三.兄としての矜持と何事にも聡い弟

 次の日、俺とリュカは人が多く行き交う広場に立っていた。大きな噴水が目印のこの場所は横長のベンチが複数設置されていて、ちょっとした公園みたいになっている。

 案内板に掲示された地図によると、舗装された街道を進んでいけば繁華街エリアに入る。実際、足を踏み入れてみれば、ガラス張りの小綺麗な店が見えてきた。

 カフェやスイーツショップ、中には和国の文化を取り入れた甘味処まであった。さすが流通の要、主要港のある商業国家だ。なんでもありだな。


「休日はさすがに人が多いですね。いいチョコレート、買えるといいんですけど」

「……そうだな」


 心配そうな言葉の割に、弟の表情は曇りのない笑顔だった。声だって弾んでいる。買い物を楽しみにしていたのは俺だけじゃなかったみたいだ。胸のあたりがあたたかくなってくる。


 だけどさ。


 よくよく思い返してみれば、俺、リュカにはギルとは恋仲だってことをまだ話してねえんだよな。たぶん、弟はただの上司と部下の関係だと思っているだろう。


 前にも言った通り、リュカには恋人ができたばかりだ。相手は翼族の、綺麗な顔立ちの女の子だ。

 その子は両親がすでにいなくて天涯孤独の身だったんだけど、色んな縁が重なって、今では俺が後見人として面倒を見ている。そのせいか、俺にとっても妹みたいな存在だ。

 だから、他国籍を持つリュカがルーンダリアに身を置き、自由騎士をやってんのは、恋人のためなんだ。それくらい彼女には真摯な態度で付き合いを深めている。


 そんな弟が、兄貴である俺の恋人が男、しかもルーンダリアの国王と聞いたりしたら。

 絶対に腰を抜かしてびっくりしてしまうに違いない。軽蔑……は、しねえだろうけど。たぶん。


 弟に会いに行った時、リュカはかなり追い詰められていて、ギルの言った通り、助けを必要としていた。再会したのはまさに絶好のタイミングだった。俺が力を貸し、正確にはその途中経過には色々あったけど、結果的には弟が抱えていた問題は無事に解決した。

 そういう理由で今のところ、頼りになる兄貴像をリュカの前では死守できている、気がする。


「ヒムロ兄さん、このお店に入りましょうか」


 リュカが選んだ店は白基調の清潔そうな内装のスイーツショップだった。恋人の記念日も三日後に差し迫っているせいか、買い物客が多い。人間族や魔族の女の子が楽しそうに笑い合いながら、商品を物色していた。

 そんな中へ、弟はためらいもなく堂々と入っていく。すげえ。俺だったら、やっぱりちょっと、遠慮してしまう。だって、客は女の子ばかりだし、俺みたいな大の男が入ったら場違いじゃねえか。

 

 ……いや、そうじゃない。ここで怯んでどうするんだ、俺。

 リュカにとって、俺はまだ頼りになる兄貴なんだ。ここで二の足踏んでしまったら、きっとがっかりする。


 深呼吸して、俺は足を一歩踏み出した。

 平然とした顔でリュカの後に続く。


 俺は、弟の夢を壊したくない。

 別にギルとはいかがわしい付き合いはしてねえし、むしろ城内では恋仲であることは公認の扱いをされている。だから、そうビクビクすることはねえと思うんだけど、俺が一番恐れているのはリュカにがっかりされたくないからだった。

 リュカにとって俺は、堂々としていて魔法も剣も巧みに操れるカッコいい兄貴なんだろう。

 けれど、本当の俺はカッコよくなんてない。ネガティブで引きこもりで、自己肯定感がとんでもなく低い。そういう情けない兄貴だなんて、知られたくない。


 リュカは過去の記憶を一切覚えていない。

 「冬雪ふゆき」という名前も、故郷で過ごした楽しい記憶も辛い記憶も、丸ごと忘れてしまっている。それでも、あいつは俺を一目見た瞬間に兄だと信じ、今も慕ってくれている。だから、俺は弟にとって頼りになる兄貴でいたい。


 女の子たちに混じりながら、リュカは商品を物色していた。

 透明のガラスケースの中にはチョコレートのレプリカが展示されている。たぶん、箱の中にどんな形のチョコレートが入っているか分かりやすくするためなんだろう。

 そっと足を忍ばせて、俺は弟に近づく。

 リュカが見ているのはクマやウサギに象られた可愛らしいチョコレートだった。女の子が喜びそうなデザインだし、包装紙も桜色でめちゃくちゃ可愛い。思い返してみれば、たしかに彼女はファンシーなキャラクターを好みそうなイメージがある。

 それにしても、他にも可愛らしいチョコレート菓子はたくさんあるのに、リュカは迷いなく恋人の好みの商品を選んだ。だいぶ手慣れている。うわ、弟が眩しく見えてきた。やっぱりリュカはすげえ。俺にできないことを簡単にできてしまう。俺だったら、何時間かかったって恋人の贈り物を選びきれないというのに。


 あっ、そうだった!

 俺はギルへの贈り物、チョコレートを買うために来たんじゃねえか。リュカが買い物している間に、さっさと俺も選ばねえと。


 ええと。ギルは甘いものは苦手だけど、酒が好きなんだよな。たしかラム酒を使ったチョコレート菓子のコーナーがあったはずだ。

 しかしチョコって言っても、色んな種類があるんだな。クッキーやマフィン、パウンドケーキまで。いわゆる焼き菓子ってやつだろうか。どれも故郷にはなかったものばかりだ。

 ……やっぱり、酒が好きだからって酒入りのチョコにしようとしたのは、安易だったのかもしれない。意外と種類が多くて目が回りそうだ。


「兄さんは決まりましたか?」


 ——ひぇ!

