八.二百年前の悪夢

 異変に気づいたのは弟が最初だった。


「にいちゃん、あそこいっぱいもくもくしてる」


 俺の家は刀鍛冶をしていて、朝の早い時間に村の外で薪拾いをするのが日課だった。

 親父もおふくろも畑や家業のことで忙しいから、小さな弟の面倒を見るのが俺の仕事で。その日も二人でいつもと同じように朝の日課をこなしていた。


 小さな指が指し示していたのは、いくつも立ち昇る大きな煙の山。

 いくら朝支度の時間とはいえ、煙の大きさがでかすぎる。灰色に染まったでかい煙、鼻につく嫌な匂い。

 ざわりと胸の中がざわめき、得体の知れない不安が手足から侵食していく。抱えていた木の枝が、腕の中からばらばらと落ちていった。


「村が燃えてる……!」


 生まれて初めて遭遇した異常事態だった。

 薪拾いを放り出し、きょとんとした顔で目を瞬かせる弟を抱え上げ、すぐに走った。


 いくら魔族だからと言っても、子どものうちは転移の魔法なんか使えやしない。急いで戻るには自分の足で走るしかなかった。


 村に近づくにつれて、暴走している炎精霊たちとすれ違った。

 普段穏やかな火蜥蜴たちがパニックを起こし「キケン!」と繰り返し叫んでいる。冬の間にあふれるほどいた氷姫フラウ白雪狼スノウウルフの姿が見えない。

 やっぱり火事が起きている。それもかなり大きな規模だ。


「にいちゃん、もえてる! かあちゃんやとうちゃんは!?」

冬雪ふゆき、布で口おさえてろ。大丈夫だ。兄ちゃんがなんとかしてやる」

「うん」


 両親を助け、村を救うなんて、大それたことができるとは思っていなかった。

 当時、魔法に関する知識も世界のこともなにも知らなかった、そんな俺にできることは限られていた。知っているのは刀の振り方や親父に習った刀の造る方法くらいで。取り柄のない俺が唯一人に誇れたのは、精霊と話ができることだけ。

