番外編① 魔法具職人のショコラリベンジ

一.「恋人の記念日」と苦い思い出

 ルーンダリアは広葉樹が紅く染まる時期になると、冷え込む朝が多くなってくる。故郷ほど寒くはならないものの、暖炉をつける回数が多くなってきた。備蓄してあった薪がなくなるのもあっという間だ。

 この日、俺は城内にいる誰かに薪木を分けてもらおうと部屋を出た、……のだけど。


「……え?」


 普段から慌ただしく動き回っているメイドたちが二、三人で固まって廊下で話をしている。どこか落ち着きがない様子だ。

 なにかあったんだろうか。いや、事件かなにかあったにしては笑い合っているし、深刻な雰囲気はどこにもない。つーか、歓声をあげたりして、やけに楽しそうだ。


「どうかしたんですか、ヒムロ兄さん」


 後ろから声をかけられ、彷徨さまよい出そうになっていた意識をあわてて引き戻した。

 俺のことを兄と呼ぶやつは、世界にたった一人しかいない。


「リュカ、おはよう」

「おはようございます、兄さん。どうかしたんですか?」

「ああ。……えっと」


 振り返ると、魔族の青年が立っていた。もちろん、俺みたいなにキツネの耳や尻尾は出ていない。首を傾げると、下の位置で青いリボンに結んだ白銀の髪が尻尾みたいに揺れた。

 長い年月の間に成長して背が伸びても、くりっとした大きな瞳は幼い時から変わらない。青い宝石のような鮮やかな色だ。


 彼の名前はリュカ=シャルリエ。名前は違うが、正真正銘、血がつながった俺の弟だ。


 そう。久しぶりに再会した弟は、名前もセカンドネームも別物になっていた。なぜなら、弟は名前を含め、過去の記憶すべてを失っていたからだ。

 リュカ本人に聞いた話によると、弟は海賊に捕まっていた時にとある人間族の男に救われたらしい。海賊討伐を指揮していたその男は大帝国ライヴァンの貴族で、本当の名前さえもわからない弟を養子に入れ、我が子のように大事に育ててくれた。

 そのシャルリエ卿には感謝してもしきれない。俺にはできなかった、弟を守り育てるという親父の遺言を成し遂げてくれたからだ。


 正直なところ、故郷の思い出も俺のこともおぼえていないことを知った時は、たしかにショックだった。けど、村が焼けたあの日の惨劇をすっかり忘れてしまっているのなら、もう忘れたままでいいんじゃないかと思うんだ。辛い出来事を無理に思い出しても、結局は傷付くだけだ。

 それにリュカは俺のことはおぼえていないのに、会った瞬間に涙を流し、兄だと信じてくれた。今ではこうして同じルーンダリア城に住んでくれている。もうそれだけで十分だ。


 俺はリュカに向き直り、今も歓談を続けているメイドたちを一瞥いちべつして、言った。


「メイドたちが今日はやけに落ち着きないなと思ってな。ソワソワしているっつーか」

「ああ、もうすぐ恋人の記念日ですもんね」

「なるほどな。そういやあの記念日って、今の時期だったっけ」


 口にしたと同時に、胸の内で苦い思い出がよみがえる。まだ一年前の真新しい記憶だった。


 どうやらここ大陸では「恋人の記念日」というものが存在しているらしい。人間族たちの守護者「炎の王」が、翼族たちの守護者「風の女王」を生涯の伴侶として、自分の城に招き入れた記念日なんだとか。

 実際、お二人は仲睦まじい恋人同士らしい。だから、「恋人の記念日」には意中の相手に告白したり、大切な人に日頃の感謝を伝えたりするんだって。で、贈り物の定番はチョコレート。なんでだ。


