三.手術へ
「クリュウもギルの手術に参加するのか!?」
「お前に薬の作り方を叩き込んだのは誰だと思ってんだ? これでも一応は開業医やれるくらいの技術は持ってんだぜ」
にやりと笑ってクリュウはそう言った。腰に手を当て、さらにこう続ける。
「イーリィは弱視持ちだが、手術の腕は問題なくうまい。けど、息子のアサギがサポートするにはまだ経験も実力も足りない。だったら、いくらかでも手助けしてやれば向こうも助かるだろ。それに恩を売っておけば、身の安全の確保にも繋がるしな……」
「あ、そっか。ここはシーセスなんだもんな」
「ああ」
いくら世界的な名医の実子と言えど、アサギはあくまでも医師見習いに過ぎないということか。クリュウとしては、恩を売る主な理由は自分の命を守るためなんだろう。
シーセス国は王権が崩壊した無法国家だ。無法地帯と化したこの国では実力主義が蔓延していて、強さこそすべてだ。力が弱い者は強い者に屈服するしかない社会。大した力を持っていないやつらがその中で生きていくためには、権力や金のある者に恩を売って、その傘下に入れてもらうしかない。
ということは、クリュウはついにレガリー地区から出ていくつもりなのか。
「そういえば、クリュウはあれからどうなったんだよ。ちゃんとアティスと話できたのか?」
「ああ、時間を取って話はしたぜ? 俺としてもレガリーの一味だなんて思われたくなかったしな」
そう言って、クリュウは壁際に置かれていた待合室のソファへ腰を下ろした。
たぶん話は長くなるんだろう。俺もそう思い、彼に倣って同じように座ることにした。
「ま、現場に居合わせた時、俺の禁術でレガリーを捕縛していたからな。アティスは初めから俺がレガリーの仲間だなんて思っていなかったんだ。あの人は初めから俺に事情を聞くつもりだったらしくてさ。だから俺も、この機会に今までのことを何もかもぶちまけることにしたんだよ」
「今までのことって、どういうことだよ」
「お前にも話したことはねえんだがな。前に俺とお前、あとレガリーが住んでいたあのデカい洋館。ヒムロ、お前はたぶんレガリーのもんだと思い込んでると思うんだが、実は俺の持ち家なんだ」
「嘘だろ!? あの館ってクリュウのもんだったのか!?」
その会話を皮切りに、クリュウはぽつぽつと俺に話してくれた。
実力主義が人生を左右するシーセスにおいて、クリュウにとっての力は財力だったらしい。
生命を加害しないのであれば、禁術の研究に金がかかるのは必須。媒体に高値の魔石や竜石を使うからだ。そのためクリュウは商売を主な仕事にして研究資金を調達していたのだと。
研究は亀の歩みだったし毎日目が回るほど忙しかったらしいが、生活は充実していたらしい。それに金があれば、物理的な力が弱くとも力を持つ住人たちとも対等に渡り合うことができた。
「俺にとっての不運はな、レガリーに目をつけられちまったことなんだよなあ」
クリュウは遠い目をして、そう語った。
多忙な日々にかまけていたせいなのか、はたと気がつくと狼の部下たちを引き連れた
脳筋な上に強運までも味方につけた牙炎をクリュウが力づくで追い出せるはずがない。しかし牙炎もクリュウを追い出すことはしなかった。
突然始まった奇妙な同居生活。彼らがもたらしたのが幸運ならば良かったけど、大抵の場合、狼達が持ち込んでくるのは災害にも等しいトラブルだった。それを、クリュウは一手に引き受ける羽目になったらしい。
「あいつ、基本的にはバカだからな。他の首領と小競り合いを始めたかと思えば、相手の洋館に火を放って怒りを煽りやがるし。なのに本人はケロっとしていて、いつも難癖つけられるのは俺だった。あいつのために、いままでどれだけの賠償金を払ったことか……。数えたくもねえ」