 ただ、不安で小さなからだを震わせる弟を安心させたかっただけだった。






 当時、海賊が村を襲う事件は珍しくはなかった。だからこそ、俺たち妖狐も警戒し、大人たちは交代で警備をしていたし、警戒態勢を敷いていたのに。


 夢であったなら、と何度願っただろう。

 それでも鉄が錆びたような匂いや吐き気がするほどの嫌な匂い、髪を煽る熱は間違いなく本物で、ひどい悪夢を見ているみてえだった。

 あちこちから喧騒や悲鳴、怒声が聞こえてくる。精霊に聞いても「ここにとどまるのは危険」だということしかわからなかった。


 村の建物はほとんど焼けていた。人をさらい、金品を強奪してから火に放ったのか。今となってはわからない。

 恐ろしい現実に目をそらしたくなるのを我慢し、俺はすぐに自分の家に向かった。

 見た感じは家というよりは工房に近いのかもしれない。刀鍛冶という特殊な職業柄、でかい煙突と煉瓦造りの作業部屋がいい目印だった。

 さすがに炎は石まで焼き崩すことができなかったらしく、かろうじてその石造りの部屋だけは残っていた。


「……おふくろ」


 最初に見つけたのは変わり果てた姿になったおふくろだった。刀を手にもったまま動かなくなっていたところを見ると、たぶん賊相手に最期まで抵抗したんだと思う。


 黒焦げになった住居スペースには、人影ひとつ見当たらなかった。海賊が潜んでいなくて安心したけど、同時に別の不安が押し寄せてくる。

 作業部屋にも誰一人いなかった。

 親父は一体、どこに行ったんだ。


 腕の中で弟は泣いていた。

 俺でさえ悪い夢を見ているようだったんだ。まだ小さかった冬雪ふゆきには辛すぎる。


氷室ひむろ! 冬雪ふゆき!」


 聞き取るのがやっとの小さな声だった。けど、たしかに聞こえた。


 建物の影から現れた大きな人影を見て、涙があふれた。ぐにゃりと視界が歪み、腕の中で冬雪ふゆきが叫ぶ。


「とうちゃん!」


 前合わせの衣装に長い袖をまくった作業姿は、いつもと変わらない親父だった。ただ違っていたのは抜き身の刀を持っていたことくらい。

 顔色はひどく悪かった。でも、ちゃんと生きていた。


「親父!」

「よく無事だったな、おまえたち」


 親父は力強い腕で俺と冬雪ふゆきを抱き締めてくれた。みっともねえくらい俺も弟も声をあげて泣いた。

 思い返せば、親父も泣いていたと思う。


「いいか氷室、よく聞け」

「うん」


 俺と冬雪ふゆきの肩を抱きながら親父ははそう言った。初めて見る、ひどく真剣な顔だった。


「この村はもうだめだ。隣村へ逃げるぞ。あそこには俺の弟がいる。頼れば必ず助けてくれるはずだ」

「親父は?」

「もちろん俺も一緒だ。お前は冬雪ふゆきをしっかり抱えていろ」


 もちろん俺はすぐに頷いた。

 きっと親父は邪魔さえ入らなければ、転移の魔法で俺たちを連れて逃げるつもりだったんだろう。

 不運なことに、物事はそううまくはいかなかった。喜び合った再会の時間は短かった。

 村をまるごと手に入れた海賊どもが、俺たち家族を逃がすはずがなかったんだ。


「——————!」


 記憶に残っているのは、共通語コモンで怒号をあげる海賊たちの声。

 意味のわからない言葉が不気味で怖かったのを覚えている。それは親父だって同じはずだったのに、口を引き結ぶと、俺たちを庇うように前に出た。


 自前の刀を構える後ろ姿はいまだ頭の中に焼き付いている。

 最期に聞いたあの言葉も。


「氷室、お前は冬雪ふゆきを連れて、隣村に逃げろ」

「親父はどうすんだよ!?」

「こいつらを叩きのめしたらすぐに追いかける。……お前は母さんの分も生きて、冬雪ふゆきを守るんだ。頼んだぞ」


 男たちのにやにやとした笑い。そいつらに毅然とした顔で向き合っていた親父が、勝ち誇ったように口角を上げてそう言った。

 いつもなら頼もしく感じるその微笑みが儚く見えて、言葉にできない不安が俺の身体の中で騒ぎ立っていく。


 逃げるなら親父も一緒に。

 そう口に出したかったけど、その願いがもう叶わないってわかってた。

 だから、せめて親父の言いつけ通りに、冬雪ふゆきだけは俺の手で守らねえと。先に逝ってしまったおふくろだって、そう望んでいるはずだ。


「わかった」


 弟を抱え直し、親父に背を向けて走った。絶対に振り返らないように。そう念じて、地面を蹴る。この目で見てしまったら、きっと引き返してしまう。

 なのに、冬雪ふゆきはそうじゃなかった。あの大きな青い瞳で、俺の背中越しにすべての顛末を見てしまったんだ。


「いやぁああああっ!」


 悲痛な叫びは耳を貫き、俺の足を止めた。

 逃げなきゃいけなかった。立ち止まるわけにはいかなかったのに、泣き叫ぶ声に後ろ髪を引かれ、振り返り見てしまった。数人の男に囲まれた親父が、その身体を貫かれ、倒れゆくところを。


「……親父っ」


 立ち止まってはいけなかったと、何度後悔したことだろう。腕の力だって緩めるべきじゃなかった。

 なのに、この時俺は突きつけられた悲劇に目の前が真っ暗になってしまって、弟が腕から抜け出してしまうのを許してしまったんだ。


「とうちゃぁぁぁああん!」

冬雪ふゆきっ、だめだ!」


 弟が泣きながら走ってきた道を引き返していく。

 後を追い、手を伸ばす。俺の手は空を切り、目の前で太い腕が小さな身体をかっさらった。


冬雪ふゆき!」


 太陽を背に向けた男の顔はよく見えなかった。

 記憶にあるのは赤く濡れた幅広の剣を手に持ち、睨みあげる俺を嘲るように笑っていたことで。


「てめぇ、冬雪ふゆきを離せ!」


 身体が成長しきっていない子どもだった俺が、力で大人に敵うはずがない。頭ではわかっていても、弟が連れ去られてゆくのを指を咥えて見ているわけにはいかなかった。

 突っかかって体当たりした。いや、体当たりしたつもりだったけど、難なくかわされてしまったんだ。

 無様に地面に倒れ込んだところを、そいつに押さえつけられる。そうして俺は弟共々海賊に囚われてしまった。


 海賊は村を焼き、大人たちを大勢殺したが、俺たち子どもは殺さなかった。たぶん、初めから大陸の闇マーケットにでも売り飛ばす算段だったんだろう。

 どういうわけか村を襲撃したのは海賊が二組で、戦利品を分配する時も常に競い合っていた。当時は兄弟でも引き離された子どもたちは多くて、俺と冬雪ふゆきも例にもれずそれぞれ別の男に引き渡され、同じ船には乗せてもらえなかった。




 ◇◆◇




「親父は最期の瞬間、俺を信じて冬雪ふゆきを託してくれたのに。俺は結局、冬雪ふゆきを守れなかったんだ」


 冬雪ふゆきを手放さなければ。どんなことになっても、全力で逃げ切っていれば。

 時が経てば経つほど後悔は拭えなくて、自分のことが嫌いになっていく。兄貴として、もっとしっかりしていれば。


 そうすれば、弟を失うことはなかったのに。


「俺のせいなんだ」


 いつだって俺は間が悪い。不運体質なのは子供の頃からだ。

 親父とおふくろが死んだのも、冬雪ふゆきがさらわれてしまったのも、この不運体質のせいだとしたら。


「そうか。大変だったな、ヒムロ。目の前でご両親を亡くしてなにもかも奪われて、辛かっただろう」


 途切れ途切れの言葉をギルはちゃんと聞いてくれた。背にまわした腕はそのままにして、時々俺の頭を撫でた。

 俺の言葉を肯定も否定したりもしなかった。


「よくがんばったな」


 真正面から受け止め、まるごと認めてくれたんだ。


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