六.赫眼が持ちかける取り引きとは
アティスが病室に乱入してからすぐにイーリィも飛び込んできた。呼びに行ったスイも一緒だ。
まっすぐ息子に駆け寄り、イーリィは俺がしたように白い額手のひらを当てる。そうして深いため息を吐き、
「ああ、これはいつものやつだね」
とつぶやいたのだった。
「埃は君の身体に良くないから、掃除はスタッフに任せるようにといつも言ってるだろ」
「ごめんなさい」
他人の俺の目から見てもイーリィは決して叱っているようには見えない。けれど、アサギは気落ちしたように肩を落としている。
病人をいつまでもギルにあてがわれたこの病室に置いておくわけにはいかないということで、イーリィは別室でアサギを診察することにしたらしい。弱視なイーリィをサポートするように、スイが熱に浮かされたアサギを背負い、連れ立って出て行った。
そうして俺とギル、ティーヤ地区の首領アティスの三人は部屋に取り残された。
診療所内では最奥の病室だけに、忙しない足音が遠ざかってしまうと、しんと静まり返る。
ギルは口を引き結んだままだし、アティスも黙り込んだままだ。かと言って、この沈黙を破ってなにか言えるほどの度胸を俺は持ち合わせていない。
ギルとアティス。互いの目を見返す中、緊張に似た空気を壊したのはどちらが先だったのか、今ではよくわからない。
ふいに形のいい唇を引き上げ、開こうとしたアティスより先に、ギルが話を切り出した。
「アティスはアサギが無属だと知っていたんだな」
「知っていたよ。無属の子は法治国家に保護されるべき存在ということもね」
いつものようにアティスは微笑んでいたけど、ギルに向ける赤い瞳は真摯なものだった。
アティスは俺より技量の高い、高位の魔術師だ。それだけでなく精霊を肉眼でとらえ対話できるほど、精霊との相性がいい天才型。当然、体内に宿る精霊力を探り、どの属性か調べることは可能性だろう。俺にできたくらいだし。
いや、そもそも妖精族のイーリィには魔力や精霊の流れをその目にとらえることができる、霊視という能力がある。
アサギが生まれた時は当然居合わせただろうし、熟練した医師の彼ならば、息子が何の属性なのかすぐにわかったはずだ。
知り合ったのはごく最近だけど、イーリィとアサギの親子仲は悪くないと思う。むしろどこにでもいる普通の親子と変わらない。さっきだって、スイの報せを受けてすっ飛んできたんだ。ろくに目が見えねえのに、血相を変えていた。アサギを心配していた証拠だ。
子ども好きの首領と知られるアティスだってそうだ。
なにも考えずアサギをシーセスに置いておくほど、冷たいやつじゃない。だって、苦手なグリフォンの子どもを引き取って育てるくらいだし。アサギを国家の保護下に置かないようにしているのは、きっとなにかアティスなりの考えがあるはずだ。
「アサギを国家にあずけないのは、なにか考えがあってのことか?」
「そうだよ。ティーヤ地区に匿っていたのにはもちろん理由が二つあるんだ」
長い人差し指を立てて、アティスはギルの目を見たまま続ける。
「一つはイリとアサギを引き離したくなかったから。あの二人は血の繋がった親子で、互いを大事に想っている。アサギを国家にあずければイリは息子と暮らせなくなるだろう?」
「家族で移り住むことは考えなかったのか?」
「イリが表の世界で生活するのは難しいかな。医師の世界でイーリィ=ライローズの名前は知れ渡ってるけど、闇医者としての〝
以前、俺は噂でイーリィは《闇の竜》の幹部だったと聞いたことがある。
シーセス国内で首領をやるくらい実力も権力も手にしているアティスのことだ、当然知っているだろう。なのに、アティスはギルの前でそれを口にしたりしなかった。たぶん、ギルの気持ちを配慮しているんだと思う。
たしかにイーリィの名前は医学界でも、裏の世界でも有名だ。黒い噂を連想させる通り名を持ってるし、真っ当な国家では受け入れてくれるとは思えない。
ギルも同じことを思ったんだろう。ため息をついて頷いていた。
「なるほどな。で、もう一つの理由は何だ?」
問いかけられた途端、アティスはにこりと微笑んだ。いつもの、あの男女問わず蕩けさせるような甘い笑みを浮かべ、
「それはね、この俺自身がいずれシーセスの王となるからさ」
と、爆弾発言をした。
聞き間違えただろうか。王って、あのギルと同じ、王サマってことだよな?
