二.診療所の子どもたち
イーリィの口から「朝食」という言葉を聞いたら、腹のあたりがきゅうと痛くなってきた。
そういや、まだ飯食ってなかった。
「父さん、入ってもいい?」
こんこんと、突然にノックをする音がしたと思えば、控えめに戸が引かれた。
わずかに開いたその隙間から、身を寄せ合った二人が顔をのぞかせ、明るい青緑色と緋色の大きな瞳がじっとこちらを見ている。
ひょっこりと見えるのは、銀色と赤紫色の頭。そのせいか白いのと赤いのという印象だった。じいっと見てくる警戒心のないその表情は、まるで——、
「子ども?」
「アサギにスイ。入ってもいいから、ちゃんと挨拶しなよ」
「うん!」
イーリィに許可をもらったせいなのか、今度は勢いよく引き戸が開かれた。がらら、と音を立てながら姿を見せた二人に、俺は一瞬言葉を失った。
二人はたしかに子どもだった。十代の半ばくらいだろうか。
白いのと思った方は尖った長い耳という特徴を持つ、妖精族の子どもだった。肩につくくらいまで伸ばしたまっすぐな銀髪に明るい青緑色の瞳。白く滑らかな肌と中性的な顔立ちは種族的な特徴のせいか、女の子にしか見えない。が。
「初めまして! 僕はアサギ=ライローズと言います。まだ見習いなんだけど、入院中、快適に過ごせるようにできる限りのお手伝いをさせていただきますので、困ったことがあればなんでも言ってください!」
とか言ってるから、たぶん男なんだと思う。
「えっと、俺はティスレイト。気軽にスイって呼んで! そこにいるアティスが俺の父さん。父さんに困ったこと言われたらイリ先生に言うといいよ。叱ってくれるから」
隣にいた赤い子どもは、なんと
尖った短い耳は俺たちと同じ魔族の特徴だ。快活な顔は元気な印象で、言葉もはきはきと喋っている。ただどうしても目を向けてしまうのは、その子の背についている大きな朱色の両翼だ。
人の姿で両翼をもっているなんて、翼族以外にはあり得ない。であるなら、こいつも俺と同じく手酷い虐待を受けてきたんじゃないだろうか。
今は笑顔全開でいるところを見ると、安定した暮らしができているのかな。
しかし、翼をもつ魔族の部族ってなんだっけ。セイレーンは水属性しかいねえし、ハーピィは腕が翼になるもんな。だとしたら、グリフォンしか思いつかねえんだけど。
「昨日の夜も説明したけど、彼が今回怪我で入院したルーンダリアの国王、ギルヴェール陛下だよ。隣にいるのは側近のヒムロ」
アサギとスイ、二人の子どもたちにイーリィは俺とギルを紹介してくれた。すると、二人そろって元気よく「よろしくお願いします!」と挨拶するもんだから、ギルはきょとんと目を丸くしている。
「ちなみに。もう気付いているだろうけれど、アサギは僕の血を分けた正真正銘の息子だよ」
マジかよ! イーリィって子どもがいたのか。
「和国みたいな名前だから、一瞬同じジェパーグ生まれかと思った」
「ああ。それは妻がジェパーグの文化にハマっていたことがあってね。瞳の色を見て名前をつけたんだよ」
たしかにこの青緑色って和国では
って、そうじゃない。イーリィはさっき、妻って言わなかったか!?
うそだろ。
「それでアサギ、何か僕に用があったんじゃない?」
「うん。あのね、ごはんの準備ができたから知らせに来たんだ。僕とスイで朝食を運んでもいい?」
わざわざ子どもたち二人で食事を知らせに来てくれたのか。
配膳って病院のスタッフがするんじゃないのかな。それかアサギとスイが自主的に手伝いしてるのか。二人の明るい笑顔を見ているぶんには、たぶん後者っぽい。イーリィの顔も難色を示してねえみたいだし。
『ちょっと待て。まさか俺はグリフォンのままで食事をせねばならないのか?』
翼を天井から固定されたまま大人しくしていたギルが、目を強張らせて言った。
身体は獅子、頭は鷹という容貌のグリフォン。そんな獣の姿のまま食事をするとなると、当然ナイフもフォークも使えない。人としての尊厳がなさすぎて可哀想だ。そもそもそんな主君の姿をケイは見たくねえだろうし、俺だって嫌だ。
「大丈夫だよ! 不便がないように僕とスイで食事の介助をしてあげるから。何の心配もいらないよ!」
「うん! 俺たちにまかせて!」
『心配しかないんだが!?』
子どもたちは厳ついグリフォン相手に怖がるそぶりをちっとも見せない。むしろ屈託のない笑顔を向けられて焦っているのはギルだ。そりゃ子どもに食事の世話をさせるなんて、大人としては
「ギルヴェール国王、安心して。もちろんグリフォンの姿で食事なんてことはさせないから。人の姿で食事できるよう僕の方で考えてある。ただ、国王の承諾をもらえたら、になるけどね」
「承諾?」
「そう。君の片翼はまだ骨が繋がっていない状態だから、そのままにしておいて欲しいんだ。無理やり変身を解いたら、治るものも治らなくなる。だから、僕の催眠で人の姿のまま身体の一部分だけグリフォンのままでいてもらおうと思ってるんだ」
催眠って言うと、昨日暴れるレガリーを魔法のように眠らせたあれか。同じようなことをギルにもするってこと、なのかな。それにしたって、どうやって人の姿のまま戻す気なんだろう。それに人の姿に戻っちまったら、翼の治療はどうなるんだ。
「身体の一部分だけグリフォンって、どういうことだ?」
「要はヒムロ、彼が狐の耳と尻尾を出しているような状態ってことだよ。ま、ヒムロがあの姿でいるのは心因性によるものなのだけど。君の場合は翼だけ出してもらうことになるかな。そこにいるスイみたいな感じだね」
「え?」
「俺こう見えてグリフォンなんだよ! でも王さまの方がずっとずっとカッコいいー!」
ずずいとギルのそばまで距離を詰めて、スイは目を輝かせてギルを見ていた。
ギルって、翼も体躯もしっかりしたグリフォンだもんな。寝そべっているだけなのに、妙に威厳があるし。そりゃ同じ部族のスイとしては憧れを抱いても無理はない。
時折動くスイの朱色の両翼の羽は細くしなやかで、厚みもあってがっしりとしている気がする。グリフォン特有の、鷲の翼だ。
けど、スイはたしか
「……そうか。お前もちっせえな」
「うん?」
にこにこ笑う子どもに迫られても、ギルはもうたじろいたりはしなかった。落ち着いた様子で目を伏せて、スイを見ている。
王様やってるだけあって、案外子どもが好きなのかもしれない。そう思っていたら、不意に心臓が大きく跳ねた。
目を伏せると同時に、ギルのいつも鋭かった雷色の瞳が、
あの色を俺は知っている。
あれは、本当の寂しさを知っている瞳の色だ。
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