五.妖精族の子どもが抱える秘密

 昼飯はベーコンとチーズのリゾットと野菜のスープだった。とろりとしたチーズが米に絡んで美味しかったし、スープは根菜が具たくさんに入っていてあっさりと優しい味がした。

 いつものように、アサギとスイが世話を焼いて食器を片付けている。

 スイは空になった食器を配膳ワゴンに乗せ、アサギは水で濡らした布巾で簡易テーブルを拭いてきれいにしていた。


 妖精族は医術の民と呼ばれているだけあって医者に多い種族だ。身体つきは華奢で、白衣袖から見える手首は細い。アサギは特に優しげな容貌をしているから女の子みたいだし、そのせいでコンプレックスを持っていたりするのかもしれない。こういう思春期の頃って、色々抱えがちだしな。


 ——と、止まることなく動かしていた手を止め、顔を上げたアサギを見た瞬間、俺は違和感を覚えた。


 銀色の髪に縁取られた白い顔。その頬がほんのりと赤く染まっているような。よく見ると、額には尋常じゃないくらいの汗がにじんでいる。


「アサギ、顔が赤くないか?」


 一度感じた違和感を、ただの勘違いだと一蹴することはできない。口出しせずにはいられなかった。

 俺はイーリィやクリュウのような医者じゃねえけど、この症状には心当たりがあった。

 詳しくは診てみなきゃわかんねえけど、これはたぶん風邪だ。

 

「だ、大丈夫です。今朝は王さまを見送ったあと、病室を少し掃除しただけだし。でも、もしかしたら、疲れているのかも、ですね……」


 普段は見ているこっちが眩しくなるくらい屈託のない笑顔なのに、今ではすっかり消えていた。力なく笑うアサギを前に、ギルも口を引き結んで真剣な顔になっている。

 いや、誰よりも聡く勘のいいギルのことだ。もしかしたら俺よりも先にアサギの異変には気づいていたのかもしれない。

 当然、ほとんどそばにいるスイがアサギの異変に気付かないはずはなかった。はっと顔を上げると、すぐにきびすを返した。


「王さま! 俺、先生呼んでくるっ」

「悪いがそうしてくれ。頼んだぞ、スイ」

「まかせて!」


 強く頷いて、スイはすぐに病室を出て行った。日常的に診療所内で時間を過ごしているスイのことだ。イーリィの居場所は把握しているだろう。

 それなら俺が大人としてするべきなのは、具合の悪い子どもを少しでも休ませることだ。


「アサギ、イーリィが来るまでベッドで休んどけ」

「え、そんなだめですよ! 患者さんのベッドを僕が占領するなんて」

「しんどそうなのに何言ってんだ。診療所のベッドは病人のためのもんだろ」


 アサギは慌てた様子で両手をぱたぱたと左右に振って拒絶しているけど、その動きさえ緩慢だった。

 脇の下と膝裏に手を差し入れて、抱えてやる。……俺だって一応は大人だし、子どもを抱えられる力くらいはあるんだぜ? ——って、誰に言い訳してるんだ。


 ベッドに寝かせると、細い眉を下げてアサギは泣きそうな顔をしていた。「ごめんなさい」とか細い声が耳に入ってくる。

 まだ子どもなのに、なんでこう大人に気を使ってんだか。


 潤んだ浅葱色の瞳に、紅潮した頬。口からもれる呼吸は浅くて、時たま咳き込んでいる。俺が考えるより高い熱が出ているのかもしれない。

 そう思い、俺は故郷で風邪を引いた弟にしてやったような感覚で、アサギの白い額に触れた。



 刹那せつな



 俺は驚愕し、全身の毛を逆立てた。


 生命を維持するため、俺たち人族の体内をめぐる精霊はバランスよく構成されている。

 俺は医者って言えるほどしっかりと診察できるわけじゃない。けど、その人の体内でめぐる精霊の偏りだとか、体内に宿る精霊は何の属性なのかとか、その身体に触れるだけで手に取るようにわかるんだ。