 あっぶねえ、思わず声がでるところだった。


 ばくばくと元気よく動く心臓を感じながらゆっくり振り返ると、リュカが立っていた。店のロゴが描かれた桃色の紙袋を右手に提げている。もう選んで支払いまで済ませてきたのかよ。早すぎる。


 いや、落ち着け、俺。ここで動揺した顔を見せたら情けなさすぎるだろ。


「え、俺?」

「そうですよ。だって兄さん、恋人の記念日にはギル陛下にチョコレートを贈るんでしょう?」


 今度こそ心臓が止まるかと思った。


「……えっ、リュカ……、おまえ知って……!」

「あれ、違ってました? てっきりそうだと思っていたんですけど。だって、兄さんは国王陛下に対してタメ口ですし、陛下もそれを許容しているようでしたので。なにより、陛下と一緒にいる時の兄さん、いつも嬉しそうですから。陛下は兄さんを大切にしてくれてるんだなって、僕、再会した時から思っていました」


 最 初 か ら バ レ て い た。


 その事実は雷のように俺の全身を貫いた。

 終わった。もう何もかも終わった。俺の本当の姿なんて、弟にだけは知られたくなかったのに。


 けれど、リュカは顔を曇らせることなんてなかった。不思議そうな顔をして俺の顔を覗き込んだあと、商品の陳列棚やガラスケースを見回している。


「それで、兄さんは陛下に何を贈るんですか?」


 そう聞いてくる声は動揺なんてひとつもなかった。むしろ、なんてことはないみたいな感じで。

 だからこそ、気にかかった。


「リュカは、その、気にならねえのか?」

「えっ、なにがですか?」

「兄貴が付き合っている相手が、同じ男だってことだよ。嫌じゃねえのかよ」

「別に嫌じゃないですよ? だって、兄さんが選んだ相手じゃないですか」


 弟はあの幼い頃と同じ、屈託のない顔でにこにこと笑ってそう言ってのけた。

 軽蔑なんてしてないし、がっかりもしていない。一目瞭然だった。


ちまたで聞いた話によると、吸血鬼のひとだって同性を好きになることが多いそうですし。想い合っているなら性別や種族の垣根を超えたっていいと思います」


 そう言って、顔を綻ばせた弟の顔は輝いて見えた。もちろん取り繕った笑顔なんかじゃなくて、その言葉には嘘偽りなんてないと確信できた。


 リュカが育ったライヴァン帝国は人間族の王が治める国だ。多種族混合国家だとはいえ、国民のほとんどは人間族らしい。

 今は平和の時代になったからだいぶマシだが、以前は人間族と魔族の間には溝があった。

 そうなっちまったのも、千年ほど昔に起こった大きな戦争が原因なのだそうだ。多種族を喰らい暴虐の限りを尽くす魔族と弱き者を守ろうした人間族、その二つの種族が対立し、大きな戦争になり、世界は一度壊れかけたらしい。

 故郷の和国ジェパーグに住む、俺たち魔族は人を喰らうやつは一人だっていなかった。だって、そんなことをしちまえば和国を守り導くみかどの加護を失われてしまう。

 だから、クリュウの歴史の授業で、戦乱の時代について教わった時はずいぶん驚いたものだ。


 リュカを養子として育ててくれたリオネル=シャルリエという人は立派な人物だったという。

 当時は魔族と人間族の間には軋轢があったのに、我が子のように大事にリュカを育ててくれた。寿命を全うして亡くなった今でもリュカが養父を慕うのも、注がれた愛情が本物だったと実感しているからだろう。


 そう、そうなんだよな。人間は魔族に比べて寿命が短いんだ。

 人間族たちの中で一人育てられた魔族のリュカ。当然、色んな問題が起こっただろうし、寿命の違いによる寂しさだって経験したはずだ。

 それでもなお、種族や性別が違ってもいいだなんて言えるのは、やっぱりシャルリエ家で過ごした日々は幸せだったからなんだろう。


 牙炎がえんの館にいた頃は自分の不幸を呪ったし、何より弟を守れなかった自分が憎くて仕方なかった。でもあの頃、リュカがライヴァンで大切にされていたのなら良かったと思えるんだから不思議だ。

 口もとが自然に緩んでいく。


「そっか。おまえがそう言ってくれるんなら、よかった」

「はい!」


 元気のいいリュカの返事にホッとした。何にせよ、弟にがっかりされなくてよかった。


「それで兄さんはどれにするか決まりました?」

「そうだなあ……」


 さっきまではぐるぐると渦巻いてそうだった店内も、リュカと話しているうちに落ち着いて見れるようになった。

 固めのチョコに、蓋が大きく開いた箱の中には生チョコレートが入っている。あとは、レプリカが展示されているガラスケースだが————……。


「……これにしようかな」


 ブラウンカラーの模型は本物のチョコじゃないのに、甘ったるい匂いがする錯覚を覚える。

 隣で覗き込んだ弟の青い瞳が輝いた。


「あっ、いいですね。陛下もお気に召すと思います」


 よし、決まりだな。

 即断して支払いを無事に終えることができたのは、きっとリュカが背中を押してくれたからだろう。

 手渡された紙袋を受け取りながら、今も王城で仕事に追われているだろうギルの姿を思い浮かべる。


 喜んでもらえると、いいな。

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