「え。でもシーセスに王権はもう……」
「アティス、おまえは政権が崩壊したシーセスで革命でも起こす気なのか?」
思わず会話に割り込んでしまった。けど、アティスは嫌な顔ひとつしなかった。
ギルに質問を重ねられ、アティスは心底嬉しそうに顔を綻ばせた。まるで、少年のような満面の笑みだ。
「そうだよ! ギルヴェール国王、俺はね、滅茶苦茶になってしまったこの国を建て直したい。ルーンダリアのように王権を復活させ、ひとつの法治国家にして、みんなが平和に暮らしていける幸せな国にする。それが子どもの頃からの夢なんだ」
声を弾ませてアティスはそう言っていたけど、ただの夢物語を打ち明けたわけではなかったらしい。
きらめく赤い瞳に宿る意志は強い。たぶん本気だ。
ギルは他人から見れば滑稽に思えるどんなことだって笑い飛ばしたりはしないし、からかったりもしない。今回もそうだった。
アティスの瞳を真剣な顔で受け止め、ギルは組んでいた腕を解いた。形のいい唇を引き上げ、にやりと笑う。
「本気なんだな?」
「もちろん。そのための準備だって進めてある。時間をかけて交渉したおかげで、他の首領たちには賛同してもらっているよ。唯一の懸念材料はレガリー、ただ一人だけだったんだけど、君たちのおかげで無事に逮捕することができたしね。感謝しているんだ、本当に」
話はこれで終わらなかった。アティスは再びにこりと笑いかけてくると、予想しなかったことをさらに言い出した。
「ギルヴェール国王、俺と取り引きしないかい?」
なんと、ギル——ルーンダリアの国王相手に取引を持ちかけてきたんだ。
「取り引き?」
「そうだよ。俺は君と仲良くなりたい。ルーンダリアのような、シーセスの住民みんなが光の輝く場所で豊かな生活を送れるような国家にしたいんだ。だから、そのために力を貸して欲しい。もう子どもたちには辛い思いをして欲しくはないから」
そういえば、初めて会った時もギルが似たようなことを言ってたっけ。陽の当たる場所で堂々と商売ができる、豊かな国にしたいって。
アティスは手術の前の日、生きてさえいれば朝は必ずやって来ると言っていた。
たぶんギルは、アティスの取り引きに応じるだろう。
アサギやスイがいつも笑顔であふれていたのは、大人たちのおかげだ。イーリィとアティスの二人が子どもたちを守っていたんだ。
「そういうことなら構わないぜ。我らが王にかけて誓えるか?」
王って、ギル自身が王サマなのに何を言ってるんだろう。もしかして俺たち魔族の種族王のことなんだろうか。
そっか、大陸ではなにか誓約を立てる時は種族王に誓うのか。なんか不思議だ。俺だったら、やっぱり民草を見守り導いてくれる、
アティスは快くギルの求めに応じた。手のひらを胸に添え、強く頷く。
「もちろんだよ。俺は必ず王になって、貴国のような表舞台に立てる国にする。ああでも、同盟の誓約だけじゃ取り引きにはならないな。そうだね……」
「いや、別に——」
ギルの言葉は最後まで聞けなかった。
声を遮り、またも艶美な微笑みを浮かべたティーヤ地区の首領は、思わぬ案を提示してきた。
「代わりに俺から、行方不明の第二王子——ライカ殿の情報を提供する、ということでどうかな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます