二.キメラってこんなだったっけ?

「診療所の警備システムって、あの牙炎がえんに壊されたという、あれか!? というか、警備システムって生き物だったのか」


 ギルが目を丸くして、アサギとその隣に佇む黒いキメラを交互に見た。

 そういえば、イーリィが牙炎を前に言っていた気がする。うちの警備システムを破壊していったって。あれってキメラのことだったのか。


「まあ、キメラは死骸を組み合わせて作るから、厳密には生きていないんだけどね。あれは一週間くらい前だったかな。あの馬鹿狼、何を思ったのかアサギを誘拐しようとこの病院に侵入してきてさ」


 肩をすくめ、イーリィは腕を組んでこう続けた。


「当然、キメラはレガリーを排除しようと動いたんだけど、揉み合っている最中にアサギがぶん殴られちゃってね」

「違うよ、父さん。レガリーさんはわざとじゃないんだよ。キメラの攻撃をかわそうと腕を払ったところにたまたま僕がいて、当たっちゃっただけだもん」

「腕を払った程度でもアサギは吹っ飛んだんじゃないか。ほんっと馬鹿力だよね、あの狼。君に大きな怪我がなくてよかったけどさ。——で、その出来事をきっかけにキメラが壊れちゃってね」

「話がいまいち見えないんだが?」


 俺より先にギルがツッコミを入れた。

 とりあえずアサギが拉致されそうになったことだけはわかった。けど、キメラが壊れる事態になったのとどう結びつくんだ? 実際、キメラは何食わぬ顔で今もアサギの隣に立っている。……というよりも、寄り添ってる気がする。豊かな獅子のたてがみをアサギの腕にくっつけて顔を寄せて、——ってなんか猫みたいにゴロゴロ鳴き始めてねえか!?


「つまりね、キメラはアサギのことが好きなんだよ」


 ギルの疑問に対し、イーリィはそう答えた。


「目の前でアサギがレガリーに吹っ飛ばされて、よほどショックだったんだろうね。バグを起こして、まともに喋れなくなった上に制御できないくらいに暴走しちゃったんだよ」

「ああ、それで〝壊れた〟ということか」

「もう今は大丈夫だよ。直して正常に戻したから」

「直せるものなのか……。すげえ」


 今まで獅子と山羊と蛇がひっついたような魔物は恐ろしさしか感じなかったけど、ああして懐っこい顔でアサギにくっついてるのを見てると可愛く見えてくるから不思議だ。

 アサギもアサギで、上機嫌でキメラのたてがみをわしゃわしゃとなでている。見てくれが怖くても懐かれたら嬉しいものなのかもしれない。


「ふふっ、うちの病院はキメラが守ってくれるから安全なんだよ。だからね、安心して身体を治してね。……キメラ、患者さんの安全はきみが守るんだよ?」

『……我の務めは小さき主人マスターを守ることのみである』

「あれ? えっと、そうじゃなくてね……」


 戸惑うアサギの隣で、キメラは胸を張って得意げだ。二対の目はキリッと前を見据えていて、まるで主人を守る騎士のよう。


「キメラってこんなんだったっけ?」

「このキメラが特殊なだけだよ」


 俺の疑問に対し、イーリィはくすりと笑った。

 おそらく、キメラを作成したのは十中八九イーリィだろう。以前は死体蒐集しゅうしゅう家だったという話だし、材料集めには事欠かなかったはずだ。


「そこそこ強いし自衛はできるけど、この通り僕は弱視の妖精族で、完璧にアサギや病院の患者たちを守れるわけじゃない。だからキメラを作り警備システムの代用にしているんだ。でもね、アサギが物心がつくとキメラに話しかけるようになってね」


 光が宿らない銀の瞳はまっすぐアサギへと向いている。

 アサギは首を傾げる黒の獅子と山羊頭に向かってなにやら一生懸命に言い諭しているようだった。


「たぶん、情というものが芽生えてしまったんだと思う。魔法語ルーンしか話せなかったのにいつの間にか共通語コモンを覚えて会話できるようになったし、キメラのやつ、勝手に主人マスター権限を僕からアサギに書き換えてしまったのさ」

「それって、キメラに心が宿ったってことか?」

「ロマンのある言い方をするとそうとも言うね」


 イーリィは唇を引き上げて微笑した。


「キメラはああ言っているけど、心配はいらないよ。アサギを守るということはこの診療所そのものを守るということだから」


 それにしても、なんでキメラはそこまでアサギを守ろうとするんだろう。

 いくら妖精族で子どもだからって、過保護すぎねえか? いや、でもアサギが話しかけることで心が芽生えたのなら、アサギに懐いて当然なのかもしれない。


 とか、つらつら考えていたら、ふと視界に手のひらが迫ってきた。

 入院着に身を包んだギルの、骨張った大きな手だった。


「いつまで座り込んでいる気だ? 身体が冷えるぜ。ほら」

「お、おう」


 差し出された手を素直に取るのは照れくさかった。だからと言って、ギルの優しさを跳ね除けたくはない。

 顔に熱が集まるのを感じながらギルの手を握る。

 ギルは握り返して力強く手を引いてくれた。その反動に合わせて俺も立ち上がる。


「ほら、アサギ。キメラにいくら言い聞かせても時間を浪費するだけだよ。それより朝食にして、手術の準備だ」

「あっ、うん! わかった。国王さま、キメラがごめんなさい」

「守護対象が代わっただけで、安全面には変わりないのだろう? 気にするな」


 アサギがしゅんと眉を下げて謝るものだから、ギルは笑って首を横に振った。医者見習いとしては、これから手術を控えているギルには安心してもらいたかったのかもしれない。

 俺が初対面の時そうだったように、ギルは普通に笑っても凄みのある印象を与えてしまう。昨日もそうだったけど、アサギはちっとも怖がるそぶりを見せず、今回もこくりと笑顔で頷いていた。

 さすが無法国家シーセスの子どもだ。顔は女の子みてえなのに、なかなかに肝が据わっている。


「父さんは腕のいい名医だから、なにも心配いらないよ。だから王さま、手術がんばってね!」

「おう。ありがとな、アサギ」


 珍しく初対面で怖がられなかったせいだろうか。いや、もともと子どもが好きなのかもしれない。

 ギルはいつもより嬉しそうに笑い、アサギの頭をなでていた。




 ◇ ◆ ◇




 昨日と似たようなメニューの朝食を食べ終えた後は手術へと準備を進める。

 イーリィとギルは別室で手術着へ着替えに行き、俺は一人病室に残された。

 キメラを連れてアサギは昨日と同じく食器を下げて出て行ってしまった。


 朝になると鳥の鳴き声があれだけ聞こえていたっていうのに、今は物音ひとつしないのが不思議だった。

 俺とギルにあてがわれた病室は施設の最奥に位置していて、滅多に診療所のスタッフは入ってくることはない。たぶん、ギルとスタッフ、双方に対する配慮なんだろう。

 しんと鎮まりかえった空間の中にいると、心臓の音が大きく聞こえてくる。


 ギルは、本当に大丈夫なんだろうか。イーリィは世界に名が知られるほどの名医だっていうのは俺もわかっているけど、ちゃんと手術は成功するのかな。

 万が一、ギルが帰ってこない事態になったりしたらどうしよう。


 独りでいると、ろくでもないことばかり考えてしまう。

 頭を振り、俺は思いきってベッドから飛び降りた。気分を変えて、病室を出てみよう。







 一時入院という形ではあるものの、イーリィには身体の負担にならない程度なら動き回ってもいいと言われている。

 夜鳶よとびの診療所は案外と広い。診療所というよりは大きな病院みてえだ。


 長い廊下を歩いていくと、まばらに行き交う病院スタッフが増えてきた。

 妖精族の医師がいる診療所だからか、施設内にいるやつらはスタッフも含めて魔族以外の種族がいるみたいだ。人間族に獣人族、はるか昔に海へ姿を消したと言われる鱗族まで! さすがに少数派の翼族は見かけなかった。

 まあ、見てくれは獣人でも俺みたいに耳と尻尾が出ている魔族だっているもんな。アティスの息子だって翼族みてえに背中から翼が出てるんだし。


 そういえば今朝からスイの姿を見ていない。夜は父親と一緒に自宅に帰ったんだろうか。


「よぉ、ヒムロ。探したぜ。こんなところにいたのか」


 廊下を抜け広いスペースに出たところで、そう呼び止められた。

 荒い口調で親しげに話しかけてくるその低い声に、ひどく懐かしさを覚える。再会してからたった二日ほど、顔を合わせなかっただけなのに。


「クリュウ!」


 ギルと共に診療所へ来てからずっと姿を消していた彼は、白衣姿ではなかった。膝より丈が長い青い衣服。襟のないそれは袖が長く、手首あたりのところできつく絞られている。絹のような長い黒髪は相変わらず肩に流したままだったけど、その姿はまるで、


「なんだよその格好。どうしておまえまで手術着姿なんだ?」


 そう、まるでイーリィと同じく手術に執刀する医者みたいな姿をしていた。

 俺の問いかけに、クリュウはにぃっと笑って答える。


「見ての通りだっての。俺もイーリィのサポート役としてギルヴェール国王の手術に参加すんだよ」


 眼鏡の奥で深い青の瞳が楽しげに輝いている。

 魔法具店の火事現場では悲壮な顔をしていたくせに、今目の前にいる彼の顔色はよくなっていた。まるで憑き物が落ちたように晴れやかに笑っていたのだった。

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