第六章 夜鳶の診療所にて——楽しい入院生活♪
一.一夜明けて
夢を見ないで深く眠り込んだのは、久しぶりだった。
遠くで鳥が
法のない国シーセスでも動物は生息しているし、植物だって繁茂している。ティーヤ地区は王都みたいな人の手によって整えられた都会の街で、街路樹もたくさん植えられていた。
あらゆるいのちが息づくと、自然と精霊たちも多くなる。彼らは俺たちの生命維持だけでなく、生活を支えてくれている。
人が過ごしやすくするためには精霊たちが気持ちよく過ごせる環境を整えるのが必須だ。朝から鳥の歌を聞けるというのは、地区全体の管理が行き届いている証拠なのかもしれない。
今、俺とギルはティーヤ地区内にある病院、
昨日、
当然だけど、結果的にギルは入院することになった。骨折という大怪我だもんな。
イーリィに言われるままにケイと俺でギルの入院手続きをして、診療所内の食堂で食事して……、それからどうしたんだっけ?
起き上がると、服装が変わっていた。いつもの着物じゃなく薄青色の簡素なパジャマ。着替えた覚えは、ない。
(なんで俺、ギルと一緒の病院のベッドで寝てんだ?)
しかも、髪を結んでいた
『……ん、ヒムロか?』
隣からギルの声がした。
病室にはベッドが二つあったんだ。俺が寝かされていたベッドの隣にはもう一つ、ギルにあてがわれたベッドだ。
「ギル、もう声出せるのか? 痛みはどうだ?」
『起き上がるのは無理そうだが、痛みはないな』
いつもより力が入っていない声だった。
おまけにいつもの人の姿じゃなくグリフォンの姿だから、なんだか落ち着かない。おかしいな。昨日、応急処置をした時は怖いだなんて微塵も思わなかったのに。
たぶん、起き上がれないのは片翼をしっかりと固定されているせいだろう。骨折しているんだから当然だよな。
素人は怪我くらい治癒魔法で治せるだろと思いがちだが、骨折ほどの大怪我となれば話は別だ。俺たちが使う、傷を癒す治癒魔法はただ傷口を塞ぐことしかできない。身体の内部、骨とか内臓は適切な医療処置をしなければ、治るどころか容態が悪化することだってある。
『俺はともかく、お前までどうした。なぜ入院着の姿なんだ?』
「さあ、俺にもさっぱり……。飯食ってからの記憶がなくて」
首を捻りつつそう答えたら、ギルは鋭い雷色の瞳をきつく細めた。いつもより眼光が鋭く見えるのは鷲の目だからだろうか。
昨日の夜、一緒に食堂にいたケイはどこに行ったんだろう。まさか主君を放って国に帰るはずはねえし。クリュウの姿だって見えない。まさか牙炎の一味として捕まってねえよな……。
病室の外に出て誰かに聞いてみようか。いやでも、ここってやたら薄ら暗い病院だった気がするし、無闇に出歩かねえ方がいいかもしれない。
頭の中でうんうんと考えていたら、不意にノック音が響いた。返事をするより先に、引き戸の向こうから声が聞こえた。
「起きてる? ちょっと入るよ」
ある程度は予想していた。
入ってきたのは診療所の主、イーリィ=ライローズ。そしてティーヤ地区の首領、
イーリィは昨日と同様、清潔そうな白シャツに白衣姿。
二人が危ない局面で牙炎を見事捕まえてみせたのが昨日。で、緊張感のカケラもないくらいマイペースに
身構えるのも仕方ないってもんだ。
「昨日はよく眠れたかい?」
警戒してるのがわかっているのかいないのか、イーリィは近づいてきてそう尋ねた。
前に会った時もそうだったけど、この人だいぶ背が高い。
「うん、まあ……」
「それはよかった。君、覚えていないだろうけど、食事のあと気絶しちゃったんだよね。火事場現場にいたし、たぶん煙中毒になっていたんじゃないかな」
適当に返事したら、今知りたかったことをイーリィは教えてくれた。
正直びっくりした。自分で着替えてベッドに入った記憶がないと思ったら、食堂で倒れていたようだ。
「え、マジで?」
「うん、本当だよ。で、気分はどう?」
「今はなんともない。頭もすっきりしてるし」
俺が何と返事してもイーリィは淡々としていて態度を大きく変えない。その割には言葉遣いはきつく感じなかった。だからなのか、あまり怖いとは思わない。普通の医者って感じだ。
素直に頷いたら、イーリィは満足したらしい。口もとを緩めて銀の瞳を和ませた。
「ギルヴェール国王にヒムロ、だったね。君たちに医者として色々説明したいところなんだけど、僕の話の前にアティスの話を聞いてくれないかな」
「へ? 話?」
アティスってのは、たしか
そっとギルを見るとただ聞いているようだった。うんともすんとも言わないから、何を考えているのかいまいちわからない。とりあえず静観してるんだろうか。
視線を戻したら、イーリィが横目で
「ほら、アティス」
急かすイーリィの目が少し鋭くなったのは気のせいだろうか。
力の抜けた笑顔で「わかったよ」と
「初めまして、ギルヴェール国王。俺はアティス=クロウリー。ここティーヤ地区の首領をしている一介の魔術師だ。改めて昨日の非礼を詫びよう」
『非礼?』
ようやくギルの嘴が動いた。
昨日は動揺していた
「知らなかったとは言え、君の大事な
あー、そっか。昨日、めちゃくちゃギル怒ってたもんな。謝罪って昨日の軟派かよ。
つーか、パートナーって。
まだそういう関係じゃないような気が……。
『謝ってくれたのなら、もういい。ヒムロが許すのなら』
「そうか、許してくれるか! ヒムロも悪かったね。俺はどうもきれいな子を見ると褒めたくなる衝動が強くなってしまって……。俺を許してくれるかい?」
「へ? あ、いや、俺は別に気にしてねえけど」
嘘だ。首領相手に言い寄られて正直困ったし、逃げ道もなくてめちゃくちゃ怖かった。
……まあ、反省してるみてえだし。和解しようとしてるのを、変に荒波を立てて邪魔したくはない。
というか、まだ俺とギルはパートナーじゃねえし。
「君は言いたいことははっきり言ったほうがいいよ。アティスは息をするように口説く天然タラシだから」
「え」
腕を組んでいたイーリィに淡々とそう言われて、どう返したらいいかわからなくなってしまった。濁った銀色の瞳はあまり見えないはずなのに、見透かしたように俺を見ている。
ギルといいイーリィといい、なんで考えていることがバレるんだろ。あ、尻尾のせいか。
後ろを振り返ると、白藍色の尻尾がぱたりと揺れた。くそう、やっぱり尻尾があると心を読まれちまう。
「さて」
短く、けれども抑揚のない声が不思議と耳に残った。顔を上げイーリィを見ると、彼は俺やギルにきれいな笑みを向けながらこう提案したのだった。
「わだかまりも解けたことだし、一旦朝食にしようか。
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