 今回、アサギに触れて脳内に届いたイメージは銀河だった。


 闇のとばりの中で瞬く星々の輝き。宝石を砕いたような無数のきらめく欠片が世界を覆っている。


 個人の属性は多くの場合、髪の色に反映されるという。

 研究熱心な魔術師たちの間では、魔力は髪に蓄積されるという説が有力だ。だから俺も不測の事態が起こっても対応できるよう、髪を伸ばしている。万が一の時、髪を媒体にしてなんらかの魔法を使えるようにするためだ。


 初めてアサギに会った時、この子はギルと同じ光の属性だと思い込んでいた。

 銀色に輝くその髪色は、金色に次いで多い光属性の特徴だからだ。まあ、弟みたいに水属性の可能性もあったけどな。


 こうしてアサギの精霊力の流れを確認した今、俺はその予想がどちらも間違っていたことを思い知ったんだ。


 伝説級とも言える、どの属性にも属さない類稀なる元素。銀河の属性とも言われるその属性を持つ者たちは、空間や時間、運命にさえ干渉すると言われる幻の魔法を扱うことができるという。

 そうか、アサギの髪色は星の色だったんだな。


「……アサギ、おまえもしかして無属性なのか?」


 返答はなかったけど、わかりやすいくらいに細い肩が跳ねた。不安げに揺れる瞳が肯定を示しているように思えた。

 無属性のやつらは一国に一人いるかいないかと言われるほど稀少な存在だ。稀少だからこそ、世界の管理者により国に課せられたとある決まり事がある。だから、国王であるギルが反応するのも当然だった。


「それは本当なのか、ヒムロ」


 主治医イーリィに口酸っぱく絶対安静だって言い渡されてんのに、ギルは勢いよく身体を起こし距離を詰めてきた。

 彫刻像みてえな端正な顔を近づけてくる。意外なアサギの秘密に触れることになって、ギルはたぶん事を深刻にとらえている。真剣に眉を寄せるギルに心臓が大きく跳ねた。

 頷いて、答えた。


「あ、ああ。間違いないと思う」

「王さま、その、黙っていてごめんなさい。でも大丈夫だから」


 世界的な名医を父に持つアサギは、自分の属性がいかに珍しいのかイーリィに聞かされていたのかもしれない。

 謝る必要なんかどこにもないのに、申し訳なさそうに見上げてくる。心配をかけまいと必死だ。

 どうしてこうも俺たち大人に気を遣うのか不思議だったが、アサギが無属の子なら納得がいく。


 無属性の子どもは決まって狙われやすいんだ。研鑽を積めば珍しい魔法が使えるようになるし、なにより無属の子どもを食べればいかなる呪いを相殺できるというひどいデマが出回っているからだ。もちろん、そんな逸話は眉唾もので事実とは異なっている。

 けれど。


「大丈夫なわけがあるか。おまえは知らないだろうが、俺たちは国家としておまえのような子を保護する義務がある。そう世界の管理者から言い渡されているのだ」

「知ってます。父さんから聞いたことがあるよ。でもね、王さま、僕は……」

「安心しろ、アサギ。今はすぐに動けないが、退院すればすぐにでも——、」

「ストップ」


 ふいに、赤い影が視界に入り込んできた。どきりと胸の奥が波打ち、手が震えだす。でも牙炎じゃない。あいつはアティスが捕まえたはずだ。


「……アティス」


 そう、アティスだった。彼はいつも真っ赤なジャケット着ているから赤く見えたのかもしれない。

 目を丸くするギルの前で、アティスは珍しく笑みを消し、アサギを背に庇うように立っていた。でもルビーのような赤い瞳は穏やかだ。


「色々と心配なのはわかるし、君の気持ちが焦るのも理解できるよ。ひとまずアサギのことも含めて話をしようか、ギルヴェール国王」


 視線だけはギルから離さず、アティスは彼の雷色の瞳を見返した。笑みを向けたところ敵意はない。それだけはわかったし、ギルも黙って頷いていた。


 その一方で、ひとつの確信がある。

 きっと聡いギルはとうに気づいていただろう。


 アティスはアサギが無属性だと、そして国家に保護されるべき存在であることを知っていたに違いない。

 すべて知った上で、イーリィとアサギの親子を無法国家の一地区に匿っていたんだ。

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