八.……炎属性の狼って、炎吐くんだな。
初めて会った時から凄むように笑った顔が印象的だった。影の中で生きる俺にとっては、その自信たっぷりの笑顔はまぶしくて、挫折なんか知らないって感じで。
そんなギルヴェール国王が牙炎に負ける、だと——?
「どういうことだよ。それって、国王が
気がつくと、俺はクリュウの白衣をつかんでいた。クリュウは一瞬だけ驚いたような顔をしていたけど、声を荒げた俺をなだめるように、大きな手のひらを俺の頭にのせた。
「落ち着け、ヒムロ。すぐに対策すればどうってことはねえ。今のまま無策で牙炎に突っ込んだら国王は不利だって話だ」
「同じことじゃねえか! だって、炎に強いのは光じゃねえか。身体の大きさだってグリフォンは狼に負けてねえ! なのに、どうしてギルヴェール国王が不利なんだよ!」
納得できない。ケイの言う通り、理論上では国王は牙炎に優位を取れるはずなんだ。
世界情勢や常識だけでなく、クリュウは魔法の仕組みや属性の優位性と弱点なども教えてくれた。その張本人がなんで、理論に反することを言うのか理解できなかった。
「俺も納得できないですね」
冷静でいて、うちに熱いなにかをこめたような低い声が聞こえた。ケイだ。
「ギル陛下は負けなしの強さです。どんな相手でも、一度たりとも倒れることがなかった人ですし。あの方の爪があんな狼に折られるだなんて、到底思えないんですけど」
そう言って、不満そうに口を引き結んだ。形のいい眉を寄せて珍しく不機嫌そうだ。
さっきのクリュウの発言が不満だったのかもしれないな。ケイの国王に対する忠誠心は相当のもんだし。
多少言い返されたくらいで、クリュウは機嫌を損ねたりしない。けど、事態を重くとらえてるのか、クリュウは真顔でケイと向き直った。
「別に俺は国王が弱ぇって言ってるわけじゃねえ。ルーンダリアが革命軍を組織し、闇組織から国を奪い返した英雄譚は
「どういうことですか?」
ケイがすぐに尋ね返した。
クリュウは細い眉を寄せ、また苦虫を噛みつぶしたような顔をした。
「牙炎だけじゃねえ。シーセス国の首領たち全員がグリフォンと戦い慣れてるんだ。それこそ、あの姿をトラウマとして記憶に刻み込まれるほどにな」
吐き捨てるように言うと、クリュウは少しずれた銀縁の眼鏡を細長い指先で押し上げた。ガラスの奥の瞳はまっすぐ、牙炎に向いている。
「昔……、ヒムロがガキの頃の話だな。首領たちの一人に、
「え、全然覚えてない」
「牙炎はあの通り強運体質だったからなー。さすがに
クリュウの大きな手が、するりと白衣のポケットに入った。あまり間を置かず、再び筋張った手が拳となって出てくる。指を開くと、色とりどりの宝石が嵌め込まれた指輪がいくつか出てきた。
銀の台座に宝石——たぶん竜石を嵌め込んだ指輪を、クリュウは右手の指に通してゆく。
「ま、と言っても、人喰いを犯した奴ぁ例外なく寿命を半分に断たれる呪いにかかる。すぐに寿命が尽きちまって、
俺にとって、獰猛な獣と言えば目の前にいる牙炎しかいない。あんな大きくて恐ろしく強く、絶対的な運を味方にまでつけた狼の牙が届かなかったなんて。
「なるほど。牙炎にはグリフォンと抗争を続けてきた経験があるからこそ、あなたはギル陛下が不利だと言うのですね」
「そうだ。シーセスの首領たちは当然グリフォンの弱点は熟知してんだ。相手が悪ぃんだよ。だから、俺たちはなんとしてもルーンダリアの国王を助けなくちゃなんねえ。何か起こってからじゃ遅い。だから——、」
言葉が途切れた。
はっと息を飲んで見上げると、強い光を宿したクリュウの瞳と目が合った。
クリュウは俺を見ると、わずかにその青い瞳を細めた。
「俺が、なんとかしてやる」
なにを言ってるんだろう。牙炎には魔法が効かないって言ってたのはクリュウじゃねえか。
つーか、そもそも、学者のクリュウには剣はおろか頼みの魔法——精霊魔法だって、禁呪に手を出してるせいで使えねえっていうのに。
「なんとかするって、どうやって……」
クリュウは衝動的に行動を起こすようなやつじゃない。どちらかというと慎重なタイプだ。
そのクリュウがなんとかすると言うのなら、なにか算段があってのことに違いない。
