四.魔法具職人のショコラリベンジ
「恋人の記念日」当日を迎えた俺は、朝から落ち着かない気分で時間を過ごしていた。
記念日は平日だから、すでに成人している俺には休みはない。リュカだって学園へ仕事に行ったし、俺も今日は開発部署で仕事だ。ギルも同じく仕事だけど……、国王サマだからって、ほとんど休みなく一年中働いているってのどうなんだ。
そういう大人の事情があって、贈り物をするのは仕事が終わった夜になりそうだ。この間ギルが夜に予定を空けておくようにと言ったのはこのためだったのかもしれない。
本日何度目かのため息を口から吐き出し、俺は丸くなった背筋を伸ばした。
このまま無為に時間をただ過ごすわけにはいかない。とにかく、今日のノルマ分のくらいは魔法具を作っておかねえと。
引き出しから極端に刃先が短く先が細くなった小型ナイフを取り出し、俺は机に向き直る。結晶石にそれで削り、事前に編み上げておいた術式を刻み込む。そうして量産型の魔法具を作りながら、俺はひたすら夜を待った。
◇ ◆ ◇
夜の帷が下りると、巡回や見張りの兵士以外の城内関係者が帰るせいか、ルーンダリア城には人気がなくなる。廊下も、室内もしんと静まりかえっていて静かだ。
今さらの話では、あるのだけど。
ギルと交際を始めてから、彼とは同衾している。両手を伸ばしてのびのびと寝れるくらい、無駄に広いキングサイズの天蓋付きベッド。彼のそのベッドで、毎夜一緒に時間を過ごすようになった。
きっかけは些細なことだった。
俺は一度集中してしまうと周りが見えなくなる
そうして、自然な流れのように、ギルの寝室で一緒にいるようになって…………。
そういうわけで、夕食の後、彼の寝室へ足を向けるのは毎日の習慣のようなものだった。あの大きな両扉開けて中に入ると、いつも見慣れた雷色の頭があった。
「ヒムロ、今日は早かったな」
くつくつと笑いながらギルが言った。
作業に没頭している時は気がつくと夕方を通り越していることが多いから、夕食の時間も遅くなってしまう。今日は開発部署の明かり早めに落として準備していたのがバレバレだったのかもしれない。
そう気づいたら、顔に熱が集まってくる。
「だ、だって、ギルが言ったんだろ。今日の夜は空けとけって」
「ああ、そうだな。ありがとな、ヒムロ。俺のために予定を調整してくれて」
「……いや、別にそんな大それたことしてねえけど、さ」
雨雲を走る強烈な稲妻のようなきんいろの瞳。その瞳をまっすぐに向けられ、真正面から感謝されると、どう反応したらいいかわからなくなる。
なにか大切な用事があったとか、決まっていた予定を前倒しにしたりとか調整を入れたわけじゃない。なのに、ギルは目を合わせて感謝してくれる。そういう捻くれていない優しいところがギルのいいところだし、好きだ。
毎日顔を合わせているのに、今夜はやけに緊張する。胸の中で鼓動を早める心臓の音を聞きながら、ギルが形のいい唇を開くのを見ていた。
「今夜予定を空けて欲しかったのは、ヒムロにこれを贈りたかったからなんだ」
磨かれたテーブルの上に滑らせたのは一つの赤い箱と一輪の紫色の花。
シワひとつなくきれいに包装された赤い箱は、ギルからのプレゼント。でも俺の目は、透けた包装紙に包まれた一輪の花に釘付けになった。持っていた自分のプレゼントを脇に置き、思わず手を伸ばす。
星のような五つの花弁を持つ青みがかった紫色の花だった。横から見るとふっくらとした風船みたいな形のその花は、懐かしい思い出や景色を想起させる。
「これって、桔梗か?」
「ああ、懐かしいだろう。ちょうど市場を巡回していた時に見つけたから、おまえにと思って購入したんだ。和国で咲く花だと商人から聞いてな。おまえが喜ぶと思って」
