからと言って、手始めに本屋へ行くと言い出した時はびっくりしたぞ」


 隙間なく差し込まれた本棚を雷色の目で見上げながら、俺より背の高い美丈夫の男は軽く笑い飛ばして、そう言った。

 強く光を弾く見事な金色の髪をきつく一つに結んだこの人がギル——、このルーンダリアの現国王、ギルヴェールだ。そんな高貴な生まれなのに、俺が子育てのために本を買いに行きたいって言ったら、二つ返事でついて来てくれた。相変わらずどこまでも優しくて甘い、俺の伴侶パートナーだ。


「だって、未知のもんを知るためにはまず知識が必要だろ?」

「それを否定はしないが……、そうだな。そうやってまず相手を知ろうとするところが、ヒムロのいいところだな」


 相手っつーか、今回は子育てをどうしたらいいかわかんねえからここにいるんだけど。

 そう思いはしたものの、口に出す気にはなれなかった。骨張った手でやさしく、まるで宝物を扱うみたいになでられたら悪い気はしない。

 そうだな。子育てするってことは、たまごの子がどんなイキモノか向き合うってことなんだし、ある意味では相手を知ろうとしていることと同じなのかもしれない。


 「褒め方と叱り方」、「心の育て方」、「初めての育児」……。子育てコーナーに陳列されているタイトルを読み上げていくけれど、いまいちぱっとするものがない。

 俺は一体、子育てのなにを知りたいんだろう。


「……ギル」

「ん?」

「あの子は一体、どんな思いで生まれてくるんだろうな」


 水色のたまごは今、宮廷付きの医師にあずけている。城の中には最新の設備が揃ってるし、冷えないようにたまごを温めてくれているだろうから、心配はしていない。


 世界には色んな種族のひとが暮らしていて、種族によって繁殖方法も違ってくる。

 卵を産んでそれを孵す種族はいくつかに絞ることはできる。けれど、両手で抱えるほどの、まるで竜の卵のような大きさはひとつしかない。

 俺と同じ魔族で、水晶竜クリスタルワームと呼ばれる部族だ。


 ワイバーンに似た竜の姿に変身することができるこの人たちは、変わった繁殖方法を持っている。「卵を産む」って言っちまったけど、正確に言うなら、彼らは卵を自らの魔力によってことで子孫を増やすんだ。

 そういう特殊な部族だから、水晶竜クリスタルワームの人たちは海賊や悪徳商人には狙われやすい。だからそのたまごが商品として扱われることだって珍しくはないんだ。腹立たしい話だけどな。


 順当に考えるなら、生まれてくる子は水晶竜クリスタルワームの子どもだ。

 俺は妖狐だし、ギルだってグリフォンの魔族だ。赤ん坊のうちはわかんねえだろうけど、きっと成長するに従って実感するだろう。俺やギルが本当の親ではないことに。


 残酷とも言えるその事実を知った時、俺は傷ついたその子になにをしてあげられるんだろう。

 たぶん、俺はそれが一番知りたいんだと思う。


「……つーか、ごめん、ギル。勝手に卵を孵して育てるって決めちまって。ギルは俺の、伴侶パートナーなのに」

「謝る必要はない。どのみち、行き先がないのなら、王城うちで引き取ることにはなっていただろうしな」


 ギルは開いていた本を閉じ、棚に仕舞った。俺に向き直り、やわらかく笑った。


「ヒムロはどうしてたまごを孵して育てたいと思ったんだ?」

「それは……」


 助けたいと思った。

 このまま誰の目にもつかず、ひっそりと生を受けたこの子に親はいない。故郷の両親や俺を養い育ててくれた養父の千影ちかげみたいに、無条件で愛してくれる存在がいないなんて辛すぎる。


「俺がまず、愛したいって思ったから」


 辺境の島国で俺は狐狩りに遭い、海賊の手によって無理やり異国の大陸に連れて来られた。まだ非力な子どもだった俺が今まで生きてこれたのは、言語と知識を与えてくれた恩師と非道い飼い主から救い出してくれた千影のおかげだ。


「生まれてきてくれてありがとうって祝福してあげたい。世界にはひどく残酷な人はいるしつらいこともあるけど、きれいな景色や美味いものはいっぱいあるし、優しい愛情を与えてくれる人もいる。会いたくてずっと待っていた人もここにいたんだって……」

「そうだな」


 再び、ギルの大きな手が伸びてきて俺の頭をぽんぽんと軽く叩いた。

 たったそれだけで重い鉛みたいだった身体が軽くなっていく。


「おまえのその気持ちが本物なら、大丈夫だろ。たしかに育っていき過程で問題は起こるだろうし、本当の親のこともいつかは話さなくちゃならない時はいつか必ずくる。けどな、なにもおまえ一人で抱えなくていい。俺がいるだろ? これからのことはたまごのことも含めて一緒に考えればいい」


 たまごのことは俺が一人で決めたのに、ギルは一緒に育てる気でいるんだ。一国の王様で立場も地位もあるから、出自も知れない子どもを気軽に引き取れるはずもねえのに。

 けれど、ギルは一度決めたことはどんなことだって貫き通す男だ。それに、まだ孵ってもいないたまごを放り出す無責任なやつでもない。たぶん、俺が育てるって言い出した時点ですでに覚悟を決めていたんだと思う。


 俺は心のどこかで、ギルが助けてくれるって、一緒に子育てしてくれるって甘えていたんだよな。


 青色の袖に触れ、俺はギルの腕にすがった。泣いて謝るのではなく、顔を上げて最大限の感謝を送る。


「……ギル、ありがとう」

「ほら、答えが出たなら帰るぞ。ついでになにか食って帰ろうぜ」


 手を差し出されたから、迷いなくギルの手に自分の手を重ねる。彼が握り返してくれたから、俺も同じように指を絡めて。

 いつものように、そうして手を繋いで頷きかけた時、ふと我に帰った。


「あ、その前に医学新報を買ってもいいか?」

「それって、医療系の雑誌だったか?」

「ああ、今月号にイーリィの論文が載っているらしくて」

「マジか。あいつ、雑誌に寄稿なんてしていたのか」


 数年前にギルが手術と入院の世話になった主治医を話題にしながら、俺たちは一冊の雑誌を買った。

 なぜか金を受け取った女性店員には満面の笑みで見送られたのだった。

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