「やっぱり金で解決してたのか」
「その方が手っ取り早いし、俺には金しかなかったからな。俺は一介の研究者で、禁術しか攻撃手段を持たねえ弱者なんだよ。心のどこかではレガリーの戦力をアテにしていたのは確かだ。あいつ、
両手で頭を抱えながら、クリュウは深いため息をついた。
「けど、いくら商売していて金があるといっても、俺の財力は有限だ。無限に湧き出る泉じゃねえ。金で解決すんのも精神的にはもう限界だった。俺はなヒムロ、そんな現状から一刻も早く逃げ出したかったから、お前の身柄を海賊どもから買い取ったんだ」
「え? どういうことだよ」
「妖狐のやつらは魔法が不得意な代わりに、剣技に長けていて機動力が高いという話を聞いたんだ。だから俺はお前を護衛にして、なにもかも捨てて他の地区へ引っ越そうと思ってたんだ。いや、レガリーに分からねえよう計画を進めていたんだ」
俺はクリュウの顔を二度見した。
視線を感じたのか、クリュウは見返し、眼鏡の奥で深青の瞳を和ませた。
「俺、全然知らなかった」
「他人に打ち明けたのはお前が初めてだからな」
レガリー地区は短気で暴力的な牙炎が治めているだけあって治安はめちゃくちゃ悪い。だから他の地区へ移動して、首領の傘下に入った方がはるかに安全だろう。
しかし、クリュウによれば、牙炎はそれを許さなかったらしい。手がかりは残さないよう最新の注意を払っていたのに、どういうわけかクリュウの策略に勘付いたらしい。
「あいつ、基本的に馬鹿なんだが妙に頭の回転が良いからな」
クリュウの口から本日二度目のため息が出た。当時は俺がなにも知らなかっただけで、彼は見えないところで苦労していたのかもしれないな。
牙炎にとって、クリュウが自分の手から離れると不都合だった。
地区の運営は基本的に参謀の部下が一人でこなしていたらしい。けど、なにせ仕事ができる部下がその一人しかいないため、財政までは手が回らない。
牙炎の部下たちは皆、人狼の魔族たちで大食漢だったという。小競り合いによる賠償金の支払いに加え、食費代も多くかかる。
つまるところ、牙炎はクリュウの財力をアテにしていたという話なのだった。
「レガリーのやつ、たいして小さくもねえ妖狐の子どもを買い取ってきたのを見ただけで、たぶん勘付きやがったんだ。俺が出て行くつもりだって。だからあいつ、信じられねえことに、俺の目を盗んでお前を潰そうとしやがったんだぜ」
「怖っ!!」
たしかに屋敷に足を踏み入れた最初の日から、牙炎が俺に向けてくる視線は恐ろしかった。
爛々と燃え上がるような赤い色。獲物を前にした猛獣のようで震え上がったのを覚えている。いや、実際には狙われ、酷い目に遭わされたわけなんだが。
キツネだから目をつけられたんだと思っていた。けど、牙炎が俺を獲物にした理由は別にあったのか。
ずいぶん前のことなのに、少し思い出そうとしただけでぶるりと尻尾の毛が震えた。理不尽だ。ひどい。
「ヒムロ、守ってやれなくて悪かった。お前だけでも逃してやることができていれば、良かったんだが」
向き直り、俺の目の前でクリュウは頭を下げた。無造作に伸ばした長い黒髪が、肩からすべり落ちる。
逃がすだなんて、そんなの無理だったのは俺でもわかる。物理的な力で敵わないのなら、相手を騙すしかない。だからこそ逃げ延びるために、多くの狼たちと牙炎の目を騙すには綿密に練られた計画が必要だったんだ。
「……別に、もういい。今は元気にやってるし。それよりクリュウ、これからどうする気なんだよ」
「どうすっかなー。正直レガリー地区じゃなけりゃどこでもいいんだが。治安がいい《闇竜》地区か、ここティーヤ地区か……。ま、どのみちレガリーはアティスが捕まえてんだ。どこでだってやっていけるさ」