「ああ。……すごく、うれしい」
故郷を失ってから多くの時間が過ぎたというのに、瞼を閉じると昨日のことのように和国ジェパーグでのことが思い出される。
暖かい日が短く、芯から冷えるような雪の降る日が多かった妖狐の村。決して住みやすかったわけではなかったけど、今でも時々帰りたくなる。
桔梗は植物が好きなおふくろが好んで庭に植えて育てていた花だった。だから俺も、毎年冬が近づくと見事花を咲かせる桔梗が好きだった。
去年のプレゼントに、花なんてなかった。しかも和国の花なんてすごすぎる。俺の好きなものは和国由来のものばかりだから、あまり教えたことなんてなかったのに。
毎年決まったものじゃなく、ギルなりに俺が喜びそうなものを考えて選んでくれたんだろう。多忙な日々の隙間時間を使って、わざわざ城の外に、市場に出向いて買いに行ってくれたことを思うと、涙が出そうになった。どうしよう、めちゃくちゃうれしい。
「今日は恋人の記念日だろ? いつも俺のそばにいてくれてありがとな」
「……お、おう。俺の方こそ」
耳障りのいい、甘やかで低い声だった。満面の笑顔を向けられて、胸の奥がきゅうっとしめつけられる。こう屈折なく微笑みを向けられると、目を合わせるのが恥ずかしくなってくる。
待て。そうじゃない。
ここで俺が照れたまま終わりにしてしまってはだめだろう。
持てる勇気を総動員させて、俺は脇に追いやってしまった銀色の箱を紙袋から取り出した。テーブルに置き、ギルの方へ滑らせる。
「恋人の記念日はちゃんと覚えたから、今年は俺もギルにプレゼントを用意したんだ」
「おまえが買ってきてくれたのか?」
「……まあ、リュカにも手伝ってもらったけど」
雷色の瞳を丸くしたあと、ギルは嬉しそうに顔を綻ばせた。大輪の花を咲かせたような、その眩しい笑顔がしあわせそうで、また見惚れそうになる。
「中身はチョコレートか?」
「まあ、うん……。でもギルは甘いのは苦手だろ? チョコレートって、俺にとってはあんま馴染みがないっつーか、よくわかんねえから、どれにすればいいかわからなかったんだけど……」
「おまえが贈ってくれるもになら、どんなものだって俺は嬉しいぞ」
リボンを解き、箱から出てきたのはブラウンカラーの細長いチョコレートケーキだった。甘く濃厚な香りがあたりを漂い、ギルは楽しそう目を細めた。
「ショコラテリーヌか」
ギルは商業国家ルーンダリアの国王さまだ。だからなのか博識で物知りだ。きっと、俺には馴染みのないその菓子だって知っているだろう。
リュカに聞いてみたところ、ショコラテリーヌは卵とバター、チョコレートを合わせて作る菓子らしい。材料がシンプルだからアレンジもしやすくて、大人向けに酒を加えて作る店も多いんだとか。
「そ、そうなんだ。それ隠し味に赤ワインを使ってあるらしくて! ギルは酒が好きだから、きっと口に合うと思うん、だけど……」
「ありがとな。俺のことを考えて選んでくれたんだな。嬉しいぞ」
「……うん」
声を弾ませたギルの笑った顔は、俺の目から見ても心底嬉しそうに見える。
よかった。喜んでもらえた。そう思ったらホッとして、俺も嬉しくなる。いつもならぽんぽんと出る照れ隠しの言葉が口から出るのに、今夜は口から一つも出ない。
「俺のプレゼントも開けてみろ。せっかくだから一緒に食おうぜ」
「あ、うん」
光沢のある金色のリボンを解くと、整然の並んだチョコレートが姿を現した。きれいな球体に成形されていて色はブラウンカラーだったり、濃い緑色だったり……って、緑? なんでチョコレートなのに、緑なんだ?