けれど、国王を助けるためには力を合わせることが必要だ。
俺は意を決してさらに質問を重ねようと口を開いた。その時だった。
視界の端で、大きな炎が上がったのは。
「えっ、火!?」
俺は夢を見てんじゃねえかと思っていた。今、この目に映っているものが現実だと、信じられなかったんだ。
対峙している黄金のグリフォンよりもひと回り身体が小さな、赤い毛並みの狼。その狼がドラゴンみてえに炎を吐き出している。
「……炎属性の狼って、炎吐くんだな」
「そんなわけないでしょう!? そりゃ狼に変身はしますが、普通の狼と大して変わらないですよ。普通、人は、火を吐きません!」
すかさずケイに突っ込まれてしまった。
そっか、そうだよな。やっぱり牙炎は普通じゃない。
「あのバカ! 店ん中でなに考えてんだ。馬鹿野郎!!」
クリュウの舌打ちが大きくあがった悲鳴にかき消される。
牙炎の口から吐き出された炎はまるで獰猛な獣のように床板に食らいつき、商品棚や壁へとその牙をのばしていった。瞬きをするごとに増えひろ広がっていく赤。
熱風が頬や手足をなでていくと同時に、強烈な匂いが鼻から入り込んできてたまらず咳き込んでしまった。
「ヒムロ、大丈夫ですか? 煙を吸ったらまずいですよ」
常に国王のそばにいるケイはいつでもどこでも忠臣だ。うずくまって咳を繰り返す俺に、皺ひとつないハンカチを差し出してくれた。
パチパチと火が爆ぜる音。遠くで「逃げろ」と叫ぶ客の声がする。
そうだ、早く逃げねえと。
ギル……、ギルヴェール国王はどこに。
『長くはここにいられない。早く俺たちも店の外に避難するぞ』
いつの間に近くにいたのか、耳もとで国王の声がした。まだグリフォンの姿なのに、細めた雷色の瞳は見慣れたものだとわかるとホッとするのはなぜなのか。
「でも国王、風の竜石は……」
『そんなもの後でどうとでもなる。まずは人命が第一優先だ』
「かしこまりました」
狼が炎を吐いたり、突然の火事に遭遇したりしてんのに、国王はどこまでも冷静だ。さすが一国を治める王。骨の髄までこの人は王様なんだと思う。
『ヒムロ、一人で立てるか? 立てないなら乗せてやるぞ』
「だ、大丈夫だよ! 立てる!」
この緊急事態になにを言い出すかと思えば!
ギルヴェール国王はグリフォンの姿なだけに、今はどういう顔をしてんのかいまいちつかみづらい。クチバシを少し動かして、瞬きをした。その後、ぐるりと周囲を見渡し、再び俺の顔を覗き込んでくる。
『立ったらなるべく低く屈みながら進め。煙を吸い込んだらまずい』
「わかった。……国王、牙炎はどうしたんだよ」
『今は奴に構っている場合ではない。自分の面倒は自分で見るだろ。今はなによりお前の安全が最優先だ』
俺が着ている、故郷のものに似せて作った幅広の袖を、国王が
いまだに遠くでいくつもの悲鳴が聞こえてくる。突然の火事で客たちがパニックになっている。火を消すよりも、今はなにより逃げて、生き延びること。国王の主張もわかる。
けど、どうしてなのか。胸の中で鉛みたいな不安が重くのしかかっている。
嫌な予感がした。
牙炎はほんとうに逃げたんだろうか。
言いがかりとは言え、部下たちの敵を目の前にして、人前で殴られプライドも砕かれて。そこまでの侮辱を受けたあいつが、自分の命可愛さに尻尾を巻いて逃げるだろうか。
熱く熱せられた風が俺の頬をなでる。部屋は赤に支配されようとしている。イキモノのように部屋を飲み込んでいく炎の間、赤い毛並みの狼を探したけど、姿は見つけられなかった。
『ヒムロ、急げ』
国王が急かしてくる。
やっぱり俺たちを置き去りにして逃げたんだな。胸を撫で下ろし、俺はギルヴェール国王へと向き直った。
炎の赤い光に照らされた、黄金色の羽毛と毛並み。弓なりに持ち上げられた、その翼の向こう。
大きな顎を開けた炎色の狼が迫っていた。牙炎だ!
「ギル、後ろだ!!」
口を覆うことも忘れ、気がつくと夢中で叫んでいた。
体躯を震わせギルが振り返るのと、狼が獲物をとらえた瞬間はほぼ同時だった。
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