クリュウはまだ身の振り方を決めかねているんだな。安全に暮らすためには、力のある首領の傘下に入るしかない。おまけに今はティーヤ地区にいて、成り行きとはいえアティスとのつながりを持つことができた。
やっぱり、クリュウはアティスの傘下に入るんだろうか。
たしかにクリュウは、牙炎から俺を守りきることができなかった。けど、俺は彼にたくさんのものをもらっている。コミュニケーションを取るのに欠かせない大陸の言語、精霊や大陸の知識や国々の情勢のこと。
共通語が読めるようになったからこそ、俺は書物から魔法を学べたし、あらゆる知識を吸収することができたんだ。そしてその知識が今、俺の役に立っているし、力にもなっている。
どうやったら俺は、この恩をクリュウに返せるんだろうか。
俺の目の前で、クリュウは清々しいほどいい笑顔を浮かべている。もう心配はいらないということはわかる。
けど、シーセスは実力主義が蔓延している国だ。戦うのが苦手なクリュウが一人で生きていけるんだろうか。
今さら真実を知らされたても、俺はクリュウのそばにはいられない。俺の命と時間はギルのためだけに捧げると、もう決めたからだ。
それでもなにもできることがないと決めつけんのは早計だと思う。
俺はクリュウに、何をしてあげられるんだろう。
「病室にいないと思ったら、こんなところにいたのか」
物思いにふけっていたせいだろうか。ふいに声がして顔を上げたら、いつの間にかイーリィが目の前にいた。クリュウと同じ手術着姿で、あきれたようにため息を吐く。
「クリュウ、君もなに油を売ってんのさ。もう時間だよ」
「ああ、わかってるって。ヒムロも一緒に見送るだろ?」
返事ができないでいたけど、彼の言いたいことはわかった。
ついにギルが手術室へ向かう時がきたんだ。
前を行くイーリィとクリュウについて行く。するとそこには、小さな車輪がついた寝台にうつ伏せになったギルの姿があった。
「ギルっ」
「なにを不安そうな顔をしている。クリュウも俺の手術のために力を貸してくれるという話だし、イーリィは名医なのだろう?」
しまった、つい顔に出ちまった。もしかして今の俺、耳や尻尾にも下がってるんだろうか。
手術を前に、今は元気な俺がギルを励さないといけねえっていうのに。
手術直前になるとイーリィが狂ったように嬉々としていたのは、もう過去の話。今は不思議そうに首を傾げている。息子ができて性格が丸くなったのかもしれない。今はどこをどう見ても、普通の医者だ。だから大丈夫。
そう自分に言い聞かせ、俺はしゃがみ込んで視線を合わせ、ギルにまっすぐに見た。強く頷いてみせる。
「おう、イーリィは世界的な名医なんだぜ。だから大丈夫だ」
手を握ると、ギルは握り返してくれた。
まだほんの少しだけ、不安だった。でもギルはもっと不安だろう。両翼を治すために戦いに出るのはギル本人だ。しかも自分の国じゃなく、裏社会の住人だらけのシーセスで治療する羽目になっている。
だから、せめて俺だけは笑っていないと。
もともと器用な性格じゃない。思っていることは顔だけじゃなく、耳や尻尾に出やすいし。
口角を上げると顔が引き攣っていくのがわかった。それでも無理やりに笑ってみせる。
「ギル。俺、待ってるから」
「ああ、では行ってくるぞ」
固く握っていた手がほどけ、しだいに離れていった。ついさっきまで手の中にあった温もりがなくなって、切なくなる。手を握りしめ、心臓のあたりに押しつけた。そうしたら、少しは心の震えがおさまるかもしれない。
カラカラと、小さな車輪が回る音が耳につく。
そうしてクリュウとイーリィによってギルが手術室へ運ばれていくのを、最後まで見送ったのだった。
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