濃いめの黄緑色のそれはチョコとは程遠い色をしてんのに、なぜか懐かしさを覚える。試しに匂いを嗅いでみてもチョコレートの香りしかしなかった。当たり前だけど。
「珍しいだろ。これ、和国の抹茶を使ったチョコレートなんだぜ」
「抹茶!?」
「食ってもいいぞ」
ギルは満面の笑みでそう言うものだから、これは俺に食って欲しいんだなと思った。
指でひとつつまんで、抹茶色のそれを食べる。やわらかめのチョコだったみたいで、歯を立てるとすぐに解れていき、舌の上で濃厚な甘さとほろ苦い香りが喉を滑り落ちていく。
チョコレートなんてめちゃくちゃ甘いものを食べるようになったのはごく最近なのに、舌に残るほんの少しの苦味がひどく懐かしかった。
「……うまい」
心の底からの本音に尻尾が反応する。ソファの上を滑らせる擦過音の中、顔を上げて隣を見れば、ギルはにこにこ笑っていた。めちゃくちゃ嬉しそうだ。
「気に入ってもらえたようで良かったぜ。さて、コーヒーでも淹れるか」
そういえば、チョコレートには珈琲が合うと、一年前の記念日にもギルは言ってたっけ。
大きな手のひらで俺の頭をぽんぽんとなでると、ギルは立ち上がる。国王様だっていうのに、自ら珈琲を淹れに行ったらしい。根っからの王族のくせに、どうしてそう庶民的っつーか、フットワーク軽いんだか。
付き合って間もない頃は、俺も抵抗して茶を淹れようとするギルを止めていたけど、最近は諦めている。それになんだかんだ言ってギルが淹れる珈琲や紅茶はめちゃくちゃ美味いんだよな。
「いいな。それなら俺は、食べやすいようにテリーヌを切り分けておくぜ」
「ああ、任せたぞ」
ギルの後ろについていき、やたら豪華な装飾の棚から小皿を取り出す。勝手知ったるなんとやら、というやつだな。
この食器棚はギルが自室用に購入したものだ。夜中に眠っているメイドや女官たちを叩き起こして皿やグラス持ってこさせるくらいなら、ギルは自分で用意してしまう。そういう身軽に動くのが好きな国王サマなんだよな。
テリーヌは小麦粉を使っていない菓子だからか、ナイフがすぅっと入っていった。ギルの抹茶チョコもそうだけど、ショコラテリーヌもやわらかそうだ。香りのいい酒の匂いがする。
「うまそうだな」
後ろから声をかけられ振り返ると、ギルが銀色のトレイを両手に持って立っていた。テーブルの上にそれを置くと、楽しげに口角を引き上げる。
トレイには湯気の立つカップが二つ乗せられていた。その一つを俺の前、もう一つを自分の前にそれぞれ置いて、もう一度俺の隣に腰を下ろす。小皿に添えたフォークを器用に使って、ギルはテリーヌを小さく掬い取り、口の中へ運ぶ。さすが高貴な生まれと言うべきか、その一連の動作は流れるようで美しかった。
「うまいぞ。ヒムロも食べてみろ」
そう言われて初めて、俺はギルに見惚れていたことに気づく。だって、所作のひとつひとつが洗練されたものみたいで、きれいで。
「お、おう! 俺も食う!」
だからなのか、変に上擦った返事になっちまった。もちろんギルはそれをいちいち茶化すような性格はしてねえけど、なにも突っ込まれないままなのも妙に恥ずかしい。
再び頬のあたりに熱が集まるのを感じながら、俺はテリーヌにフォークを突き刺して口に運ぶ。思っていたよりも濃厚で目眩がするような甘さだった。口の中で滑らかにとろけて、甘苦い味が喉を焼きつける。思わずカップに手を伸ばして、珈琲でそれを飲み下した。
甘い……けど、ギルがくれた抹茶チョコよりも甘さは控えめかもしれない。これなら甘いものが苦手なギルの好みに合っているのかも。
隣のギルをそっと見ると、彼は長い指でカップを持ち、珈琲を堪能中のようだった。片手にはソーサー、その背筋はぴんとまっすぐ伸びている。こういうのが絵になる男ってやつなんだよな。猫背気味で雑な食べ方をしている俺とは大違いだ。
異国の生まれで魔法具制作っていう変わった技術を持ってはいるけど、所詮俺は辺境の村出身の妖狐で、庶民だ。食べ方一つ取っても、ギルとは身分が違うのだと思い知る。
ギルは国王様で、これからも国を背負って立つ人だ。そんな彼の隣に俺がいていいんだろうかって、時々…………、いや毎日のように考えてる。でも。
「うまいだろ、ヒムロ。ありがとうな」
俺と一緒にいる時のギルは、ほんとうに、心底嬉しそうに笑うから。
だからきっと、俺はこれからも
fin
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