 俺の故郷ジェパーグには「恋人の記念日」なんてなかったし、チョコレートという菓子もなかった。甘いものと言えば餡子が入った餅や団子くらいで。

 だから、本当になにも知らなかったんだ。


 ——なんて、ただの言い訳だよな。

 大陸で広まっているイベントごとに全く興味がなかっただけだ。調べようとも思わなかった。


 一年前のこの時期、つまり「恋人の記念日」に、ギルは俺にチョコレートを贈ってくれた。

 なんで菓子。しかもやたら高そうなチョコレート。不思議でたまらなくて首を傾げる俺に、ギルは苦笑しながらすべてを教えてくれたのだった。


 俺は無知でいた自分を恥じた。

 ギルは忙しい激務の間にプレゼントを用意してくれたっていうのに、俺はなにも用意できなかった。世界で一番大切なひとになにも返すことができなかった。

 知らなかったんだから落ち込むことはないとギルは慰めてくれたけど、逆に気を遣わせたみたいで申し訳なくて。

 そうして俺にとって初めての「恋人の記念日」は、苦い思い出になってしまったんだ。


 けどな、今年は違う。もう俺は「恋人の記念日」の慣習を頭に入れてるし、チョコレートがどういう菓子なのかも知っている。

 一年前みたいな二の舞にはならねえ。

 今年は事前に準備して、俺からギルにプレゼントを贈るんだ。


「リュカはなにか贈るのか?」


 気を取り直して、俺は弟に向き直り聞いてみた。

 リュカには恋人がいたはずだ。今年付き合い始めたばかりだから、「恋人の記念日」を迎えるのは初めてなんじゃないか。


 青い瞳を輝かせると、弟は元気よく頷いて、こう言った。


「はい、もちろんです! そこで明日、チョコレートを買いに行こうと思っているんですけど、兄さんも一緒に行きませんか?」


 サファイアみたいにキラキラと目を輝かせるところは、どれだけ時が経っても変わらない。胸の奥でとくんと心臓が音をたてる。

 リュカが、弟が、買い物に誘ってくれた。正直、めちゃくちゃ嬉しい。


 ルーンダリアに滞在するようになってからリュカは学園教師の仕事を始めたし、俺は魔法具製作の仕事に追われていた。ろくに休みが合わなかったんだ。顔を突き合わせて話すのは大抵が夕食の時だったし。

 幸いなことに明日は非番だし、誘ってくれたところを考えてリュカも休みなんだろう。

 思い返してみれば、弟と再会したのは今年になってからだ。なのに俺たちときたら、いまだ一緒に出かけたことがない。


「いいな! ……あっ、でも出かけるには護衛が必要なんだった」

「ああ。ケイさんに聞きましたけど、兄さんってゼルスで指名手配されているんでしたっけ」


 頷きかけたところで、懸念すべき事案を思い出してしまった。あまりにここ数年は平和だったからすっかり忘れちまってたけど、そもそもルーンダリアにとどまるきっかけになったのがゼルス王国による指名手配だった。

 つーか、ケイのやつ、リュカに余計なこと教えやがって。余計な心配かけちまうじゃねえか。


 弟の様子を見てみると、リュカは顔色ひとつ変えていなかった。ひどく気に病んでいる様子はなさそうだ。たぶん。


 ぱっと見た感じだと弟は十代後半っていう顔立ちをしている。そんな見かけによらず、リュカはライヴァンの帝都学院を卒業済みで、すでに成人しているらしい。

 俺と再会するまでは世界の国々を巡りながら傭兵稼業にも手を出していたとか。そういうリュカもゼルスにだけは行ったことがないという。なんでもライヴァンの義兄たちに「ゼルスは危険だから近づくな」と口酸っぱく言われてたんだと。

 指名手配書を出しているのは隣国ではあるものの、俺たち魔族には転移魔法というものがある。どれだけ離れていようと、魔法一つで国境さえ越えてしまえるんだ。ルーンダリアの城に匿ってもらっているからといって、手放しで安心できない。

 だから俺の場合、出かける時には護衛が必須だ。


 俺はリュカを見返して、頷いた。


「そうなんだよ。俺がルーンダリアの宮廷魔術師になった時に、一度ギルが向こうの国王に掛け合ってくれたみたいなんだけど、なんか色々難しいみたいで」

「ゼルスは闇組織がひしめき合っているせいか、同じ王政国家とは言っても国王にはほとんど実権がないらしいですよ。本当に捕まえようとしているのはゼルス国王ではなくて、別にいるんだと思います」

「別って?」

「さあ、そこまでは分かりません。ですが少なくとも《闇の竜》ではないはずです。今のゼルスの《闇竜》はほとんど力を持っていないですし、活動できてないそうですよ」


 リュカのやつ、ライヴァンの貴族出身にしてはやけに裏事情に詳しいな。なんでだ。シャルリエ家が海賊討伐に力を入れているせいなんだろうか。

 そういえば聞いたことがある。今のゼルス王国の実権を握っているのは、《赤獅子》という闇組織なんだとか。そいつが指名手配書を出してまで、俺を血眼で探しているってことか。怖すぎる。


「あー、とりあえずギルに外出することを伝えて聞いてみるぜ。どのみち城の外に出るんなら言っておかねえとな」

「そうですね。外出する時は国王陛下に報告したほうがいいと、僕も思いますよ」


 ギルに許可取れたら、千影ちかげあたりに護衛を頼んでみるか。たぶん嫌だとは言わねえだろうし。


 ——とか、つらつら頭の中で考えていたら、ふふっと楽しげな笑い声が聞こえてきた。弟だった。


「兄さんと買い物に行くのは初めてなので、とても楽しみです!」

「そうだな。俺もおまえと出かけるのはすげえ楽しみだぜ」


 屈託なくころころと笑うところは相変わらずだ。

 弟の白い頭をぽんぽんと撫でてやりながら、俺もつい口もとが緩んでいた。年甲斐もなくわくわくしているんだと思う。

 だって、兄弟水入らずで出かけるのは数百年越し——すごく久しぶり、なんだよな。

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